虹の月 貝殻の雲

たいよう一花

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Ⅲ 誓約

22. 吸血

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背後から獣のようにレイを犯した後、魔王は狂おしい思いに駆られた。

(血が欲しい――レイの血が)

レイの体から凶器のごとき肉棒を引き抜くと、鮮血と精液の混じった液体が、ボタボタと流れ落ち、土に吸い込まれていった。たちこめるレイの甘い血の匂いが、魔王の狂気に拍車をかける。
魔王はレイの体を乱暴に仰向けに返し、その首筋にかぶりついた。

「……っ!!」

レイの脳裏に、過去の残骸が凄惨な感触を伴って、悪夢のように甦る。心身ともに恐怖に支配され、身動きすらできない。
そのとき誰かの足音が響き、何かがレイの頭上にドサッと覆いかぶさるなり、大声で叫んだ。

「おやめください、陛下! どうかそれ以上、レイ様に酷いことをなさらないでください! お願いでございます、陛下! レイ様が、死んでしまわれます!」

――レイが、死んでしまう。

水面に落とされた小石が波紋を作るように、その言葉がゆっくりと、魔王の脳裏に広がってゆく。その目に宿る狂気が徐々に影を潜め、吸血する速度が落ちてゆく。

シルファはレイの頭を守るように覆いかぶさり、首筋に食らいついる魔王の耳元で叫び続けた。

「吸血をおやめください、陛下! お願いでございます! レイ様がまた……また死んでしわまれます! 陛下! なぜレイ様を、殺しておしまいになるのですか!」

――レイを、殺してしまう。

魔王の吸血が止まった。
それと同時にピクリ、とレイの瞼が痙攣する。

(……また……? ……俺は一度……死んだのか?) 

レイはシルファに手を伸ばそうとしたが、腕は地面に縫い付けられたように動かない。それでも必死で動かそうとしたとき、霞む視界に何かがサッと横切った。

一瞬のことだった。

シルファは吸血を止めようと、魔王の頭に手をのばし――触れるか触れないかの瀬戸際で、腕を一振りした魔王に投げ飛ばされたのである。
勢いよく後方に飛ばされたシルファは、付近の観葉植物に当り、鉢と共に地面に横倒しになった。

「人形の分際で、私の邪魔をするな!」

顔を上げた魔王の一喝が、辺りの空気を揺るがせ、響き渡る。
激昂した魔王はシルファにとどめを刺そうと、掌に<気>を集め振りかざした。その攻撃を、レイは必死の思いで止めた。渾身の力を振り絞って両腕を魔王の体に回し、しがみついて声を上げた。

「やめろ、魔王!!」

喘鳴を伴った声は掠れていたが、魔王の耳には確かに届いたとみえ、魔王の手に集まっていた<気>が霧散した。

魔王は夢から覚めたように呆然とした表情で、レイを見つめた。

(レイ……?)

シルファの起こした波紋は、確実に魔王の狂気を退け、その目に正気の輝きを取り戻させていた。それを知り、レイはシルファに深く感謝した。――今なら、魔王に言葉が届く。レイは再び喉から絞り出すように、苦労して声を発した。

「魔王……俺は王妃になる。だから、シルファを傷付けるな。王妃になったら、俺にくれる約束だ……」

「…………レイ……?」

「王妃に……なるから……。あんたを支え、一生……傍にいる」

「レイ…………レイ!」

完全に正気を取り戻した魔王は、目の前の惨状に言葉をなくした。

土にまみれたレイの体は、あちこちに裂傷と内出血の跡を浮かばせている。引きちぎられ、裂かれた衣類を中途半端に身にまとい、下半身は血と精液でぐっしょりと濡れていた。魔王を止めるために差し出された腕は、すでにだらりと垂れ、力なく地面に投げ出されている。先ほどまで魔王を映し出していた目も、今はもう閉じられている。

「私は……私は、またおまえを……!!」

――二度としないと誓っておきながら。

魔王は慟哭どうこくに全身を震わせ、我が身を呪った。

「ぐおおおおおおおっっっ!!!!」

魔王の号泣が、ビリビリと辺りに振動を巻き起こす。
獣じみた咆哮に意識を引き戻され、レイがうっすらと目を開けた。

(泣くな……魔王。俺はまだ生きてるぞ……)

そう言おうと思ったが、舌一枚でさえ、重くてもう動かせない。

シルファの干渉のおかげで致命的な失血は避けられたが、暴力的な行為とそれによる出血が加わり、今にも気を失いそうだった。しかしこのまま気絶してしまえば、また魔王が暴走しそうな気がして、レイは必死で意識をつなぎ止めていた。

そのときシルファが地面を這いながら、傍へ近づいてきた。魔王に投げ飛ばされた際に腰を破損したらしく、腕を使ってにじり寄ってくると、口を開いた。

「陛下……陛下の血を、レイ様にお与えください。運命の絆で結ばれた相手の血は、万能の特効薬と聞き及んでおります。どうか……」

「!!」

魔王は目を見開き、即座に自らの手首を食い破った。鮮血が飛び散り、レイの頬に落ちる。その刹那、何ともいえない甘美な芳香が、レイの鼻腔を満たした。

「私の血を飲め、レイ! 頼む、飲んでくれ!!」

高度な療術を苦手とする魔王には、ここまで痛めつけられたレイの体を魔導術で癒すのは難しい。しかしシルファの言うように、魔王の血を与えれば、いくばくかの回復が期待できるだろう。

――問題は、吸血を拒絶しているレイが、口にしてくれるかどうかだった。

「頼む……レイ、私の血を飲んでくれ……。おまえを癒したいのだ」

魔王はレイの口に、血の滴る手首を押し当てた。
唇が血で濡れ、その雫が舌に落ちたとき、レイの体に心地よい衝撃が走った。ぞわりと肌が泡立ち、吸血の衝動が、全身を駆け抜ける。
その強烈な欲求に、抗うことなどできなかった。
傷口から溢れ落ちる魔王の血を、レイは夢中ですすった。
今まで味わったことのない痺れるような甘さが、馥郁ふくいくたる香りを伴って、舌の上を通過し、喉の奥へと流れ落ちてゆく。それと同時に、魔王の血が触れた場所に心地良い熱の花が咲き開き、体中を歓喜で満たしてゆく。

それは「血液」などという、ありふれたものではなかった。

『おまえも、私の血を飲めば分かる』

以前魔王にそう言われたことを、レイは思い出した。

確かに、この感覚を言葉にするのは難しい。体験する他に、伝えられるすべはないように思えた。
それでも例えるなら、まるで神の生み出した美酒を味わっているかのようだ。
その感覚は神々しい至福を伴い、人知を越えた先に鮮やかに君臨していた。

恍惚と魔王の血を貪るレイを見つめながら、魔王もまた、愛する者に血を吸い出される快感に陶酔していた。
しかしやがて、失血による目眩が、倦怠感と共に襲いかかる。

「くっ……!」

魔王は片手を地面につき、崩れ落ちそうな体を支えた。

(もう、充分だろう……)

魔王は力強く吸い付いてくるレイの唇から、手首をもぎ離した。

「はっ……あ!」

レイは不満の声を上げた。覚めやらぬ陶酔感に浸されながら、レイの手が更なる血を求め、宙を掻く。
その手を捉え、魔王はぎゅっと胸に引き寄せた。

「レイ……レイ……私が分かるか? 気分はどうだ? レイ、私を見て、私を呼んでくれ」
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