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30-1 許可
しおりを挟むすることは決まったが、かといって奏が好きに動いて良いわけではない。
あくまで奏の保護者は第二王子であるフェリクスであり、奏が何かしら傷や怪我を負った場合、その責任は奏ではなくフェリクスに負われる。
とは言っても、結局の所、聖女は浄化の度に体力を消耗する。その為に衰弱死してしまった聖女もいるくらいなのだから、保護者に対して聖女の行動全ての責任が向くわけではない。
あくまで保護責任というのは、聖女のような「貴重な力を持つ存在」が、「簡単に死なないように」見守る役目の方が大きい、というのはステラの言である。
なので、今回は許可を取ることが必要だ、とステラは言う。
外へ出る許可。そして、禁足地に足を踏み入れる許可。それらを得ずして、奏が勝手に動くのはあまり良い方法とは言えない。
実際、禁足地の浄化はもしかしたら命の危機を及ぼす可能性がある。人相手ではないにせよ、浄化を行うということは一定以上体力を消耗すると考えられるからだ。
もし禁足地の奥で奏が倒れてしまったら、誰も助けにくることは出来ない。禁足地に足を踏み入れ、長時間居座ることで死した魔物の呪いや穢れが、人々の体に蓄積するからである。
もしものことを考えて、許可を得るべきだ――というステラの言葉に、奏も頷いた。
とは言え、そもそも呪いを解くのに奏の体力がとんでもなく消費されてしまうようであれば、命の危険があるこの作戦は上手くいかない可能性がある。
だから、とステラは侍女から何かを受け取り、奏の方にそっと何かを押し出した。
これは練習だよ、と言われたもの。それは小さな箱だった。奏がステラから貰ったものより小ぶりで、恐らくリングケースだろう。全体を覆うように宝石が散りばめてあり、それらの中の大半が割れてしまっている。
これは、と奏が首を傾げると同時に、ステラは笑う。
「これは代々伝わる指輪でね。端的に言えば、呪われている」
「の、呪われているんですか?」
「そう。魔物の血を浴びたものらしいんだ。長期間着用していると、着用者の体調が悪くなる。言わば持ち運べる禁足地みたいなものだね」
ステラは静かに続ける。そうしてから、慌てたように言葉を続けた。
「ああ、でも、安心して。ケースに沢山の保護魔法をかけているから、この中にある内は人体に害はないんだよ。といっても、その保護魔法もケースを飾る宝石が全て割れたら、無くなってしまうのだけれど……」
ステラは場を取りなすように咳き込むと、奏をじっと見つめた。その瞳が、奏の決意を問うように揺れている。
――これで聖女様の浄化の力を少し試してみないか、と、ステラは続けた。
*
帰宅するステラを見送ってから、奏はその足でフェリクスの元に向かう。
恐らく今の時間帯であれば、フェリクスは休憩しているはずだ。昼食を摂っている頃合いではないだろうか。
本来なら明日の朝まで待つべきだっただろうが、奏の行動はフェリクスの今後にも関わってくるので、相談出来るなら早い内の方が良いだろう。明日、急にフェリクスの婚姻が決まる可能性だってあるのだ。
執務室に訪れると、扉の前には護衛が立っている。声をかけると、護衛から中に声がかけられ、程なくして扉が開いた。
「奏。どうしたの?」
執務を行うテーブルとは、また少し離れた場所にある歓談用のテーブルの傍にある、ソファーにフェリクスは居た。どうやら思った通り、今から昼食の予定らしく、テーブルの上には軽食が置かれている。
「少し相談したいことがあって。今お時間大丈夫ですか?」
「そう。僕もこの後キミに会いに行こうと思って居たからちょうど良かった。――昼食は食べた?」
フェリクスは微笑みを浮かべて奏を見る。視線があまりにも優しくて、なんとも言えずむずがゆくなってくる。奏は首を振ると「まだです」と囁いた。
「ならここで食べて行ったら。用意をさせるよ。ねえ、おいで」
言いながら、フェリクスは控えていた使用人に奏の分の食事を用意するように伝える。直ぐに部屋から出て行く背中を見送りながら、奏は勧められたままソファーに腰を下ろした。
フェリクスの隣――に座ろうとして、流石に距離が近いだろうかと向かいに腰を下ろそうとすると、フェリクスが手を伸ばしてきて奏に触れた。指先をする、と撫でられる。
「おいで、って言ったんだけど」
「……ええっと」
「わざわざ遠い所に座る意味ってある? 無いでしょ。ほら、隣に来て」
フェリクスがスペースを軽く空ける。ソファー自体は二人がけのものなので、奏が座っても十分にゆとりのある大きさだ。
