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本編
もう、奪われたくない。
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「エージュ……?」
呆然となったのは、リヒト殿下だけではない。この場にいる、エージュとアトゥール殿下以外の全員だ。ローランには私の驚愕が伝わり、ドージェにはオリヴィエの衝撃が伝わっている。
エージュは私に微笑みかけると、小さく「沈黙」と唱えた。魔法の発動を確認し、再びリヒト殿下に強い視線を向けた。妥協することも逃げることも許さない、決断を迫る視線で。
「ギルフォード陛下は、王の器ではありません。臣下の妻に関係を迫り、わたくしを産ませた。神竜王の召喚に成功したアリーを疎み、神竜王陛下ともども滅そうとした――アリー達の機転がなければ、そのままシルハークに侵攻されたかもしれない危険を呼び込んだ。そして、王軍の大半でハユルスを迎撃しておきながら、賠償金も領土も獲れなかった。――政務も、軍務も、私人としても、救えない」
冷淡な内容を、エージュはふんわりとしたやわらかな声で告げていく。リヒト殿下は、絶句したまま異母妹を見つめている。
「無能な王は、ヴェルスブルクにはいりません。――無能な王を支えきれぬ臣下も、いりません」
後半は、シルヴィスに向けている。とろりとした甘美な蜜のように、清涼さすら感じさせる声が囁く。
「ならば、兄上様が王になられればよい。新しき宰相には、シルヴィス様が」
「しかし……しかし、父上を廃するなど」
「兄上様。王の道を踏み外している父を、正道に戻す為、王という重責から解放してさしあげることこそ、真の孝養ではありませんか?」
「エル、ウィージュ……」
リヒト殿下は、苦悩に満ちた瞳で妹を見た後、私に視線を向けた。私は、何も言えない。これは叛逆。だけど、私にとっては自衛でもあるから。
「……宰相の位は、いらない。シェーンベルク大公殿下にお返しする」
シルヴィスが、低い声で答えた。それは、エージュの提案を受け入れるという示唆だ。
「リヒトが王になるのはいい。だが、私のような若輩が宰相となれば、貴族達は拒否する。少なくとも、表向きは迎合しつつ、裏で私を陥れようとするだろう。そんなものの相手をする暇があるなら、私はリヒトの王権を支えていたい。よって、宰相職は本来の主――アトゥール殿下に」
「シルヴィ」
「私は、枢密院の一員に加えてもらえればいい。後は、リヒトの私的な部分を補佐する」
「殿下。御決断を」
アトゥール殿下が、淡々と迫る。リヒト殿下は、戸惑いを隠せない様子でエージュに問いかける。
「何故だ、エージュ。何故、父上を廃して私を即位させたい?」
「だって、兄上様。国王陛下は、わたくしの大切なものを次々に壊し、奪ってしまわれるのだもの。もうこれ以上は、耐えられません」
笑いながら、エージュが答えた。その笑い声はどこまでも玲瓏として美しく、美し過ぎて、危険な響きすら帯びている。
「わたくしの母を壊した。そして、わたくしから「両親の愛」を奪った」
「だが、父上は……君を王女として」
「そうですわね。そうせざるを得なくなったから、認知して下さいましたわね。……わたくしね、兄上様。父の愛も母の愛も知りませんの。エセルお兄様は、わたくしを気遣って下さいましたけれど、出生のことを御存知だったから、母を壊したわたくしを、どこか疎んじていらした」
私が、元の世界でもこの世界でも、当たり前に受けていた家族からの愛を、エージュは知らない。エージュのお母様は心を病んでいるし、お父様――バシュラール侯爵はエージュを利用することしか考えていなかったし、国王陛下は「私生児」を持て余していた。エセルさんは、複雑な出生の妹を気遣いはしても、その生まれゆえに、愛せなかった。
「わたくしを、ただそのままに、わたくし自身を愛してくれたのは、アリーだけです」
エージュに恋した人はたくさんいる。きっと、エージュの内面まで愛してくれた人もいるはずだ。だけど、エージュはそれを受け入れない。信じない。
「国王陛下は、そのアリーまで、わたくしのたったひとつの救いまで危険に晒した。亡き者にしようとなさった。もう、これ以上、何も奪われたくないと思うのは、わたくしの我儘ですか?」
「……エージュ……」
「今更、両親の愛が欲しいわけではありません。わたくしは、もうすぐアトゥール殿下と結婚して、「親の庇護下にある子供」ではなくなります。だからこそ、今度はわたくしがアリーを守ります」
アリーは、まだ「親の庇護下にある子供」だから。
そして、ラウエンシュタイン公爵夫妻では、国王陛下の手からは守りきれないから。
「……君の望みは、アレクシアゆえか」
「私の望みは、アリーだけ。けれど、父に叛けとあなたを唆すこの罪は、わたくしのもの。アリーは関係ありません」
私は、沈黙の魔法までかけられた理由が、やっとわかった。私の為に、エージュはリヒト殿下に謀叛を囁いている。――私の為に、自分の兄に、父を屠れと言っている!
