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ボクはオトコノコ。
ボクはナニモノ。
しおりを挟む「……あ,伊織……」
教室に入って直ぐ,僕を見たスズが困ったように眉を下げる。
僕は,スズの耳にも届いたんだなと思った。
「さっき俺の友達が来てさ。伊織,この数日で誰かとなんかあったりした?」
「百合川 姫?」
遠回しな言い方は無駄だと気付いたんだろう。
スズは苦笑して,ひとつ頷いた。
僕が否定すると,スズはすんなりと受け入れる。
こう言うところが,スズの人に好かれるところなんだと思う。
「どんな子なの,その人」
出身中でもなければ,去年のクラスメートでもない。
どうして突然僕なんかと。
「可愛い子だよ。特に男子の中では一際目を引くみたいだね」
スズは言いながら,僕の奥へと目を向けた。
周囲のざわめきにつられて,僕も後ろへ振り返る。
「失礼しまぁ~す♡」
とんっと。
何故か突然の来訪者の彼女は,当然のように僕の隣へと立った。
さすがに驚いて目を剥くと,真ん丸の黒目に捉えられる。
白い肌,目元の小さなほくろ。
ぷくりとした唇。
真っ黒な黒髪は,ハーフのツインテールになっていた。
白と黒のはっきりした,モノトーンな人。
多分,この人が
「百合川さん?」
「そう。百合川 姫。ひめって呼ばれるのはあんまり好きじゃないから,ユリユリって呼んでね♡」
瞳をきゅっとつむって,百合川さんは何故か首もとでハートを作る。
「えっと」
何をしたいのか分からなくて,僕は困った。
僕に話をしに来たんじゃ,ない? の?
「一応確認なんだけど,僕達初めましてだよね?」
「うん,そうだね。初めまして,羽村 伊織くん」
「僕達に変な噂が立ってるんだけど,どうしてなのか百合川さんは知ってる?」
僕の困った瞳を見て,百合川さんはかくんと肩を落とす。
「それはねぇ,ほんとにねー。わざとじゃ,無かったんだけど……ユリユリ,今日はそれを謝りに来たの」
「謝るって」
「伊織くん。ユリユリ,あなたのことが好きだったの」
「「えっ」」
突然のカミングアウトに,スズと2人,いや様子を窺っていた他の生徒も言葉を失う。
僕は何から返すべきなのか分からなくて,右手を口元においた。
告白,にしては思いきりがいいけれど。
初めて他人から告げられた気持ちに,戸惑いを隠せない。
「遠くから眺めるのが好きだった。でも……諦めることにしたの。伊織くん,他に好きな人がいるみたいだったから」
「え」「え?!」
フリーズする僕に,スズが驚愕の顔を向ける。
僕は直ぐにはっとして,さも平然としているように表情を繕った。
「やめて,スズ。百合川さん,僕には好きな人なんていないよ。だけど……ごめんね。僕は君の気持ちには応えられない」
だから,そのまま諦めてくれると嬉しい。
彼女の言葉か本当だとして。
共感するように痛む胸に気付かない振りをしながら笑いかける。
そんな態度が気に入らなかったのか,百合川さんは僕へずいっと前のめりに近寄った。
「嘘つき。せっかくユリユリが自分から引いてあげようとしてたのに。……じゃあ,証明して見せてよ,今ここで。私を振れるだけの理由が本当にないって」
「何を」
「動かないでよ,伊織くん」
胸ぐらを掴み,百合川さんは僕の耳へと小さく囁く。
「中島 敦のこと,好きな訳じゃないんでしょ?」
「なっ」
だめだ。
僕はそれを,どっちの意味でも肯定出来ない。
百合川さんはその僕の一瞬の恐怖から生まれた隙をついて,僕の大事なマスクへと手をかけた。
「やめ……!!」
手際よく抜き取られるマスク。
それと引き換えるように身体を押し込んでくる百合川さんは,妖しく微笑んで僕の唇を狙っている。
防げない,どうしよう。
助けて,だれか……っっっ。
「っ伊織ーーー!」
身体か後ろへと引っ張られる。
なすがままに,僕は後ろへと倒れた。
数人分の倒れた音がして,数秒後。
「ったた」
僕が下敷きにしたと思われる人間の顔を確認するために,僕は目を開く。
「! リュー!!!」
ごめん。
直ぐに起こすよ。
でも,助かった,本当にありがとう。
「痛くない? ごめんね」
僕を引っ張って,倒れてまで助けてくれたのは,掃除場所から帰ってきたであろうリューだった。
事も無げに頷くリューの額にはうっすらと汗が滲んでいて,僕はほっと眉を垂らす。
良かった。
僕には人とキスすることが出来ない理由が……
「もぅ,いったぁあい♡ もーーーっ誰なの,あと少しだったのにぃー!」
ドンッと,上体を起こしたのであろう百合川さんの背中が僕のお尻に当たった。
突き飛ばされるような形で僕は前へと再び倒れる。
ま,ず……い。
リューがとっさに自分を庇おうと動くも,僕らの間には既に腕1本も挟まる隙は無い。
いっそ突き飛ばして欲しかったけど,それもお互い無理だった。
眼前にリューのぎゅっとした目が見える。
