鬼村という作家

篠崎マーティ

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十九話「夜のコインランドリーにて」

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 鬼村は軽自動車を持っている。インドア派かと思いきやあれで意外とドライブ好きらしいのだが、基本的には生活圏での雑務の為に走らせるために購入したもので、その日も「そろそろ毛布をしまいたいから」という理由で夜のコインランドリーに向かう事になった。私はついていく必要などなかったのだが、鬼村の家で一人の留守番、しかも夜というのは少々、否、かなり勇気が要るので同行する以外の選択肢はなかった。
 住宅街の真ん中にぽつんと建っているコインランドリーは、真っ暗な外とは対照的に煌々と清潔な白い光を放っていた。店内には先客が一名。鬼村は毛布を二枚抱えて、えっちらおっちら大物用洗濯機へと向かう。
 私は鬼村を後ろから見守りつつ、ふと先客に目を向けた。鬼村と同じか少し若いくらいの女性が、洗濯機の前に立ってじいっと回転する中身を見つめている。駐車場には他の車も自転車も無かったので、この人は歩いてやってきたのだろう。という事は近所に住んでいるのだろうが、やはりこの時間に女性が一人で外を歩くのは危ないな、大丈夫かな……。
 私が勝手にそんな事を考えていると、不意に女性がこちらを振り返った。目が合う。女性は微笑む。何故だかその笑顔が妙に気持ち悪くて、この人を見なければ良かったと猛烈な後悔に襲われた。例の腹の奥で眠っている第六感がぱっと目を覚まし、私の血管に噛みついて引っ張り始めた。
 しまった、普通の人じゃない。
 弧を描いて細められた目の焦点がおかしいとか、細い指の先に見える爪がズタズタだとか、洋服がやたらにヨレヨレで汚れているとか、歯を覗かせる口元に乾いたよだれの跡が見てるとか、”そう”と思わせる手掛かりはいくつか目についたのだが、何よりも確信を与えたのは言葉に出来ない彼女の雰囲気だった。
 関わらない方が良い。どうかこれ以上絡まれませんようにと願いながら視線をそらす。しかし(心のどこかではきっとそうなるとも思っていたのだが)、私が目をそらしても女性は笑顔のままでじいっと私を見つめ続けてきた。そして不意に、目の前の洗濯機を指さした。
「赤ちゃん洗ってるの」
「えっ」
 無視も忘れて思わず声をあげ、洗濯機の中を見やる。確かに彼女の前で唸りをあげて回転する洗濯機の中に、小さな人影が見えた。私は息を呑んだ。
 しかし、私が悲鳴を上げるより先に鬼村が私の肩を小突いた。彼女は呆れ顔で、よく見ろとばかりに洗濯機を顎でしゃくる。促されるままに気を落ち着けて洗濯機を見直してみると、赤ん坊が全く同じポーズで動かない事に気が付いた。白く濁った水にもまれ、小さな体がこちらに振り返る。ピクリともしない愛らしい笑顔と目が合った。
 人形だ。
「あー……」
 安堵と納得の溜息がこぼれると、次に沸き上がってきたのは、未だにニコニコとこちらを見ている女性への恐怖心だった。ヤバイ人と鉢合わせた時、まず心配になるのが危害を加えるタイプかどうかであるが、鬼村と一緒に居ると違う心配が頭をよぎるようになる。目の前に居るのは、本当にヤバイ”人”なのかどうか、だ。
 今まで静かにしていた鬼村が、何の前触れもなく、ふっと女性に向かって歩き出した。
 私はハッとし、体を強張らせる。何かが起きる。どんな事が目の前で起きても、絶対に驚くまいと心を固くする。
 鬼村は女性の前で立ち止まると、そのまま流れるような動作で、なんの躊躇いもなく、間髪入れずに、女性の頭を平手ではたいた。
「いたっ」女性が小さく悲鳴をあげる。
 鬼村はひょいと眉を持ち上げた。
「あ、人か。ごめんなさい」それだけ言うと、待機用の椅子に腰かける。
 私と女性はぽかんと鬼村を見つめた。
 ……今、この人、暴行を働いたのか? いや、百歩譲って幽霊か何かと勘違いするのは(失礼な話だが)良いとして、その判別方法を暴力に訴えるとはどういう事だ。まだ「あなたは幽霊ですか」と不審者丸出しで聞く方が常識的じゃないか。そもそも幽霊ならいきなり殴りかかってもいいのか。いやそれより、何より今危惧すべきは、こんな不祥事が世間に知れたら「小説家鬼村悟、立っていただけの一般女性を突然暴行」なんて最低なニュースになってしまうという事だ。売り上げに響く。出版社に響く。鬼村の作家生命に響く。目の前で止められなかった私のキャリアにも大いに響く。洒落にならない!
「ぐふっ」女性へ謝罪するよう言おうとした時、急に鬼村の口から豚の鳴き声じみた音が飛び出した。次いでそれはひくひくと痙攣のように繰り返され、やがて間を置かず彼女ははっきりと愉快そうに笑い始めた。
「うひひははは、いたっ、て……頭おかしくても、ふっつーにいたって、そこは普通にめっちゃ痛がるじゃん……」
 女性は最初鬼村が何を言ったか理解できない様子で呆然としていたが、数秒の間を置いて突然般若のような顔になると、鬼村に向かって唾を飛ばしながら金切り声を上げ始めた。何か言葉らしきものは断片的に聞こえるが、あまりにもけたたましく叫び散らすので何を言っているかまでは分からない。たまに聞き取れる単語も「アケミ」「こけし」「人食い」「山梨」と支離滅裂だ。
 女性が怒鳴り出すと鬼村は笑うのやめ、その発狂ぶりをしげしげとアリの観察でもするような目で見ていたが、一向に女性がトーンダウンしない事に業を煮やして荒々しく椅子から立ち上がり、女性の手を乱暴に引っ掴むやその手で自分の頭を殴り始めた。
「アタシは謝っただろうが、うるせえな! そんなに腹立つなら、あんたもアタシの頭叩けよ! ほら! ほら! 満足か、アァッ!? 拳握れコラ! 思いっきり殴れよ! ごめんなさいっつってんだろ!」
 女性は喚き、必死に手を振りほどこうとするが、鬼村の力には敵わないようで自分の意志とは関係なく鬼村の頭を叩かされ続けている。女は最後に断末魔のような恐ろしい悲鳴を張り上げると、身を捩って自分の手を奪い返し、泣きわめきながら外に走って行ってしまった。
 静けさの戻ったコインランドリーに、洗濯機の低い唸り声と回り続ける水音がやけに大きく響く。頭上ではまばゆい蛍光灯がその寿命を削りながら、微かにジージーと鳴いている。取り残された赤ん坊の人形が、洗濯機の中でもみくちゃにされながら笑いかけていた。
「いってぇ……」鬼村が頭を押さえて呻いた。
 私は手近の椅子に座りこみ、独り言のように呟く。
「……めちゃくちゃだよお」
 鬼村の家で留守番するのと、どっこいどっこいだったかもしれない。
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