「…………!」
エージュに抱きついて、首を振る。エージュが罪を犯すというなら、そうさせている私だって同罪だ、ううん、もっと罪深い。
泣き出した私を、エージュは優しく抱き返す。
「アリー。わたくし、あなただけでいいのよ」
愛してくれるのも、信じてくれるのも、傍にいてくれるのも。
「だから、眠っていてね」
愛しさに溢れた声が、耳をくすぐった時。
ローランが、睡眠の呪文を唱え――私は、抗うこともできずに捕われた。
「アレクシア。そなたは、私が守る」
どこまでも澄んだ水のように静謐な響きで、ローランは何度も告げてくれた言葉を誓っている――やめて、それは本当に私を守るものなの? あなたを、エージュを、罪に堕とすようなものなら、それは誓いではなく呪いだわ。
反論したいのに、私の瞼はゆっくり閉じられ――意識が、私の支配から零れた。
「……眠って、くれまして?」
「私の方が、魔力は強い」
端的に答え、神竜王は腕の中に崩れ落ちて眠る少女を、この上なく愛しげに抱き締めた。眠りに落ちた横顔を、エルウィージュは切ないほどの愛しさで見つめる。
「兄上様。御決断は如何に?」
「……エージュ。君は……」
苦悩に満ちた声で妹を呼んだリヒトに、シルヴィスが首を振る。
「リヒト。王女殿下はもう決断なさった。アトゥール殿下も同意なさっている。そして、ここにいる者は――皆、おまえの決断を待っている」
「シルヴィ」
「私は、殿下の仰せに従います。私は、主には誇りを持って仕えたい。シルハークとの和睦以降、国王陛下のなさりようには……誇りを、持てません」
カインが低く述べた言葉は、真実だろう。最近のギルフォードは、力に焦がれるあまり、王としての誇りを失っているとしか思えない。
「僕は、あまり難しいことは考えません。が、大神官様のお気持ちは、陛下から殿下に移っておいででしょうね」
「ええ。そうでなくては、あなたに「絡繰り仕掛け」などと、伝言なさらない」
エルウィージュがくすっと微笑んだ。アレクシアが眠っている今、彼女は優しさの欠片も見せない。魔性の姫君と綽名されたのは、その類稀な美貌からであって、気質からではないはずだが……と、アトゥール以外の全員が心の中だけで溜息をついた。
「兄上様。わたくしと違って、兄上様はずっと国王陛下の御子としてお育ちです。ですから、お悩みも深いとは存じますけれど――王となられる御方が、そのように気弱で如何なさいますの」
「エージュ」
「謀叛ではありません。革命でもありません。ただ、ご退位願うだけですわ。それでも、貴族達はいろいろと口喧しいことでしょう。その謗りを受けて尚、王は己であると誇れぬなら」
あなたも、王の器ではない。
酷薄な微笑みに、シルヴィスが剣に手をやろうとした瞬間、アトゥールがその動きを制した。現役の軍人と、武芸を嗜んでいるだけの学生では、差は歴然としている。
「わたくしは、兄上様はそのようにお弱くはないと信じたいのですけれど。それとも、わたくしに王太子の地位をお譲りになられますか?」
「……そう、だな。君なら、英明な女王となるだろう。だが」
リヒトは、ゆるく首を振って否定する。
「アレクシアがいなくなれば、君は国などどうでもいいと放り出す。それもまた、王の器ではない」
「……あら」
存外に、よく見ているものだ。そう含み笑った異母妹に、リヒトは一瞬瞳を伏せ――淡い翡翠の双眸に、強い光を宿す。
「王太子は私だ。王となるのも、私だ。――父上には、御退位願う」
「理由は?」
「王としての器ではないと、君が言った」
「あれだけでは、弱うございましょう」
「――リヒト。王女殿下。ひとつ、策はある」
シルヴィスが、事務的に告げた。リヒトが絡むと激昂しやすい彼が、ひどく冷静なのは、そうしていられる余裕がないとわかっているからだ。
「女神召喚をさせた上で、それが偽者であると暴けばいい」
「宰相令息は、簡単におっしゃるが。国王と宰相が企む「女神召喚」ですよ。どのように、暴かれる?」
アトゥールの揶揄するような口調に、いちいちかかずらっている暇もない。
「アレクシアは、輝石を持っていたはずだ。国宝にもないほどの品を。――そうですね、王女殿下?」
