虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

文字の大きさ
73 / 80
Ⅲ 誓約

21. シルファ――開け放たれた扉

しおりを挟む
湯の温度と浴室の設備を再度点検し終え、シルファは厨房へと足を踏み入れた。翌日の料理の下ごしらえに取りかかろうとして、ふいにシルファの手が止まる。

「……レイ様……?」

内庭から聞こえてくる掠れた悲鳴は、紛れもなくレイの声だった。
厨房からは、直接内庭に出入りできる扉がある。シルファがその扉を開けると、レイの悲鳴は途端に大きくなった。

シルファは弾かれたように駆け出した。
優美な彫刻の飾られた噴水を回りこもうとした、そのとき。
無残に立ち枯れた低木の向こうに、レイの姿が見えた。――魔王に組み敷かれ、泣き叫ぶ姿が。

(ああっ……!!)

凄惨な光景に衝撃を受け、シルファの足が止まる。
これとよく似た場面を、前にも見たことを思い出す。――その直後に、記憶がとぎれたことも。

(だめ! 思い出しては、いけない……!)

いつもそうだった。
心が揺さぶられるほどの強い衝撃や深い悲しみに直面すると、ぷつんと記憶が途切れ、感覚が閉ざされる。

初めてその現象を意識したのは、エイミアに仕える日々が2年目を迎えようとしていた頃だった。何かを忘れているような気がして、エイミアにそれとなく尋ねると、彼女は悲しげに笑い『気にしなくていいのよ』といたわるように抱きしめてくれた。

(だめ……これ以上……ここにいたら……私は……)

記憶が強制的にもぎ取られ、機能が停止する前兆を感じ、シルファは厨房へ引き返そうとした。
しかしレイに背を向け、歩き出そうとするシルファの足は動かず、かたくなに、ここから離れるのを拒絶していた。

(レイ様を……お助けしなくては。お守りしなくては……陛下から……陛下……から? ……なぜ……? レイ様を守るように私にお命じになった、陛下……から………!!)

シルファの目が虚ろに澱み、心の奥に仕込まれた暗示が、目を覚ます。

「!!」

シルファはその場にくずおれ、膝を付いた。

――そのとき。

レイの悲鳴が一際大きく響き、その後ぴたりとやんだ。
それを合図としたかのように、シルファの中で何かがカチリと符号し、目の前に心象風景が広がった。
青白い肌の少女が、黒い瞳でシルファをじっと見つめている。
その眼差しは優しく穏やかで、懐かしさのあまり、シルファは声を上げた。

「ああ……エイミア様!」

記憶の中の少女は、目を潤ませて微笑んだ。
その赤い唇から、歌うように言葉が紡ぎ出される。

『過去を旅して、やっと見つけたの。
あなたの禁忌を解く方法を。
遠い未来に一度だけ、鍵のかかった部屋を開けてあげる。
優しい繭に大切にくるんで、あなたの心に忍ばせておくわ。
だから時が来たら、このことを思い出してね。
それまでそっと、眠らせておくから。
シルファ、その人も、同じ名前であなたを呼ぶ。
黒い髪に蜂蜜色の瞳、人間の姿をした男の人よ。
どうか彼を助けてあげてね。
悲しみの淵に沈みゆくその人を、安全な岸までひっぱりあげて。
……可愛いシルファ。
私たちの魂は、再び軌跡を重ね合う。
リンデンの丘を越えた先で。
麗しい虹の月と、貝殻の雲が寄せる波打ち際を横切って』

エイミアの幻影がにっこりと微笑むと同時に、シルファの心の深層部で何かが解き放たれ、新しい風が流れ込んでくる。
シルファはくるりときびすを返すと、迷いのないしっかりした足取りで、レイの元へと駆け出した。
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

側妻になった男の僕。

selen
BL
国王と平民による禁断の主従らぶ。。を書くつもりです(⌒▽⌒)よかったらみてね☆☆

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。 2026/02/14 累計30万P突破御礼バレンタインSS追加しました 2026/02/15 累計いいね♡7777突破御礼SS 19時に公開します。 様々な形での応援ありがとうございます!

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

君に望むは僕の弔辞

爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。 全9話 匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意 表紙はあいえだ様!! 小説家になろうにも投稿

すべてを奪われた英雄は、

さいはて旅行社
BL
アスア王国の英雄ザット・ノーレンは仲間たちにすべてを奪われた。 隣国の神聖国グルシアの魔物大量発生でダンジョンに潜りラスボスの魔物も討伐できたが、そこで仲間に裏切られ黒い短剣で刺されてしまう。 それでも生き延びてダンジョンから生還したザット・ノーレンは神聖国グルシアで、王子と呼ばれる少年とその世話役のヴィンセントに出会う。 すべてを奪われた英雄が、自分や仲間だった者、これから出会う人々に向き合っていく物語。

処理中です...