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学園編
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「何と言った」
倒れて泡を吹く三男に意識はない。
「何と言ったと聞いているんだ」
思い切り殴り飛ばしたため、少々二人の間に距離が出来ていた。エリアストはツカツカと距離を詰め、三男の顔面を鷲掴むと尋常ではない力で持ち上げる。ミシリと三男の骨が軋む。あまりの異様さに誰も動けない。止めなくては、と思うが、体が金縛りにあったように動かないのだ。
「ディ、ディレイガルド公爵令息様、どうか、どうか怒りをお鎮めください」
青ざめ、震えながら群衆から次男がまろび出る。しかしエリアストの耳には届かない。
「ああ、やはり口を開くな。貴様がエルシィの名を呼ぶなど不快で仕方ない」
鷲掴みにした手に更に力を加えた。意識のない三男の口からくぐもった声が漏れる。次男はその手に縋った。
「公爵令息様、誠に申し訳ございませんっ!謝って済む問題ではないこともわかっております!ですが我が公爵家から正式に謝罪に参ります!どうか、どうか今は」
次男を群衆に向かって蹴り飛ばす。そこに向かって、掴んでいた三男もぶん投げる。子息子女を巻き込んで何人もの人たちが倒れ込む。巻き込まれなかった者たちは慌てて逃げる。
腹を蹴られた次男は、脂汗を流しながら咳き込んでいる。三男は未だ目を覚まさない。エリアストが再び近付いてきた。次男は咳き込み、苦しいままに這いずりながら、エリアストの足下に平伏す。
「こ、こうしゃ、く、れい、そく」
声を絞り出す次男を、エリアストは邪魔だと言わんばかりに蹴り飛ばす。エリアストの目は三男しか捉えていない。三男の髪を掴むと、容赦なく床に叩きつけた。折れた歯が無数に飛び散る。鼻も折れているだろう。そのまま後頭部を踏みつける。
「価値がないな」
エリアストに、いらない、と判断された。この世から。
エリアストの足下で、メリ、と音がした。
「エル様」
誰にも止められなかったエリアストの動きが止まる。
周囲は覚悟を決めていた。一つの命が失われることを。そしてそれを黙って見ていることの意味に。
だが。
「どうかされましたか、エル様」
シンプルなワンピースに身を包んだ少女が、この空気にそぐわないほど穏やかな声で、エリアストを止めた。
「エルシィ!」
周囲は驚愕に染まる。あの、あの公爵令息が、嬉しそうにしていることに!
三男のことなど忘れたように、飛びつくようにアリスを抱き締めた。周りはもう言葉も出ない。
「エル様、痛いところはございませんか」
アリスは状況を正しく理解していた。
自分しか、エリアストを制御できない。血は彼のものではないこともわかっている。だが、わかる。彼の心が傷ついていると。とても悲しいことがあったのだと。
首筋に顔をうずめ、ただアリスを呼ぶ。呼ばれるすべてに、はいエル様、と応える。落ち着かせるようにエリアストの背中を、ゆっくりゆっくり撫でながら。そうしながら、アリスは周囲に目を配る。唖然とする周りを無言で見つめ、次に、倒れて怪我を負う二人を見つめると、再び周りに視線をやる。アリスは、エリアストは自分に任せて、怪我人を運ぶよう視線で促している。気付いた者たちが慌てて動き出す。全員がここから離れた。離れることが出来た。
しばらくそうしていると、ようやく落ち着いたエリアストが顔を上げた。
「エルシィ、なぜここに?」
アリスは嬉しそうに微笑んだ。
「本日はこの近くの孤児院に訪問でしたの。ですので、あの、エル様とこのまま一緒に帰れたらと思い、来てしまいました」
照れくさそうに笑うアリスに、エリアストはその体をかき抱く。アリスは穏やかにその頭を引き寄せ、腕に包む。優しくゆっくりその髪を撫でる。
「エルシィ、心臓がいつもより早い」
「はい、緊張しております」
「なぜ」
「笑わないでくださいますか」
「笑える理由なのか」
「そうですわね、少なくともわたくしには嬉しい理由です」
「なんだ」
「来年、わたくしも、エル様とお揃いの制服を着てこの場所に立つことが出来るのだと、想像してしまいましたの。未来を想像して、あなた様の隣に立つこんっ」
エリアストの唇が、アリスの唇に重なる。
「エルシィ」
僅かに離した唇が吐息混じりに名前を紡ぐと、再び重なった。
