52 / 82
フルシュターゼの町編
9
イグルーシャ家の誰もの顔色は悪い。
昨日の出来事さえなければ、今頃意気揚々とたくさんの手土産と共に、ディレイガルド家の一員になれることを夢見ながら馬車に揺られていただろう。
経験したことのないほど重い足取りで、イグルーシャ家はディレイガルドを訪ねた。支配人に案内された先には、ディレイガルド当主であるエリアストと、嫡男のノアリアストが待っていた。
優雅に一人掛けの椅子に座り、微かに気怠げに肘置きで頬杖をつく至宝の顔エリアスト。その左背後には、同じ顔をしたノアリアストが立っていた。
ノアリアストだけでも平伏したくなるのに、大人の色香を纏うエリアストまで揃うと、自然、膝をつく。
「どうぞ、床になど座らずこちらへおかけください」
ノアリアストの言葉に、イグルーシャ侯は、滅相もないと首を振る。
「昨日は、知らぬこととは言え、大変なご無礼を、働きました。誠に、申し訳ございませんでしたあっ」
一家が床に額を擦りつけている。
「格下であればあのような態度だということがよくわかって、実に良かったですよ」
一家は顔を上げられない。青ざめて震えている。
「父上。如何いたしましょう」
エリアストに話を振られ、ますます一家の体は震えが酷くなる。
「挨拶に来ただけだろう。私は顔合わせも済んだ。おまえの好きにしろ」
エリアストは関わらない。その言葉に、少なからず一家は安堵した。
だが。
「ああ、我が妻に絶対関わるな。貴様らのような輩がエルシィの視界にでも入ろうものなら、私は何をするかわからん」
一家の顔面は、青を通り越して白くなった。視界に入ることさえアウト。茶会は出席しなければいいが、夜会はどうしたら。息を殺してひっそり隅で縮こまるしかない。
「では父上、あの子どもたちが欲しいです」
ノアリアストの言葉に、一家は思わず顔を上げた。
「構いませんよね。あなたの家は、あなたが最後の当主でも」
*~*~*~*~*
ケーシー伯は、ディレイガルド家が滞在する宿から少し離れたところに馬車を止めて待機していた。ディレイガルド家へ挨拶をする順番待ちだ。従者に様子を見に行かせ、イグルーシャ家の馬車があることを確認していた。彼らもまた、挨拶に来るだろうことはわかっていたので、自分たちが先に挨拶に訪れることがないよう、また、万が一侯爵がいなくても失礼にならない時間になるよう、見計らって出て来た。離れたところで待つのは、挨拶の順番を待っている、とディレイガルドにもイグルーシャにも思わせてしまわないための配慮でもあった。
「長くなるな。今日中に挨拶できると良いのだが」
イグルーシャ領と隣接しているため、侯の為人はある程度知っている。格下には尊大だが、格上には指紋が消えるほど揉み手で擦り寄る。
「ディレイガルド公爵様ですもの。イグルーシャ侯爵様のお土産攻撃も凄まじそうですわね」
苦笑する妻に、伯もつられて苦笑した。すると。
「父上、あれ、侯の馬車では?」
「まさか」
そう言って窓の外を覗くと、確かにイグルーシャ家の馬車であった。
昨日の出来事を知らないケーシー伯たちは、彼らがノアリアストと誓約を結んで、逃げるように帰るところだなんて、まさか、挨拶前に顔を合わせて不敬を働いていたなどと知る由もないため、首を傾げた。
「まさか、公爵様を怒らせた、何てことは」
引き攣った笑いを浮かべる嫡男デュオの言葉に、馬車の中は一気に暗くなった。
「それでも、行くしかないだろう」
心の底から行きたくない、と思った伯は悪くない。
そしてこの挨拶に訪れることが、今後のケーシー家の運命を大きく変えることになるのだが、それはまた別のお話。挨拶が終わって帰る頃には、みんなが困惑していたことだけは付け加えておこう。
*つづく*
昨日の出来事さえなければ、今頃意気揚々とたくさんの手土産と共に、ディレイガルド家の一員になれることを夢見ながら馬車に揺られていただろう。
経験したことのないほど重い足取りで、イグルーシャ家はディレイガルドを訪ねた。支配人に案内された先には、ディレイガルド当主であるエリアストと、嫡男のノアリアストが待っていた。
優雅に一人掛けの椅子に座り、微かに気怠げに肘置きで頬杖をつく至宝の顔エリアスト。その左背後には、同じ顔をしたノアリアストが立っていた。
ノアリアストだけでも平伏したくなるのに、大人の色香を纏うエリアストまで揃うと、自然、膝をつく。
「どうぞ、床になど座らずこちらへおかけください」
ノアリアストの言葉に、イグルーシャ侯は、滅相もないと首を振る。
「昨日は、知らぬこととは言え、大変なご無礼を、働きました。誠に、申し訳ございませんでしたあっ」
一家が床に額を擦りつけている。
「格下であればあのような態度だということがよくわかって、実に良かったですよ」
一家は顔を上げられない。青ざめて震えている。
「父上。如何いたしましょう」
エリアストに話を振られ、ますます一家の体は震えが酷くなる。
「挨拶に来ただけだろう。私は顔合わせも済んだ。おまえの好きにしろ」
エリアストは関わらない。その言葉に、少なからず一家は安堵した。
だが。
「ああ、我が妻に絶対関わるな。貴様らのような輩がエルシィの視界にでも入ろうものなら、私は何をするかわからん」
一家の顔面は、青を通り越して白くなった。視界に入ることさえアウト。茶会は出席しなければいいが、夜会はどうしたら。息を殺してひっそり隅で縮こまるしかない。
「では父上、あの子どもたちが欲しいです」
ノアリアストの言葉に、一家は思わず顔を上げた。
「構いませんよね。あなたの家は、あなたが最後の当主でも」
*~*~*~*~*
ケーシー伯は、ディレイガルド家が滞在する宿から少し離れたところに馬車を止めて待機していた。ディレイガルド家へ挨拶をする順番待ちだ。従者に様子を見に行かせ、イグルーシャ家の馬車があることを確認していた。彼らもまた、挨拶に来るだろうことはわかっていたので、自分たちが先に挨拶に訪れることがないよう、また、万が一侯爵がいなくても失礼にならない時間になるよう、見計らって出て来た。離れたところで待つのは、挨拶の順番を待っている、とディレイガルドにもイグルーシャにも思わせてしまわないための配慮でもあった。
