忠犬男子が懐きすぎて異世界までついてきた「件」

竜弥

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最終章:崩壊王国の戦い

第178話 粛正の足音 後編

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 港町、帝国の沿岸都市。地上では海抜の低い街から続々と浸水が広がっている。 

「予定通りだ。風向きも安定してる」

 船が高く持ち上がり、路地が川になる。水は静かに、でもすべてを平等にじわじわと浸食していく。

「……っ、走って……!上!高いとこ向かって……!」

 玄太の声が、研究室に虚しく反響する。別のヴィジョンでは、河口の町が一気に崩れた。川と海の境目がなくなり、濁った水が街路へ雪崩れ込む。家が浮き、壁が外れ、人影が水に攫われる。

「ばっ……!そっちはだめだ……逆だってば……!」
「ここで叫んでも無駄だって。分かんないやつだな」

 玄太は必死に首を振る。視線を逸らそうとしても、ヴィジョンは逃がしてくれない。叫びは、ただ研究室の空気を震わせるだけだった。

「しょせん人間の視野角では見えないんだよ。正解ルートなんてさ」

 無表情のクザン。楽しんでいるわけでも、嘲っているわけでもない。ただ事実を読み上げているような声。街が沈み、人が流されていく光景すら、彼にとっては粛正という工程の一部にすぎない。

「選択肢は常に無数にある。でも人間は、その中のほんの一握りしか見ていない」

 感情の乗らない声が、淡々と空間に落ちる。

「だから誤る。力を持たない者から切り捨てられる。……フェアじゃない世界」

 ヴィジョンの中、帝国の街では群衆が城門前に押し合い強いアストラを持つ者が前へ進もうとする。だが水位は、それらの優劣を一切考慮せず、同じ速さで全員の足元を奪っていった。

「だからこそだ。この粛正の前では、アストラの差も意味を失う。天秤は平衡であるべきだろ?」

 均衡を是とする、管理者の論理。

「それが、理由?……で、でもさ」

 玄太の声が、かすれて割れた。

「この世界、そんなに悪くないっすよ!確かに、強いアストラを持ってる奴の方が生きやすいし、クソみたいな奴も山ほどいる!」

 なんでもいい。少しでもいい。クザンのどこかに何かが刺さるかもしれない。そんな可能性に賭けて、必死に言葉を繋ぐ。

「でも、それだけじゃないし!力がなくても、人を踏み台にしなくても、生きようとしてる人たちがいるんすから!」

 玄太が見つめる、中央のヴィジョン。

 ――アルカノア農場。

 そこでは、アストラの有無に関係なく、人々が役割を分け合い、声を掛け合いながら働いていた。誰かが遅れれば、別の誰かが自然と手を伸ばす。力の大小ではなく、出来ることで支え合う光景。

「ほら、見てよ!こういう場所も、この世界にはちゃんとあるんだ!」

 玄太の話などまるで意を返さず、クザンはヴィジョンの前に立ちその背中を玄太に向ける。

「逆に言えばさ、どんな世界を作ったって完全に平等なんて無理って……」
「熱弁ご苦労様……大丈夫だよ。別にこの世界そのものを壊すわけじゃない。天秤の粛正が終われば、また新たに知的生物の育成から始めるさ」

 クザンのまぶたが、ほんのわずかだけ持ち上がった。そして、天貴の身体から赤い魔力が漏れだすと、両手を広げるクザン。

「お、おい!魔力全開かよ!?何する気だ!?」

 体中から魔力を放出しながら、顔を横に向けてニヤリとする。

「さあ……フィナーレだよ」

 その一言と同時に、両手を上にグググっと持ち上げようとする。

「っ!?な、なんだよ!なにを持ってんだよ!」
「なにって……海全体は、さすがの僕にもちょっと重いんだよね」

 玄太が理解不能という顔をした瞬間、地上では海そのものが空へ向かって持ち上がっていた。巨大な海水が、水平線の端から端までせり上がる。まるで大陸ひとつ丸ごと持ち上げたかのような、水の塊。

「……は……?な……んだよ、あれ……」

 魔導研究室全体が赤く染まり、玄太の身体も天井にグググと押されるように持ち上がる。

「一気に沈めるには、いちど全部まとめて持ち上げればいい」
「っくそ!やめろぉぉ!ほどけよ、これ!!」

 クザンは体中の魔力を使って、両手を持ち上げた。空に掲げた両手を震わせながら、その時を待つ。

「はぁ……はぁ……さあ、あとはこれを落とすだけ……!」
「だめ!お願い、やめてってば!てんぱぁぁぁぁぁ!!」

 *****

 アルカノア南部・海上。

「せ、せんちょぉぉぉぉ!!」
「舵を外せ!流れに逆らうな、船を殺すぞ!!」

 怒鳴り声と同時に、操舵輪が弾かれた。ガスケット海賊団の船は、きしむ音を上げながら横波を受け、船腹を大きく揺らす。

「波じゃない……海そのものが、動いてやがる……!」

 見張りが叫ぶ。海面は荒れていないのに、水位だけが異様な速さで上がってきていた。

「南から押されてるぞ!」
「違う、下だ!下から持ち上がってきてる!」

 甲板に海水がなだれ込む。船員が足を取られ、樽が転がり、ロープが鞭のように跳ねる。

「帆をたため!!」
「無理だ!もう風に掴まれてる!」

 船が、意志を失ったように流され始めた。進んでいるのか、引き寄せられているのか、誰にも分からない。

「お、おい……あれ……」

 遠くの水平線。そこに、ありえない盛り上がりが見えた。大波ではない。海そのものが、空へ向かって反り返っていた。

「……なんだよ、あれ……」
「神の怒りってやつかよ……んなもん、糞喰らえだ!」

 船長は歯を食いしばり、前を睨み続ける。

「賭けだ……!逃げても沈む!だったらこのままアルカノアへ帆を向けろ!」

 船首がわずかに向きを変えると、船は巨大なうねりに飲み込まれ、船は真っ白な水しぶきに包まれた。

 *****

「お、おい!海が…浮いてる?」

 世界中の人が、南を見上げていた。
 本来水平線にあるはずの海が、空中に持ち上げられていた。水そのものの塊が、重力を忘れたまま宙に止まっている。

「さっきの声は本当だったんだ」
「あぁ、ついに始まったのか……神の粛正が」

 呆然と空を仰ぐ兵士。泣き声を押し殺すように、子供を強く抱き寄せる親。足を止めた商人の籠が、音もなく地面に転がった。祈りの言葉を探す者も、逃げ道を探す者もいた。だが、どの視線も最後は同じ場所に戻ってくる。
 南の空。持ち上がったまま静止する、途方もない水の塊。

「どうなるんだよ……あれ?」

 誰かが呟いた問いに、答えられる者はいなかった。街も、国も、立場も関係ない。その光景の前では、人はただ“見ている存在”でしかなかった。世界は、息を潜めたまま次に起こる何かを、待たされていた。

 ――そしてその光景は、アルカノアからもはっきりと見えていた。

「ねえ……アレが見えてるのって、私だけ?」

 冗談みたいな光景に、半笑いのアリス。だが、その指先は、南の空を指したまま微かに震えている。

「安心しろ……俺にも見えてる」

 コンバインが、木材を持ち上げたままフリーズしつつ、答えた。いや、だったら安心できないでしょ!なんてツッコミを入れる余裕もなく、人々が次々と足を止めて首を上げる。

「さ、さすが俺の天貴殿……空ばかりか、海まで制するお方であったとは……」
「なあ、いまなら海底に沈んでるお宝とか探せそうじゃねえか?天貴が帰ってきたらもう一回持ち上げてもらうか……」

 コンバインとリオックの冗談めかしたトークは、場を和ませるどころか逆に恐怖をあおった。そのくらい、空に浮かぶ海は、あまりにも現実離れしていた。いつものように笑いに変えるには、光景が異常すぎた。

 手に持っていた農具や収穫しかけの作物。それらは、唐突に意味を失っていた。

「……終わった」
「こんなことしたって、どうせ……なぁ?」

 誰かの呟きが、風に紛れて消える。

 空にあるのは、雲じゃない。海だ。世界を洗い流す、粛正の正体。あれが、もし落ちたら、どこにどう逃げる?でも、そんな疑問はもはや誰も口に出さない。

「……全員、落ち着いて。落ち着かないと思うけど…落ち着いて」

 自分でも何言ってるかイマイチ分からない。そんなアリスは、ごくりと喉を鳴らし――それから、強く息を吸った。

「まだ、何が起きるか分からない。でも……アルカノアは大丈夫……沈まない」
「ええ、アリスちゃん。貴女の想定内…そうでしょ?」
 
 アルカウッド改造計画の主導者、アリスとノーグの信じる声。アルカノアは守られている。そう信じていた場所でさえ、他の世界と同じく裁きの視界に入っている。

「はは……へっちゃらってマジかよ……でも信じてるぜ、アリス嬢」
「コンバイン、俺の娘が大丈夫って言ってんだ!みなも、不要に動揺するな!何も変わらん!」

 ラクターの一声。その言葉で、ざわついていた空気が、わずかにだけ静まった。無いよりはあった方がいい。それが希望だ。恐怖が消えたわけじゃない。ただ、ここに踏みとどまる理由が与えられた。

 歪な空を見上げながら、世界は息を止める。神の粛正が落ちてくる時をただ、待つように。
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