7 / 72
出会い編
7
しおりを挟む
「エル様、あの、わたくし、そろそろお暇しようと」
抱きしめて離さないエリアストに告げる。
「なぜだ」
「え」
「おまえは私のものだと言った。ならばおまえはここにいるべきだ」
アリスは困ったように眉を下げた。その顔を見たエリアストは顔を顰める。
「なぜそんな顔をする。それともおまえは私に嘘をついたのか。私のものになる気などないと言うことか」
「なぜそんな」
「ではなぜ笑わない」
アリスは首を傾げた。今の発言で笑顔になる要素が果たしてあっただろうか。更に言えば、今までの中で笑顔になれる要素が、どこにあったというのか。
最初から不機嫌、不自然なまでの距離感、会話にならない一方的な言葉、傷つけるなと言いながら自分は傷つける、唇は奪う、最大級に、貴族令嬢の証でもある美しく長い髪を切り落とした。
どこに笑いの要素が。
「他の者たちは私といるだけで、私を見るだけで幸せだと言った」
お前は違うのか、エルシィ。
アリスは突然わかった。
ああ、そうか。この人は無垢なのだ。何も知らない、無垢な赤子。
「エル様、ああ、エル様」
アリスはエリアストの頬に手を添える。
「欲しいものがあるのに、どうしたら手に入るかわからない。大事なものがあるのに、どう手を伸ばしたらいいかわからない。大切なものがあるのに、どのように守るのかわからない」
ゆっくりとエリアストの頭を胸に引き寄せる。
エリアストは驚いて目を見開く。
「エル様、お可哀相なエル様」
優しく髪を梳くように、アリスの手がエリアストの頭を撫でる。
「かわい、そう」
ポツリとこぼれた言葉に、アリスは抱きしめる腕を僅かに強めた。
「はい、エル様は哀れです」
言われたことのない言葉たちに、エリアストは呆然とする。
「少しずつでいいです。わたくしと一緒に考えましょう」
「一緒に」
「はい。欲しいものを手に入れる方法、大事なものに手を伸ばす方法、大切なものを守る方法。一緒に考えながら、歩みましょう」
「ふたりで、ずっと」
「はい。ふたりで、ずっと」
エリアストの心が、確かに震えた。
アリスの華奢な体を抱き締める。
「エルシィ、エルシィッ」
怖かった。エリアストを理解することが出来るだろうか、と。やるしかないと思いはしたが。こんなに早く糸口が見つかるとは。
これは、運命なのかも知れない。
家に帰るなり、家人たちは卒倒した。
「りず、可愛いリズの、髪が」
少しして目覚めたカリスは、ほとほとと涙を落とす。しばらくして目覚めた母たちと夕食の席に着くが、一様に顔が暗い。折角の食事もなかなか手につかない。髪を失ったどころか、二度とアリスに会えなかったかもしれないことも知らされ、家族から使用人からもう葬式状態だ。
「リズが可愛く賢くて良かった」
伯爵の言葉に、カリスも頷く。しかし次の瞬間、
「いえ、可愛く賢く心優しいからこそ目を付けられたのですよ、父上!」
その場の全員がハッとする。
「確かにそうね。可愛く賢く心優しく全てを魅了するつまり天使なアリスちゃんだからこそ起こってしまったのよ!」
全員が力強く頷いている。
一方アリスは、活用された形容詞が増えていくことに、恥ずかしさから顔を染める。
「あ、あの、ご心配をおかけしました」
そう言ってちょこんと頭を下げるアリスに、皆破顔した。
「だが本当に良いのか?その」
言い難そうな伯爵に、アリスは困ったように笑った。
「ご心配をおかけしていることは重々承知しております。ですが親不孝なわたくしのわがまま、どうか聞き入れてくださいませ」
不幸を望む親などいない。苦労するとわかっているのに送り出さねばならない親の気持ちを、いつか本当の意味でわかる日が来るのだろう。親不孝な自分を赦せとは言わない。幸せになって、あなたたちが血を吐く思いで送り出してくださったから今の幸せがあります、と胸を張って言わせて欲しい。
「リズ」
涙を堪える伯爵と、滂沱の涙で目が溶けてしまいそうな兄。
「アリス」
凜とした声で名を呼ぶ母は、決意を込めた目を向けている。
「あなたは独りではないわ。忘れないで。決して忘れないで」
アリスの目からも涙が零れた。なんと強い母の愛か。
「お父様、お母様、お兄様。これからもわたくしを導いてくださいませ」
深く、深く頭を下げる。
こうしてエリアストとの婚約が結ばれた。
*最終話へつづく*
抱きしめて離さないエリアストに告げる。
「なぜだ」
「え」
「おまえは私のものだと言った。ならばおまえはここにいるべきだ」
