王女と騎士の殉愛

黒猫子猫

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大罪

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 明日はイザベルの葬儀になる。
 他人の目を気にすることなく、リュシアンがイザベルに向き合える最後の時間を、同僚たちは作ってくれた。
 それを理解したリュシアンは、再びイザベルに目を落とした。

 何度も躊躇いながら、やがて震える手で彼女の頬に触れた。

 氷のように冷たくなった肌は、彼に現実を知らしめたが、離すことはしなかった。彼女がどんな立場であっても、どんな身になってしまったとしても、愛おしいと心から思った。

 ――――貴女に私が何度もキスをしようとしていた事を、知っていますか。

 幼い頃に犯した過ちのせいで、彼女から引き離されたというのに、凝りもせず。
 身体を重ねた後、イザベルに見つめられていると、いつも自制できなくなりそうだった。もっと触れたい、彼女を自分のものにしてしまいたい、叶うならば連れ去ってしまいたい。

 強烈な欲望と愛おしさがこみ上げた。

 とてもイザベルを直視できず、さりとて離れたくも無くて、彼女が早く眠りに落ちることばかりを願った。そして、帰り際にリュシアンはいつも過ちを犯していた。

 結婚相手のものだから、彼女へのキスは許されない。だから、触れるか触れないか程度の口づけを、いつも頬にしていた。その行為は彼の最大の秘密だったが、イザベルに『結婚が決まった』と言われた時、動揺のあまり彼女がまだ起きているにも関わらず、行為に及ぼうとしてしまったものだ。

 あの夜、彼女はキスを求めてくれたが、今は既婚者だ。
 許される事ではない。許しを得ていない。

 これは大きな罪だ。

 彼女は神の身許にいくだろうが、戦場で数多の血を被った自分が堕ちる場所は違うだろう。
 共に転生を許されるはずがない。

 それでも――――この罪の咎ならば、どんなことでも受け入れよう。

 リュシアンは身を屈め、イザベルの唇にキスをした。

 初めて触れるその場所は、とても冷たかった。それにも関わらず、重なった瞬間、リュシアンの温もりが移ったかのように、温かくなった。ゆっくりと身体を起こしたリュシアンは、息を呑む。

 自分の手が触れたままの頰も、ほのかに温かい。

「⋯⋯イザベル⋯⋯?」

 反対の手でもう一方の頰も触れると、やはり次第に温もりを感じる。青白い肌は次第に血色を取り戻し、ゆっくりとイザベルの目が開いた。
 彼女はリュシアンをすぐに見つめ、昔と変わらぬ柔らかな眼差しを向け、嬉しそうに微笑んだ。

「⋯⋯貴方はまだ素敵なことだと思わないかしら⋯⋯?」

 現世で結ばれなかった恋人達が、転生し、来世で結ばれて幸せになる。

 二度と生きて会えないと思った男を前にして、イザベルは喜びのあまり問いかけてしまった。リュシアンは軽く目を見張り、泣き笑いの顔をして、彼女の頬を愛おしそうに撫でた。

「え⋯⋯?」

 イザベルは驚いた。許可もなく彼が触れてくることなど、なかったからだ。戸惑っている間に、彼が腕を背に回して抱きしめてきて、ゆっくりと身体が起こされる。

「大丈夫ですか?」
「え、えぇ⋯⋯」

 身体に力は入りにくいけれど、リュシアンの腕がしっかりと支えてくれているから、安心感がある。ただ、周りを見てみれば。傍には葬送の花と棺らしき箱、場所は自国の教会だと分かる。なによりも、イザベルの声が聞こえて、反射的に振り向いたマルセルら騎士たちが、全員揃って腰を抜かしていた。

「⋯⋯私⋯⋯転生したわけじゃ⋯⋯なさそうね?」
「もちろん違いますよ。ただ――――私の元に帰ってきてくださっただけです」

 リュシアンは彼女の頬に手を添えて、視線を自分に戻させると、イザベルにキスをした。



 半月後、私室で一人過ごしていたエルネスト王の元に、書簡を片手に宰相がやって来た。満面の笑みを浮かべている彼を見て、エルネストは眉を顰める。

「なんだ」
「イザベル様がお目覚めになられたそうです。想定より少し早い時だったようですね」
「どこの誰かしらねえが⋯⋯やりやがったな」

 エルネストがイザベルに与えた『毒薬』は、魔術師が生み出した人を仮死状態に陥らせる秘薬である。食事などの生命維持に必要な行為を一切しなくても、一カ月ほどは身体が傷むことはない。

 外から見ると完全に死んでいるようにしか見えないが、時間が経てば彼女は目を覚ましていただろう。だが、その前に周囲の者達が気付かずに埋葬してしまう可能性もある。

 だから、彼女が仮死状態に陥った際に護衛につかせた部下の口から、イザベルの侍女たちに参列者を送るという口実で、葬儀の日を指定させていた。自国の力を理解しているイザベルの祖国は、拒否できないはずだ。イザベルが目覚めるのを待って、使者の口から、敵国の目を欺くためだと説明させようとした。

 エルネストは敵国の王が戦の発端となったイザベルを暗殺し、元の状態に戻そうといってきた敵国の王の腹積もりを看破していた。
 イザベルの急死に、彼女の祖国の者は到底納得しないだろう。彼らの憤りと恨みは、間違いなくエルネストへと向かう。その状況を利用し、膠着状態にあった戦を優位に進める算段だ。

 突っぱねる事もできたが、エルネストは貪欲である。

 王の口車に乗った振りをして彼女を仮死状態にし、一カ月という時間を稼ぐ。敵国がイザベルの祖国の動向を注視している間に、自国の戦備を増強し、一気に隙を突いて攻め込んだのだ。

 戦果は上々であり、ここの所エルネストの機嫌は悪い方ではなかった。

 敵を騙すにはまず味方からだと、彼女にも説明しなかった。葬儀に参列するという名目で派遣されたエルネストの使者は、すでにイザベルが目を覚ましている事に驚きつつ、人々に全てを打ち明けたのだが。

 それはもう凄まじい怒りを浴びて、生きた心地がしなかったらしい。

 だが、エルネストにしてみれば、些細な事である。自分に害がなかったものだから、尚更平然と「大変だったなぁ」と他人事である。

 彼にとって大問題だったのは、予定よりも早くイザベルが目を覚ましていた事だ。魔術師は万が一、早く目を覚まさせたい事態が起こった時のために、無効化する術を付けた方がよいと提案した。

 ならばとエルネストが考えたのは、イザベルが絶対にさせようとしなかった『キス』だ。王女である彼女に周囲の者がそう容易くする行為ではない。彼女を想う男がいたとしても、既婚者に手を出されまい。

 それなのに、だ。
 後に断罪されるのも覚悟の上で、行為に及んだのだろう。そこまで想われた王女は、ますますその男に惹かれるに違いない。
 エルネストは悔しさのあまり髪を掻きむしりたい気分だが、宰相はにっこりと笑った。

「しかし、まぁ良かったですね! 我が国も王女殺しの汚名を被らずに済みます」
「いいわけあるか! おい、俺は誰だ!」

「大陸に名だたる大国の、国王陛下でいらっしゃいます」
「そうだろう! それなのに、イザベルはこんな良い男に靡かないなんて、絶対におかしい!」

 エルネストは未練たらたらである。

「でしたら、強引にしてしまえば良かったではありませんか」
「⋯⋯俺は他の男を想って涙をこらえながら、身体を差し出してくる健気な娘を襲うほど獣じゃないぞ!」

 政略結婚を受け入れ、イザベルはエルネストの閨に入り、義務を果たそうとした。だが、彼女の表情は硬く、身体はずっと緊張していた。他に想う男がいるという事を、百戦錬磨のエルネストはすぐに察したものだ。

 それでも、自分の魅力と手管があれば、簡単に堕ちるはずだと目論んでいたが、健気な姿を見ていると、どうにも手が伸びない。

 おまけにそもそも妾が大勢いて、エルネストをしきりに誘惑するものだから、つい欲望の赴くまま彼女達へと足が向き、結局イザベルと一夜を共にしないまま、半年が過ぎていた。

 女を掌の上で転がしてきたエルネストにとってみれば、屈辱である。毒薬を用意した際も、彼女に向って冷たく『お前なんか別に惜しくない』と言ったものの⋯⋯。

「本当は?」
と、半眼の宰相に問いかけられたエルネストは、絶叫した。

「俺のものにしたかった! あんな美女、滅多にお目にかからん! 殺すなんて、もったいない事できるか! そんな事をするくらいなら、頑張って隣国のクソジジイをぶっ殺したほうがいい! それが世の男のためだ!」

「権力者といえど、誰でも口説き落とされるとは限らないと証明しましたね。これは陛下の偉大な功績です」
「どこがだ!」

 女癖が悪すぎると日々王を諫めている宰相は、平然と聞き流し、更に続けた。

「それで、これからイザベル様はどうします?」

 エルネストはますます渋い顔になり、小さくため息を吐いた。

「⋯⋯イザベルが嫁いできた後、悪魔が憑りついたと言われた奴がいるという話を聞いたことがあるか」
「あ⋯⋯はい。リュシアンという騎士団長でしたね。戦場で人間とは思えないほど、暴れまわっていたとか⋯⋯」

「彼女の秘密の想い人は、絶対にそいつだろ」
「⋯⋯でしょうね」

「俺は今回イザベルを政略に使った事で、相当怒りを買ったからな。やっぱり彼女を返せなんて言ったら⋯⋯俺はいつかどこかで暗殺される気がする。俺は自分が一番可愛いんだ、勘弁してくれ!」

 身震いするエルネストに、宰相はさもあらんと頷いた。
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