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Ⅲ 誓約
23. 嵐のあと
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レイはうっとりと潤む瞳で、魔王を見つめた。
視界にぼんやりと、魔王の顔が映し出される。泣き崩れ、ぐちゃぐちゃに歪んだその顔は、魔族の王らしからぬ情けなさだった。
しかしその双眸に、あの凶暴な陰りは微塵も残っておらず、嵐が完全に過ぎ去ったことを物語っていた。
レイは大きく息を吸い込むと、それを一気に吐き出した。
先程まで軋むように痛んでいた胸も、今は快活に、滑らかに動く。激しく出血していた箇所をはじめ、体中の傷は全て跡形もなく消え去っていた。
少し前まで気絶しそうだった意識も、今は爽快に澄み渡っている。
大量に与えられた魔王の血は、レイの体に劇的な効果をもたらしていた。
「魔王……あんたの癇癪は……異常だぞ……。これじゃ、命がいくつあっても足りない……」
レイは目をすがめ、困ったように薄く笑った。
揶揄を含んだ声音に許しを感じ、魔王はレイを抱き締めて号泣した。
レイもまた、魔王を抱擁しながら、赤子をあやすようにその背をさする。
「おい、魔王……今のあんたは、かなりみっともないぜ……。……こんな醜態を晒すのは、俺の前だけにしろよ。……誰にも見せるな……こんなでかい赤ん坊、民はひくぞ……」
優しく諭すような、冗談まじりの言葉が、魔王の耳に面映ゆく響く。
魔王は次第に落ち着きを取り戻し、土にまみれたレイの体を横抱きに抱えあげた。それに対し、レイが下ろしてくれと声をかける。
「俺は一人で歩ける。シルファの様子を見てくれ。……立てないみたいだ」
魔王はシルファに歩み寄ると、体の状態を確認した。
腰部をひどく破損していて、人形師に修復を依頼する他ないと見て取ると、魔王は溜息をつき、シルファに謝意を示した。
「すまなかったな……シルファ。おまえが私を止めなければ……私は……最悪の事態を招いていただろう。この大恩に報いるため、私に何ができるだろうか」
「陛下……もったいないお言葉でございます」
魔王は今まで、人形に心が宿るなど、有り得ないと思っていた。人に似せて作られたが故に、表面的に「心」の飾りつけを成されただけだと、そう考えていたのだ。
しかし先刻の人形の態度は、魔王の考えを根底から覆した。
人形にとって主を守るのは義務だが、レイを守ろうとしたシルファの行動は、義務の範疇を超えていた。
――レイを救うために、シルファは許しも請わずその玉体に触れようとしたのだ。
470年 王家に仕えてきたシルファにとって、それがどれほど常軌を逸した無礼な振る舞いか、知らないはずはなかった。にもかかわらず、シルファはレイを救うために、言葉だけでは不充分だと感じ、遂には王に手を出した。最たる主人である王への畏敬よりも、レイの命を優先させたのだ。――心の通わないものに、その判断ができるだろうか。
それに、レイが死んでしまうと繰り返し叫んだシルファの声には、演技とは思えない切迫感と悲しみが漂っていた。
(血肉を持たないかりそめの命にも、心は宿るのか……)
魔王の脳裏に、以前レイが放った言葉が甦る。
『血肉を持たなくても、シルファは悲しみも苦しみも知っている』
傍らで、心配気にシルファを見つめているレイに、魔王は声をかけた。
「……おまえは、知っていたのだな……。最初から……」
心の機微に関しては、レイは驚くほど鋭い。その対象は人であれ人形であれ、関係ないようだ。
「……? 何を?」
きょとんとしているレイに向かって、魔王は「何でもない」と首を振ると、優しく笑った。
そしてシルファをそっと抱え上げ、弟のガラハとほとんど変わらないその軽さに驚く。
魔王は内庭から居間に入り、柔らかい長椅子に人形の体を横たえた。
「……明日、人形師を王宮に呼ぶ。それまでおまえは、何もせずとも良い」
「はい……。お役に立てず、申し訳ございません」
「何を言うか。おまえは充分役に立ってくれた」
「そうだよ、シルファ。君が来てくれなかったら、俺は今頃……」
レイはその先を言いよどみ、シルファの乱れた髪を整えようと手を伸ばした。しかしその手がひどく汚れていることに気付き、「あっ……!」と小さく叫びながら慌てて引っ込めた。涙と汗によって泥と化した土が、乾いた血の跡と共に汚らしくこびりつき、掌も爪の間も、真っ黒に汚れている。
そしてレイは遅まきながら、自分がほとんど裸で、土汚れだけでなく血と精液にまみれた悲惨な格好をしていることに気が付いた。
「っ!! ……シルファ、ごめん、また後でな!」
レイは血相を変えて浴室に駆け出した。魔王もまた、その後を追う。前方を駆けてゆくレイの尻や太腿は、流れ出した血の跡で赤く染まっている。無残なその姿に、魔王は顔を歪めて後悔の念に打ちひしがれた。