アリスは困ったように眉を下げた。その顔を見たエリアストは顔を顰める。
「なぜそんな顔をする。それともおまえは私に嘘をついたのか。私のものになる気などないと言うことか」
「なぜそんな」
「ではなぜ笑わない」
アリスは首を傾げた。今の発言で笑顔になる要素が果たしてあっただろうか。更に言えば、今までの中で笑顔になれる要素が、どこにあったというのか。
最初から不機嫌、不自然なまでの距離感、会話にならない一方的な言葉、傷つけるなと言いながら自分は傷つける、唇は奪う、最大級に、貴族令嬢の証でもある美しく長い髪を切り落とした。
どこに笑いの要素が。
「他の者たちは私といるだけで、私を見るだけで幸せだと言った」
お前は違うのか、エルシィ。
アリスは突然わかった。
ああ、そうか。この人は無垢なのだ。何も知らない、無垢な赤子。
「エル様、ああ、エル様」
アリスはエリアストの頬に手を添える。
「欲しいものがあるのに、どうしたら手に入るかわからない。大事なものがあるのに、どう手を伸ばしたらいいかわからない。大切なものがあるのに、どのように守るのかわからない」
ゆっくりとエリアストの頭を胸に引き寄せる。
エリアストは驚いて目を見開く。
「エル様、お可哀相なエル様」
優しく髪を梳くように、アリスの手がエリアストの頭を撫でる。
「かわい、そう」
ポツリとこぼれた言葉に、アリスは抱きしめる腕を僅かに強めた。
「はい、エル様は哀れです」
言われたことのない言葉たちに、エリアストは呆然とする。
「少しずつでいいです。わたくしと一緒に考えましょう」
「一緒に」
「はい。欲しいものを手に入れる方法、大事なものに手を伸ばす方法、大切なものを守る方法。一緒に考えながら、歩みましょう」
「ふたりで、ずっと」
「はい。ふたりで、ずっと」
エリアストの心が、確かに震えた。
アリスの華奢な体を抱き締める。
「エルシィ、エルシィッ」
怖かった。エリアストを理解することが出来るだろうか、と。やるしかないと思いはしたが。こんなに早く糸口が見つかるとは。
これは、運命なのかも知れない。
家に帰るなり、家人たちは卒倒した。
「りず、可愛いリズの、髪が」
少しして目覚めたカリスは、ほとほとと涙を落とす。しばらくして目覚めた母たちと夕食の席に着くが、一様に顔が暗い。折角の食事もなかなか手につかない。髪を失ったどころか、二度とアリスに会えなかったかもしれないことも知らされ、家族から使用人からもう葬式状態だ。
「リズが可愛く賢くて良かった」
伯爵の言葉に、カリスも頷く。しかし次の瞬間、
「いえ、可愛く賢く心優しいからこそ目を付けられたのですよ、父上!」
その場の全員がハッとする。
「確かにそうね。可愛く賢く心優しく全てを魅了するつまり天使なアリスちゃんだからこそ起こってしまったのよ!」
全員が力強く頷いている。
一方アリスは、活用された形容詞が増えていくことに、恥ずかしさから顔を染める。
「あ、あの、ご心配をおかけしました」
そう言ってちょこんと頭を下げるアリスに、皆破顔した。
「だが本当に良いのか?その」
言い難そうな伯爵に、アリスは困ったように笑った。
「ご心配をおかけしていることは重々承知しております。ですが親不孝なわたくしのわがまま、どうか聞き入れてくださいませ」
不幸を望む親などいない。苦労するとわかっているのに送り出さねばならない親の気持ちを、いつか本当の意味でわかる日が来るのだろう。親不孝な自分を赦せとは言わない。幸せになって、あなたたちが血を吐く思いで送り出してくださったから今の幸せがあります、と胸を張って言わせて欲しい。
「リズ」
涙を堪える伯爵と、滂沱の涙で目が溶けてしまいそうな兄。
「アリス」
凜とした声で名を呼ぶ母は、決意を込めた目を向けている。
「あなたは独りではないわ。忘れないで。決して忘れないで」
アリスの目からも涙が零れた。なんと強い母の愛か。
「お父様、お母様、お兄様。これからもわたくしを導いてくださいませ」
深く、深く頭を下げる。
こうしてエリアストとの婚約が結ばれた。
*最終話へつづく*
336
あなたにおすすめの小説
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
これって政略結婚じゃないんですか? ー彼が指輪をしている理由ー
小田恒子
恋愛
この度、幼馴染とお見合いを経て政略結婚する事になりました。
でも、その彼の左手薬指には、指輪が輝いてます。
もしかして、これは本当に形だけの結婚でしょうか……?
