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第二章
新しい朝
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「あ、あのおはようございます」
「おはようございます。今日はいいお天気ですね」
部屋の扉を出たところでお隣さんに声を掛けられ、エステルは挨拶を返した。
クレトが女性とホテルを出てくるところを目撃してから一週間が経つ。あの時はとにかくクレトの邸を出たくて勢いで借りた部屋だったけれど、隣人はいい人だし静かで住みやすい場所だ。
エステルが挨拶を返すと、隣人の若い男性はそばかすの浮いた顔を上気させた。
「あ、えっと。ほんといい天気ですね」
お隣さんは少し恥ずかしがり屋だ。自分から声をかけておきながらエステルが返事を返すといつも赤くなる。気は良さそうな方なので悪い人ではないけれど。変なの。
マリナと共に歩き出そうとすると、いつもは挨拶だけのお隣さんが珍しくエステルを呼び止めた。
「あ、あの、エステルさん」
「はい」
立ち止まって振り返るとお隣さんは「あ、あのですね……」ともじもじと言いよどむ。
「はい、何でしょう」
仕事の時間もあることなので先を促すと、お隣さんは意を決して顔を上げた。
「あの、もしよかったらなんですが今度―――」
「―――お嬢様。急ぎませんと。今日は朝から商談が入っておりましたわよ」
「ほんと。今日はいつもより早く来るようにってクレトに言われているんだったわ。―――ごめんなさい、わたし急がなきゃ。お話はまた今度でもいいかしら?」
「あ、もちろん。お仕事なら仕方ないですね。いってらっしゃい」
「いってきます」
クレトの家を出たといっても、結局は仕事で毎日クレトの邸に通っている。
クレトが女性とホテルを出てくるところを目撃し、言いようのない思いに襲われ、クレトと顔を合わせるのが怖かったのだが、邸を出て翌日、突然何の前置きもなく邸を出たことを謝りに行くと、クレトはエステルが何か言う前に「いい部屋が見つかったんだね」と喜んでくれた。
いつもと変わらないクレトにエステルはほっと肩の力が抜けた。本当はあの女性との関係を聞きたかったけれど、そうなるとクレトをつけていたことも言わなければならず、結局は聞けなかった。
エステルが、偶然見つけた不動産屋でいい部屋が見つかったので急だったけれど移ったのだと言うと、クレトは「そう」とあっさり頷いた。
引き留めてくれるとは思っていなかったけれど、あまりに淡々としていて少し寂しかった。
でもきっとこれでよかったのだ。
エステルが出て行ったことで、クレトはあの女性を邸に呼んで夜を過ごすことができるようになった。
あの海の見えるテラスで、二人でグラスを傾けたりするのかと想像するとやっぱり胸は痛いけれど、善意で助けてくれたクレトの、いつまでもお荷物でいるわけにはいかない。
これからはより一層仕事を頑張って、クレトを助けられるような立派な女性になりたい。
エステルはマリナと大通りを急ぎながら決意を新たにした。
夕方仕事が終わり、帰宅する前にエステルはマリナと共にベルナルドの不動産屋へ顔を出した。
クレトの紹介で、たくさんの部屋を紹介してくれたのに、結局違う店で借りることになり、お礼とお詫びを兼ねて挨拶に伺った。
事務所を入るとデスクについていたベルナルドは、気のいい笑みを浮かべ、「やぁ」と片手をあげた。
「聞いたよ。いい部屋が見つかったそうだね」
「よくご存じですね」
「そりゃあね。ここら辺の不動産のことなら大抵のことは知ってるよ。と言いたいとこなんだけどクレトから聞いたんだよ」
エステルが余所で決めてきたとわかった時点で、ベルナルドに報告してくれたのだろう。本当ならエステルの方が先にベルナルドに断るべきだった。
「本来ならもっと早くお伺いしてお礼を申し上げるべきでした。到らず申し訳ございません。せっかくいろいろと紹介していただいたのに、違うお店に頼むことになりベルナルド様には申し訳のないことを致しました」
