電車の男ー社会人編ー番外編

月世

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ファミレスの男たち

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 私は小説を書いている。
 作家を目指しているわけじゃない。
 物語を書くのが好きとか、キャラクターの内面を描きたいとかでもない。高尚な理由など何もない。プロットや設定なども一切ない。ただ、思いついたシーンや好きなシチュエーションを書くだけ。誰かに読んでもらいたいという欲もない。誰にも見せることのない文字を、ひたすら打っているだけだ。
 きっかけは幼い頃。バーガーショップでノートパソコンに向かい、カチャカチャしながらコーヒーを飲むスーツの男を見て、カッコイイなと思った。自分も大人になったらやってみたい。
 薄っぺらな憧れの延長が、今では欠かせない習慣になった。
 週に二回か三回、仕事終わりにファミレスでパソコンに向かう。
 平日の夜十時以降が好ましい。
 疲れ切った仕事人たちや、何かわけありそうな男女、参考書とノートを広げて勉強をする若者。様々な客層が訪れるが、彼らはあまり他人に関心を持たない。
 女が一人、テーブルでこそこそキーボードを弾いていても、誰も特に興味を示さない。ファミレスでパソコンを打ちたいだけの私を、上手に放っておいてくれるのだ。
 今日は金曜日。一週間の終わりのご褒美に、食後のパフェを頼んだ。一口食べるごとに、文字を打つ。
 非番のFBI捜査官がたまたま銀行強盗に出くわした場面を書いている。
 銃を振りかざし、床に伏せろと怒鳴る銀行強盗。人々が悲鳴を上げ、パニックを起こす中、一人やけに落ち着いた男がいる。涙を流し、「主よ、お助けください」と震える老女に、大丈夫と言い聞かせているところまで書いて、目を上げた。
 向かいのテーブルに男が座った。童顔のスーツの男だ。
 見るからに公務員っぽい。市民課の窓口対応をしてそうだ。住民の苦情や理不尽な罵倒を浴びても、爽やかな笑顔で懐柔してしまう。そんな感じがする。
 刑事でもいい。殺人事件の現場を見たあと、血なまぐさいレアステーキを平らげる図太い神経の持ち主だったら面白い。ギャップがいい。
 男は丁寧に、じっくりとメニューを見ている。まるで初めてファミレスに来たかのように、一品一品吟味している。
 誰か、連れが来るらしい。窓の外を気にしている。
 さて、どんな人が現れるのか。
 男か女か。
 十中八九、女。
 メニューを持つ左手の薬指に、指輪がある。既婚だ。待ち合わせの相手は不倫中の女か。
 この人に限って、という真面目な人物が不倫をしていたりするのだが、この男は見るからに誠実そうだ。待ち合わせの相手は彼の妻かもしれない。彼の顔は穏やかで、少し微笑んでいる。
 パソコンの画面を見ているふりで、男の観察を続けた。
 若くていい男だ。二十歳前後に見えるが、童顔なだけでもう少し上かもしれない。スーツは体になじんでいる。落ち着いた雰囲気で、鍛えていそうな体つきだ。学生時代は運動部だったに違いない。
 パソコンの画面を素通りし、彼を見続けていると、突然顔が輝いた。嬉しそうに窓の外を見ている。視線を追った。車のヘッドライトが見える。どうやら連れが到着したらしい。
 重く低い排気音が聞こえる。車が停まり、エンジンが切れ、ヘッドライトが消える。
 予想を覆され、戸惑った。黒いスポーツカーから降りてきたのは、男だった。遠目での第一印象は、シルエットが細く、歩く姿が美しい、だった。
 入店した彼が、店員と言葉を交わしている。目の前の男が無言で大きく手を振った。子どもみたいだ、と笑いそうになった。手を振る男に気づいた彼が破顔して、店員に頭を下げてからこっちに歩いてくる。
「おつかれ」
「おつかれさまです」
 私は若干前のめりになって、登場した男を凝視した。心臓に悪いくらい、男前だ。歩く姿も美しかったが、立ち姿がとにかく美しい。髪も、肌も、美しい。
 高級そうなダークグレイのスーツに、ワイシャツの第一ボタンを外したノーネクタイの着こなしは、不思議とだらしなさを感じない。なんというセクシーさ。
「決めた?」
 彼は、すとん、とソファに腰かけた。向かい合って座るのではなく、男の隣に、腰かけた。
 連れがなぜか隣に座ったというのに「なんで隣に?」とツッコミを入れることもなく、戸惑うでもなく、一緒に仲良くメニューを眺めている。
 なんだろう、この二人は。
「はい、これにしました。エビフライとカニクリームコロッケにオムライスがついてる豪華なやつです」
「可愛い」
「何が……、なんでですか」
「エビフライとクリームコロッケとオムライス、全部可愛いだろうが。可愛いの共食いだろうが」
「あ、違った。エビフライとカニクリームコロッケにオムライスがついてるんじゃなくて、オムライスにエビフライとコロッケがついてるやつです」