「「伊織!!!!」」
スズと敦の声が聞こえた。
でもその時にはもう。
無防備な僕の唇は,リューのそれとしっかり合わさった後だった。
僕には,人に言えない秘密がある。
ひとつは,敦への恋心。
ふたつめに……他人には理解されないだろう,稀有な体質のこと。
スズが掴んだだろう無駄に終わった襟首が苦しい。
僕はスズに引っ張られるようにして胴体をあげた。
「なんてことを」
僕の言葉に,後ろで百合川さんのびくりと反応した気配がする。
取り返しのつかない出来事に,三太や他の人たちからのひぇぇえという情けない声も聞こえた。
僕は咄嗟に自分の口を指で押さえたけれど,今さらもう遅い。
起きてしまったものは,戻らない。
リューの顔を覗き込む。
離れなければ,でも,もしもなんともないなら。
一縷の望みにすがって,僕は混乱する脳みそでマスクをし直した。
僕は,誰が相手だろうと,口元を晒しては……いけなかったんだ。
僕は,生まれたときから身体の構造が人と違う。
小さい頃にはただのむちむちな子供だと思われていた胸は,年齢と共に,女性のように,だけど小さくほんのりとだけ膨らみ。
かと思えば,ーーーも変わらずついたまま。
けれどそれらは全て,とある存在としての一特徴でしかない。
僕のからだの,本当に恐ろしいのは……外見的なものではない。
僕が普段必死に隠している,この唇の奥から常に分泌されている……唾液の効果だった。
涙でも汗でもなく,唾液だけにとても大きな特徴を持っている。
甘い。
とても甘いのだ,僕のそれは。
味覚ともいいがたい,麻薬のように危うい"甘さ"。
頭に直接痺れる,劇毒。
それを1滴でも他人の口に入れてはいけない。
うっかり咳をして飛びました,では許されない。
そんな,他人を惑わせる甘い唾液をもって生まれるもの。
それが僕,四百万人に1人といわれる,sweet poisonと呼ばれる存在だ。
地球上で換算すると,2000人にも及ばないレアなニンゲンらしい。
反対に……どこにでもいる普通の人達の事をpoor beeと呼ぶ。
S·Pの存在を世界なんたら協会に秘匿されているP·Bは,唾液の作用になど気付けないまま心を操られ,1度味わってしまっては惹き寄せられる運命にあるから,だ。
一般人のことは蜂に喩えるくせに,僕らの唾液を蜜とは呼ばない。
僕らが影響を与えようが与えまいが,既に彼らを可哀想と名付ける。
きっとこの分類をはっきりと示した人間は,僕らS·Pの事がよほど嫌いだったのだと思った。
だからこそ。
ー僕は誰ともキスをすることが出来ない。
しては,いけない。
この特異な体質は名前の通り,誰にとってもpoisonなのだから。
どんなに誰かを愛しても,愛されたいと願っても。
それをしたが最後,そこには最初から,傷つく未来しか用意されていないのだ。
幼いトラウマが甦る。
保育園の頃,自覚せず1人の女の子を惑わせたこと。
大人同士が呼び出され,騒ぎになったこと。
相手の女の子は精神異常の疑いで病院へ向かい,その後何故か僕まで呼ばれ……自分がどんな人間なのかを両親と共に知らされたこと。
幸か不幸か,綺麗好きな上にそれまで僕の唇に1度もキスをしなかった両親は無事で,だけどそのまま僕を国に引き渡したこと。
『うちの娘を……っっ。何なんだお前!!!』
後始末を,僕を引き取った国の施設がお金で解決したこと。
僕のこの身体も,特殊な唾液も。
元は遠い昔,人類が絶滅しそうになったとき。
進化の形として一部の人間だけに備わったものらしい。
血筋に関係するわけでもなく,どう言った基準で発現するのかは分からない。
ただ言えるのは,S·Pは生まれた瞬間からS·Pだということ。
その昔,S·Pの身体は人間の絶滅回避に育児の人手を増やすため母乳が出るようになり,やがて他人を籠落するために媚薬のような成分を唾液に含むようになり……他人を受け入れる側に回れば,僕でも出産まで出来るのだと言う。
だけど今はもうそんな時代でもなければ,僕達のような存在をP·Bは誰も知らない。
知られても遠ざけたいと思われるのが関の山だ。
秘匿され,身体検査や経歴全てにおいて他人の目を欺き。
そんな中で,一体,なんのために。
一体,僕が何者であるかなんて……そんなの本当は僕が一番知りたいんだ。
こんな迷惑なだけでなんの意味も役にもたたない身体になんて,生まれたくなかった。
報われない恋をしたっていいじゃないか。
僕はただ,普通に生きて,普通に死ねる人間が良かった。
これじゃあ,本当に人間と呼んでいいのかも分からない。
お願いリュー。
不幸な事故だけど,なんでもないんだって笑って。
騒ぐクラスメートに,不機嫌な顔で悪態ついて。
僕を好きだとか,そんな馬鹿げたこと,いわないでよ。
僕は,僕は……何なんだ。
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