出来レースだった王太子妃選に落選した公爵令嬢 役立たずと言われ家を飛び出しました でもあれ? 意外に外の世界は快適です

流空サキ

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第二章

クレトの思惑

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「なんだって!」

 昼前に邸へ戻ると、出迎えた執事に聞かされた内容にクレトは大声を上げた。
 昨夜は商談が長引き、トラブルも発生してそのままホテルで仕事をしていたのだが、邸に連絡を入れる暇もなく朝になった。仕事仲間のダナとホテルを出、残っていた仕事をすませ、ついさきほど帰宅したところだ。
 疲れ切って帰ってみれば、なんとエステルとマリナが荷物をまとめて邸を出て行ったという。なんでも、借りられる手頃な部屋が見つかり、すぐにでも入居できるというので出て行ったというのだ。

 クレトの大声に、この邸を任せている執事のブラスは片眉をぴくりとあげた。

「そう大きな声を出されますな。邸の主はいつも泰然自若としていなければなりませんよ」

「これが落ち着いてなどいられるか。ブラス、お前がいながらなぜこんなことになったのだ」

「もちろん私はお止めいたしましたよ。この邸を出ていかれるにせよ、せめてクレト様のお帰りをお待ちくださるよう何度もお願いいたしました。ですがなぜかお急ぎのご様子で、クレト様へのご挨拶は明日にでも改めて伺うのでともかく今日のうちに出ていきたいとおっしゃられまして」

「なぜそんなに急ぐのだ」

「さぁ、私にはわかりかねます。訳をお尋ねしたのですが何もおっしゃらず、元々少ないお荷物でしたのでそれはもうあっという間に身の回りを片付けられて。私とて無理やりお留めする権利はございませんので致し方なくお見送りしたのです」

 クレトはブラスの話に到底納得できるはずもなく、「それで?」と先を促した。

「当然新たな住まいの場所は聞いたのだろうな」

「はい。それはぬかりなく」

 ブラスは懐から一枚のメモを取り出すとクレトに渡した。ここからほど近いアパートメントの名が書いてあった。
 エステルに渡している給金ならば十分に支払える相場の物件だ。立地も悪くない治安のよい地域だ。

「エステルはこれをどこの不動産屋で見つけたのだ? 何か言っていたかい?」

「はい。大通りにある不動産屋だそうです。クレト様のご紹介なさったベルナルド様以外のところからお借りになったことは大変申し訳なく気にしておられましたが」

 大通りの不動産屋と言えば十件ほど軒をつらねている。最近よく街へ出かけていくことは知っていたが、まさか自分の紹介した不動産屋以外のところで部屋を見つけてくるとは思わなかった。迂闊だった。当然このようなことも起こりうると予測しておくべきだった。

「少し出かけてくる」

「今お帰りになったばかりではありませんか」

「エステルが出て行ったのだ。ゆっくり邸で休んでいる場合か」

何かされるおつもりですか?」

 咎めるようなブラスの声に、クレトはそっぽを向いた。

「お前にとやかく言われたくないな」

「まだ私は何も申しておりませんぬ。これから申し上げるのです」

 ブラスは伸ばしたちょび髭を白い手袋をはめた指先で整え、おほんと咳払いした。
 主はクレトだが年の功で言えば圧倒的にブラスが上だ。かしこまって物申そうとしているブラスを前にしては、クレトも居住まいを正し、諫言を受け止めるしかない。

「手短に頼むぞ」

「では僭越ながら。エステル様が公爵家を出られてからはや半年。その間エステル様は一生懸命にクレト様のお仕事を覚え、世間というものを必死に学ぼうと努力されてこられました。今ではただの箱入り娘から立派に仕事をこなせる女性におなりです」

「まぁそうだな」

 エステルの努力と吸収力のよさはクレトも認めるところだ。

「しかしクレト様といったらどうでしょう。エステル様の自立しようとする足を引っ張り続け、あまつさえ邸を出ていかれただけでこの騒ぎよう」

「その言い方は心外だ。私は若い女性の一人暮らしは危ないからと用心しているだけだ。エステルは美人だしかわいい。公爵家の令嬢とあって品もある。そんな女性がメイドと二人で住んでいてみろ。男どものいい餌食だ」

「それも本音でしょうが、一番の本心を隠してはいけませんぞ」

 ぴしゃりとブラスは言い切った。

「エステル様が部屋を借りられぬよう、ベルナルド様に頼んでおいでなのはこのブラス承知しておりますぞ。せっかく検討してここと決めてベルナルド様から部屋を借りようとすると、いつも先約ができて断れてしまうとエステル様がおっしゃっておられました。がっかりされるご様子をこのブラス、何度も目にしております」

「それはまぁ、あれだ。エステルにはこの邸にいてほしいのだ……」

「そんなことは百も承知でございます。私が申し上げたいのは、ご友人を使ってエステル様をだますような真似をなさっていることに対して物申しておるのです。男らしく、正々堂々と一緒にここで暮らして欲しいのだと、どうしてエステル様にお伝えしないのです」

「……そんなこと言えるか」

 ぼそっと小声で呟くと、ブラスはお情けないと眉間に指をあてて嘆いた。

「クレト様は他は完璧でいらっしゃるのに、こと意中の女性のこととなるととたんに目が雲られる」

「エステルにその自覚が全くないからだ。私の気持ちを今伝えてもエステルは戸惑うだけだろう。私とエステルは公爵家令嬢とただの商人から始まったのだからな。私の存在など今は雇い主であり、ただの同居人といったところだろう」

「それで二の足を踏んでおられると?」

「下手に気持ちを伝えて、急に男を意識されて避けられるのは嫌だからな」

 ブラスはほうそうですかと言いたげに目を細めたが、それ以上の諫言は口にしなかった。

「話が終わったのなら私は出るぞ」

「……いってらっしゃいませ、クレト様」

 ブラスは腰を九十度折り、慇懃に頭を下げた。



 
 
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