愛しい、愛しい愛しいエルシィ。ああ、キミの姿を見た奴らの目を抉り出してやりたい。
*つづく*
倒れて泡を吹く三男に意識はない。
「何と言ったと聞いているんだ」
思い切り殴り飛ばしたため、少々二人の間に距離が出来ていた。エリアストはツカツカと距離を詰め、三男の顔面を鷲掴むと尋常ではない力で持ち上げる。ミシリと三男の骨が軋む。あまりの異様さに誰も動けない。止めなくては、と思うが、体が金縛りにあったように動かないのだ。
「ディ、ディレイガルド公爵令息様、どうか、どうか怒りをお鎮めください」
青ざめ、震えながら群衆から次男がまろび出る。しかしエリアストの耳には届かない。
「ああ、やはり口を開くな。貴様がエルシィの名を呼ぶなど不快で仕方ない」
鷲掴みにした手に更に力を加えた。意識のない三男の口からくぐもった声が漏れる。次男はその手に縋った。
「公爵令息様、誠に申し訳ございませんっ!謝って済む問題ではないこともわかっております!ですが我が公爵家から正式に謝罪に参ります!どうか、どうか今は」
次男を群衆に向かって蹴り飛ばす。そこに向かって、掴んでいた三男もぶん投げる。子息子女を巻き込んで何人もの人たちが倒れ込む。巻き込まれなかった者たちは慌てて逃げる。
腹を蹴られた次男は、脂汗を流しながら咳き込んでいる。三男は未だ目を覚まさない。エリアストが再び近付いてきた。次男は咳き込み、苦しいままに這いずりながら、エリアストの足下に平伏す。
「こ、こうしゃ、く、れい、そく」
声を絞り出す次男を、エリアストは邪魔だと言わんばかりに蹴り飛ばす。エリアストの目は三男しか捉えていない。三男の髪を掴むと、容赦なく床に叩きつけた。折れた歯が無数に飛び散る。鼻も折れているだろう。そのまま後頭部を踏みつける。
「価値がないな」
エリアストに、いらない、と判断された。この世から。
エリアストの足下で、メリ、と音がした。
「エル様」
誰にも止められなかったエリアストの動きが止まる。
周囲は覚悟を決めていた。一つの命が失われることを。そしてそれを黙って見ていることの意味に。
だが。
「どうかされましたか、エル様」
シンプルなワンピースに身を包んだ少女が、この空気にそぐわないほど穏やかな声で、エリアストを止めた。
「エルシィ!」
周囲は驚愕に染まる。あの、あの公爵令息が、嬉しそうにしていることに!
三男のことなど忘れたように、飛びつくようにアリスを抱き締めた。周りはもう言葉も出ない。
「エル様、痛いところはございませんか」
アリスは状況を正しく理解していた。
自分しか、エリアストを制御できない。血は彼のものではないこともわかっている。だが、わかる。彼の心が傷ついていると。とても悲しいことがあったのだと。
首筋に顔をうずめ、ただアリスを呼ぶ。呼ばれるすべてに、はいエル様、と応える。落ち着かせるようにエリアストの背中を、ゆっくりゆっくり撫でながら。そうしながら、アリスは周囲に目を配る。唖然とする周りを無言で見つめ、次に、倒れて怪我を負う二人を見つめると、再び周りに視線をやる。アリスは、エリアストは自分に任せて、怪我人を運ぶよう視線で促している。気付いた者たちが慌てて動き出す。全員がここから離れた。離れることが出来た。
しばらくそうしていると、ようやく落ち着いたエリアストが顔を上げた。
「エルシィ、なぜここに?」
アリスは嬉しそうに微笑んだ。
「本日はこの近くの孤児院に訪問でしたの。ですので、あの、エル様とこのまま一緒に帰れたらと思い、来てしまいました」
照れくさそうに笑うアリスに、エリアストはその体をかき抱く。アリスは穏やかにその頭を引き寄せ、腕に包む。優しくゆっくりその髪を撫でる。
「エルシィ、心臓がいつもより早い」
「はい、緊張しております」
「なぜ」
「笑わないでくださいますか」
「笑える理由なのか」
「そうですわね、少なくともわたくしには嬉しい理由です」
「なんだ」
「来年、わたくしも、エル様とお揃いの制服を着てこの場所に立つことが出来るのだと、想像してしまいましたの。未来を想像して、あなた様の隣に立つこんっ」
エリアストの唇が、アリスの唇に重なる。
「エルシィ」
僅かに離した唇が吐息混じりに名前を紡ぐと、再び重なった。
愛しい、愛しい愛しいエルシィ。ああ、キミの姿を見た奴らの目を抉り出してやりたい。
*つづく*
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