「エージュでよろしくてよ。ええ、アリーは輝石を持っています」
それをどう使う?と、答えがわかりきっているであろうに、薄い水色の瞳は愉しげに笑んだ。
「――アルドンサ・レオノーラが「女神」として召喚された後。輝石に、彼女の魔力を封じればいい」
「アリーが嫌だと言ったら? わたくし、アリーが嫌がることは、極力したくありませんわ」
「……それ、は……」
言葉に詰まったシルヴィスに、意外なところから助けがあった。アレクシアを抱き抱えているローランが、気が向いたからという風情で口を開いた。
「私がやる。アレクシアを守る為なら。――王の姫も、極力したくないだけで、絶対しないとは言っていない」
「神竜王陛下は、本当に、わたくしと同じでいらっしゃること」
そう嘯いて、エルウィージュは兄とその従兄に微笑みかけた。
「シルヴィス様。ナルバエス大公の、収賄の証拠などはお持ちですか?」
「持っていないが、あると断言できる」
「では、そちらをお調べ下さいませ。気づかれぬように。――兄上様は、そのままに。いつもと変わらず、お過ごしになって」
「カイン様。あなたは」
「わかっている。軍の不満を焚きつければいいのだろう。シルハーク撃退の名誉も得られず、ハユルスを退けることもできなかった王軍の者達を」
「はい。さすがは、私が主と認めた御方ですね」
アトゥールの言葉は微妙だ。カインは主と認めるが、ギルフォードはもちろん、リヒトも、今は主とは認めていないということだ。
「……私は、あなたの忠誠を得ることが第一のようだ」
リヒトの溜息に、アトゥールは優雅な微笑みだけを返した。
「オリヴィエ様は……レフィアス様の御心が変わられぬかどうかを」
「はい。……お変わりにはならないと思いますよ。大神官様はアレクシア姫を高く評価なさっていたし、最近の国王陛下については、何もおっしゃらないくらいですから」
つまり、既に見捨てているということだ。
「では、神殿内部の様子を。女神召喚の儀式に協力している者もおりましょうから、その一覧が欲しいところですし。……あ、こちらをお使いになって。アリーとわたくしの、信頼できる仲間達の名簿ですわ」
差し出されたのは、「レフィアス様ファンクラブ」の会員名簿だ。この会員達には、「オリヴィエ・ステファニアスに協力すること。できない場合は、その原因となった者の名を明かすこと。そうしたら、レフィアス様の覚えもよくなるでしょう」と伝えてある。
「ドージェ」
「は、はい」
ローランの瞳が、金色に輝いていた。支配者を示す色に。
竜でしかないドージェには、それで十分なほどの威圧だが、ローランは一切手を抜かなかった。黄金の瞳に明らかな怒りを込めて、ドージェを見据える。
「先の神竜王姫のことを私に言わなかった「叛逆」は、忘れてやる。王の姫の言葉は聞いたな?」
「はい」
「ならば、くどくどしくは言わない。だが、二度はない」
「……はい」
そこで絶対服従の儀式が行われ、ドージェは完全にローランの支配下に入った。
「……王の姫」
「はい?」
「……アレクシアが起きたら、どこまで話せばいい……?」
先程までの神威はどこへやら、頼りなく問いかけた神竜王に。
「……言えませんわね……」
これはもう、魔性の姫君どころか魔女だろう、とシルヴィスが心の中で毒づいた王女もまた、途方に暮れたように答えていた。
「……とにかく、アレクシアの安全の確保が最優先だな……」
リヒトの嘆息に異論をはさむ者は、いなかった。
呆然となったのは、リヒト殿下だけではない。この場にいる、エージュとアトゥール殿下以外の全員だ。ローランには私の驚愕が伝わり、ドージェにはオリヴィエの衝撃が伝わっている。
エージュは私に微笑みかけると、小さく「沈黙」と唱えた。魔法の発動を確認し、再びリヒト殿下に強い視線を向けた。妥協することも逃げることも許さない、決断を迫る視線で。
「ギルフォード陛下は、王の器ではありません。臣下の妻に関係を迫り、わたくしを産ませた。神竜王の召喚に成功したアリーを疎み、神竜王陛下ともども滅そうとした――アリー達の機転がなければ、そのままシルハークに侵攻されたかもしれない危険を呼び込んだ。そして、王軍の大半でハユルスを迎撃しておきながら、賠償金も領土も獲れなかった。――政務も、軍務も、私人としても、救えない」
