老聖女の政略結婚

那珂田かな

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最終章

夜明けの園

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 まだ夜が明けきらぬころ、エドモンドはひとり薬草園へ向かった。
 白い靄が地を覆い、空の端ではかすかに夜明けの兆しが光を滲ませている。
 露に濡れた小径を踏みしめるたび、草の香りがわずかに立った。
 その背後には近衛のオスカーが控えていたが、王の沈黙に口を挟むことはしなかった。

 エドモンドは足音を忍ばせ、枯れ草の上をゆっくりと進んだ。
 昨夜の王女輿入れのざわめきが嘘のように、ここには静寂だけがあった。
 薬草園では、冬を越したハーブ達が元気に成長している。
 その一つひとつに、セラの手の温もりがまだ残っているように思えた。

 ――若く、美しい姫だった。

 彼は王女の顔を思い浮かべた。
 年若いとはいえ、落ち着きと品格があり、貴族たちを一瞬で魅了した。
 だが、求めていた“彼女”の面影は、そこにはなかった。

 「……何を期待していたのだ、私は」
 低くつぶやき、唇に苦笑が浮かぶ。

 十七年前のあの日――エルダリスで新しい命が生まれたと知らされたとき、
 エドモンドはそれをセラの生まれ変わりだと信じた。
 夢の中で最後に聞いた言葉――“太陽は沈み、また昇る”。
 それが現実となったのだと、そう思い込もうとした。

 以来、リゼットを通じて何度も王女の様子を聞き出した。
 最初こそ訝しげだったマルセルも、やがてその意図を察したのか、少女の成長を描いた絵画を毎年送り届けてきた。
 幼いながら侍女を従えた姿、本を読む姿、愛玩動物を膝に乗せた姿――
 その絵の中に、エドモンドはいつも“セラ”を探していた。

 そして年月が過ぎ、少女がほどよき年齢に達したとき、縁談の話が持ち上がった。
 それが、昨日の輿入れだった。

 「……私はなんと愚かだったのだろう」
 エドモンドは天を仰いだ。
 「勝手に思い込み、己の救いにしていた。あの王女には気の毒なことをした。まだ十七歳――二十も年上の男に嫁がねばならぬとは」

 悔恨が胸を締めつける。
 吐く息が白く揺れ、夜明け前の冷気が頬を刺した。

 そのとき、足音がした。
 振り向くと、リゼットを伴った王女アンジェラが、朝の光を背に立っていた。
 淡い金の髪が微風に揺れ、夜明けの光を受けてほのかに輝いている。
 肩からかけた白のショールには、露の粒がいくつも光っていた。
 その下に纏う薄水色のドレスは、静寂の薬草園に爽やかな彩を映す。
 愛らしい容姿でありながら、どこか凛とした気配をまとっている。

 「おはようございます、陛下」
 王女は静かに一礼した。
 リゼットが少し離れて控える。王女の瞳は真っすぐで、どこまでも清らかだった。
 エドモンドは一瞬、言葉を失った。

 「早起きだな。昨夜は疲れただろうに」
 「はい。ですが、婚礼式の前に、どうしても陛下に申し上げたいことがありまして」
 アンジェラは一歩、王の前に進んだ。青い瞳がじっとエドモンドを見つめる。

 「――私は、大叔母、聖女セラの生まれ変わりではありません」

 朝靄の中で、その声は澄んだ鐘の音のように響いた。
 エドモンドの胸の奥で、何かが静かに崩れる音がした。
 やがて東の空が白み始め、薬草園の葉の先に光が宿る。
 鳥のさえずりが一声、夜明けの訪れを告げた。

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