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倉知先生と三者面談
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教室から笑い声が聞こえてくる。
漏れ聞こえる保護者の声は、楽しそうに弾んでいた。
廊下に並べられた椅子に座ったまま、ガラス窓の向こうをそっと覗いた。教室の中央に母親と女子生徒の背中がある。向かい合う形で担任教師が座っていて、母子の隙間から穏やかに微笑む表情が見えた。
「まだかなあ、早く終わんないかなあ」
隣の椅子で、娘が貧乏ゆすりをしながら言った。今のは、三者面談がイヤだから早く終わって欲しい、という意味合いではない。娘はこの日を指折り数えて待っていた。
「前の人、長くない? ずるくない? 私と先生の大切な時間が押してるんですけど?」
娘の町子は異常に、担任の倉知先生が好きだ。
数学の先生が可愛くてカッコイイと、彼への情熱をほぼ毎日興奮気味に聞かされてきた。
あまりにも好きすぎて、勝手にファンクラブを作り、会長を務めていると誇らしげに胸を張っていたのは去年のこと。この時点で、変態ではなかろうか、危ういなとは思っていた。
案の定、町子はやらかした。先生の自宅を突き止めようとあとをつけて迷子になったのだ。やはりやったかと頭を抱えた。
けれど、娘は素直でいい子だ。若干中二病をこじらせた空気を感じるときはあるが、おおむねいい子だ。自分の愚行を反省し、プライベートを嗅ぎまわるような迷惑行為は二度としないと宣言し、私の知る限りでは、それは守られている。
二年に進級し、倉知先生が担任になったと知り、私ははっきり言って心配だった。担任への愛が日に日に強くなるのを見ていると、また何かやらかすのではないかと、心配を通り越して恐怖だった。
「先生、ありがとうございました」
教室のドアが開き、面談を終えた保護者と生徒が出てきた。町子が椅子から素早く腰を上げ、「やっとか」と小さく吠える。
「こちらこそ、ご足労いただきありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
見送りに出た倉知先生をうっとりとした目で見上げて、生徒の親が胸の前で合掌する。
「今日は本当に癒しになりました。ありがとうございました」
倉知先生が少し首をかしげた。私も首をかしげた。三者面談が癒しになるなんて聞いたことがない。先生は「お役に立ててよかったです」と無難な返事をしてはにかんでいる。
隠し撮り写真を町子に見せられ、倉知先生の容姿は知っていた。可愛いでしょ、と同意を求められ、どちらかと言えば「カッコイイ」ではないかと思っていた。
でも実物を前にすると、長身だが思いのほか童顔で、スーツなのに幼い雰囲気を感じた。可愛いという言葉も、それほど的外れじゃないのかもしれない。
「もうママったら、いつまで見惚れてんの?」
母親の腕を引いて、女子生徒がこっちを見る。
「町子、遅くなってごめん。このように、ママが沼に落ちた」
「なんくるない、さもありなん」
町子が満足げに親指を立てた。沼に落ちるとはどういうことなのか。町子は時々意味のわからないことを言う。若者の文化がいよいよ理解不能になってきた。私ももう歳だ。
町子と友人が手を振り合い親子が去っていくと、倉知先生がネクタイを締め直してから私たちに頭を下げた。
「お待たせしてすみません」
「いえいえ、先生大変ですね。おつかれさまです」
町子が大人の口調でそう言った。科白を奪われた私は口を閉じ、町子に続いてすごすごと教室に入った。中はクーラーが効いていて、快適だ。
「もしかして、今日は私で最後ですか?」
「うん、そうです」
「やった、心置きなくお話しできますね。幸せ」
ウキウキと椅子を引いて町子が腰を下ろすと、倉知先生が私に手のひらを向けた。
「どうぞ、お母さんもおかけください」
「はい、あの、先生……、その節は本当に、とんでもないご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