「長くなるな。今日中に挨拶できると良いのだが」
イグルーシャ領と隣接しているため、侯の為人はある程度知っている。格下には尊大だが、格上には指紋が消えるほど揉み手で擦り寄る。
「ディレイガルド公爵様ですもの。イグルーシャ侯爵様のお土産攻撃も凄まじそうですわね」
苦笑する妻に、伯もつられて苦笑した。すると。
「父上、あれ、侯の馬車では?」
「まさか」
そう言って窓の外を覗くと、確かにイグルーシャ家の馬車であった。
昨日の出来事を知らないケーシー伯たちは、彼らがノアリアストと誓約を結んで、逃げるように帰るところだなんて、まさか、挨拶前に顔を合わせて不敬を働いていたなどと知る由もないため、首を傾げた。
「まさか、公爵様を怒らせた、何てことは」
引き攣った笑いを浮かべる嫡男デュオの言葉に、馬車の中は一気に暗くなった。
「それでも、行くしかないだろう」
心の底から行きたくない、と思った伯は悪くない。
そしてこの挨拶に訪れることが、今後のケーシー家の運命を大きく変えることになるのだが、それはまた別のお話。挨拶が終わって帰る頃には、みんなが困惑していたことだけは付け加えておこう。
*つづく*
あなたにおすすめの小説
一夜の過ちで懐妊したら、幼なじみの冷酷皇帝に溺愛されました
由香
恋愛
没落貴族の娘・柳月鈴は、宮廷で医官見習いとして働いていた。
ある夜、皇帝即位の宴で酒に酔い、幼なじみだった皇帝・李景珩と再会する。
遠い存在になったはずの彼。
けれど、その夜をきっかけに月鈴の運命は大きく動き出す。
冷酷と恐れられる皇帝が、なぜか彼女だけには甘すぎて――。
冷酷王子に嫌われているはずが、なぜか毎晩呼び出されます
すみひろ
恋愛
王城の大広間が、静まり返っていた。
誰もが息を呑み、視線を集める先――そこには、第一王子レオンハルト殿下と、その婚約者である私、リリアーナが立っている。
「リリアーナ・エヴァンズ。君との婚約を破棄する」
冷え切った声だった。
まるで氷を削ったような、感情のない声音。
周囲からざわめきが広がる。
けれど私は驚かなかった。
だって、この日が来ることはずっと前から分かっていたから。
外では氷の騎士なんて呼ばれてる旦那様に今日も溺愛されてます
刻芦葉
恋愛
王国に仕える近衛騎士ユリウスは一切笑顔を見せないことから氷の騎士と呼ばれていた。ただそんな氷の騎士様だけど私の前だけは優しい笑顔を見せてくれる。今日も私は不器用だけど格好いい旦那様に溺愛されています。
彼氏がスパダリでヤンデレすぎてしんどいくらい好き
恋文春奈
恋愛
スパダリでヤンデレな溺愛彼氏に愛されすぎる!! モテモテな二人はどうなる!? 運命の人と激甘同居生活が始まる…!! スパダリでヤンデレな溺愛彼氏 朝霧奏多(28) 色気が半端ない みれあにだけ愛が重い×ピュアな美人彼女 二瀬みれあ(22) 芯はあるが素直すぎて無自覚な時がある 奏多しか見えてない
「つかれてる」と彼氏に拒まれる金曜の夜
唯崎りいち
恋愛
大好きだった彼は、最近私を「つかれてる」と拒絶する。
職場で無視され、家でも冷たく突き放され、ついに私は限界を迎えた。
涙とともに眠りについた、ある金曜日の夜。
変わり果てた二人の関係は、予想もしない結末を迎える。
一夜限りの関係だったはずなのに、責任を取れと迫られてます。
甘寧
恋愛
魔女であるシャルロッテは、偉才と呼ばれる魔導師ルイースとひょんなことから身体の関係を持ってしまう。
だがそれはお互いに同意の上で一夜限りという約束だった。
それなのに、ルイースはシャルロッテの元を訪れ「責任を取ってもらう」と言い出した。
後腐れのない関係を好むシャルロッテは、何とかして逃げようと考える。しかし、逃げれば逃げるだけ愛が重くなっていくルイース…
身体から始まる恋愛模様◎
※タイトル一部変更しました。
私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―
喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。
そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。
二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。
最初は手紙も返ってきていたのに、
いつからか音信不通に。
あんなにうっとうしいほど構ってきた男が――
なぜ突然、私を無視するの?
不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、
突然ルイスが帰還した。
ボロボロの身体。
そして隣には――見知らぬ女。
勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、
私の中で何かが壊れた。
混乱、絶望、そして……再起。
すがりつく女は、みっともないだけ。
私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。
「私を簡単に捨てられるとでも?
――君が望んでも、離さない」
呪いを自ら解き放ち、
彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。
すれ違い、誤解、呪い、執着、
そして狂おしいほどの愛――
二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。
過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。