冷淡な内容を、エージュはふんわりとしたやわらかな声で告げていく。リヒト殿下は、絶句したまま異母妹を見つめている。
「無能な王は、ヴェルスブルクにはいりません。――無能な王を支えきれぬ臣下も、いりません」
後半は、シルヴィスに向けている。とろりとした甘美な蜜のように、清涼さすら感じさせる声が囁く。
「ならば、兄上様が王になられればよい。新しき宰相には、シルヴィス様が」
「しかし……しかし、父上を廃するなど」
「兄上様。王の道を踏み外している父を、正道に戻す為、王という重責から解放してさしあげることこそ、真の孝養ではありませんか?」
「エル、ウィージュ……」
リヒト殿下は、苦悩に満ちた瞳で妹を見た後、私に視線を向けた。私は、何も言えない。これは叛逆。だけど、私にとっては自衛でもあるから。
「……宰相の位は、いらない。シェーンベルク大公殿下にお返しする」
シルヴィスが、低い声で答えた。それは、エージュの提案を受け入れるという示唆だ。
「リヒトが王になるのはいい。だが、私のような若輩が宰相となれば、貴族達は拒否する。少なくとも、表向きは迎合しつつ、裏で私を陥れようとするだろう。そんなものの相手をする暇があるなら、私はリヒトの王権を支えていたい。よって、宰相職は本来の主――アトゥール殿下に」
「シルヴィ」
「私は、枢密院の一員に加えてもらえればいい。後は、リヒトの私的な部分を補佐する」
「殿下。御決断を」
アトゥール殿下が、淡々と迫る。リヒト殿下は、戸惑いを隠せない様子でエージュに問いかける。
「何故だ、エージュ。何故、父上を廃して私を即位させたい?」
「だって、兄上様。国王陛下は、わたくしの大切なものを次々に壊し、奪ってしまわれるのだもの。もうこれ以上は、耐えられません」
笑いながら、エージュが答えた。その笑い声はどこまでも玲瓏として美しく、美し過ぎて、危険な響きすら帯びている。
「わたくしの母を壊した。そして、わたくしから「両親の愛」を奪った」
「だが、父上は……君を王女として」
「そうですわね。そうせざるを得なくなったから、認知して下さいましたわね。……わたくしね、兄上様。父の愛も母の愛も知りませんの。エセルお兄様は、わたくしを気遣って下さいましたけれど、出生のことを御存知だったから、母を壊したわたくしを、どこか疎んじていらした」
私が、元の世界でもこの世界でも、当たり前に受けていた家族からの愛を、エージュは知らない。エージュのお母様は心を病んでいるし、お父様――バシュラール侯爵はエージュを利用することしか考えていなかったし、国王陛下は「私生児」を持て余していた。エセルさんは、複雑な出生の妹を気遣いはしても、その生まれゆえに、愛せなかった。
「わたくしを、ただそのままに、わたくし自身を愛してくれたのは、アリーだけです」
エージュに恋した人はたくさんいる。きっと、エージュの内面まで愛してくれた人もいるはずだ。だけど、エージュはそれを受け入れない。信じない。
「国王陛下は、そのアリーまで、わたくしのたったひとつの救いまで危険に晒した。亡き者にしようとなさった。もう、これ以上、何も奪われたくないと思うのは、わたくしの我儘ですか?」
「……エージュ……」
「今更、両親の愛が欲しいわけではありません。わたくしは、もうすぐアトゥール殿下と結婚して、「親の庇護下にある子供」ではなくなります。だからこそ、今度はわたくしがアリーを守ります」
アリーは、まだ「親の庇護下にある子供」だから。
そして、ラウエンシュタイン公爵夫妻では、国王陛下の手からは守りきれないから。
「……君の望みは、アレクシアゆえか」
「私の望みは、アリーだけ。けれど、父に叛けとあなたを唆すこの罪は、わたくしのもの。アリーは関係ありません」
私は、沈黙の魔法までかけられた理由が、やっとわかった。私の為に、エージュはリヒト殿下に謀叛を囁いている。――私の為に、自分の兄に、父を屠れと言っている!