「いいっていいって。こういうのは水もんだからさ。そんなもんだよ。気にしなくていいよ」
ベルナルドはひらひらと手を振り、
「あの物件はいい物件だよ。エステルさんいいとこ選んだね。正解だよ」
「ご存じなんですか?」
「場所もクレトから聞いたからね。あそこのアパートメントのオーナーは妙齢のご婦人で、今まで住人とのトラブルも聞いたことがないからね。安心して住むといいよ」
この辺りの不動産のことなら大抵は知っているという前言は虚言ではないのだろう。実際、部屋を紹介してくれていた時も、細かいことまでよく知っていた。
それより、エステルにはもう一つ気になることがあった。
「あの、クレトとはずいぶん親しいのですか?」
今まで物件以外の話をしたことがなかったので気が付かなかったが、ベルナルドの話しぶりからはクレトとの親密さが伝わってくる。
「そうだね、あいつが国を出てからだから、そうだなぁ。かれこれ十年以上の付き合いにはなるなぁ」
「十年……」
クレトはいま二十五歳なので十年前となると十五歳だ。まだ少年と言える年にクレトは国を出ていたなんて。
「クレトは元々どこの国に?」
エステルの暮らした王都やこの邸がある港町はレウス王国内だが、クレトの柔らかな色合いの茶髪はレウス国内ではあまり見かけない。
エステルの問いにベルナルドは「聞いてないの?」と聞き返し、「うーん」と眉間を寄せた。
「あいつ秘密にしているのか? だとしたら俺の口からは言えないよ」
「秘密、なのでしょうか。あまりクレト自身のことをお聞きすることがなかったので、そのような話になったことがなかっただけなのかもしれません。第一、何か知られては不都合なことが?」
出身地を隠す意味もあまりない。この大陸にある王国や公国はすべてバラカルド帝国の属国だ。もちろんエステルの暮らしたレウス王国も然りだ。国交が不安定であるとか、敵対しているような国々はなく、出身地でいわくが付くようなこともないので隠す必要はない。
「別に不都合なんかないだろうが、あいつはあまり言いたくないのかもしれない。まぁ本人に直接聞いてみなよ」
それもそうだ。エステルは改めてベルナルドに礼を言うと店を出た。
「おはようございます。今日はいいお天気ですね」
部屋の扉を出たところでお隣さんに声を掛けられ、エステルは挨拶を返した。
クレトが女性とホテルを出てくるところを目撃してから一週間が経つ。あの時はとにかくクレトの邸を出たくて勢いで借りた部屋だったけれど、隣人はいい人だし静かで住みやすい場所だ。
エステルが挨拶を返すと、隣人の若い男性はそばかすの浮いた顔を上気させた。
「あ、えっと。ほんといい天気ですね」
お隣さんは少し恥ずかしがり屋だ。自分から声をかけておきながらエステルが返事を返すといつも赤くなる。気は良さそうな方なので悪い人ではないけれど。変なの。
マリナと共に歩き出そうとすると、いつもは挨拶だけのお隣さんが珍しくエステルを呼び止めた。
「あ、あの、エステルさん」
「はい」
立ち止まって振り返るとお隣さんは「あ、あのですね……」ともじもじと言いよどむ。
「はい、何でしょう」
仕事の時間もあることなので先を促すと、お隣さんは意を決して顔を上げた。
「あの、もしよかったらなんですが今度―――」
「―――お嬢様。急ぎませんと。今日は朝から商談が入っておりましたわよ」
「ほんと。今日はいつもより早く来るようにってクレトに言われているんだったわ。―――ごめんなさい、わたし急がなきゃ。お話はまた今度でもいいかしら?」
「あ、もちろん。お仕事なら仕方ないですね。いってらっしゃい」
「いってきます」
クレトの家を出たといっても、結局は仕事で毎日クレトの邸に通っている。
クレトが女性とホテルを出てくるところを目撃し、言いようのない思いに襲われ、クレトと顔を合わせるのが怖かったのだが、邸を出て翌日、突然何の前置きもなく邸を出たことを謝りに行くと、クレトはエステルが何か言う前に「いい部屋が見つかったんだね」と喜んでくれた。
いつもと変わらないクレトにエステルはほっと肩の力が抜けた。本当はあの女性との関係を聞きたかったけれど、そうなるとクレトをつけていたことも言わなければならず、結局は聞けなかった。
