電車の男ー社会人編ー番外編

月世

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「な」

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〈大地編〉

 今日は高校の入学式だ。
 教室はざわついていて、緊張感が漂っている。
 ワクワクして、ドキドキして、手に汗がにじむ。
 同じ中学の友達が、前の席から振り向いているのが見えた。教室を見回していたそいつは、俺を見つけると嬉しそうに手を振った。腕をブンブン振って応えてから、慌てて下ろして咳払いをした。今のは子どもっぽかったかもしれない。
 チラ、と隣を見る。
 右隣の席の女子が、すごく大人っぽい。俺ももう高校生なのだから、大人にならなければ。
 脚を組み、片肘をついて精一杯大人ぶった表情を作って、黒板を見た。
 三色のチョークを使った大きな字で、「ご入学おめでとうございます」と書かれている。その下に小さく「自分の席に座って待っていてくださいね」「スマホは片付けましょう」とあるおかげで、みんな律儀にそれを守って着席している。
 俺は窓側から二列目の、一番後ろの席だった。ぎこちなくファーストコンタクトを試みているクラスメイトたちを眺めながら、こっそりため息をつく。
 七世君が担任だったらよかったのに。
 七世君じゃないことは確定している。黒板の文字は、どう見ても女の字だからだ。丸くてやけに可愛い。「待っていてくださいね」の「ね」が特に可愛い。この字の通り、可愛らしい先生だったら、まあ、許す。
 ほのかな期待を胸に抱きながら、両手を組み合わせ、目を閉じて、祈る。
 若くて可愛い先生、来い!
 コンコン、とノックがあった。ハッと目を開けた。みんなが顔を見合わせて、困惑している。戸惑った声で、はい、はい、とあちこちから返事が上がると、前のドアがようやく開いた。
 そして、思ったよりはるかに高い位置から、にょきっと顔が出た。
「な!」
 ガターン、とすごい音がした。俺が勢いよく立ち上がったせいで、椅子が後ろに倒れた音だ。「な!」と叫んだのも、もちろん俺だ。
「大地、後藤君、大丈夫?」
 七世君が教壇に立って、優しい顔で言った。ぶわっ、と全身の毛が逆立つみたいな感覚。身震いをしてから「うん」と答え、我に返る。みんなが俺を振り返って見ていた。急いで椅子を元に戻し、腰を下ろす。
 笑い出しそうなのを堪えて、小さくガッツポーズをした。
 イエエエエエエエエエエイ、担任が七世君! やった、すげえ、俺は神に選ばれし男! フゥウーウ!
 心の中で雄たけびを上げていると、右隣りの大人女子が小さな声でつぶやいた。
「なんでダイチ・ゴトウ?」
 七世君は普段俺を「大地君」と呼んでいる。ただ言い直しただけだ。とはもちろん声に出せない。
「英語の先生なんじゃない?」
 彼女の前の席の子が、体を後ろに倒して囁いた。違います、七世君は数学の先生です。胸の辺りがムズムズする。これが優越感だろうか。
「てか生徒の名前全員分覚えてんのかな」
「すでに? すごくない?」
「ていうか、やけにでかくない?」
「でかい、あと、顔がいい」
 七世君が「ご入学おめでとうございます」から始まる真面目なお祝いメッセージを喋っている間、女子のヒソヒソ話が止まらなかった。
 若い、優しそう、なんか可愛い、と色めき立つ女子たち。
 なんだか恥ずかしくて、顔が熱くなってきた。
 七世君が、モテている!
 早く母ちゃんに話したい。
 そうだ、七世君の字がめちゃくちゃ可愛いということも、忘れず報告しなければ。


〈後藤編〉

「そういや大地、受験どうだった?」
 加賀君に訊かれ、私は箸を止めた。
 久しぶりのサシ飲みに舞い上がっていた私は、のろけ話を聞き出すことしか考えていなかった。
「第一志望、受かったよ」
 内心でうろたえながら、何食わぬ顔で親指を立てると、加賀君がビールジョッキを掲げた。
「おー、やったー、おめでとう」
 グラスを加賀君のジョッキにくっつけて礼を言いながら、次に来るであろう質問に対する正しい回答を模索した。
「あれ、どこ受けたんだっけ?」
 やはり来た。最適な回答が見当たらないまま、うーんとうなる。
 七世君を驚かせてやるんだ、と目を輝かせる息子の顔がよぎる。
 私は口が堅いし、秘密を守る人間だ。
 でも、どうしてもごまかせない、嘘をつけない瞬間がある。
 今がそのときだ。
「西高、なんだよね……」
「え、すげえ、マジか」
 加賀君が面白そうな声を上げた。私はカシスオレンジを飲み干して、両手を合わせた。
「七世君に内緒にしてくれる?」
「うん、言わないけど、あー、大地いいなあ」
「言うと思った」
 七世君が先生をしている学校なんて、私だって通いたい。
「俺も倉知先生を堪能したい。用もないのに毎日職員室に会いに行くし、休み時間に一緒にバスケするし、放課後にここがわかりませんって教わるふりして至近距離でジロジロ見たい。視線に気づいて恥ずかしそうに目ぇ逸らす倉知先生とか、めっちゃそそる」
 ニヤニヤしながら、「うん、うん」と相槌を打つ。
 一緒に暮らしていても、プライベートとは別の、教師の顔をしている七世君を見たいのだ。
「入学式で七世君見つけたら写真撮ってあげるね」
「助かる」
「旦那が急遽行けなくなったら代理で来る?」
「行く」
「平日だよ」
「なんとかする」
「本気の目だ」
 保護者席に座る加賀君を想像して笑ってしまった。しばらく二人で笑ったあと、いたずらっこの顔で加賀君が言った。
「倉知君が担任だったら面白いよな」
 そうか、そういうこともあるかもしれない。
 でもそんなミラクルは起きないだろう。
 と、思っていた。
 入学式当日。
 大地は一年一組だった。そして、一組の生徒の列を先導するのが、七世君だったのだ。
 私の口から勝手に「な」と声が出た。慌てて口を塞ぐ。
 となりの旦那が、ハンディカムを構えながらチラチラと私を見てくる。満面の笑みだ。黙ってうなずくと、旦那も黙ってうなずいた。
 体育館に鳴り響く大勢の拍手と、優しいBGM。彼はスーツで、キリッとした顔をしていた。胸を張り、まっすぐ前を見て、保護者席の間の花道を歩いている。
 堂々とした姿に、私は泣いてしまいそうだった。
 泣くわけにはいかない。卒業式ならともかく、入学式はさすがに目立つ。
 懸命に堪えていたが、大地の顔を見つけた瞬間、私は泣いた。胸が締めつけられ、目頭が熱くなる。喉がぎゅっと痛くなり、涙が溢れてきた。
 二人の成長が、とてつもなく嬉しい。
「一組の先生、若くない?」
「背高いし、カッコイイんじゃない?」
「担任でラッキー」
 拍手に紛れて、お母さんたちの声を潜めた会話が聞こえてくる。
 そう、ラッキーだ。倉知先生はカッコイイよりむしろ可愛い。真面目だし、いい子だし、優しいし、と脳内でプレゼンを展開しながら無心で手を打った。
 大地はきっと、私以上に喜んでいるだろう。
 目に浮かぶ。
 涙を拭い、微笑んだ。

〈おわり〉
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