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しおりを挟むカナリアの母は、美しい金色の髪を持つ歌手だった。
劇場に集まった大衆の前で歌う日々。大金を積まれても酒の相手をすることはない、お高く止まった女だと言う者もいたそうだが、何を言われても身は売らないという信念と強さを持つ女性だったらしい。没落したとはいえ、実家が貴族だったこともあり教養もあったと聞く。
そんな母が何故父と結婚したのか。カナリアは知らない。母の若かりし頃を語る人々も、婚姻の経緯になると誰もが口を閉ざすか言葉を濁す。子供には聞かせられない何かがあったのだろう。
ただ、カナリアという名前を母がつけたのだと知った時、恐らく母は婚姻なんて望んでなかったのだろうと悟った。
金糸雀は美しい鳴き声が特徴的な鳥だ。黄色く、小さく、可愛らしい見た目もあり、多くの人に好まれる。鑑賞のために飼育される、まさに籠の中の鳥。その代表、典型。
それを娘につけた母の胸を占めた感情は何だったのか。問いたくても問えない。
そもそもカナリアは母を肖像画でしか知らない。その声を聞いたことがない。
カナリアは貴族に必要な教養を複数の家庭教師から学んだ。歌うことも教養の一つとしてレッスンがあった。
社交の道具として、様々なサロンに招かれて歌を披露した。正しく金糸雀だと揶揄する声もあったが、幼かったカナリアには意味が分からなかった。
10歳前後から、カナリアは突然父親から人前で歌うことを禁じられた。理由は教えて貰えなかったし、問うつもりもなかった。年々母に似てくるカナリアが歌うのを見た父が先日密かに涙を流していたのを知っている。
時は流れ。カナリアは18歳になった。
社交以外で顔を合わせる機会のなかった父に呼び出された。
「こちらがお前の夫となるシルヴェート様だ」
貴族の女性は親の決めた相手と結婚するのが常識だ。家の、ひいては領民の利益の為。それが貴族として生まれた女の使命だ。
貴族家に生まれたカナリアとて、こんな日が来ることは想定していた。それについて思うことはない。
───相手が予想外だっただけで。
□ □ □ □ □
貴族の子女が通う学園がある。別に義務ではないが、学園生活も子を介した社交の一環だと考える親は子を通わせる。家庭教師を手配する余力のない貴族も子を通わせる。更に財力の乏しい家では学生の従者という形で通わせる。結果として学園には大半の貴族子女が集まるのだ。
学園の授業は最新の国際情勢を知るという意味では有意義だし、将来に向けて人脈を広げるという活用方法もある。その一つに婚約者という枠組みがあり、理想を求めて切磋琢磨する人達はたくさんいた。
その点カナリアは、余計なことをするな、問題を起こすことも巻き込まれることもなく卒業証書を手にしろ、とのみ言われている。
もし、婚約者として有益な男を捕まえて来いと言われていたら白旗を揚げて家出をしたかもしれない。その一方、自分の父親がどういう考えからカナリアを学園に通わせることにしたのか、今ひとつ分からなかった。尋ねようにも、告げるだけ告げた父は用が済んだと退室していく。同じ屋敷で生活しているはずなのに食卓を囲むわけでもない親子なので空気は他人だ。こんなものだろうとカナリアは思っている。
学園では、目立たないよう、息を殺して。そんな風に過ごすカナリアとは対極の場所にシルヴェートは存在していた。
まず、シルヴェートはハンニュイ家という名門貴族のご子息だ。しかも長男。カナリアとは格が違う。
そんな彼には婚約者がいた。こちらもハンニュイ家に釣り合うレベルの名門貴族を背負ったご令嬢、バーバラ嬢である。並べば美男美女。婚約者として長年培ってきた信頼関係もあり、何も言わなくても察し合える阿吽の呼吸がまた美しいカップル。美しすぎて熟年夫婦のようだとは形容できなかった。
「ねぇ、聞いた?シルヴェート様の噂!」
根拠のない噂を喧伝するのは品がない。そのように窘めるのが正しいだろう、相手が本当に大切な友人なら。残念ながらそこまで思い入れのある友もいないので喜んで耳を傾けた。揉め事を避け、平穏に過ごす為にも情報収集は欠かせない。これもまた貴族の嗜みだ。注意点があるとすれば裏取りが必要なことくらい。それもまた貴族に必要な技量だ。学生のうちなら失敗しても挽回出来るのだからと積極的に噂の真偽を探ることにしている。
ちなみに何故彼女の話に根拠がないかと言えば、婚約者でもないのに“シルヴェート様”とファーストネームで呼んだからである。婚約者でもない異性をファーストネームで呼ぶ時、それは相手を偶像化している時が大半である。単なる話題に過ぎない。
「彼ね、最近編入してきた子にご執心なんですって」
ご令嬢ではなく、子。相手は平民だと暗に言いたいらしい。絵に描いたように美しい婚約者がいるのに、平民に興味をそそられるというのか。あるいは不動の婚約者がいるからこそ、遊びたくなるのか。男心は理解しがたい。
興味関心を押し隠して生半可な返事をし、一応編入生を調べてみた。編入の大半は他国からの留学生とその侍従であり、平民は珍しい。よほど成績が良くないと平民の編入は認められない。なにせ授業内容の多くが『貴族の生き方』に傾いているような学園である。平民として生きていく上では不要な概念であり、そんなものに時間を費やすほど人生は長くない。案の定、平民の編入生は見つからなかった。だが、平民として生きてきたのに、貴族に引き取られ、貴族として生きる必要性に迫られた令嬢ならいた。
初めて彼女を見た時、カナリアは大変驚いた。噂の彼女は快活な少女だった。大きな口を開け、声を上げて笑う。貴族社会では眉を顰められる笑い方だ。淑女には程遠い。良く言えば天真爛漫。率直に言えば我が強く周囲に馴染む努力をしない場違いな人。悪く言えば下品。
彼女はアリス。母親が亡くなり、父親の男爵に引き取られたそうだ。父親には正妻と後継者となる男児がいる為、アリスは厄介払いの為に学園へ追いやられた───と本人は考えているらしい。少し話しかけたらべらべらと話してくれた。どうも話し相手に飢えているようだ。
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