視界にぼんやりと、魔王の顔が映し出される。泣き崩れ、ぐちゃぐちゃに歪んだその顔は、魔族の王らしからぬ情けなさだった。
しかしその双眸に、あの凶暴な陰りは微塵も残っておらず、嵐が完全に過ぎ去ったことを物語っていた。
レイは大きく息を吸い込むと、それを一気に吐き出した。
先程まで軋むように痛んでいた胸も、今は快活に、滑らかに動く。激しく出血していた箇所をはじめ、体中の傷は全て跡形もなく消え去っていた。
少し前まで気絶しそうだった意識も、今は爽快に澄み渡っている。
大量に与えられた魔王の血は、レイの体に劇的な効果をもたらしていた。
「魔王……あんたの癇癪は……異常だぞ……。これじゃ、命がいくつあっても足りない……」
レイは目をすがめ、困ったように薄く笑った。
揶揄を含んだ声音に許しを感じ、魔王はレイを抱き締めて号泣した。
レイもまた、魔王を抱擁しながら、赤子をあやすようにその背をさする。
「おい、魔王……今のあんたは、かなりみっともないぜ……。……こんな醜態を晒すのは、俺の前だけにしろよ。……誰にも見せるな……こんなでかい赤ん坊、民はひくぞ……」
優しく諭すような、冗談まじりの言葉が、魔王の耳に面映ゆく響く。
魔王は次第に落ち着きを取り戻し、土にまみれたレイの体を横抱きに抱えあげた。それに対し、レイが下ろしてくれと声をかける。
「俺は一人で歩ける。シルファの様子を見てくれ。……立てないみたいだ」
魔王はシルファに歩み寄ると、体の状態を確認した。
腰部をひどく破損していて、人形師に修復を依頼する他ないと見て取ると、魔王は溜息をつき、シルファに謝意を示した。
「すまなかったな……シルファ。おまえが私を止めなければ……私は……最悪の事態を招いていただろう。この大恩に報いるため、私に何ができるだろうか」
「陛下……もったいないお言葉でございます」
魔王は今まで、人形に心が宿るなど、有り得ないと思っていた。人に似せて作られたが故に、表面的に「心」の飾りつけを成されただけだと、そう考えていたのだ。
しかし先刻の人形の態度は、魔王の考えを根底から覆した。
人形にとって主を守るのは義務だが、レイを守ろうとしたシルファの行動は、義務の範疇を超えていた。
――レイを救うために、シルファは許しも請わずその玉体に触れようとしたのだ。
470年 王家に仕えてきたシルファにとって、それがどれほど常軌を逸した無礼な振る舞いか、知らないはずはなかった。にもかかわらず、シルファはレイを救うために、言葉だけでは不充分だと感じ、遂には王に手を出した。最たる主人である王への畏敬よりも、レイの命を優先させたのだ。――心の通わないものに、その判断ができるだろうか。
それに、レイが死んでしまうと繰り返し叫んだシルファの声には、演技とは思えない切迫感と悲しみが漂っていた。
(血肉を持たないかりそめの命にも、心は宿るのか……)
魔王の脳裏に、以前レイが放った言葉が甦る。
『血肉を持たなくても、シルファは悲しみも苦しみも知っている』
傍らで、心配気にシルファを見つめているレイに、魔王は声をかけた。
「……おまえは、知っていたのだな……。最初から……」
心の機微に関しては、レイは驚くほど鋭い。その対象は人であれ人形であれ、関係ないようだ。
「……? 何を?」
きょとんとしているレイに向かって、魔王は「何でもない」と首を振ると、優しく笑った。
そしてシルファをそっと抱え上げ、弟のガラハとほとんど変わらないその軽さに驚く。
魔王は内庭から居間に入り、柔らかい長椅子に人形の体を横たえた。
「……明日、人形師を王宮に呼ぶ。それまでおまえは、何もせずとも良い」
「はい……。お役に立てず、申し訳ございません」
「何を言うか。おまえは充分役に立ってくれた」
「そうだよ、シルファ。君が来てくれなかったら、俺は今頃……」
レイはその先を言いよどみ、シルファの乱れた髪を整えようと手を伸ばした。しかしその手がひどく汚れていることに気付き、「あっ……!」と小さく叫びながら慌てて引っ込めた。涙と汗によって泥と化した土が、乾いた血の跡と共に汚らしくこびりつき、掌も爪の間も、真っ黒に汚れている。
そしてレイは遅まきながら、自分がほとんど裸で、土汚れだけでなく血と精液にまみれた悲惨な格好をしていることに気が付いた。
「っ!! ……シルファ、ごめん、また後でな!」
レイは血相を変えて浴室に駆け出した。魔王もまた、その後を追う。前方を駆けてゆくレイの尻や太腿は、流れ出した血の跡で赤く染まっている。無残なその姿に、魔王は顔を歪めて後悔の念に打ちひしがれた。
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