「…………!」
エージュに抱きついて、首を振る。エージュが罪を犯すというなら、そうさせている私だって同罪だ、ううん、もっと罪深い。
泣き出した私を、エージュは優しく抱き返す。
「アリー。わたくし、あなただけでいいのよ」
愛してくれるのも、信じてくれるのも、傍にいてくれるのも。
「だから、眠っていてね」
愛しさに溢れた声が、耳をくすぐった時。
ローランが、睡眠の呪文を唱え――私は、抗うこともできずに捕われた。
「アレクシア。そなたは、私が守る」
どこまでも澄んだ水のように静謐な響きで、ローランは何度も告げてくれた言葉を誓っている――やめて、それは本当に私を守るものなの? あなたを、エージュを、罪に堕とすようなものなら、それは誓いではなく呪いだわ。
反論したいのに、私の瞼はゆっくり閉じられ――意識が、私の支配から零れた。
「……眠って、くれまして?」
「私の方が、魔力は強い」
端的に答え、神竜王は腕の中に崩れ落ちて眠る少女を、この上なく愛しげに抱き締めた。眠りに落ちた横顔を、エルウィージュは切ないほどの愛しさで見つめる。
「兄上様。御決断は如何に?」
「……エージュ。君は……」
苦悩に満ちた声で妹を呼んだリヒトに、シルヴィスが首を振る。
「リヒト。王女殿下はもう決断なさった。アトゥール殿下も同意なさっている。そして、ここにいる者は――皆、おまえの決断を待っている」
「シルヴィ」
「私は、殿下の仰せに従います。私は、主には誇りを持って仕えたい。シルハークとの和睦以降、国王陛下のなさりようには……誇りを、持てません」
カインが低く述べた言葉は、真実だろう。最近のギルフォードは、力に焦がれるあまり、王としての誇りを失っているとしか思えない。
「僕は、あまり難しいことは考えません。が、大神官様のお気持ちは、陛下から殿下に移っておいででしょうね」
「ええ。そうでなくては、あなたに「絡繰り仕掛け」などと、伝言なさらない」
エルウィージュがくすっと微笑んだ。アレクシアが眠っている今、彼女は優しさの欠片も見せない。魔性の姫君と綽名されたのは、その類稀な美貌からであって、気質からではないはずだが……と、アトゥール以外の全員が心の中だけで溜息をついた。
「兄上様。わたくしと違って、兄上様はずっと国王陛下の御子としてお育ちです。ですから、お悩みも深いとは存じますけれど――王となられる御方が、そのように気弱で如何なさいますの」
「エージュ」
「謀叛ではありません。革命でもありません。ただ、ご退位願うだけですわ。それでも、貴族達はいろいろと口喧しいことでしょう。その謗りを受けて尚、王は己であると誇れぬなら」
あなたも、王の器ではない。
酷薄な微笑みに、シルヴィスが剣に手をやろうとした瞬間、アトゥールがその動きを制した。現役の軍人と、武芸を嗜んでいるだけの学生では、差は歴然としている。
「わたくしは、兄上様はそのようにお弱くはないと信じたいのですけれど。それとも、わたくしに王太子の地位をお譲りになられますか?」
「……そう、だな。君なら、英明な女王となるだろう。だが」
リヒトは、ゆるく首を振って否定する。
「アレクシアがいなくなれば、君は国などどうでもいいと放り出す。それもまた、王の器ではない」
「……あら」
存外に、よく見ているものだ。そう含み笑った異母妹に、リヒトは一瞬瞳を伏せ――淡い翡翠の双眸に、強い光を宿す。
「王太子は私だ。王となるのも、私だ。――父上には、御退位願う」
「理由は?」
「王としての器ではないと、君が言った」
「あれだけでは、弱うございましょう」
「――リヒト。王女殿下。ひとつ、策はある」
シルヴィスが、事務的に告げた。リヒトが絡むと激昂しやすい彼が、ひどく冷静なのは、そうしていられる余裕がないとわかっているからだ。
「女神召喚をさせた上で、それが偽者であると暴けばいい」
