異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐

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夕方の鐘が鳴る少し前、
僕は事務室の前で立ち止まっていた。

中からは、紙をめくる音が聞こえる。
慌ただしいというほどでもなく、
かといって暇そうでもない、一定のリズム。

「……」

ノックしようとして、
一度、深呼吸した。

別に緊張する理由はない。
話を聞くだけだ。

……聞くだけのはず、なんだけど。

「どうぞ」

中から声がした。

扉を開けると、
机の向こうに年配の女性が座っていた。

白髪混じり。
背筋は伸びているけど、表情は柔らかい。

「座って」

言われて、椅子に腰を下ろす。

「ユウ、だったね」

「はい」

それだけで、
もう名前は覚えられていた。

「今日は、いろいろ助けてもらったそうだね」

「……手が空いてただけです」

正直な答えだった。

院長は、ふっと笑った。

「そういう人ほど、“手が空いてる”を理由にしがちだ」

図星で、返す言葉がなかった。

「エレナから、聞いてる」

朝ごはん。
洗濯。
掃除。
昼ごはん。

「特別なことは、してないそうだね」

「……普通のことです」

「“普通”は、人によって違う」

院長は、机の上の書類を揃えながら言った。

「ここはね、いつも人手が足りない」

知っている。
今日一日で、十分すぎるほど分かった。

「でも」

院長は、視線を上げた。

「だからといって、誰かを引き留める場所じゃない」

少し、胸が軽くなる。

「君は、今日だけのつもりだった」

「はい」

即答した。

「仕事を探す予定でした」

「それも聞いた」

院長は、ゆっくり頷く。

「それでいい」

「……いいんですか」

「もちろん」

迷いはなかった。

「ここは“守る場所”じゃない。“帰ってこられる場所”だ」

その言葉が、
妙に胸に残る。

「来た人を縛らない。出ていく人を止めない」

それが、この場所のやり方らしい。

「だから、今日は」

院長は、少しだけ間を置いてから言った。

「“お願い”はしない」

「……」

「代わりに、選択肢を渡す」

机の引き出しから、一枚の紙を取り出す。

「明日、仕事を探しに行っていい」

「はい」

「でも、今日みたいに手を貸したいなら、それも止めない」

「……」

「どちらを選んでも、君の自由だ」

それ以上でも、以下でもない。

「ここに残るなら、条件はある」

「条件?」

「無理をしないこと」

即答だった。

「役に立たなくていい。完璧じゃなくていい」

それは、思っていた条件と、少し違った。

「子どもたちはね」

院長は、窓の外を一度見た。

「“助けてくれる人”より、“そこにいる人”を覚える」

胸の奥が、少しだけざわつく。

「今日は、何人かの子が、君の名前を覚えた」

「……」

「それだけで、十分だ」

院長は、穏やかに微笑んだ。

「今すぐ答えなくていい」

「はい」

「夕飯まで、時間はある」

椅子から立ち上がる。

「……話、聞いてくれてありがとうございました」

「こちらこそ」

扉を閉めて、廊下に出る。

外から、子どもたちの声が聞こえた。

笑い声。
足音。

「……」

僕は、まだ決めていない。

でも。

“帰ってこられる場所”。

その言葉が、
頭から離れなかった。
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