少しだけ考えて、奏は軽く笑う。なんだろう、多分、甘えられているのだろうな、と思う。以前なら、多分奏が向かいに座ろうが何をしようが何も言わなかったのではないだろうか。
ここで意地を張る必要も無いし、理由だって無い。じゃあ、とフェリクスの隣に腰掛ける。
フェリクスは人払いをすると、それで、と奏を見た。
「キミの相談っていうのは、ステラ様が今日、キミの部屋に訪れたことに関係があるの?」
奏は瞬く。奏の部屋へ来る前、ステラはフェリクスの元へ手紙を置いてきた、と言っていたし、その手紙に目を通していたのだろう。
ステラが関係しているかどうか。確かに、ステラと共に話して決めたことだが、それ以上に少し前から考えていたことでもある。ステラは奏の背を押してくれただけだ。
「――何か言われた?」
フェリクスがじっと奏の様子を探るように見つめてくる。美しい虹彩が、奏の異変を一つたりとも逃さない、とでも言うように動くのがわかった。
心配してくれているのだろう。以前、ステラとの対話で奏が落ち込んでいたというのも関係しているのかもしれない。奏は首を振る。
「何も。ステラ様から、美味しいお茶を頂きました。清涼感のある……」
「ああ、エンデリオンのお茶だね。ああいうのも好きなの?」
「結構好きですよ。甘いのも、ああいうのも。苦いのは苦手ですけれど」
「それは知ってる」
フェリクスが笑う。触れるよ、と断りを入れてから、フェリクスは奏の頬にそっと手を添えてきた。輪郭を辿るように指が動く。
「何もなかったなら良かった。手紙を見たとき、仕事を持ってキミの部屋に行こうかと思ったくらいだったから」
「それは流石に……大丈夫ですよ。信じてください」
「……前回物凄く落ち込んでいたのに、そんなことを言うの? 信じる、信じない以前の問題でしょ。心配だったんだよ」
フェリクスの手が軽く奏の頬をつねる。痛みはない。加減してくれているのだろう。むにむにと軽く動かされた後、すぐに手がぱ、と離れた。
「まあ、この様子を見るに心配は杞憂だったみたいだけれど。――それで、キミの相談って?」
フェリクスはからかうように表情を崩す。ちょうど、使用人が奏のための食事を持って来た。テーブルにそれらを並べ、直ぐに退出していく。
室内には二人きりだ。奏はそっと息を零して、フェリクスを真っ直ぐに見つめる。
「許可を頂きたくて」
「許可? 何の」
「――禁足地に立ち入る許可です」
穏やかな表情を浮かべていたフェリクスが、瞬きの間に表情をこそげ落とす。温度の低さを感じさせるような眼差しで「どうして」と、静かに言葉を吐き出した。
平坦な声音だ。感情の一切を塗りつぶしてしまったかのように響く声だった。
「禁足地は穢れているんだ。前にも言ったけれど、あの場所に立ち入って無事で居られた人間はいない。キミがそんな場所に立ち入ることを僕は許可出来ない」
「……フェリクス」
「もしキミが、聖女としての仕事をしなければならないとか思って、そういった事を言っているのなら――やめて。キミだって知っているでしょう。辺境伯の息子がどうなっていたか」
もちろん知っているし、覚えている。人体が腐りかけている時の臭いを、奏はあの時初めて知った。
「駄目だよ。危ないんだ。何か言われたの? 聖女なら禁足地を浄化出来るとか? 今までの聖女が行ったこともない、前例のないことを、キミがしようとしなくても良いんだ。それにもし禁足地に立ち入って、キミが奥で倒れたら――誰も助けに行けないんだよ。わかっているの」
「もちろん、わかっています」
「なら、どうして。危ないんだ。絶対に止めた方が良い。キミが苦しむことになる。……許可は出せないよ」
静かな否定だった。フェリクスは落ち着かなさを隠さず表情へ宿し、困ったように視線を揺らす。どうか聞き分けて欲しい、と、その瞳が懇願するような光を帯びている。
確かに、禁足地に足を踏み入れる以上、奏の体に異変が起きる可能性は高い。フェリクスの言うように、禁足地の奥で倒れて、そのまま死ぬ可能性もあるだろう。そう考えると、ぞっとするものがある。
けれど、と、奏はフェリクスを見つめる。そうしてから、ステラに手渡された小箱をそっとテーブルの上に置いた。
フェリクスも見たことがあるのだろう。これは、と口にする声が掠れている。
「ご存知ですか?」
「……知っているよ。有名だからね。エンデリオンの呪われた指輪は。王族が所有することが義務づけられている……」
「……もう、これ、多分、大丈夫なんです」
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