「どうでもいい訂正が可愛い」
「……あの、疲れてます?」
「疲れは吹っ飛んだ。元気になった」
「よかったです」
 にこ、にこ、と笑顔を見合わせる二人。
 私は画面を見つめるふりで、キーボードを連打する。声にならない叫びで、空白が埋まっていく。
 こそばゆい。顔が、笑ってしまう。歯を食いしばり、十本の指を無意味に動かした。
「ネクタイ、緩めたら?」
 美形の男がそう言いながら、彼の首元に手を伸ばした。緩めたら、と言いつつ、緩めてあげている。
──なぜ、緩めてあげているのか。よもや、自分でできないとか!?
 私の指が、謎の文章を打ち込んだ。
「あれ、ネクタイしてないですね」
「車に置いてきた。ネクタイしたほうが好き? 取りに行こうか?」
「大丈夫です。あってもなくてもどっちも好きです」
「ならばよし」
 え? と喉元まで出かかった声を、飲み込んだ。
 彼らは私が会話を聞いているとは思っていない。なぜなら私の指は、さっきから休みなく動き続けているからだ。だからこそ、堂々と戯れている。もしここで、何か反応してしまったら。
 台無しになる。
 できることならずっと、垂れ流していてほしい。お互いへの、溢れる愛を。
 愛という言葉を意識すると、顔が熱くなる。おそらく私はとても赤面しているが、対面にいる彼らは私が視界に入っていない。思う存分赤面しよう。
 美しい人が腰を上げ、正面のソファに回り込み、店員を呼び出すチャイムを押してから向かい合う形で腰を下ろした。
「決めたんですか?」
「カキフライ定食」
「カッコイイです」
「何がだよ」
 なるほど、と美しい人の美しい後ろ頭を見ながら納得した。
 お互いが可愛くて、カッコイイらしい。
 じわじわと、胸の奥深くにある何かがうずいている。鼻の穴が膨らんでいる自覚があった。私はひどく興奮している。
 何に? 胸を押さえ、困惑する。
「ビールは?」
「いえ、いいです。帰って一緒に飲みましょう」
「俺休みだけど、明日仕事?」
「休みです」
「うえーい」
「ふふ」
「なんか酒あったっけ? ビール以外」
「ワインありますよ。一本だけですけど」
「一本じゃ足りないと」
「足ります足ります」
 お待たせしました、と店員が飛んできた。童顔の彼がメニューを指差して「エビフライ&ズワイガニのクリームコロッケのオムライスプレート一つとカキフライ定食一つ」と長ったらしく律儀にオーダーするのを聞きながら、私は文字を打つ。
──彼らは一緒に住んでいる!
 ハッとなった。
 そうだ、指輪だ。彼は左手の薬指に指輪をはめていた。じゃあ、もう一人の彼は?
 絶対に指輪をしているはずだ。お揃いの指輪を。
「あ、お冷持ってきますね」
「うん、一緒に行く」
 二人が席を立つ。眼球を動かして、彼らを見る。
 身長差がとてもいいなという感想を、真っ先に抱いた。何がいいのかはわからないが、いいと思った。
 ドリンクバーのコーナーでグラスに氷を入れて水を注いでいるだけなのに、並んだ二人の後姿が、可愛い。
 なんで?
 何が?
 なぜそんなふうに思うのか、自分で自分がわからない。ただグラスに水を注ぐだけなのに、なぜか楽しそうな二人が可愛いと思ったのだ。
 戻ってくる彼らを盗み見る。そして、美しい男の左手を注視する。グラスを持つ左手の薬指には指輪が光っていた。
 やはり、と安堵した。
 それぞれ別の伴侶がいる可能性だってあるのに、なんの根拠もなくそれはないと断言できる。
 見ず知らずの他人なのに。
 奇妙な愛着を覚えていた。
 彼らが食事を終え、店を出たとき、無性に寂しくなった。もう会えない。もっと見ていたかった。
 二人が乗り込んだ黒いスポーツカーのエンジン音が聞こえてきた。去り際のテールランプを見て、ツーシーターのフェアレディZだと気づき、最高だと思った。
 何かわからないが、最高だった。
 ファミレスで男が二人、食事をしていただけ。強盗が現れるとか、車が突っ込んでくるとか、火事になるだとか、重大なイベントが発生することもない。別に、劇的なことは何もないのに、不思議と面白かったのだ。
 何も起きなくてもいい。人の心情、感情というものを書きたくなった。好きという感情を、可愛い人たちを、書いてみたい。
 湧き出てくるこの気持ちは、おそらく執筆意欲というやつだ。
 溶けたパフェの器を傾けて、喉に流し込む。糖分が、脳に、体に沁みていき、胸の奥にうずくまっていた欲求が、「ポン」と芽吹く音が聞こえた。
 Ctrl+F4で文書を閉じる。Ctrl+Nで新規の文書を作成する。まっさらな画面の先頭にカーソルが点滅している。息を吸い、タイトルを打ち込んだ。
──ファミレスの男たち。
 キーボードの上で、指が、踊りだす。

〈おわり〉
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