エステルが、偶然見つけた不動産屋でいい部屋が見つかったので急だったけれど移ったのだと言うと、クレトは「そう」とあっさり頷いた。
引き留めてくれるとは思っていなかったけれど、あまりに淡々としていて少し寂しかった。
でもきっとこれでよかったのだ。
エステルが出て行ったことで、クレトはあの女性を邸に呼んで夜を過ごすことができるようになった。
あの海の見えるテラスで、二人でグラスを傾けたりするのかと想像するとやっぱり胸は痛いけれど、善意で助けてくれたクレトの、いつまでもお荷物でいるわけにはいかない。
これからはより一層仕事を頑張って、クレトを助けられるような立派な女性になりたい。
エステルはマリナと大通りを急ぎながら決意を新たにした。
夕方仕事が終わり、帰宅する前にエステルはマリナと共にベルナルドの不動産屋へ顔を出した。
クレトの紹介で、たくさんの部屋を紹介してくれたのに、結局違う店で借りることになり、お礼とお詫びを兼ねて挨拶に伺った。
事務所を入るとデスクについていたベルナルドは、気のいい笑みを浮かべ、「やぁ」と片手をあげた。
「聞いたよ。いい部屋が見つかったそうだね」
「よくご存じですね」
「そりゃあね。ここら辺の不動産のことなら大抵のことは知ってるよ。と言いたいとこなんだけどクレトから聞いたんだよ」
エステルが余所で決めてきたとわかった時点で、ベルナルドに報告してくれたのだろう。本当ならエステルの方が先にベルナルドに断るべきだった。
「本来ならもっと早くお伺いしてお礼を申し上げるべきでした。到らず申し訳ございません。せっかくいろいろと紹介していただいたのに、違うお店に頼むことになりベルナルド様には申し訳のないことを致しました」
「いいっていいって。こういうのは水もんだからさ。そんなもんだよ。気にしなくていいよ」
ベルナルドはひらひらと手を振り、
「あの物件はいい物件だよ。エステルさんいいとこ選んだね。正解だよ」
「ご存じなんですか?」
「場所もクレトから聞いたからね。あそこのアパートメントのオーナーは妙齢のご婦人で、今まで住人とのトラブルも聞いたことがないからね。安心して住むといいよ」
この辺りの不動産のことなら大抵は知っているという前言は虚言ではないのだろう。実際、部屋を紹介してくれていた時も、細かいことまでよく知っていた。
それより、エステルにはもう一つ気になることがあった。
「あの、クレトとはずいぶん親しいのですか?」
今まで物件以外の話をしたことがなかったので気が付かなかったが、ベルナルドの話しぶりからはクレトとの親密さが伝わってくる。
「そうだね、あいつが国を出てからだから、そうだなぁ。かれこれ十年以上の付き合いにはなるなぁ」
「十年……」
クレトはいま二十五歳なので十年前となると十五歳だ。まだ少年と言える年にクレトは国を出ていたなんて。
「クレトは元々どこの国に?」
エステルの暮らした王都やこの邸がある港町はレウス王国内だが、クレトの柔らかな色合いの茶髪はレウス国内ではあまり見かけない。
エステルの問いにベルナルドは「聞いてないの?」と聞き返し、「うーん」と眉間を寄せた。
「あいつ秘密にしているのか? だとしたら俺の口からは言えないよ」
「秘密、なのでしょうか。あまりクレト自身のことをお聞きすることがなかったので、そのような話になったことがなかっただけなのかもしれません。第一、何か知られては不都合なことが?」
出身地を隠す意味もあまりない。この大陸にある王国や公国はすべてバラカルド帝国の属国だ。もちろんエステルの暮らしたレウス王国も然りだ。国交が不安定であるとか、敵対しているような国々はなく、出身地でいわくが付くようなこともないので隠す必要はない。
「別に不都合なんかないだろうが、あいつはあまり言いたくないのかもしれない。まぁ本人に直接聞いてみなよ」
それもそうだ。エステルは改めてベルナルドに礼を言うと店を出た。
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