後宮恋歌 ―皇帝になる男と、ただ一人の妃―

佳乃こはる

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第二章 華燭

33 いさかい

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(そうだわ)
 再び想い出から戻って来た小蘭は、ため息をついた。

 初めはそれでよかったはずなのに、いつの間にか、そのままであることが怖くなっていた。

 思えばあの時、自分が怖がる態度をとったせいだ。あれ以来蒼龍は、前みたいな際どい態度をとらなくなった。
 きっと私があんまり子どもっぽい事を言ったから、蒼龍は冷めちゃったんだ。

 昨夜だって蒼龍はいつものように夜食を食べ、他愛のない話をし、同じ布団で眠っただけ。

(そりゃあ、黎妃様みたいにお淑やかじゃないし、ほんのちょっとだし。やっぱり私は、そういう“女の魅力”が足りないんだろうか)
 
 もう胸だって、随分と大きくなったのに⋯⋯なーんて。

 そんな取りとめない考えばかり巡らせているうちに、老先生の声がだんだん遠のいていった――。

 *
 
「小蘭、小蘭」
「……え?」
「終わったわよ、房中術。ホラ、さっさと起きなさい」
「ああ、ありがとう」

 気がつけば小蘭は、すっかり眠りこけていたようだった。碧衣と尚真が、地べたに座り込んで柳の幹に寄りかかった小蘭を呆れ顔で見下ろしている。

「さて、次は楽器の授業よ。はやく行きましょ、みんなもう行っちゃったんだから」
「ああ……、私、楽器好きじゃないなあ」
 きびきびと告げた碧衣に引っ張り起こされ、小蘭はのっそりと立ち上がる。

「全く、大したタマねえあんたも。あれだけ叱られておきながら気持ちよく居眠りだなんて。……まだ皇子様のことでも考えてたわけ?」
「ち、違うってば! もう、二人とも、本当に止めてよ」

 ――そんなふうにからかわれたら、余計に惨めになるじゃないの。

 そんな小蘭の心の内を知るはずもなく、蝶のようにひらひらと、裾をたなびかせて逃げる尚真と碧衣。
 
 幼い尚真が調子に乗って、前を歩いていた三人の妃の先へ行こうと、追い越しをかけようとした、その時。
 尚真の足元に、何かがスッと横切った。

「あっ!」
 後ろを振り返りつつ、笑いながら逃げていた尚真がバランスを崩し、思い切りよく真っ正面から倒れていった。
「尚真!」
「大丈夫!?」
「い、いたいよぉ。わああんっ」
 駆け寄った二人に助け起こされた尚真は、頬に擦り傷を負って泣いている。
 
 小蘭が横について裾の泥を払ってやっていると、碧衣がすっと立ち上がった。
 一触即発の予感。

 そうして、
「ちょっと、待ちなさいよ」
 知らん顔で前を行く三人にツカツカ歩み寄ると、右端の女の肩を強く掴んだ。
「あんたさ、今わざと足を出したよね?」

 女はピタリと歩みを止めた。振り返りざまに、乱暴に碧衣の手を振り払う。
「あら嫌だ、人間以下の蛮族が、私の肩に触れたわ」

 その言葉に、碧衣の表情が凍りつく。
 
 ずんぐりした身にジャラジャラと装飾品を身につけた姿は、過剰に着飾った置物のようだ。彼女は、頬を羽毛の扇でさっと隠すと、細く描いた眉をひそめた。

  後宮の授業には、若い妃だけでなく、花嫁修行と称して外部から上級貴族の娘たちがやってくる。皇族の妃とは違って、未婚の彼女らは外から出入りができる特権階級だ。
 自尊心が高く、人質のように辺境いなかから来た娘たちを毛嫌いしている。

「バーカ。つまらないこと言ってんじゃないわよ。私はね、今あんたがわざと足を引っ掛けたんじゃないかって言ってんの。 見なよ、怪我して泣いてんじゃない。せめて一言くらい謝ったらどう?」

 女は、まだ泣いている尚真と一緒に座ってなだめている小蘭を交互に見て、口の端に冷笑を浮かべた。
「あら、ごめんあそばせ。私、下等動物と会話する術は持ち合わせていないのよ」
「は?」
 そいつは急に媚びた表情をつくると、真ん中の女に声をかけた。

「それよりも。動物の分際で、私達に下品な口を聞くだなんて。こんな不届き者には、罰を与えないと。ねえ、凛麗リンリィ様」
「……」
 凛麗、と呼ばれた真ん中の女は扇で顔を隠したまま、後ろを振り返ろうともしない。
 ただ、ひときわ美しい衣装をまとった背の高い後ろ姿は、それだけで尚真の泣き声を小さくさせるほどの威風があった。
 
 黙したままの彼女のかわりに、左端の女がギッと目を剥き、顔を碧衣に寄せてきた。
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