体を小さくして頭を下げ、しどろもどろに言ってから、ゆっくり顔を上げた。倉知先生がきょとんとしていた。
「ご迷惑とは?」
「あの、去年の、娘の尾行の件です」
「ああ、その件ですか」
先生が眉を下げて、優しい目で町子を見た。
「そんなこともあったね」
「えへへ、ありましたね」
町子が私の顔色を確認して、「反省してます!」と先生に向かって叫んだ。
「うん、もう気にしてないのでいいですよ。お母さんもどうかお気になさらず」
気後れするほどに爽やかだった。子どもみたいな顔をしているのに、対応がちゃんと大人で驚いてしまった。
どうぞ、ともう一度手のひらを向けられ、ぺこぺこしてから着席した。私が座るのを見計らい、倉知先生が向かい側の椅子に腰を下ろす。
「今日は暑い中お越しいただきありがとうございます。よろしくお願いします」
改まって丁寧にあいさつをされ、急いで頭を下げた。
「よろ、よろしくお願いします……!」
声を振り絞り、膝の上でスカートの生地を握り締める。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。私は緊張していた。
三者面談の日程が決まったときからずっと気が重く、胃も痛く、プレッシャーを感じていた。過去の懇談会を振り返るとあまりいいふうに言われてこなかったから、どうしても身構えてしまう。一種のトラウマだと思う。
「町子さんは」
手元のノートをめくりながら、倉知先生が言った。
「ひゃうんっ」
町子がガタンと椅子を鳴らし、奇妙な声を発した。
「先生がっ、私のファーストネームをっ、呼んでくれた……っ」
ウワーッと叫んで顔を覆い、ドタバタと足を踏み鳴らしたが、倉知先生は動じていない。ちょっと笑って「持田さんは」とあっさり言い直し、私の目を見て言った。
「誰もやりたがらない学級委員長に立候補してくれて、とても精力的に仕事をこなしています。雑用も率先して手伝ってくれるし、とにかく気が利くので本当に助かってます」
「やった、褒められた! 倉知先生にっ、褒められたっ、いえーい」
大喜びする町子のとなりで、私は無言で首を縦に振った。倉知先生は私を見ている。純度の高い澄んだ瞳で、私を見ている。
町子がこの先生を変態的に慕っている理由がわかった気がした。
よくわからないが、全体的に清らかだ。
「でも、あの、何か、ご迷惑とか……、いつもこんな調子で、困っていませんか?」
生徒に好意をむき出しにされているのだ。さぞかし扱いづらいだろう。
倉知先生は私を真正面から見据え「いいえ」ときっぱりと答えた。
「素直で明るくて元気だし、男女問わず友達も多いし、人をまとめる能力に非常に長けていると思います。そういう点でも担任として助けられていますし、頼りにしています」
言い切ると、町子を見て柔らかく微笑んだ。
「持田さん、いつもありがとう」
「どういたしまして。先生、大好きです。毎日カッコイイし、可愛いし、まるで宝石のように輝いてます」
「ありがとう」
倉知先生は身を乗り出す町子を笑顔で軽く受け流し、「それで、一学期の成績ですが」と手元のノートに目を落とす。テンションの高い町子を放置して、話は成績と進路に展開していく。
すごい。冷たさを感じない、絶妙なスルーだ。
おそらく町子の暑苦しいアピールが日常茶飯事すぎて、耐性がついたのだ。軽くあしらわれているのにニコニコ嬉しそうな町子と、何一つ響いていない倉知先生を交互に見る。
「お母さん、何? なんか笑ってる?」
町子が顔を覗き込んでくる。私はいつの間にか「うふっ、うふふっ」と不気味な笑い声をこぼしていた。ハッとして、咳ばらいでごまかすと、顔の前で手を振った。
「なんでもないよ、なんでもないです、続けてください」
「何かあればその都度おっしゃっていただいて大丈夫ですよ」
「じゃあ、はいっ」
町子が挙手をした。
「先生、もう一回ファーストネームで呼んでください」
「そういうのはいいです、町子さん」
「イエス!」
町子が両手を振り上げて絶叫した。倉知先生は笑顔のままで淡々と話を進めていく。完全に猛獣の扱いを心得ている。この人はなんだかすごいなと思った。
町子が急に、たった今思いついたという感じで「そうだ、教師になって倉知先生と同じ学校で働きたい」と言い出したときも、決して馬鹿にしたり否定したりはしなかった。ずっと真剣で、細やかで、底抜けに優しい。
どの教科を希望するのかとか、大学の選び方だとか、偏差値がうんぬんとか、具体的な内容になればなるほど私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。身を固くして倉知先生の言葉に相槌を打つ。内心では、冷や汗が止まらなくて吐きそうだった。
「長くなってすみません。そろそろ終わりましょうか。お時間大丈夫でしたか?」
先生が教室の時計を見て言った。三十分オーバーしている。
「大丈夫です、先生もっと話しましょう」
町子が言った。私は「こら」と娘をたしなめてから、急いで腰を上げた。
「長時間拘束してしまってすみません。あの……、先生、実は……、非常に言いづらいのですが……」
「はい、なんでしょう」
ノートを閉じて立ち上がり、倉知先生が私を見る。
「この子、昨日までは警察官になりたいって言ってたんです」
「え」
倉知先生がビックリした顔で硬直した。
「警察官じゃなくて刑事ね、刑事」
町子が訂正を入れてくる。それを無視して続けた。
「先月は探偵になりたがってたし、その前は映画監督になるって言ってて」
つまり、ふわふわとした現実味のない願望ばかりなのだ。町子のなりたい職業は、日々移ろい続けている。今回もおそらく一過性のものだろう。
「せっかく親身になっていろいろ教えてくださったのに、明日には医者になるとも言い出しかねないんです」
「いいですね」
心苦しさのあまり背中を丸めて縮んでいく私の頭上に、倉知先生の朗らかな声が降ってくる。
「なりたいものがたくさんあって、いいと思います。もし別の夢ができたら、そのときは一緒に考えればいいので、どんと構えていましょう」
顔を上げた。倉知先生が頼もしく微笑んでいる。
「倉知先生は神」
町子が拝んだ。私は思わずうんうんとうなずいてから訂正した。
「どちらかと言えば天使じゃないかな」
町子は勢いよく私を振り仰ぎ、クワッと目を見開いた。
「お母さん、よく知ってるね? そう、倉知先生は天使なの!」
「うん、なんだか可愛らしいもんね」
町子に褒め殺しにされても平然としているのだ。さらっと流してくれるだろうと思ったが、先生の顔がじわじわと赤くなっていく。ものすごく、照れている。どうやら保護者からの「可愛い」は免疫がなかったらしい。
「ごめんなさい、失礼でしたね。つい、本音が」
「はあ、はい、いえ、大丈夫です。あ、熱い」
両手を扇いで顔の熱を冷まそうとしている。うわあ可愛いなあ、と目じりが下がる。
照れる倉知先生を町子と二人でニヤニヤと堪能し、三者面談は無事に幕を閉じた。
帰宅後。余韻はなかなか消えなかった。心地よい安心感と高揚感に包まれている。むずむずして何も手につかず、夕飯は牛丼をテイクアウトにした。
帰りの遅い主人を待たずにダイニングテーブルで町子と向き合い、牛丼を食べながらの反省会ならぬ、感想会を開始する。
私が「いい先生だね」と話を振ると、町子は案の定止まらなくなった。先生はね、先生がね、と何度も聞いたはずのエピソードを披露されたが、どれも新鮮で楽しかった。
「倉知先生、新婚さんだよね。奥さん、どんな人なの?」
左手の薬指の指輪が、彼の男ぶりを上げていた。まだ若い教師が既婚者というのは珍しいかもしれない。
「それがね、情報が何もないの。写真も見せてくれないし。あ、でもね、奥さんのこと訊こうとしたら、先生めちゃくちゃ顔が溶けるんだよ」
「顔が溶ける」
「うん」
「デレデレ?」
「そう。可愛いでしょ」
「可愛い」
即答すると、町子がキラキラした目で私を見て、満面に笑みを咲かせた。
「お母さんがわかってくれて嬉しい」
先生が可愛いとかカッコイイと熱弁されても、まったくと言っていいほど興味が湧かず、適当に聞き流していたのがバレていたらしい。
「お母さんもファンクラブ入る?」
いたずらっぽく町子が訊く。
「入ろうかな」
まさか私がそう答えるとは思っていなかったらしい。町子は目をぱちくりさせてから、声を上げて笑い出した。
胃の痛みはどこへやら。
私は笑顔で牛丼を頬張った。
〈おわり〉
漏れ聞こえる保護者の声は、楽しそうに弾んでいた。
廊下に並べられた椅子に座ったまま、ガラス窓の向こうをそっと覗いた。教室の中央に母親と女子生徒の背中がある。向かい合う形で担任教師が座っていて、母子の隙間から穏やかに微笑む表情が見えた。
「まだかなあ、早く終わんないかなあ」
隣の椅子で、娘が貧乏ゆすりをしながら言った。今のは、三者面談がイヤだから早く終わって欲しい、という意味合いではない。娘はこの日を指折り数えて待っていた。
「前の人、長くない? ずるくない? 私と先生の大切な時間が押してるんですけど?」
娘の町子は異常に、担任の倉知先生が好きだ。
数学の先生が可愛くてカッコイイと、彼への情熱をほぼ毎日興奮気味に聞かされてきた。
あまりにも好きすぎて、勝手にファンクラブを作り、会長を務めていると誇らしげに胸を張っていたのは去年のこと。この時点で、変態ではなかろうか、危ういなとは思っていた。
案の定、町子はやらかした。先生の自宅を突き止めようとあとをつけて迷子になったのだ。やはりやったかと頭を抱えた。
けれど、娘は素直でいい子だ。若干中二病をこじらせた空気を感じるときはあるが、おおむねいい子だ。自分の愚行を反省し、プライベートを嗅ぎまわるような迷惑行為は二度としないと宣言し、私の知る限りでは、それは守られている。
二年に進級し、倉知先生が担任になったと知り、私ははっきり言って心配だった。担任への愛が日に日に強くなるのを見ていると、また何かやらかすのではないかと、心配を通り越して恐怖だった。
「先生、ありがとうございました」
教室のドアが開き、面談を終えた保護者と生徒が出てきた。町子が椅子から素早く腰を上げ、「やっとか」と小さく吠える。
「こちらこそ、ご足労いただきありがとうございました。お気をつけてお帰りください」
見送りに出た倉知先生をうっとりとした目で見上げて、生徒の親が胸の前で合掌する。
「今日は本当に癒しになりました。ありがとうございました」
倉知先生が少し首をかしげた。私も首をかしげた。三者面談が癒しになるなんて聞いたことがない。先生は「お役に立ててよかったです」と無難な返事をしてはにかんでいる。
隠し撮り写真を町子に見せられ、倉知先生の容姿は知っていた。可愛いでしょ、と同意を求められ、どちらかと言えば「カッコイイ」ではないかと思っていた。
でも実物を前にすると、長身だが思いのほか童顔で、スーツなのに幼い雰囲気を感じた。可愛いという言葉も、それほど的外れじゃないのかもしれない。
「もうママったら、いつまで見惚れてんの?」
母親の腕を引いて、女子生徒がこっちを見る。
「町子、遅くなってごめん。このように、ママが沼に落ちた」
「なんくるない、さもありなん」
町子が満足げに親指を立てた。沼に落ちるとはどういうことなのか。町子は時々意味のわからないことを言う。若者の文化がいよいよ理解不能になってきた。私ももう歳だ。
町子と友人が手を振り合い親子が去っていくと、倉知先生がネクタイを締め直してから私たちに頭を下げた。
「お待たせしてすみません」
「いえいえ、先生大変ですね。おつかれさまです」
町子が大人の口調でそう言った。科白を奪われた私は口を閉じ、町子に続いてすごすごと教室に入った。中はクーラーが効いていて、快適だ。
「もしかして、今日は私で最後ですか?」
「うん、そうです」
「やった、心置きなくお話しできますね。幸せ」
ウキウキと椅子を引いて町子が腰を下ろすと、倉知先生が私に手のひらを向けた。
「どうぞ、お母さんもおかけください」
「はい、あの、先生……、その節は本当に、とんでもないご迷惑をおかけして、申し訳ありませんでした」
体を小さくして頭を下げ、しどろもどろに言ってから、ゆっくり顔を上げた。倉知先生がきょとんとしていた。
「ご迷惑とは?」
「あの、去年の、娘の尾行の件です」
「ああ、その件ですか」
先生が眉を下げて、優しい目で町子を見た。
「そんなこともあったね」
「えへへ、ありましたね」
町子が私の顔色を確認して、「反省してます!」と先生に向かって叫んだ。
「うん、もう気にしてないのでいいですよ。お母さんもどうかお気になさらず」
気後れするほどに爽やかだった。子どもみたいな顔をしているのに、対応がちゃんと大人で驚いてしまった。
どうぞ、ともう一度手のひらを向けられ、ぺこぺこしてから着席した。私が座るのを見計らい、倉知先生が向かい側の椅子に腰を下ろす。
「今日は暑い中お越しいただきありがとうございます。よろしくお願いします」
改まって丁寧にあいさつをされ、急いで頭を下げた。
「よろ、よろしくお願いします……!」
声を振り絞り、膝の上でスカートの生地を握り締める。
ドクン、と心臓が大きく跳ねた。私は緊張していた。
三者面談の日程が決まったときからずっと気が重く、胃も痛く、プレッシャーを感じていた。過去の懇談会を振り返るとあまりいいふうに言われてこなかったから、どうしても身構えてしまう。一種のトラウマだと思う。
「町子さんは」
手元のノートをめくりながら、倉知先生が言った。
「ひゃうんっ」
町子がガタンと椅子を鳴らし、奇妙な声を発した。
「先生がっ、私のファーストネームをっ、呼んでくれた……っ」
ウワーッと叫んで顔を覆い、ドタバタと足を踏み鳴らしたが、倉知先生は動じていない。ちょっと笑って「持田さんは」とあっさり言い直し、私の目を見て言った。
「誰もやりたがらない学級委員長に立候補してくれて、とても精力的に仕事をこなしています。雑用も率先して手伝ってくれるし、とにかく気が利くので本当に助かってます」
「やった、褒められた! 倉知先生にっ、褒められたっ、いえーい」
大喜びする町子のとなりで、私は無言で首を縦に振った。倉知先生は私を見ている。純度の高い澄んだ瞳で、私を見ている。
町子がこの先生を変態的に慕っている理由がわかった気がした。
よくわからないが、全体的に清らかだ。
「でも、あの、何か、ご迷惑とか……、いつもこんな調子で、困っていませんか?」
生徒に好意をむき出しにされているのだ。さぞかし扱いづらいだろう。
倉知先生は私を真正面から見据え「いいえ」ときっぱりと答えた。
「素直で明るくて元気だし、男女問わず友達も多いし、人をまとめる能力に非常に長けていると思います。そういう点でも担任として助けられていますし、頼りにしています」
言い切ると、町子を見て柔らかく微笑んだ。
「持田さん、いつもありがとう」
「どういたしまして。先生、大好きです。毎日カッコイイし、可愛いし、まるで宝石のように輝いてます」
「ありがとう」
倉知先生は身を乗り出す町子を笑顔で軽く受け流し、「それで、一学期の成績ですが」と手元のノートに目を落とす。テンションの高い町子を放置して、話は成績と進路に展開していく。
すごい。冷たさを感じない、絶妙なスルーだ。
おそらく町子の暑苦しいアピールが日常茶飯事すぎて、耐性がついたのだ。軽くあしらわれているのにニコニコ嬉しそうな町子と、何一つ響いていない倉知先生を交互に見る。
「お母さん、何? なんか笑ってる?」
町子が顔を覗き込んでくる。私はいつの間にか「うふっ、うふふっ」と不気味な笑い声をこぼしていた。ハッとして、咳ばらいでごまかすと、顔の前で手を振った。
「なんでもないよ、なんでもないです、続けてください」
「何かあればその都度おっしゃっていただいて大丈夫ですよ」
「じゃあ、はいっ」
町子が挙手をした。
「先生、もう一回ファーストネームで呼んでください」
「そういうのはいいです、町子さん」
「イエス!」
町子が両手を振り上げて絶叫した。倉知先生は笑顔のままで淡々と話を進めていく。完全に猛獣の扱いを心得ている。この人はなんだかすごいなと思った。
町子が急に、たった今思いついたという感じで「そうだ、教師になって倉知先生と同じ学校で働きたい」と言い出したときも、決して馬鹿にしたり否定したりはしなかった。ずっと真剣で、細やかで、底抜けに優しい。
どの教科を希望するのかとか、大学の選び方だとか、偏差値がうんぬんとか、具体的な内容になればなるほど私は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。身を固くして倉知先生の言葉に相槌を打つ。内心では、冷や汗が止まらなくて吐きそうだった。
「長くなってすみません。そろそろ終わりましょうか。お時間大丈夫でしたか?」
先生が教室の時計を見て言った。三十分オーバーしている。
「大丈夫です、先生もっと話しましょう」
町子が言った。私は「こら」と娘をたしなめてから、急いで腰を上げた。
「長時間拘束してしまってすみません。あの……、先生、実は……、非常に言いづらいのですが……」
「はい、なんでしょう」
ノートを閉じて立ち上がり、倉知先生が私を見る。
「この子、昨日までは警察官になりたいって言ってたんです」
「え」
倉知先生がビックリした顔で硬直した。
「警察官じゃなくて刑事ね、刑事」
町子が訂正を入れてくる。それを無視して続けた。
「先月は探偵になりたがってたし、その前は映画監督になるって言ってて」
つまり、ふわふわとした現実味のない願望ばかりなのだ。町子のなりたい職業は、日々移ろい続けている。今回もおそらく一過性のものだろう。
「せっかく親身になっていろいろ教えてくださったのに、明日には医者になるとも言い出しかねないんです」
「いいですね」
心苦しさのあまり背中を丸めて縮んでいく私の頭上に、倉知先生の朗らかな声が降ってくる。
「なりたいものがたくさんあって、いいと思います。もし別の夢ができたら、そのときは一緒に考えればいいので、どんと構えていましょう」
顔を上げた。倉知先生が頼もしく微笑んでいる。
「倉知先生は神」
町子が拝んだ。私は思わずうんうんとうなずいてから訂正した。
「どちらかと言えば天使じゃないかな」
町子は勢いよく私を振り仰ぎ、クワッと目を見開いた。
「お母さん、よく知ってるね? そう、倉知先生は天使なの!」
「うん、なんだか可愛らしいもんね」
町子に褒め殺しにされても平然としているのだ。さらっと流してくれるだろうと思ったが、先生の顔がじわじわと赤くなっていく。ものすごく、照れている。どうやら保護者からの「可愛い」は免疫がなかったらしい。
「ごめんなさい、失礼でしたね。つい、本音が」
「はあ、はい、いえ、大丈夫です。あ、熱い」
両手を扇いで顔の熱を冷まそうとしている。うわあ可愛いなあ、と目じりが下がる。
照れる倉知先生を町子と二人でニヤニヤと堪能し、三者面談は無事に幕を閉じた。
帰宅後。余韻はなかなか消えなかった。心地よい安心感と高揚感に包まれている。むずむずして何も手につかず、夕飯は牛丼をテイクアウトにした。
帰りの遅い主人を待たずにダイニングテーブルで町子と向き合い、牛丼を食べながらの反省会ならぬ、感想会を開始する。
私が「いい先生だね」と話を振ると、町子は案の定止まらなくなった。先生はね、先生がね、と何度も聞いたはずのエピソードを披露されたが、どれも新鮮で楽しかった。
「倉知先生、新婚さんだよね。奥さん、どんな人なの?」
左手の薬指の指輪が、彼の男ぶりを上げていた。まだ若い教師が既婚者というのは珍しいかもしれない。
「それがね、情報が何もないの。写真も見せてくれないし。あ、でもね、奥さんのこと訊こうとしたら、先生めちゃくちゃ顔が溶けるんだよ」
「顔が溶ける」
「うん」
「デレデレ?」
「そう。可愛いでしょ」
「可愛い」
即答すると、町子がキラキラした目で私を見て、満面に笑みを咲かせた。
「お母さんがわかってくれて嬉しい」
先生が可愛いとかカッコイイと熱弁されても、まったくと言っていいほど興味が湧かず、適当に聞き流していたのがバレていたらしい。
「お母さんもファンクラブ入る?」
いたずらっぽく町子が訊く。
「入ろうかな」
まさか私がそう答えるとは思っていなかったらしい。町子は目をぱちくりさせてから、声を上げて笑い出した。
胃の痛みはどこへやら。
私は笑顔で牛丼を頬張った。
〈おわり〉
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