裏で国を支えていた令嬢「不純物だ」と追放されるも、強面辺境伯と共に辺境を改革する ~戻ってきてと嘆願されましたが、それに対する答えは……~、

水上

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第1話:婚約破棄と根菜の旨味

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 王宮の大広間は、むせ返るような香水の匂いと人工的な光に満ちていた。
 無数のシャンデリアが、着飾った貴族たちの宝石を照らし出し、乱反射させている。

 その光の洪水の中で、ルチア・フォン・アイゼンは、自分がひどく場違いな異物であるように感じていた。

 艶のない銀髪を後ろで無造作にひっつめ、鼻の上には分厚い銀縁眼鏡。
 ドレスこそ公爵令嬢として恥ずかしくない品質のものだが、色は流行とは程遠いチャコールグレーだ。

「ルチア・フォン・アイゼン! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」

 大広間の中央、一段高い場所から響いた声が、ワルツの旋律を切り裂いた。

 声の主は、この国の王太子ジュリアス・アルゲン。

 彼は隣に寄り添う小柄な女性の肩を抱き寄せながら、ルチアを指差していた。
 金の髪をふわふわと巻き、潤んだ瞳でジュリアスを見上げるその女性は、男爵令嬢のクロエ・キュプロスだ。

 周囲の貴族たちが口元を隠し、さざ波のような嘲笑をもらす。
 ルチアは、ゆっくりと瞬きをした。眼鏡の奥の瞳は、驚きよりも、どこか冷めた分析者の色を帯びていた。

(……やはり、この時が来てしまいましたか)

 ルチアの心に去来したのは、悲しみというより、実験結果が予想通りだった時のような静かな納得だった。
 ジュリアスは、派手で美しいものを好む。
 対してルチアは、鉱山と工房の油と鉄の匂いを好む。

 水と油。
 あるいは、金と水銀。
 決して馴染むことのないふたりだった。

「理由はわかるな? 貴様のような地味で陰気な女が、将来の国母になれるはずがないのだ! 見ろ、このクロエの愛らしさを。彼女こそが、私の隣にふさわしい宝石だ」

「殿下ぁ、そんな……」

 クロエが媚びた声を出し、ジュリアスの胸に顔を埋める。
 ルチアは丁寧にお辞儀をした。

「……謹んで承ります、殿下。しかし、ひとつだけ確認させていただきたく存じます」

「なんだ? 往生際の悪い」

「私が担当しておりました、王室鉱山の選別管理業務についてです。後任への引き継ぎは……」

「はっ!」

 ジュリアスは鼻で笑い、手を振った。
 まるで羽虫を追い払うかのような仕草だった。

「あの薄暗い倉庫での石選びか? そんなものは誰にでもできる雑用だ。クロエが『私にも手伝えます』と言ってくれたのでな。今後は彼女の感性に任せることにした」

「……感性、でございますか」

 ルチアの背筋に、冷たいものが走った。

 アイゼン公爵家は代々、この国の鉱山管理を担ってきた。
 特にルチアの鑑定眼は特殊だ。
 岩石の表面に浮き出るわずかな酸化被膜の色や結晶構造から、内部に含まれるレアメタルの種類と含有率を見抜くことができる。

 それは感性などという曖昧なものではなく、膨大な知識と経験に裏打ちされた論理の世界だ。

「殿下、あそこから産出される原石は、見た目はただの汚れた石に見えますが、内部には希少な……」

「黙れ! 無駄話は聞きたくない!」

 ジュリアスは懐から、ひとつの石を取り出した。
 それは、ガラス質を含んでキラキラと七色に光る、拳大の石だった。

「見ろ、クロエが見つけてきたこの美しい石を! 貴様はこれを『不純物が多い』と言って廃棄しようとしていたそうだな? 無能にも程がある! これこそが真の宝石だというのに!」

 ルチアは眼鏡の位置を指で直し、その石を凝視した。

 ……あれは、ただの石英だ。
 しかも、ヒビ割れが多く、微細な気泡が無数に入っている。
 建築資材にもならない、正真正銘のガラクタだ。

 逆に、彼らが「汚れている」として廃棄しようとしている黒ずんだ石こそが、様々な道具の触媒に不可欠な希少金属を含んでいるのだが。

(ああ……。これはもう、臨界点を超えてしまっている)

 金属疲労を起こした部材が、ある日突然破断するように。
 ルチアの中で、この国への忠誠心がプツリと音を立てて折れた。

 知識を持たぬ者が権力を握り、専門家の助言を嘲笑う。
 そんな組織に、未来などない。

「……承知いたしました。私の目は、殿下のお役には立てないようでございます」

「ふん、やっと理解したか。貴様のような不純物は、私の視界から消えろ! 王都からの追放を命じる!」

 ルチアは無言で深々と頭を下げた。

 去り際、クロエが勝ち誇ったように舌を出したのが見えたが、もはや何の感情も湧かなかった。
 彼女がこれから積み上げるであろう、きらびやかなゴミの山を想像すると、むしろ哀れみすら覚えた。

 王都を追放されてから、三日が過ぎた。

 ルチアを乗せた粗末な乗り合い馬車は、北へ北へと進んでいた。
 実家の公爵家もまた、王太子の怒りを恐れ、ルチアを勘当同然に切り捨てた。
 職人肌だった父は既にジュリアスの不興を買って更迭されており、今の当主代理である叔父は、保身のことしか頭にない男だった。

 たどり着いたのは、北の最果て。
 ヴォルフラム辺境伯領。
 一年中冷たい風が吹き荒れ、土地は痩せ、魔獣の脅威にさらされる過酷な地だ。

 ルチアをここへ招いたのは、その地の領主であるレオンハルト・ヴォルフラムだった。

「……降りろ。到着だ」

 馬車の扉が乱暴に開けられ、低い声が降ってきた。

 見上げると、そこには巨木のような男が立っていた。
 身長は二メートル近くあるだろうか。
 分厚い胸板、丸太のような腕。

 赤銅色の髪は短く刈り込まれ、左頬には獣の爪痕と思われる古傷が走っている。
 その眼光は鋭く、獲物を狙う猛禽類のようだ。

「……は、はい。お世話になります……」

 ルチアはおそるおそる馬車を降りた。

 歩く凶器と噂されるヴォルフラム辺境伯。
 王都を出る直前、彼からの遣いが接触してきた時は、てっきり処刑場に連れて行かれるのかと思ったものだ。
 しかし、彼は「うちに技術者が足りない。来るなら衣食住は保証する」という簡潔な手紙をよこしただけだった。

 案内された領主の館は、武骨な石造りの要塞のような建物だった。
 華美な装飾は一切ない。
 廊下ですれ違う使用人たちも、どこか緊張した面持ちで仕事をしている。

「座れ。まずは飯だ」

 通された食堂で、レオンハルトはルチアを長テーブルの席に着かせた。

 すぐに、湯気の立つ皿が運ばれてくる。
 王宮で出てくるような、ソースで絵を描いたような繊細な料理ではない。
 それは、土色の煮物だった。

「……これは?」

「根菜の煮込みだ。ゴボウ、人参、里芋……、この領地で採れたものばかりだ」

 レオンハルトは向かいの席にドカッと座り、自らもフォークを手に取った。
 ルチアは少し戸惑いながら、ゴボウを口に運んだ。

 ──その瞬間、口の中に広がったのは、驚くほど豊かで優しい旨味だった。

 土臭さは微塵もない。
 丁寧に下処理され、極上の出汁をたっぷりと吸い込んだ根菜は、噛むほどに滋味深い甘みを滲み出させる。
 繊維の一本一本まで計算され尽くしたような、完璧な火入れ加減。

「……おいしい、です」

 思わず、本音が漏れた。
 ここ数日、まともな食事をしていなかった胃袋に、温かい液体が染み渡っていくようだった。
 強張っていた神経が、熱で溶けるように解れていく。

「王宮の連中は、こんなものは『貧乏人の食い物』だと笑うだろうな」

 レオンハルトが、ぶっきらぼうに言った。
 彼はルチアの反応を、じっと観察している。

「だが、俺はこいつらが好きだ。葉や花は華やかだが、枯れれば終わりだ。しかし根は違う。冬の凍てつく土の中でじっと耐え、命を繋ぐエネルギーを蓄えている」

 彼は人参をひとつ、フォークで突き刺した。
 そして、ルチアの目を真っ直ぐに見た。

「俺は、表面的な華やかさより、噛み締めるほどに甘い根の価値を知っている。……お前も同じだ、ルチア・フォン・アイゼン」

「え……?」

 ルチアはフォークを止めた。
 眼鏡の奥の瞳が揺れる。

「王都の連中は、お前のことを『地味』だの『不純物』だのと呼んでいたそうだが、節穴にも程がある。お前が長年、あの国の腐ったインフラを一人で支えてきたことは知っている。お前は、この根菜と同じだ。土に隠れているが、誰よりも強い」

 レオンハルトの声は低く、威圧的ですらあったが、その言葉の内容は、ルチアが今まで誰からも言われたことのないものだった。

 承認。
 肯定。
 それは、ルチアが心の奥底で、ずっと渇望していたものだった。

「……私は、ただ、金属の性質が好きで、当たり前の管理をしていただけで……」

「その当たり前ができる奴が、世界に何人いる? 少なくとも、今の王宮には一人もいなくなったようだがな」

 レオンハルトは口の端をニヤリと吊り上げた。
 凶悪な笑みに見えるが、不思議と恐怖は感じなかった。

「食え。食って、血肉にしろ。うちは痩せた土地だが、仕事は山ほどある。お前のその知識、俺のために使い潰してもらうぞ」

 使い潰す、という乱暴な言葉が、今のルチアには逆説的に心地よかった。
 必要とされている。
 飾りとしてではなく、機能として。

「……はい。謹んで、働かせていただきます」

 ルチアは少しだけ涙がこぼれそうになるのを堪え、大きく頷いた。
 口の中には、まだ出汁の温かさが残っていた。

 こうして、捨てられた不純物であるルチアと、皆から恐れられるレオンハルトの、奇妙な共同生活が幕を開けた。

 王都の倉庫で、まもなく歴史的な損失が発覚することをルチアは薄々予感していたが、もはやどうでもいいことだった。

 目の前の煮物が、あまりにも美味しかったから……。
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