「宰相令息は、簡単におっしゃるが。国王と宰相が企む「女神召喚」ですよ。どのように、暴かれる?」
アトゥールの揶揄するような口調に、いちいちかかずらっている暇もない。
「アレクシアは、輝石を持っていたはずだ。国宝にもないほどの品を。――そうですね、王女殿下?」
「エージュでよろしくてよ。ええ、アリーは輝石を持っています」
それをどう使う?と、答えがわかりきっているであろうに、薄い水色の瞳は愉しげに笑んだ。
「――アルドンサ・レオノーラが「女神」として召喚された後。輝石に、彼女の魔力を封じればいい」
「アリーが嫌だと言ったら? わたくし、アリーが嫌がることは、極力したくありませんわ」
「……それ、は……」
言葉に詰まったシルヴィスに、意外なところから助けがあった。アレクシアを抱き抱えているローランが、気が向いたからという風情で口を開いた。
「私がやる。アレクシアを守る為なら。――王の姫も、極力したくないだけで、絶対しないとは言っていない」
「神竜王陛下は、本当に、わたくしと同じでいらっしゃること」
そう嘯いて、エルウィージュは兄とその従兄に微笑みかけた。
「シルヴィス様。ナルバエス大公の、収賄の証拠などはお持ちですか?」
「持っていないが、あると断言できる」
「では、そちらをお調べ下さいませ。気づかれぬように。――兄上様は、そのままに。いつもと変わらず、お過ごしになって」
「カイン様。あなたは」
「わかっている。軍の不満を焚きつければいいのだろう。シルハーク撃退の名誉も得られず、ハユルスを退けることもできなかった王軍の者達を」
「はい。さすがは、私が主と認めた御方ですね」
アトゥールの言葉は微妙だ。カインは主と認めるが、ギルフォードはもちろん、リヒトも、今は主とは認めていないということだ。
「……私は、あなたの忠誠を得ることが第一のようだ」
リヒトの溜息に、アトゥールは優雅な微笑みだけを返した。
「オリヴィエ様は……レフィアス様の御心が変わられぬかどうかを」
「はい。……お変わりにはならないと思いますよ。大神官様はアレクシア姫を高く評価なさっていたし、最近の国王陛下については、何もおっしゃらないくらいですから」
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「では、神殿内部の様子を。女神召喚の儀式に協力している者もおりましょうから、その一覧が欲しいところですし。……あ、こちらをお使いになって。アリーとわたくしの、信頼できる仲間達の名簿ですわ」
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「ドージェ」
「は、はい」
ローランの瞳が、金色に輝いていた。支配者を示す色に。
竜でしかないドージェには、それで十分なほどの威圧だが、ローランは一切手を抜かなかった。黄金の瞳に明らかな怒りを込めて、ドージェを見据える。
「先の神竜王姫のことを私に言わなかった「叛逆」は、忘れてやる。王の姫の言葉は聞いたな?」
「はい」
「ならば、くどくどしくは言わない。だが、二度はない」
「……はい」
そこで絶対服従の儀式が行われ、ドージェは完全にローランの支配下に入った。
「……王の姫」
「はい?」
「……アレクシアが起きたら、どこまで話せばいい……?」
先程までの神威はどこへやら、頼りなく問いかけた神竜王に。
「……言えませんわね……」
これはもう、魔性の姫君どころか魔女だろう、とシルヴィスが心の中で毒づいた王女もまた、途方に暮れたように答えていた。
「……とにかく、アレクシアの安全の確保が最優先だな……」
リヒトの嘆息に異論をはさむ者は、いなかった。
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