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第47話:愛の定義
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リリアが戻ってきてから数日。
アルヴィスの体調は、驚異的な回復を見せていた。
リリア成分という名の特効薬(手料理や会話、そしてハグ)を摂取することで、彼の自律神経は正常値を取り戻し、顔色も見違えるほど良くなっていた。
そして今日。
アルヴィスは書斎の机に座り、一枚の羊皮紙に向かって唸っていた。
「……定義できない」
彼は羽ペンを苛立たしげに走らせ、すぐにグシャグシャと塗りつぶした。
床には、書き損じの紙が散乱している。
難解な数式を解く時でさえ、これほど悩み苦しむ彼の姿をリリアは見たことがなかった。
「アルヴィス様? まだお体は本調子ではないのですから、無理はなさらないでください」
リリアが心配して声をかけると、アルヴィスはバッと顔を上げた。
その目は真剣そのものだった。
「リリア。君に伝えなければならないことがある」
「はい、何でしょう?」
「先日、私は君を『必須栄養素』だと表現した。だが、あれだけでは不十分だ。君を単なる機能的な物質として扱っていると誤解されかねない」
彼は咳払いをし、書き上げたばかりの羊皮紙をリリアに差し出した。
「よって、私が君に対して抱いている感情を、より正確かつ論理的に言語化し、定義してみた。読んでみてくれ」
リリアはそれを受け取った。
そこには、びっしりと細かい文字で、箇条書きのリストが並んでいた。
『被験体リリア・アシュベリーに対する感情的反応の考察』
1.視覚的刺激によるドーパミン分泌の増加(君を見ると気分が高揚する)
2.接触時のセロトニン濃度の安定化(触れると安心する)
3.不在時におけるコルチゾール値の異常上昇(いないとストレスで死にそうになる)
4.前頭前野の判断力への干渉(君のことになると冷静な判断ができなくなる)
リリアは読み進めるうちに、少し複雑な気持ちになった。
「あの……、これ、まるでカルテか観察日記ですね」
「む? 事実を羅列したのだが」
アルヴィスは不服そうに腕を組んだ。
「つまり、私の脳と身体は、君という存在に対して極めて特異的かつ不可逆的な反応を示しているということだ。これを総称して、一般的には好意、あるいは執着と呼ぶのだろうが……、私の辞書には適切な語彙が見当たらない」
リリアは苦笑いした。
嬉しい。
一生懸命考えてくれたことは伝わってくる。
でも、どこか寂しかった。
(やっぱり全部、脳の反応やホルモンの話なんだ……)
リリアが求めているのは、もっとシンプルで、非論理的な言葉だった。
「好きだ」とか「愛している」とか。
でも、論理の怪物である彼にそれを求めるのは、魚に空を飛べと言うようなものなのかもしれない。
「……ありがとうございます。私の生体反応が、アルヴィス様のお役に立っていて光栄です」
リリアが少し寂しげに微笑むと、アルヴィスはハッとして立ち上がった。
「待て。その反応は違う」
「え?」
「君の表情筋の動きが、喜びではなく諦めを示している。……私の定義が間違っていたか?」
アルヴィスはリリアに詰め寄った。
「私は君に、役に立つからそばにいてほしいと言いたいのではない。君が役に立たなくても、例えばコーヒーを淹れるのに失敗しようが、掃除をサボろうが、それでも君が必要だと言いたいのだ」
彼は必死に言葉を探した。
「論理的に説明がつかないんだ。なぜ、君が笑うだけで私の胸が熱くなるのか。なぜ、君が泣くと世界が色を失ったように感じるのか。既存の学術用語では、この現象を説明しきれない」
アルヴィスは頭を抱えた。
天才科学者が、たった一つの感情を前にして、子供のように途方に暮れている。
「……リリア。私は君を愛している、と思う。だが、愛という曖昧な言葉で片付けてしまうには、この感情はあまりに巨大で、複雑で、未知数すぎる」
その不器用すぎる告白に、リリアは胸を打たれた。
彼は、愛してると言葉にするのが怖いのではない。
その言葉だけでは足りないほど、自分を想ってくれているからこそ、悩んでいるのだ。
「……アルヴィス様」
リリアは彼の手を取った。
「言葉で説明できなくてもいいんです。だって、愛は論文じゃありませんから」
「だが、証明したい。私が君をどれだけ大切に思っているか、客観的なデータとして君に提示したいんだ。そうでないと、また君が自信をなくして消えてしまうかもしれない」
アルヴィスの目には、切実な不安が宿っていた。
リリアがいなくなる恐怖が、まだ彼の中に深く刻まれているのだ。
「……そうか」
アルヴィスは顔を上げた。
眼鏡の奥の瞳が、科学者の光を取り戻す。
「ならば、実験だ。言葉が不完全なら、物理的なデータで証明するしかない」
「実験、ですか?」
「ああ。私の生体反応をリアルタイムで測定し、君への愛を可視化する。……リリア、協力してくれるか?」
リリアはクスリと笑った。
どこまでも不器用で、面倒くさい人。
でも、それが愛おしい。
「はい、喜んで。被験体兼助手として、最後までお付き合いします」
こうして、二人の最後の実験が始まることになった。
それは、世界で一番論理的で、世界で一番甘い、愛の証明。
アルヴィスの体調は、驚異的な回復を見せていた。
リリア成分という名の特効薬(手料理や会話、そしてハグ)を摂取することで、彼の自律神経は正常値を取り戻し、顔色も見違えるほど良くなっていた。
そして今日。
アルヴィスは書斎の机に座り、一枚の羊皮紙に向かって唸っていた。
「……定義できない」
彼は羽ペンを苛立たしげに走らせ、すぐにグシャグシャと塗りつぶした。
床には、書き損じの紙が散乱している。
難解な数式を解く時でさえ、これほど悩み苦しむ彼の姿をリリアは見たことがなかった。
「アルヴィス様? まだお体は本調子ではないのですから、無理はなさらないでください」
リリアが心配して声をかけると、アルヴィスはバッと顔を上げた。
その目は真剣そのものだった。
「リリア。君に伝えなければならないことがある」
「はい、何でしょう?」
「先日、私は君を『必須栄養素』だと表現した。だが、あれだけでは不十分だ。君を単なる機能的な物質として扱っていると誤解されかねない」
彼は咳払いをし、書き上げたばかりの羊皮紙をリリアに差し出した。
「よって、私が君に対して抱いている感情を、より正確かつ論理的に言語化し、定義してみた。読んでみてくれ」
リリアはそれを受け取った。
そこには、びっしりと細かい文字で、箇条書きのリストが並んでいた。
『被験体リリア・アシュベリーに対する感情的反応の考察』
1.視覚的刺激によるドーパミン分泌の増加(君を見ると気分が高揚する)
2.接触時のセロトニン濃度の安定化(触れると安心する)
3.不在時におけるコルチゾール値の異常上昇(いないとストレスで死にそうになる)
4.前頭前野の判断力への干渉(君のことになると冷静な判断ができなくなる)
リリアは読み進めるうちに、少し複雑な気持ちになった。
「あの……、これ、まるでカルテか観察日記ですね」
「む? 事実を羅列したのだが」
アルヴィスは不服そうに腕を組んだ。
「つまり、私の脳と身体は、君という存在に対して極めて特異的かつ不可逆的な反応を示しているということだ。これを総称して、一般的には好意、あるいは執着と呼ぶのだろうが……、私の辞書には適切な語彙が見当たらない」
リリアは苦笑いした。
嬉しい。
一生懸命考えてくれたことは伝わってくる。
でも、どこか寂しかった。
(やっぱり全部、脳の反応やホルモンの話なんだ……)
リリアが求めているのは、もっとシンプルで、非論理的な言葉だった。
「好きだ」とか「愛している」とか。
でも、論理の怪物である彼にそれを求めるのは、魚に空を飛べと言うようなものなのかもしれない。
「……ありがとうございます。私の生体反応が、アルヴィス様のお役に立っていて光栄です」
リリアが少し寂しげに微笑むと、アルヴィスはハッとして立ち上がった。
「待て。その反応は違う」
「え?」
「君の表情筋の動きが、喜びではなく諦めを示している。……私の定義が間違っていたか?」
アルヴィスはリリアに詰め寄った。
「私は君に、役に立つからそばにいてほしいと言いたいのではない。君が役に立たなくても、例えばコーヒーを淹れるのに失敗しようが、掃除をサボろうが、それでも君が必要だと言いたいのだ」
彼は必死に言葉を探した。
「論理的に説明がつかないんだ。なぜ、君が笑うだけで私の胸が熱くなるのか。なぜ、君が泣くと世界が色を失ったように感じるのか。既存の学術用語では、この現象を説明しきれない」
アルヴィスは頭を抱えた。
天才科学者が、たった一つの感情を前にして、子供のように途方に暮れている。
「……リリア。私は君を愛している、と思う。だが、愛という曖昧な言葉で片付けてしまうには、この感情はあまりに巨大で、複雑で、未知数すぎる」
その不器用すぎる告白に、リリアは胸を打たれた。
彼は、愛してると言葉にするのが怖いのではない。
その言葉だけでは足りないほど、自分を想ってくれているからこそ、悩んでいるのだ。
「……アルヴィス様」
リリアは彼の手を取った。
「言葉で説明できなくてもいいんです。だって、愛は論文じゃありませんから」
「だが、証明したい。私が君をどれだけ大切に思っているか、客観的なデータとして君に提示したいんだ。そうでないと、また君が自信をなくして消えてしまうかもしれない」
アルヴィスの目には、切実な不安が宿っていた。
リリアがいなくなる恐怖が、まだ彼の中に深く刻まれているのだ。
「……そうか」
アルヴィスは顔を上げた。
眼鏡の奥の瞳が、科学者の光を取り戻す。
「ならば、実験だ。言葉が不完全なら、物理的なデータで証明するしかない」
「実験、ですか?」
「ああ。私の生体反応をリアルタイムで測定し、君への愛を可視化する。……リリア、協力してくれるか?」
リリアはクスリと笑った。
どこまでも不器用で、面倒くさい人。
でも、それが愛おしい。
「はい、喜んで。被験体兼助手として、最後までお付き合いします」
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