後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第一章 

14 李園の再会

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 それから四日が過ぎていた。
 春明から蒼龍と黎貴妃の悲恋を聞いた後、一日中泣いていたのが嘘みたいに、小蘭は元気に跳ね回り、春明を困らせていた。
 そして今も――。

孩子ハイツや、孩子。東の薬庫まで行って生薬を持ってきておくれ」
「あ~い」
 小蘭は軽やかに縁側から飛び、続く庭へと降り立った。

「こら、履き物をきちんと履きなさい」
「はーい、ごめんなさーい」

 窘められた小蘭は、縁側の下に置いてある履き物を引っかけて、躑躅つつじの垣根を軽々飛び越え、少し離れた場所にある薬草庫へと向かう。

 蒼龍が出ていった次の日。
小蘭あなたが長い間じっとしてるとは思えませんから」
 春明は、小蘭を男の子の姿に変装させた。

 金色の髪は染料で黒く落とされ、堅い麻の上衣にズボンを穿かされていた。
 設定は、春明が預かる宦官見習いの童子――名は孩子ハイツ、ただの〝こども〟だ。
 
「よくお似合いですよ、クッ」
 出来上がりの小蘭を見た時、春明は可笑しそうに笑った。子どもっぽいと言われているようで、小蘭はムッとしたが、正直に言うと自分でもなかなか似合うと思っている。

 先生の見立ては中々のもので、目立つ金の髪の色を変えると、誰も小蘭だと気がつかない。
 普段は男子禁制の後宮ここにも、騒ぎの後しばらくは兵士がうろついていたが、兵士とすれ違っても見咎められることはなかった。
 
 それは、滅多に見かけない男の姿に浮き足立っている妃たちも然り。ピンク色のオーラに包まれた彼女らは、いつも抗議で顔を合わせている小蘭が春明の後ろにくっ付いていても、全く気付いていないようだ。

 ただ、婆やの存在については例外で、小蘭の心に常に引っ掛かっていた。彼女に限っては、今回の事で肩身の狭い思いをしているだろう。
 もしかすると自分の代わりに、責めを受けているかもしれない。

 一見、小太りで人の良さそうなお婆さんに見える彼女だが、何を隠そう国では第一級の女戦士。見た目に反して、その力は尋常ではない。
 だが、体力フィジカルはともかく精神メンタルの方はどうだろう。何はともあれ、小蘭の事を心配していることだろう。
 
 あれこれと考えるうちに小蘭は、広い石庭を抜け、目印の朱の屋根の四阿あずまやを左に見、東の薬庫にたどり着いた。
 幸いにも、生薬はすぐに見つかったので、小蘭は、探検とばかりに道草を食うことにした。
 
 途中、庭園の秋の風情を眺めていると、あるものが目についた。

「あれは」

 間違いない。
 大きな庭池の向こうの一角に黄色く色づいた小さな林は、春明先生が言っていた李園。かつての蒼龍と藜妃様が愛を育んだという場所――。
 春明の前では笑っていたが、胸の奥では、あの日の言葉がまだ痛みとして残っている。
 小蘭は、吸い寄せられるように中へと入っていった。

 剪定され、見事に整えられた美しい林内は不思議な霊気に満ちていた。
 
 黄色く色づいた葉が陽光に透け、金色の輝きを放っていた。きっと春には桃の花が咲き乱れ、辺り一面、淡桃色が広がっているのだろう。
 
 風が頬を撫でるたび、遠い誰かの囁きのように木々が鳴った。こんな場所で蒼龍は、藜妃様と愛を交わしていたんだな。出会った夜の感触や息遣いが、ふと脳内に再現された。
 
『愛しています、可愛らしい貴女を』
『俺の』
『俺の……藜妃。俺の、俺の……小蘭』
(……え?)
 胸の鼓動が一拍、跳ねた。
 
(ちょ、待って。私ったら何を考えているの!)
 突然に沸いた妄想を振り払うように頭を振ると、小蘭は、無理矢理頭を切り替えた。

 そういえば蒼龍は、あれ以来ずっと姿を見せていなかった。春明先生は『少しの間しか匿えない』と言っていたのに。
 まさか、『何とかする』とか言っておきながら、逃げ出したんじゃないかしら。
 ひょっとして、自分だけが皇帝に許してもらっていて、すっかり元の生活に戻っているんじゃ……。

 次の瞬間、甘い幻想は鋭い現実に断ち切られる。

 ――牛裂きの刑、バラバラ死体。
 ふと脳裏に浮かんだグロテスクな自分の未来像に、小蘭はぶるっと身を震わせた。
 
「あ~、もうバカバカッ、エロでバカの……薄情皇子っ!」
 やるせない気持ちを吹き飛ばすように、辺りに向かってわめき散らす。

『……ごめんな~? 俺ってば、皇帝の一人息子だからさ』
 小蘭は、目の前に湧いたニヤけ顔の蒼龍の幻に、思いきり蹴りを食らわせた。
 
 とばっちりで被害に遭った桃の木が、樹幹を揺らして葉を振るい落としたその時、背後に妙な気配を感じた。

 刹那。
 
「小僧、そこで何をしているっ!」
「うわっ」
 突如聞こえた低い声の怒声とともに、小蘭の身体が宙に浮いた。確かめることはできないが、片腕のみで小蘭の首根っこをつかみ、釣り上げているのだからかなりの大男だ。

「ここは皇帝陛下の李園だ。無断で侵入したならば、十打擲じゅっちょうちゃくの刑が加えられるのだぞ」

 じ、十打擲!?
 小蘭の心臓がドキンと跳ねた。
 打擲刑とは、馬鞍のような刑台に、四つ這いに身体を縛り付けられ、棘のついた金の棒で臀部おしりを打たれる刑のこと。屈強な刑吏がそれをやるから、婆やにお尻を十回打たれるのとは、わけが違う。
 あんなもの、十も受けたら死んでしまう。

 小蘭は、必死になって叫んだ。
「ゆ、許しておくれ、道に迷っちゃったんだよぉ。オイラ、春明先生のお使いで、薬を届けようとしてたんだよっ」
「なんだと貴様、この期に及んで嘘をつくな! 図々しくも、春明殿の名を騙るとは……、なんてね」

 男は急に語調を変えると、持ち上げた襟首を起点にして、小蘭をくるりと自分に向けた。

「誰が――エロでアホで薄情者だって?」
「……蒼龍!」

「よっ……叩かれる前で助かったな」
 
 蒼龍は、彼女の変わり果てた姿を見つめ、可笑しそうに笑っている。

 小蘭は目をしばたたかせ、これが夢でないことをもう一度確認した。
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