虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅲ 誓約

7. 二人で迎える朝

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翌朝。
すぐ傍に自分以外の体温を感じ、レイは目を閉じたまま、鼻を寄せてその男の匂いを吸い込んだ。

(ああ……魔王の匂いだ……)

擦り寄ってきたレイの頭を、魔王は優しく包みこみ、寝乱れた黒い髪を愛しげに手で梳すいた。

(んっ……?)

レイは驚いて、目を開けた。

「魔王!」

「どうした? レイ……何を驚いている?」

「何って……めずらしいから……」

目覚めたら、いつも魔王はいない。
この<最果ての間>での幽閉生活が始まって以来、ずっとそうだった。こんなふうに共に休み、新しい朝を迎えることなど、一度も無かった。

明り取りの空間を経て、柔らかな光が窓から零れ落ち、寝室内を穏やかに照らし出している。
魔王は横たわりながら、筋肉の盛り上がった太い腕で、レイを優しく包みこんだ。

「目覚めて私がいなかったら……おまえが淋しがると思ってな……」

「なっ……! 誰がっ……」

いきなり図星を指され、焦って反発しようとしたが、唇を塞がれたために、先を続けることはできなかった。

「んっ……む…………んんっ……」

突っぱねようと腕を魔王の胸に当てたが、甘い口付けに力が奪われ、レイは結局、魔王の背中に腕を回した。

「はっ……ん……ぅん……」

やがて魔王はレイの唇をそっと解放し、触れるか触れないかの至近距離を保ったまま、囁いた。

「レイ……昨夜は……私に何を言いかけたのだ……?」

「? ……何のことだ?」

「眠りに落ちる前、私を呼んで、何か言いかけただろう?」

 レイはわずかに眉をしかめ、記憶をたぐりよせた。

(………? ………………あっ……!)

そして思い出した。昨夜心地よい浮遊感に包まれ、告白の衝動に駆られたことを。

(アレのことかっ!?)

魔王の期待に満ちた眼差しが、刺さりそうな勢いでレイを見つめている。レイはとっさに目を伏せた。

(アレのことだな……気付かれていたのか……)

「レイ?」

(うっ……。この状況で、言えるかよ……)

レイは真っ赤になって身を捩り、魔王の視線から逃れた。

「……覚えてないな……多分、重いって、言いたかったんじゃないのか?」

「………………」

魔王は大げさに溜息をつくと、体を起こして服を着替え始めた。
しつこく追及してくるかと思いきや、意外にあっさりと身を引かれ、レイは複雑な気持ちで魔王を眺めた。

(あれ……?)

魔王は昨夜より、ずいぶんと顔色が良い。
あれほど霞んでいた生気も、見違えるほど回復している。まるで別人のようだ。目の下の隈は消え、髪の艶まで復活している。

「一晩眠っただけで、恐ろしいほど回復するんだな……魔王。魔族はみんな、そうなのか?」

半ば呆れたように感心しているレイに、魔王は決まり悪げに微笑んだ。

「これは……昨夜おまえの血を、いつもより多めにもらったからだ……」

「えっ!? 吸血すると、疲労回復するのか!?」

「いや。通常はせぬ。吸血により魔力は吸収できるが。……だが、運命の絆で結ばれた相手の血は、特別だ。血のひとすすりでも相手を癒す効果を持つと、話には聞いて知っていたが、私もこれほど絶大な効果を得たのは初めてで、驚いている。吸血量が多かったのもあるが……昨夜、おまえと真の契りを得たのも、関係しているのだろう……」

「え……?」

明るい光の中で「契り」という言葉を投げかけられ、レイは頬を染めながら、困惑に眉根を寄せた。

「私たちは昨夜、真の契りを得た。『睦飛むつとび』をしたのを、覚えているだろう? あれは貴重な体験だった」

「睦飛び……?」

「私と共に、見ただろう?この世のどこにも無い、それと同時にすぐ傍に存在するあの異空間で、あらゆる言葉を超えたところにある、あの現象を……」

「あっ……やっぱりあれ、夢じゃなかったのか……」

「ああ。夢ではないが、夢のような体験だったな。……おまえとだから、見ることができたのだ。他の誰にも、できぬ。私にはただ一人、おまえだけが、私に奇跡を与えてくれる。今こうして、体中を廻るおまえの血が、私を癒してくれたように……」

金色の睫毛の奥で、赤い双眸が生気に満ちた輝きを帯びて、優しくレイを見つめていた。レイは視線を逸らすこともできず、魅入られたように魔王の目を見つめ返した。
昨夜垣間見た不思議な空間の名残が、見えないとばりを広げ、まだ二人を包みこんでいるかのようだった。

――カタン、とどこかで音がして、レイは我に返った。

「あ……シルファかな。俺、朝食の用意を頼んでくる。魔王も、食べて行くだろ?」

「いや……私はそろそろ戻らねばならぬ。今朝は重要な公務はないが、瑣末な仕事が山積しているのでな……すまない、レイ」

魔王はそう言って残念そうに微笑むと、肩の飾り布を身に付け、レイの額にそっと口付けた。

「また……今夜」

レイは何か憎まれ口を叩いてやろうと口を開きかけたが、結局何も言えず、黙って魔王を見送った。

(額が……熱い……)

魔王が去ってしまうと、たちまちレイの胸中に、胸を抉るような淋しさが広がった。レイは思わず、先程まで魔王が身に着けていた夜着を手元に引き寄せ、顔を押し付けて抱き込んだ。
そうして魔王の匂いに包まれていると、自然と昨夜のことが思い出されてくる。

魔王の求めに応じて、初めてその体を抱き締めたこと。そのあと訪れた、恍惚とした一体感。とろけそうなほどの快感。そしてあの――不思議な空間で見た光景……。

(何だったんだろうなあ……あれ……すごかったなあ……)

思い出すだけで、今まで感じたことのない至福に包まれる。
嘘やまやかしの介在する余地などまったくない、全てが完成され、揺るぎない真理に満ちた空間だった。

『おまえとだから、見ることができたのだ。他の誰にも、できぬ。私にはただ一人、おまえだけが、私に奇跡を与えてくれる』

耳元に、魔王の低い声が甦る。

(魔王だけが……俺に奇跡を……)

――奇跡。そう、あの不思議な現象は、奇跡としか言いようがなかった。

(運命の……絆……)

魔王の口から初めてその言葉を聞いたのが、もう遠い過去のように思えた。

『レイ、おまえは私の運命の相手だ。紛れもなく。おまえの額瞳がくどうは、真実をおまえに告げた。後は魂に従うだけだ』

「魂に……従うだけ……」

それが良いことなのか悪いことなのか、正しいのか間違っているのか、答えを出そうと考えれば考えるほど、ただ苦悩だけが深まってゆく。
魔王の申し出を受け、魔界の王妃となることを、兄は許してくれるだろうか。
時折会う仙界のいとこたち、かの地の優しい穏やかな人々は、俺をどう思うだろう。
仕事は、仲間は、師は、フアナは、慣れ親しんだ人々、故郷の街、人間界の景色、仙界の美しい自然……愛するその全てを――失うことになるのだろうか。

「駄目だ……駄目だ、とてもできない。王妃になど……なれるはずもない。第一俺に、務まるはずがないんだ……俺は、一介の何でも屋、単なる庶民だぞ!」

レイは抱き締めていた魔王の夜着を、シーツの上に投げ出すと、こぶしで叩き始め――

「このっ、くそっ、おまえのせいだ! この変態王め!」

――罵声を浴びせて、罪の無い夜着に思いっきり八つ当たりした。
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