表紙はぱくたそ様のフリー素材、フォントは簡単表紙メーカー様のものを使用しております。
全年齢作品です。
ベリーズカフェ公開日 2022/09/21
アルファポリス公開日 2025/06/19
作品の無断転載はご遠慮ください。
廃妃の再婚
束原ミヤコ
恋愛
伯爵家の令嬢としてうまれたフィアナは、母を亡くしてからというもの
父にも第二夫人にも、そして腹違いの妹にも邪険に扱われていた。
ある日フィアナは、川で倒れている青年を助ける。
それから四年後、フィアナの元に国王から結婚の申し込みがくる。
身分差を気にしながらも断ることができず、フィアナは王妃となった。
あの時助けた青年は、国王になっていたのである。
「君を永遠に愛する」と約束をした国王カトル・エスタニアは
結婚してすぐに辺境にて部族の反乱が起こり、平定戦に向かう。
帰還したカトルは、族長の娘であり『精霊の愛し子』と呼ばれている美しい女性イルサナを連れていた。
カトルはイルサナを寵愛しはじめる。
王城にて居場所を失ったフィアナは、聖騎士ユリシアスに下賜されることになる。
ユリシアスは先の戦いで怪我を負い、顔の半分を包帯で覆っている寡黙な男だった。
引け目を感じながらフィアナはユリシアスと過ごすことになる。
ユリシアスと過ごすうち、フィアナは彼と惹かれ合っていく。
だがユリシアスは何かを隠しているようだ。
それはカトルの抱える、真実だった──。
悪役令嬢の涙
拓海のり
恋愛
公爵令嬢グレイスは婚約者である王太子エドマンドに卒業パーティで婚約破棄される。王子の側には、癒しの魔法を使え聖女ではないかと噂される子爵家に引き取られたメアリ―がいた。13000字の短編です。他サイトにも投稿します。
本日、私の大好きな幼馴染が大切な姉と結婚式を挙げます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
本日、私は大切な人達を2人同時に失います
<子供の頃から大好きだった幼馴染が恋する女性は私の5歳年上の姉でした。>
両親を亡くし、私を養ってくれた大切な姉に幸せになって貰いたい・・・そう願っていたのに姉は結婚を約束していた彼を事故で失ってしまった。悲しみに打ちひしがれる姉に寄り添う私の大好きな幼馴染。彼は決して私に振り向いてくれる事は無い。だから私は彼と姉が結ばれる事を願い、ついに2人は恋人同士になり、本日姉と幼馴染は結婚する。そしてそれは私が大切な2人を同時に失う日でもあった―。
※ 本編完結済。他視点での話、継続中。
※ 「カクヨム」「小説家になろう」にも掲載しています
※ 河口直人偏から少し大人向けの内容になります
あなたの愛が正しいわ
来須みかん
恋愛
旧題:あなたの愛が正しいわ~夫が私の悪口を言っていたので理想の妻になってあげたのに、どうしてそんな顔をするの?~
夫と一緒に訪れた夜会で、夫が男友達に私の悪口を言っているのを聞いてしまった。そのことをきっかけに、私は夫の理想の妻になることを決める。それまで夫を心の底から愛して尽くしていたけど、それがうっとうしかったそうだ。夫に付きまとうのをやめた私は、生まれ変わったように清々しい気分になっていた。
一方、夫は妻の変化に戸惑い、誤解があったことに気がつき、自分の今までの酷い態度を謝ったが、妻は美しい笑みを浮かべてこういった。
「いいえ、間違っていたのは私のほう。あなたの愛が正しいわ」
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない
斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。
襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……!
この人本当に旦那さま?
って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる