7 / 66
第一章
7 動揺
しおりを挟む
(もう、何よそれ……)
掴んだ袖を力なく離すと、小蘭はがっくりと肩を落とした。
「ん、どうした? 休まないのか。敷藁の寝台がお嫌なら、俺の上でも構わないが……痛ッ」
勢いよく彼の頭を叩いた小蘭だったが、次の瞬間には膝を抱えてしまった。
「ううん、それは平気。うちは遊牧の民だもの、馬と一緒に育ったようなもんだから」
「へえ、逞しいんだな。にしては、急に元気が無くなったような――」
「……」
もう、相手が間男だろうが皇太子だろうが知ったことじゃない。これだけ酷い目に遭わされたんだから、愚痴のひとつでも言わせて欲しい。
小蘭の口から、次々と泣き言が溢れ出た。
「だって、今日はもう散々よ……。皇帝の夜伽から始まって、雲流に気味の悪いことをされて」
一息つくと、じろりと蒼龍を見下ろす。
「その上、よく分かんない初対面の男にファーストキスを奪われて、挙げ句『牛裂き』だなんて。そんなのってない、酷すぎるわ」
「あはは、そりゃまあ、ずいぶんと忙しい一日だったなぁ」
「おまけに! その初対面の男は全く頼りにならないときてる」
ヘラヘラと誤魔化し笑いを続ける蒼龍。頼りにならなさそうな様子に、小蘭の気持ちはますます急いた。
(もうダメだわ。ここにいたら、きっと私は――)
言葉にならない不安が胸の奥で膨らみ、じっとしていられない。
「もう私、今から後宮を脱走するわ! 城下町に紛れ込んで町民として暮らすの。よーし、こうしちゃあいられない」
「……は?」
蒼龍が、チラッと片目を開く。
小蘭は勢いよく立ち上がると、着衣の裾をまくりあげた。
「ねえあんた、これだけ私に迷惑かけたんだからさ、この上着は餞別に頂戴よ。このままじゃさすがに寒いし……、売ればいくらかにはなるわ」
「お、おいっ」
慌てて半身を起こした蒼龍に、小蘭はひらひらと手を振った。
「じゃあね、もう二度と会うこともないだろうけど、蒼龍も頑張って。あんまり女の子のお尻ばっかり追いかけてんじゃないわよ」
「――待てよっ」
背を向けかけた小蘭の手を、蒼龍はぐっと掴んだ。
「な、何よ。離しなさいよ。善は急げって言うでしょ?!」
「急いては事を仕損じるとも言うぞ。……ちょっと落ち着け」
急に真顔になった蒼龍に、小蘭はパニック気味に返した。
「離してよっ、早くしないと見つかっちゃう。祖国には、『自分の身は自分で守れ』という、ありがた~い教えがあるの。早く手を離してよ!」
「自分で守るにも、限度ってもんがあるだろう。いいからいったんここ座れよ」
「イヤよ、私に命令しないで! いーい? こっちは命がかかってんの。そもそもあんたが頼りにならないから……!」
「あー、もう! いいからこっち来いっ」
瞬間、蒼龍は小蘭を引き寄せ、干し草の上に押し倒した。
「きゃあっ」
「静かにしろ。今は――」
声が低く、切迫しているのが分かる。
「困ったやつだな。いいか、今一人で逃げても、君はまず、城の警備を抜けられない。万一うまく抜けられたとして」
彼はギリッと歯軋りをした。
「城下をうろつく賊どもに、散々乱暴されるだろうよ。下手すりゃ命まで奪われる」
「……こんなに大きくて、華やかな都で?」
涙目で尋ねた小蘭に、蒼龍は声を和らげた。
「ああ、ここは君の育った国とは違う。平和は武力で護られている。物騒だから、高い塀で囲うんだ」
まるで童子に言い含めるような柔らかな声に、小蘭はやっと落ち着きを取り戻した。
「悪い、怖がらせたな」
「……うん」
蒼龍は、腕の拘束を緩めると、ふわりと小蘭の金髪を撫でた。
窓から覗いた月が、自信に満ちた笑顔を照らした。
「まあ、俺に任せとけって。絶対に何とかして見せる。……使える手はいくつかあるんだ。――表も裏もな」
「それは……どういう」
「今はちょっと、な。……まあ、君には悪いことしたと思ってるし。ましてやそれが好きになった娘の命なら――」
尻すぼみに消えた最後の声は小蘭には届かなかったが、濡れた頬を拭った彼の手がとても暖かだったから。
「うん……わかった」
胸の奥の不安は消えないものの、東の護り神の名を持つ彼に、しばらく身を預けてもいい、と思えて――小蘭は、いつの間にか小さく微笑んでいた。
掴んだ袖を力なく離すと、小蘭はがっくりと肩を落とした。
「ん、どうした? 休まないのか。敷藁の寝台がお嫌なら、俺の上でも構わないが……痛ッ」
勢いよく彼の頭を叩いた小蘭だったが、次の瞬間には膝を抱えてしまった。
「ううん、それは平気。うちは遊牧の民だもの、馬と一緒に育ったようなもんだから」
「へえ、逞しいんだな。にしては、急に元気が無くなったような――」
「……」
もう、相手が間男だろうが皇太子だろうが知ったことじゃない。これだけ酷い目に遭わされたんだから、愚痴のひとつでも言わせて欲しい。
小蘭の口から、次々と泣き言が溢れ出た。
「だって、今日はもう散々よ……。皇帝の夜伽から始まって、雲流に気味の悪いことをされて」
一息つくと、じろりと蒼龍を見下ろす。
「その上、よく分かんない初対面の男にファーストキスを奪われて、挙げ句『牛裂き』だなんて。そんなのってない、酷すぎるわ」
「あはは、そりゃまあ、ずいぶんと忙しい一日だったなぁ」
「おまけに! その初対面の男は全く頼りにならないときてる」
ヘラヘラと誤魔化し笑いを続ける蒼龍。頼りにならなさそうな様子に、小蘭の気持ちはますます急いた。
(もうダメだわ。ここにいたら、きっと私は――)
言葉にならない不安が胸の奥で膨らみ、じっとしていられない。
「もう私、今から後宮を脱走するわ! 城下町に紛れ込んで町民として暮らすの。よーし、こうしちゃあいられない」
「……は?」
蒼龍が、チラッと片目を開く。
小蘭は勢いよく立ち上がると、着衣の裾をまくりあげた。
「ねえあんた、これだけ私に迷惑かけたんだからさ、この上着は餞別に頂戴よ。このままじゃさすがに寒いし……、売ればいくらかにはなるわ」
「お、おいっ」
慌てて半身を起こした蒼龍に、小蘭はひらひらと手を振った。
「じゃあね、もう二度と会うこともないだろうけど、蒼龍も頑張って。あんまり女の子のお尻ばっかり追いかけてんじゃないわよ」
「――待てよっ」
背を向けかけた小蘭の手を、蒼龍はぐっと掴んだ。
「な、何よ。離しなさいよ。善は急げって言うでしょ?!」
「急いては事を仕損じるとも言うぞ。……ちょっと落ち着け」
急に真顔になった蒼龍に、小蘭はパニック気味に返した。
「離してよっ、早くしないと見つかっちゃう。祖国には、『自分の身は自分で守れ』という、ありがた~い教えがあるの。早く手を離してよ!」
「自分で守るにも、限度ってもんがあるだろう。いいからいったんここ座れよ」
「イヤよ、私に命令しないで! いーい? こっちは命がかかってんの。そもそもあんたが頼りにならないから……!」
「あー、もう! いいからこっち来いっ」
瞬間、蒼龍は小蘭を引き寄せ、干し草の上に押し倒した。
「きゃあっ」
「静かにしろ。今は――」
声が低く、切迫しているのが分かる。
「困ったやつだな。いいか、今一人で逃げても、君はまず、城の警備を抜けられない。万一うまく抜けられたとして」
彼はギリッと歯軋りをした。
「城下をうろつく賊どもに、散々乱暴されるだろうよ。下手すりゃ命まで奪われる」
「……こんなに大きくて、華やかな都で?」
涙目で尋ねた小蘭に、蒼龍は声を和らげた。
「ああ、ここは君の育った国とは違う。平和は武力で護られている。物騒だから、高い塀で囲うんだ」
まるで童子に言い含めるような柔らかな声に、小蘭はやっと落ち着きを取り戻した。
「悪い、怖がらせたな」
「……うん」
蒼龍は、腕の拘束を緩めると、ふわりと小蘭の金髪を撫でた。
窓から覗いた月が、自信に満ちた笑顔を照らした。
「まあ、俺に任せとけって。絶対に何とかして見せる。……使える手はいくつかあるんだ。――表も裏もな」
「それは……どういう」
「今はちょっと、な。……まあ、君には悪いことしたと思ってるし。ましてやそれが好きになった娘の命なら――」
尻すぼみに消えた最後の声は小蘭には届かなかったが、濡れた頬を拭った彼の手がとても暖かだったから。
「うん……わかった」
胸の奥の不安は消えないものの、東の護り神の名を持つ彼に、しばらく身を預けてもいい、と思えて――小蘭は、いつの間にか小さく微笑んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
大正浪漫? 夫婦契約致しました ~暗闇の中、契約夫と密やかにはぐくむ愛~
佳乃こはる
キャラ文芸
老舗製糸屋・両口屋家のひとり娘、陽毬(17)は、父の事業失敗の責任を負う形で、成金の物産商・権藤家へ嫁いだ。
それは恋ではなく、家を救うための契約の婚姻。
しかも、夫となる権藤宿禰(26)は病のため人前に出られず、屋敷の地下で暗闇に閉ざされて暮らしているという。
不安と恐れを胸に、初めて対面した夜。
陽毬が出会ったのは、噂とはまるで違う、知的で誰より暖かい心を持つ夫だった。
契約から始まった夫婦は、言葉を交わし、寄り添い、少しずつ心を育んでいく。
これは、温かな闇の中で選び合う、切なくも、けなげな愛の物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。
沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。
すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。
だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。
イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。
変わり果てた現実を前に、
夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。
深い後悔と悲しみに苛まれながら、
失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。
しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。
贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。
そして、母の心を知っていく子供たち。
イネスが求める愛とは、
そして、幸せとは――。
皇帝は虐げられた身代わり妃の瞳に溺れる
えくれあ
恋愛
丞相の娘として生まれながら、蔡 重華は生まれ持った髪の色によりそれを認められず使用人のような扱いを受けて育った。
一方、母違いの妹である蔡 鈴麗は父親の愛情を一身に受け、何不自由なく育った。そんな鈴麗は、破格の待遇での皇帝への輿入れが決まる。
しかし、わがまま放題で育った鈴麗は輿入れ当日、後先を考えることなく逃げ出してしまった。困った父は、こんな時だけ重華を娘扱いし、鈴麗が見つかるまで身代わりを務めるように命じる。
皇帝である李 晧月は、後宮の妃嬪たちに全く興味を示さないことで有名だ。きっと重華にも興味は示さず、身代わりだと気づかれることなくやり過ごせると思っていたのだが……
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
冷たい王妃の生活
柴田はつみ
恋愛
大国セイラン王国と公爵領ファルネーゼ家の同盟のため、21歳の令嬢リディアは冷徹と噂される若き国王アレクシスと政略結婚する。
三年間、王妃として宮廷に仕えるも、愛されている実感は一度もなかった。
王の傍らには、いつも美貌の女魔導師ミレーネの姿があり、宮廷中では「王の愛妾」と囁かれていた。
孤独と誤解に耐え切れなくなったリディアは、ついに離縁を願い出る。
「わかった」――王は一言だけ告げ、三年の婚姻生活はあっけなく幕を閉じた。
自由の身となったリディアは、旅先で騎士や魔導師と交流し、少しずつ自分の世界を広げていくが、心の奥底で忘れられないのは初恋の相手であるアレクシス。
やがて王都で再会した二人は、宮廷の陰謀と誤解に再び翻弄される。
嫉妬、すれ違い、噂――三年越しの愛は果たして誓いとなるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる