忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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第8章:アルカノア農場戦記 ~因縁の戦い~

第103話 抗う器

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【港・裏路地付近 リオック】

「はぁ、はぁっ!」

 少し荒く息を吐きながら、リオックは路地の奥に立つその姿を見つけた。

「天貴!…ど…の?」

 一瞬、安堵しかけた。だが、何か様子が違う。騎士としての直感が全身で警鐘を鳴らしている。そのとき、たたずむ天貴の足元で何かが光を反射した。

「……?」

 リオックの目に映ったのは、小さな黒い石。天貴は無造作にそれを拾い上げ、まるで懐かしいものでも見るかのように呟いた。

「…ホぅ。喪失ノ石、カ」

 その口調は、リオックの知る天貴のものでは無かった。

「…小癪ナ器め。アストラを制限スル事デ、ボクの目覚メを遅ラセテたケド…」

 指先で黒石を転がしながら、“それ”は薄く笑う。

「コレが、器ノ意識ヲ喪失サセタオカゲで、ボクを目覚メサセてクレたワケダ」

 ぞっとするほど自然な口調で、恐ろしい真実が語られる。

「…フン」

 天貴の唇がゆっくりと動いた。

「コノ器…ナカナカ具合ガ良イ」

 冷たい。声だけは、確かに天貴殿のものだ。だがその響きには、ぬくもりも迷いも、感情すらなかった。

「天貴様…そ、その目は…」
「ン…?マダ生キ残リがイタカ…」

 青白い光が、濁ったように瞳の奥で揺れている。

「コノ身体、モう少シ試ソウかナ」

 そう笑った刹那、リオックは視界から天貴の姿を見失った。

 ――ドンッ!!

「ぐっ……!?」

 突然腹に叩き込まれた衝撃で、リオックの息が止まる。その勢いで背中から石壁に叩きつけられ、地面が揺れたように思えた。

(なっ…んだ、この速さ!そして、この力!)

「コッチの手ノ方が痛イや!ヤッパ次カラ、アストラ使ウかァ」

 路地の中央に転がる俺を、天貴殿の姿をした“何か”が見下ろしている。楽しげな顔で。

「デも今ノ一撃、ヨク耐エタネ」

 品のある声音が、かえって不気味だった。

(惑わされるな!これは、いつもの愛しき天貴殿ではない!)

 俺は剣を抜き、立ち上がる。

「器様。無礼は承知…!」

 構えながら、胸元の紋章に祈る。

「あなたの御身を、我らの天貴殿へ、取り戻すために……!」

 刃に、神聖な光が宿る。リオックのアストラ「セラフィック・ブレード」悪しきものを討ち祓う、神の祝福を受けた一閃。

「光よ、我の刃に宿れ!!」

 白金の炎が剣を包み、周囲の空気がびりびりと震える。

「アレェ?…ソレって、聖ナル光?」

 “それ”が、まるで戯れのように笑った。

「笑うな!!貴殿が…悪しき存在であれば…この刃は必ず通じるッ!!」

 信じていた。器様の姿をしていても、それが“悪”であるなら、必ず刃は届くと。

「おおおおおおっ!!」

 叫びと共に踏み込み、閃光の一撃を叩き込む!

 しかし。

「なっ!?」

 刃は、ソレに触れる直前で止められた。たった一本の指先に容易く。そして白金の炎は、ぱちりと弾けて空気に溶けていった。

「嘘だ…!?」

(通じない!?人の邪心すら裁くこの光が!?)

「…通ジるワケ、無いヨ!」

 ソレは静かに言い放つ。

「ソノ加護ッて、ボクが人にアゲタ物ダし…」

「っ…!?」

 背筋が凍る。同時に、胸の奥が焼けつくようだった。

「神ニ対シテ、聖ナル力ガ効クワケ無イ」

 これは…人の身では抗えぬ存在。だが、だからこそ。この方こそ真に、“神の器”…!畏怖、敬意、そして…抗いようのない欲望までもが、全身を貫いていく。

「天貴殿…なんと尊い御方」

 震える手で剣を捨て、リオックは地にひれ伏した。

「ヘェ…こノ男、器ニ恋シチャッてるンダ…アハハ」

 神の声は、冷笑と少しの興味を含んでいた。それは人の感情を見下し、だからこそ、逆にどこか人間らしさを思わせる。その神が、ふと背を向けた。足元を光が包み込み、ふわりと宙に浮かぶ。

「モウ行こット。ソノ恋心に免ジテ、殺さナイでアゲル」

 その言葉が下された瞬間、リオックは思わず顔を上げた。

「お、お待ちを!付き人の…玄太殿の救出が、まだ!」

 反射的な叫びだった。だがリオック本人も気づいていた。それは、天貴の心がまだ確かにそこにあると信じているからこそだ。その言葉に反応するように、天貴の体はふらりとよろけて地に戻る。

「っ……」

 顔が歪み、こめかみに手が当てられる。

「ナンダヨ、コレッ…?」

 神の瞳の奥に走る、記憶…映像…断片的なイメージ。

「…ッ…クゥッ…」

 笑いかける少年。無邪気に抱き着く少年。そして、助けを求める少年。

「…ソウだ…玄太を助けに!」

 それはかすかに、けれど、確かに灯るいつもの天貴の声だった。

「ナンデ?ナンデ勝手ニ動くのコレ!?空っぽナノニ!」

 痛みを堪えるような表情で、ぐらつく身体を抱えながら、ふらついた足取りで、なおも路地の奥へ進もうとしている。

「虫ケラの為ニ行くの?……いや、行くんだよ!」

 顔を歪めながら、両手でこめかみを抱えて呻くその姿は、もはや絶対者の威厳ではなかった。その身を支配しようとする神の声と、それに抗おうとする天貴の叫びが、ぶつかり合っている。

(抵抗しておられる?本来の天貴殿が、神を内から抑え込もうとしている!?)

 その様子に、俺は剣を拾い上げ、再び立ち上がった。

「愛おしや、天貴殿…!」

 呼びかけに応じるように、その身体が、ぴたりと止まる。

「リ…オック…か?」

 滲む声。自分の名前を呼ばれたのに、胸が痛む。

「オレ…自分で、ジブンがわかんナクなりそうだ…」

 震える背中が、まるで泣いているように見えた。

「ダマれ…行かナきゃ…ダマれッテば!…玄太を…!」

 足を引きずりながら、それでもテンキは歩く。数歩進んでは膝をつき、それでも立ち上がる。

「ダメだ…!支配…マダ満チテナイ…」

 その姿は、もはや神でもなく、英雄でもない。ただの、命を賭して仲間を想う、一人の人間だった。

「ああ…貴殿は、もはや器では収まらぬ方…!」

 堪えきれず、俺はその背に声をかけた。

「それでも…!」

 剣を地に突き立て、膝をつく。

「私はそんな貴殿に、身も心も捧げる所存!」

 その言葉に振り返った天貴殿の目は、青白い光と、人間の光が交錯していた。

「ハァ…ウルサイ男ダ…仕方ない…」

 器を乗っ取ったはずの神は、皮肉にも器の感情に動かされていた。
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