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第2章 冒険者に必要なもの
決意の夜
しおりを挟む――今夜、僕は決行する。
僕は1人、窓の前に立って意気込んでいた。
窓の外では、嵐の風が枝を叩き、雨粒が怒涛のようにガラスへ打ち付け、激しく流れ落ちていた。稲光が一瞬、部屋を白く照らし出し、次の瞬間には腹の底まで響く雷鳴が轟く。
対して屋敷の中はしんと静まり返り、まるでこの嵐さえ存在しないかのように静寂に包まれていた。
みんなが寝静まったその中で、ただ胸の奥だけがざわざわと波立ち、落ち着きを失っていた。
ずっと、あの時の声が耳から離れないんだ。
「分不相応」「消えちゃえ」――。
笑ってやり過ごしたつもりだったけれど、気にしていないつもりでいたけれど、心の奥ではずっと刺さったままだった。
それに、僕には夢がある。冒険者になりたい。
ただリュカ様の婚約者として守られているだけじゃなく、自分の足で、自分の道を歩きたい。だから、あの時言われた言葉通りに「消えて」しまうことにした。
これはただのきっかけ。僕の最高の舞台の幕開けの後押ししただけ。他には何も無い。
もう一度荷物を確認する。
霞影のマント、目の色を変える指輪、認識阻害のブレスレット、平民用の質素な服とブーツ、数日分の携帯用ご飯、傷薬、いざという時に換金できる小さな金品。……あとはなるべく使いたくはないけれどポーション。髪も目の色も魔道具で変えたし、うん、大丈夫。何日も前から準備を重ねてきたんだ。完璧。
窓を開ける。
暴風に煽られた雨が一気に吹き込み、頬に冷たい雫が容赦なく打ちつける。「ぁー……」と思わず声が漏れるが、もう迷っている暇なんかない。
窓枠に足をかけ、勢いよく外へ飛び出す。
「っ、ぅっ!」
二階からの着地は想像以上に厳しかった。地面はぬかるみ、泥に足を取られ、思いっきり転げる。痛い。当たり前だ、二階から落ちたようなものなのだから。けれど、こんな痛み……きっと冒険者になれば嫌というほど経験する。もっと痛いことも沢山あるかもしれない。泣き言は言わない。だって、この道を選んだのは僕自身なんだから。
むしろ声を我慢した僕はすごいんだ!
立ち上がり、頭の中で、ここ数日間で叩き込んだ王都の地図を広げる。目指すは王都より北西にある冒険者の集まる街、ノルデン。しかし、門を通らず王都を出るにはスラム街を抜けなければならない。そこにはいくつか外に出られる抜け道があると古い書物で読んだ。けれど、それが今も残っているかどうかは分からない。
でも、スラム街の壁は修復されてはいないはず。"安心、安全で平和な王都"だから魔物被害も極端に少ない。……それは王宮の魔術師がそれくらい優秀だから。壁を直さなくても"安全"だから、スラム街の壁はずっと修復されてこなったらしい。
地図で見たスラム街に向けて駆けていく。強風の中、雨と土でドロドロになった地面は歩くことさえ困難だ。けれど、ゆっくりしてたら抜け出したことがバレるかも。僕はもう戻るつもりは無い。泥に足を取られないように慎重に、けれども必死に駆けた。
しばらくするとスラム街に差しかかる。初めて目にする光景に、思わず足が止まった。嵐なのに吹き飛びそうな屋根の下で、擦り切れた布に身を包んだ人々が肩を寄せ合い、震えている。雨に濡れた藁の匂いが鼻をつき、泥の上に座り込む子供と目が合った。僕と同じくらいの年に見えるのに、その瞳はひどく濁っているように見えた。
「……」
祖父が治める領地にも、こういう人たちはいるのだろうか。僕も小さい頃は領地に居たみたいだが、記憶にはない。けれど居ないといいな。そんなことを一瞬だけ思いながらも、足を止めるわけにはいかない。
ようやく壁に到着する。しかし、知っていた抜け穴はすべてが崩れて塞がっていた。長い間手入れのされていない壁。時と共に更に崩れたのだろう。焦りかけたが、目を凝らせば新しく崩れた場所や、大人なら通れない隙間がいくつか見える。
「……行くしかない」
マントを破かぬよう気をつけながら、崩れた壁に手をかける。泥で滑る指先、爪の中に食い込む土。風に身体を持っていかれ、何度も落ちそうになる。腕に焼けるような痛みを覚えながらも、必死に爪を立て、壁を這い登った。
「よっ……と!」
最後の力で壁を越えると、胸の中で叫びたいほどの高揚感が込み上げてきた。息は荒く、全身泥だらけ。それでも僕は笑っていた。
背が低い、だからなんだ。だって僕は、悪口を言ってたあの子たちよりできることは多い。だってこれから冒険者になるんだから。
壁を越えた先には、思ったより近くに森が広がっていた。こんなに近いのに、壁も崩れかけているのに魔物の被害に遭わないなんて、やっぱり王宮の魔術師はとても優秀なんだ。
「えぇと……ここからは」
今度は国内地図を頭に広げる。目指す街はノルデン。遺跡の発見によって大きくなった街。
僕の最初の1歩に最適じゃない?
顔を上げると、目の前には嵐に吹き荒れる森の入口が広がっていた。
木々は大きくうねり、時折枝が折れては風にさらわれていく。斜めに打ちつける雨が視界を曇らせ、地面は泥でぬかるんでいた。
それはまるで、これから僕が歩む道を示しているかのように思え、ごくり、と思わず息を呑む。
けれど――もう、引き返すことはできない。
深く息を吸い、拳を握りしめる。
泥に沈む足を前へ出すと、雨が容赦なく叩きつけ、全身を震わせる。
それでも僕は、進む。
これはただの一歩じゃない。
僕自身の未来へと続く、冒険の始まりなんだ。
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