52 / 76
フルシュターゼの町編
9
しおりを挟む
イグルーシャ家の誰もの顔色は悪い。
昨日の出来事さえなければ、今頃意気揚々とたくさんの手土産と共に、ディレイガルド家の一員になれることを夢見ながら馬車に揺られていただろう。
経験したことのないほど重い足取りで、イグルーシャ家はディレイガルドを訪ねた。支配人に案内された先には、ディレイガルド当主であるエリアストと、嫡男のノアリアストが待っていた。
優雅に一人掛けの椅子に座り、微かに気怠げに肘置きで頬杖をつく至宝の顔エリアスト。その左背後には、同じ顔をしたノアリアストが立っていた。
ノアリアストだけでも平伏したくなるのに、大人の色香を纏うエリアストまで揃うと、自然、膝をつく。
「どうぞ、床になど座らずこちらへおかけください」
ノアリアストの言葉に、イグルーシャ侯は、滅相もないと首を振る。
「昨日は、知らぬこととは言え、大変なご無礼を、働きました。誠に、申し訳ございませんでしたあっ」
一家が床に額を擦りつけている。
「格下であればあのような態度だということがよくわかって、実に良かったですよ」
一家は顔を上げられない。青ざめて震えている。
「父上。如何いたしましょう」
エリアストに話を振られ、ますます一家の体は震えが酷くなる。
「挨拶に来ただけだろう。私は顔合わせも済んだ。おまえの好きにしろ」
エリアストは関わらない。その言葉に、少なからず一家は安堵した。
だが。
「ああ、我が妻に絶対関わるな。貴様らのような輩がエルシィの視界にでも入ろうものなら、私は何をするかわからん」
一家の顔面は、青を通り越して白くなった。視界に入ることさえアウト。茶会は出席しなければいいが、夜会はどうしたら。息を殺してひっそり隅で縮こまるしかない。
「では父上、あの子どもたちが欲しいです」
ノアリアストの言葉に、一家は思わず顔を上げた。
「構いませんよね。あなたの家は、あなたが最後の当主でも」
*~*~*~*~*
ケーシー伯は、ディレイガルド家が滞在する宿から少し離れたところに馬車を止めて待機していた。ディレイガルド家へ挨拶をする順番待ちだ。従者に様子を見に行かせ、イグルーシャ家の馬車があることを確認していた。彼らもまた、挨拶に来るだろうことはわかっていたので、自分たちが先に挨拶に訪れることがないよう、また、万が一侯爵がいなくても失礼にならない時間になるよう、見計らって出て来た。離れたところで待つのは、挨拶の順番を待っている、とディレイガルドにもイグルーシャにも思わせてしまわないための配慮でもあった。
「長くなるな。今日中に挨拶できると良いのだが」
イグルーシャ領と隣接しているため、侯の為人はある程度知っている。格下には尊大だが、格上には指紋が消えるほど揉み手で擦り寄る。
「ディレイガルド公爵様ですもの。イグルーシャ侯爵様のお土産攻撃も凄まじそうですわね」
苦笑する妻に、伯もつられて苦笑した。すると。
「父上、あれ、侯の馬車では?」
「まさか」
そう言って窓の外を覗くと、確かにイグルーシャ家の馬車であった。
昨日の出来事を知らないケーシー伯たちは、彼らがノアリアストと誓約を結んで、逃げるように帰るところだなんて、まさか、挨拶前に顔を合わせて不敬を働いていたなどと知る由もないため、首を傾げた。
「まさか、公爵様を怒らせた、何てことは」
引き攣った笑いを浮かべる嫡男デュオの言葉に、馬車の中は一気に暗くなった。
「それでも、行くしかないだろう」
心の底から行きたくない、と思った伯は悪くない。
そしてこの挨拶に訪れることが、今後のケーシー家の運命を大きく変えることになるのだが、それはまた別のお話。挨拶が終わって帰る頃には、みんなが困惑していたことだけは付け加えておこう。
*つづく*
昨日の出来事さえなければ、今頃意気揚々とたくさんの手土産と共に、ディレイガルド家の一員になれることを夢見ながら馬車に揺られていただろう。
経験したことのないほど重い足取りで、イグルーシャ家はディレイガルドを訪ねた。支配人に案内された先には、ディレイガルド当主であるエリアストと、嫡男のノアリアストが待っていた。
優雅に一人掛けの椅子に座り、微かに気怠げに肘置きで頬杖をつく至宝の顔エリアスト。その左背後には、同じ顔をしたノアリアストが立っていた。
ノアリアストだけでも平伏したくなるのに、大人の色香を纏うエリアストまで揃うと、自然、膝をつく。
「どうぞ、床になど座らずこちらへおかけください」
ノアリアストの言葉に、イグルーシャ侯は、滅相もないと首を振る。
「昨日は、知らぬこととは言え、大変なご無礼を、働きました。誠に、申し訳ございませんでしたあっ」
一家が床に額を擦りつけている。
「格下であればあのような態度だということがよくわかって、実に良かったですよ」
一家は顔を上げられない。青ざめて震えている。
「父上。如何いたしましょう」
エリアストに話を振られ、ますます一家の体は震えが酷くなる。
「挨拶に来ただけだろう。私は顔合わせも済んだ。おまえの好きにしろ」
エリアストは関わらない。その言葉に、少なからず一家は安堵した。
だが。
「ああ、我が妻に絶対関わるな。貴様らのような輩がエルシィの視界にでも入ろうものなら、私は何をするかわからん」
一家の顔面は、青を通り越して白くなった。視界に入ることさえアウト。茶会は出席しなければいいが、夜会はどうしたら。息を殺してひっそり隅で縮こまるしかない。
「では父上、あの子どもたちが欲しいです」
ノアリアストの言葉に、一家は思わず顔を上げた。
「構いませんよね。あなたの家は、あなたが最後の当主でも」
*~*~*~*~*
ケーシー伯は、ディレイガルド家が滞在する宿から少し離れたところに馬車を止めて待機していた。ディレイガルド家へ挨拶をする順番待ちだ。従者に様子を見に行かせ、イグルーシャ家の馬車があることを確認していた。彼らもまた、挨拶に来るだろうことはわかっていたので、自分たちが先に挨拶に訪れることがないよう、また、万が一侯爵がいなくても失礼にならない時間になるよう、見計らって出て来た。離れたところで待つのは、挨拶の順番を待っている、とディレイガルドにもイグルーシャにも思わせてしまわないための配慮でもあった。
「長くなるな。今日中に挨拶できると良いのだが」
イグルーシャ領と隣接しているため、侯の為人はある程度知っている。格下には尊大だが、格上には指紋が消えるほど揉み手で擦り寄る。
「ディレイガルド公爵様ですもの。イグルーシャ侯爵様のお土産攻撃も凄まじそうですわね」
苦笑する妻に、伯もつられて苦笑した。すると。
「父上、あれ、侯の馬車では?」
「まさか」
そう言って窓の外を覗くと、確かにイグルーシャ家の馬車であった。
昨日の出来事を知らないケーシー伯たちは、彼らがノアリアストと誓約を結んで、逃げるように帰るところだなんて、まさか、挨拶前に顔を合わせて不敬を働いていたなどと知る由もないため、首を傾げた。
「まさか、公爵様を怒らせた、何てことは」
引き攣った笑いを浮かべる嫡男デュオの言葉に、馬車の中は一気に暗くなった。
「それでも、行くしかないだろう」
心の底から行きたくない、と思った伯は悪くない。
そしてこの挨拶に訪れることが、今後のケーシー家の運命を大きく変えることになるのだが、それはまた別のお話。挨拶が終わって帰る頃には、みんなが困惑していたことだけは付け加えておこう。
*つづく*
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
300
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる