生まれ変わった大魔導士は、失われた知識を駆使して返り咲きます。

三歩ミチ

文字の大きさ
68 / 73
3 砂漠化の謎を探る

3-15.夜の水中散歩

しおりを挟む
 昼間は賑わう広場も、この時間になると、人っ子ひとりいない。カラフルな日除けは、暗がりの中では、色をなくしたように見える。陽光を美しく反射している池の水も、その美しさを控えている。池の中央に立つ初代国王の像だけが、変わらぬ威厳を保っていた。
 私とニコは、池の縁に立ち、中を見下ろす。どこまでも透明な水の向こうには、精緻な木の彫刻が、枝を広げている。

「不思議よね、この彫刻。初代国王の足が、木の上に立ってるんだもの」
「そのくらい、この木は、大切なものなんだろうね」

 地下には、王都の、すべてがある。
 絵本の一節が、頭をよぎった。
 そこに何があるのか知りたいというのは、もはや使命感を離れた、好奇心かもしれない。

「ニコ」

 私は、両手を広げた。

「もう、行っていいの?」
「いいわ」

 ニコは私の後ろに立ち、お腹の周りに腕を回す。両手を下ろして、ニコの邪魔にならないよう、力を抜いた。

「靴は……脱いで行こうか。水が入ったら、結局脱げそうだから」

 この姿勢だと、話をするニコの息が、私の耳にかかる。囁く声は、鼓膜までくすぐってくる。
 靴を脱いで、池の縁に再度立つ。ひんやりと冷たく、砂の感触がする。ニコが何も言わずに、私の後ろから手を回した。

「ニコ、もう準備できた?」
「うん。膜は張ってある。途中で切れないように、祈ってて」
「途中で空気がなくなったら、死ぬしかないわね」

 比喩ではなく、物理的に。魔力が切れて、リカバーできなかったら、息ができなくて死んでしまう。

「ニコなら、大丈夫だと思うけど」
「そうかな、買いかぶりかもよ」
「私が教えたんだから、買いかぶりじゃないわ」

 くすくす。
 こんな暗い街中で、今から水に入っていこうというのに、全く緊張感のない会話だ。
 静かな笑い声が暫く続き、やがて、どちらからともなく、止んだ。
 ちゃぷ、と爪先を水に差し込む。もう、かけ声もいらなかった。ニコと息を合わせ、水面に、足を踏み出す。水の上なんて歩けないので、そのまま体が水に落ちる。

「……っ!」

 落ちた。
 予想以上に、普通に落ちた。
 私は咄嗟に、息を詰める。ぶくぶくと、鼻から吐き出した泡が頭上に向かっていく。対して体は、沈む。暗くてよく見えない、池の底へ。

「……ごめん、イリス。大丈夫?」

 咳き込む私の顔を、背後からニコが覗き込む。ぽた、と滴る水滴。ひとしきり咳をして、なんとか、呼吸が落ち着いた。

「大丈夫。ごめんなさい、水中での動きの制御を、教えてなかったわね」
「俺こそ、池が縦に深いってこと、忘れてたよ。風呂場では、こんなに深くなかったものね」

 そう。私たちは、浴槽の感覚で、何の準備もなく水に入ったのだ。どこかに足をかけて、ふわっと浮きながら降りていければいい。そんな感覚で。
 実際は池は深く、体が予想以上の勢いで沈んだ。最初に空気が来なかったのは、ニコが膜を張り忘れたのではなく、沈む勢いに間に合わなかったから。

「いやあ、いきなり死ぬかと思ったよ」
「これで、次に同じことがあっても、動揺しないで済むわね」

 今私たちは、かろうじて、下方の枝に足をかけていた。見上げると、遥か上に、ゆらめく水面。そこから漏れ入る夜の光が、ぼんやりと私とニコを照らしている。

「大丈夫。もう、勝手はわかったよ」
「なら、行きましょう」

 私とニコは、改めて、枝から足を離す。
 落下の勢いがないので、ふわっと降りることができた。底に足をつき、ニコが壁に手を這わせながら、穴を探す。
 その間私は、体に回されている側のニコの腕をちゃんと掴み、離れないようにしていた。

「あ、ここだ」

 ニコが示す先には、深くて暗い穴がつながっていた。

「……思っていたより、暗いわ」
「外からの光が届かないからね。こんなもんじゃないかな。イリス、怖い?」

 怖い? と聞かれて、怖いなんて答えられない。そもそもこの手段を取ろうと言ったのは、私なのだから。

「怖くは、ないわ。怖くは……」
「緊張してるでしょ。こんなに近づいてたら、強張ってるのも、わかっちゃうみたいだ」

 ニコの手が、水中を動き、私の肩を柔く揉みほぐす。それで、肩に入っていた力が、自然と抜けた。

「……怖いけど、ニコといれば、なんとかなるもの」
「俺も、イリスがいれば、魔力は足りるから。なんとかするよ」

 一歩。その暗い穴へ、踏み出す。

「イリス、支えるの、片手でもいい?」
「いいけど……どうして?」
「こういう風に見えないところでは、片手を壁につけて、歩いた方がいいんだ。仮に行き止まりでも、そのまま壁を伝って歩いてくれば、ここに戻れるからさ」

 ニコの言葉を聞いて、私は、彼の腕をしっかり掴んだ。

「よくそんなこと、知ってるわね。どこで聞いたの?」
「俺の、じいちゃんだったかな。役に立たないことをいろいろ教えてくれると思ってたけど、今役に立ったよ」

 そんな世間話が、心をほぐす。私は、ゆっくりと息を吐いて、暗がりを見据えた。

「なら、それはニコに任せるわ。私は、絶対に離さないようにするから、心配しないで」
「頼んだ。……よし、進もう」

 振り向けば、ぼんやりと見えていたニコの顔は、進むたびに見えなくなる。やがてそこは、真っ暗闇になった。文字通り、一筋の光もない。

「……イリス、俺から、顔を離しちゃだめだよ。俺、何にも見えてないから」
「わかってる。もし顔が水に入ったら、腕を叩くわ。そうしたら、空気の膜を広げて」
「了解」

 進んでいるということは、体の受ける緩やかな水圧で、辛うじて理解できる。右も左も、前も後ろも、上も下もわからない世界。浮き上がってしまったら、本当にわからなくなるだろう。

「……ニコ、腕はつらくない?」

 私の体を、ニコは実質、ひとりで支えている。一応こちらも掴んではいるが、私の重みは、彼の腕にかかってしまっている。

「大丈夫だよ、水の中だから」
「でも」
「この方がいい。いざというとき、すぐに魔孔を触れるでしょ」

 そう言われたら、その通りだ。
 この暗闇の中で、ニコの魔力が切れたら、絶望である。この体勢なら、ニコは少し手をずらすだけで、私の魔孔に触れられる。

「それなら……無理しないでとは、言えないけど」
「全然、無理じゃないよ。イリス、君は小柄だし、本当に軽いから」

 穏やかな声。それに、ニコの体温が、全身を包んでいる。この真っ暗闇の中でも、それなりに落ち着いていられるのは、ニコがそばにいるからだ。

「空気の玉をもうひとつ出して、そこに火を入れたら、少しは明るくなるかも」
「なるほどね。良いアイディアだけど……行き止まったときに、とっておこう。同時にふたつやり続けるのは、ちょっと自信がないから」
「ごめんね。もう少し早く思いついていれば、練習できたのに」

 道中思いついたところで、安定的にできないのは、当たり前だ。ニコひとりならやったかもしれないが、彼は今、私にも気を配らなくてはならない。

「謝らないでよ。俺だって、思いつきもしなかった。それに、こうして、進めているからね」

 責めずに、励ましてくれる、ニコ。
 私の至らないところを、こうしてフォローしてくれる。だから私は、彼に安心して背を預けられるのだ。比喩ではなく、今は物理的に、背を預けているわけだけど。

「前に進んでいれば、なんとかなるよ」
「そうね、ニコ」

 言葉通りの、暗中模索で。私たちは、一歩一歩、地下の水の中を歩いて行った。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。

渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。 しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。 「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」 ※※※ 虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。 ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

ヒロインですが、舞台にも上がれなかったので田舎暮らしをします

未羊
ファンタジー
レイチェル・ウィルソンは公爵令嬢 十二歳の時に王都にある魔法学園の入学試験を受けたものの、なんと不合格になってしまう 好きなヒロインとの交流を進める恋愛ゲームのヒロインの一人なのに、なんとその舞台に上がれることもできずに退場となってしまったのだ 傷つきはしたものの、公爵の治める領地へと移り住むことになったことをきっかけに、レイチェルは前世の夢を叶えることを計画する 今日もレイチェルは、公爵領の片隅で畑を耕したり、お店をしたりと気ままに暮らすのだった

【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます

腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった! 私が死ぬまでには完結させます。 追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。 追記2:ひとまず完結しました!

処理中です...