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フルシュターゼの町編
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「ひ、ひ、ひいい、あの、これは、その」
体の震えが止められない。何も考えられない。言葉が出てこない。
イグルーシャ侯爵夫妻は、全身が冷たくなっていくのを感じた。
「でぃ、でぃれい、がるど、公爵様、もうし、わけ、ございません」
侯爵は地面に頭を擦りつけている。横柄な侯爵のその姿に、全員が何事かとざわめいていたが、それはそうだ。ディレイガルドの名に、子どもたちはもちろん、騒ぎに集まっていた街の人々も絶句した。
レイガード王国唯一のカーサを賜り、永く筆頭を掲げてきた、この国最古であり、最も権力のある貴族、ディレイガルド。前当主は騎士団長を務め上げ、現当主は法相を務めている。
国中誰もが知っている、けれどその容姿を市井で見ることは滅多にない。美しい、とだけ聞こえる噂の真偽の程は。
いたずらな風が吹いた。
エリアストは咄嗟にアリスのショールを押さえる。エリアストの目深に被るシルクハットが飛んだ。
ダイヤモンドのように輝く銀の髪、アクアマリンのような水色の瞳は春の空のように優しい色のはずなのに、何故か冬の凍てつく海に見える。その顔は、美しいという言葉では表せないほど、美しかった。
その姿を目にした者たちは軒並み倒れ、イグルーシャの子どもたちも膝をつく。
圧倒的な美貌と覇者のオーラは、すべてを平伏させる。
「子どものケンカです、父上」
エリアストはノアリアストに視線を向けた。
「子ども同士でケンカをしておりました。うるさかったので止めたのです」
エリアストがチラ、とイグルーシャの子どもたちを見ると、今にも卒倒しそうなくらい体が跳ねた。
「晩餐までには戻れ」
「「はい」」
ショールの隙間からノアリアストとダリアを心配そうに覗くアリスに、二人は安心させるように声をかける。
「母上、無茶はしません」
「お約束いたします、お母様」
アリスはわかったと頷くと、小さく手を振った。人前で話をすることを控えているアリスのその可愛らしい行動に、二人は幸せそうに笑った。
エリアストとアリスが去ると、ダリアが言った。
「お父様、帽子を被らないとまずいのではないかしら」
ダリアの予想通り、エリアストの通った道は、その姿を見てしまった者たちの屍が量産されていた。
そんなことを言っていると、イグルーシャ侯爵が怖ず怖ずと口を開いた。
「あ、あ、あの、ディレイガルド、公爵令息様。なぜ、なぜ、私どもを、庇い立てくださったのでしょうか」
侯爵が、ぐっしょり濡れた顔中の汗を拭うこともせず、ノアリアストに尋ねた。本来であれば、首を刎ねられていてもおかしくはない。知らなかったとは言え、遙かに格上の相手にそれだけの不敬を働いたのだ。
「めでたい頭だ。庇われたと思っているとは」
凍てつく瞳が侯爵家を見下ろしている。侯爵家は震えた。
あの場でああ言ったのは、すべてはアリスがいたからに他ならない。アリスに心配かけまいと、嘘ではない言い回しで表現したに過ぎない。格下に絡まれて婚約を迫られ不敬を働かれた、なんてストレートに伝えるわけがない。それこそアリスが心を痛めてしまう。ちょっとした行き違いだよ、程度の話に収めておけば、心配の度合いが格段に違う。まあ、そんなささやかな工作などアリスにはお見通しだろうが、自分たちを慮って騙されてくれる。もちろん、内容によってだが。今回は受け入れてくれた。
「私たちがおまえたち如きのために動くはずがないだろう。思い上がるな」
ダリアが極寒のオーラを放ち、そう言って二人は去って行った。
明日挨拶する予定だが、侯爵たちは、生きて帰れるだろうかと不安しかなかった。
*つづく*
ダリアはダークな面が出ると口調が変わります。
体の震えが止められない。何も考えられない。言葉が出てこない。
イグルーシャ侯爵夫妻は、全身が冷たくなっていくのを感じた。
「でぃ、でぃれい、がるど、公爵様、もうし、わけ、ございません」
侯爵は地面に頭を擦りつけている。横柄な侯爵のその姿に、全員が何事かとざわめいていたが、それはそうだ。ディレイガルドの名に、子どもたちはもちろん、騒ぎに集まっていた街の人々も絶句した。
レイガード王国唯一のカーサを賜り、永く筆頭を掲げてきた、この国最古であり、最も権力のある貴族、ディレイガルド。前当主は騎士団長を務め上げ、現当主は法相を務めている。
国中誰もが知っている、けれどその容姿を市井で見ることは滅多にない。美しい、とだけ聞こえる噂の真偽の程は。
いたずらな風が吹いた。
エリアストは咄嗟にアリスのショールを押さえる。エリアストの目深に被るシルクハットが飛んだ。
ダイヤモンドのように輝く銀の髪、アクアマリンのような水色の瞳は春の空のように優しい色のはずなのに、何故か冬の凍てつく海に見える。その顔は、美しいという言葉では表せないほど、美しかった。
その姿を目にした者たちは軒並み倒れ、イグルーシャの子どもたちも膝をつく。
圧倒的な美貌と覇者のオーラは、すべてを平伏させる。
「子どものケンカです、父上」
エリアストはノアリアストに視線を向けた。
「子ども同士でケンカをしておりました。うるさかったので止めたのです」
エリアストがチラ、とイグルーシャの子どもたちを見ると、今にも卒倒しそうなくらい体が跳ねた。
「晩餐までには戻れ」
「「はい」」
ショールの隙間からノアリアストとダリアを心配そうに覗くアリスに、二人は安心させるように声をかける。
「母上、無茶はしません」
「お約束いたします、お母様」
アリスはわかったと頷くと、小さく手を振った。人前で話をすることを控えているアリスのその可愛らしい行動に、二人は幸せそうに笑った。
エリアストとアリスが去ると、ダリアが言った。
「お父様、帽子を被らないとまずいのではないかしら」
ダリアの予想通り、エリアストの通った道は、その姿を見てしまった者たちの屍が量産されていた。
そんなことを言っていると、イグルーシャ侯爵が怖ず怖ずと口を開いた。
「あ、あ、あの、ディレイガルド、公爵令息様。なぜ、なぜ、私どもを、庇い立てくださったのでしょうか」
侯爵が、ぐっしょり濡れた顔中の汗を拭うこともせず、ノアリアストに尋ねた。本来であれば、首を刎ねられていてもおかしくはない。知らなかったとは言え、遙かに格上の相手にそれだけの不敬を働いたのだ。
「めでたい頭だ。庇われたと思っているとは」
凍てつく瞳が侯爵家を見下ろしている。侯爵家は震えた。
あの場でああ言ったのは、すべてはアリスがいたからに他ならない。アリスに心配かけまいと、嘘ではない言い回しで表現したに過ぎない。格下に絡まれて婚約を迫られ不敬を働かれた、なんてストレートに伝えるわけがない。それこそアリスが心を痛めてしまう。ちょっとした行き違いだよ、程度の話に収めておけば、心配の度合いが格段に違う。まあ、そんなささやかな工作などアリスにはお見通しだろうが、自分たちを慮って騙されてくれる。もちろん、内容によってだが。今回は受け入れてくれた。
「私たちがおまえたち如きのために動くはずがないだろう。思い上がるな」
ダリアが極寒のオーラを放ち、そう言って二人は去って行った。
明日挨拶する予定だが、侯爵たちは、生きて帰れるだろうかと不安しかなかった。
*つづく*
ダリアはダークな面が出ると口調が変わります。
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