【完結】サボテンになれない俺は、愛の蜜に溺れたい

古井重箱

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 ドーム球場には多くのファンが詰めかけていた。ジュラシックスのチームカラーの緑色に客席が染まっている。
 六月なのでセ・パ交流戦の真っ只中である。本日の相手はパ・リーグ二位の埼玉ライジングサンズ。長打を得意とするバッターが多い、攻撃力に優れたチームだ。
 陽翔は、玲司とともに内野席に座った。
 本日の玲司は白いシャツにブルージーンズというカジュアルな格好である。
 イケメンにもいろいろなタイプがいるが、玲司は知的で落ち着いている。エスプレッソマシーンのCMに出演したら、商品が大ヒットするのではなかろうか。
 玲司の目に自分はどう映っているのだろう。
 陽翔のルックスには特筆すべき点が何もない。街を歩いていてよく道を聞かれるが、それは隙のある雰囲気を漂わせているからだろう。
 
「陽翔くん、どうしたの? ジュラシックスはきっと勝つよ。そんな不安そうな顔しないで」
「すいません。俺、玲司さんと一緒にドームに来られて嬉しいのに……」
「予想スコアは八対ゼロ。強気すぎるかな?」
「今年のジュラシックス打線ならいけると思いますよ」

 試合開始前に、マスコットによるパフォーマンスが披露された。恐竜をモチーフにしたマスコットがぴょんぴょんと飛び回る。

「すごいね。よくあんなにジャンプできるなあ」
「体のバネが素晴らしいですね」

 やがて始球式が終わり、プレイボールとなった。
 ホームのジュラシックスはエースが打たれ、一回の表に三失点という厳しい立ち上がりになった。レフト側の外野席につどった埼玉ライジングサンズの応援団が歓喜の歌を奏でている。

「うーん。辛い展開だな……」
「まだ始まったばかりですよ。四番の渕上ふちがみに期待しましょう!」

 一回裏、先頭打者のライナー性の当たりは相手チームの守備に阻まれ、アウトとなった。
 二番打者はライトフライに倒れた。このまま三者凡退かと思っていると、三番打者がセンター返しを放った。
 ツーアウト一塁というシチュエーションで四番の渕上に打順が回った。ここでホームランが出れば、点差は一点に縮まる。
 打席に立った渕上は、昨年の本塁打王である。筋骨隆々とした体はとても貫禄があり頼もしい。渕上は二十九歳、野球選手として脂が乗っている。

「打て打て、渕上ー!」
「行け行け、渕上ー!」
「燃え上がれ、緑の戦士!」
 
 レフトスタンドの応援団が渕上の応援歌を歌い上げる。
 ボール、ファウル、ファウル。ボール、またしてもボール。
 スリーボール、ツーストライク。いわゆるフルカウントになった。

「渕上、頼んだぞ!」

 陽翔は拳を握りしめた。
 相手ピッチャーがインコースにストレートを放った。渕上がバットを強振する。
 しかし、渕上のバットがボールを捉えることはなかった。

「渕上めーっ! この給料泥棒が!!」
「ブンブン回るだけなら扇風機だってできるぞー!」

 陽翔のすぐ後ろの席からヤジが聞こえてきた。
 振り返れば、ジュラシックスの緑の半被を着た中年男性がふたり、赤い顔をしてビールを飲んでいた。

「抹消だ、抹消! ファームに落ちろ! 渕上のピークはもう終わったんだよ」

 陽翔の隣に座っている女性と男児が怯えた表情を浮かべている。
 いくら口下手な自分でも、この状況を見過ごすわけにはいかない。陽翔は振り向くと、ふたり組の男性に声をかけた。

「あの。小さいお子さんも来ているし。キツいことを言うのはやめてもらえませんか?」
「ああん? なんだよ、あんた。学級委員かよ」
「こっちはカネ払ってるんだぞ。お粗末なゲームを見せられたら、怒って当然じゃねーか!」
「俺はヤジは苦手です」
「あんたの好みなんて聞いちゃいねーよ」

 ふたり組が舌打ちをした。これ以上、何か言ったら喧嘩になってしまうかもしれない。陽翔が次の手を考えていたその時、玲司が口を開いた。

「僕もヤジはちょっと……。せっかくドームに来たんだから、前向きな言葉でジュラシックスを応援しませんか」

 子ども連れの女性が、「私からもお願いします!」と言って話に加わった。

「うちの子、初観戦なんです。ドームには怖い人がいたってことが、今日の思い出になったら嫌だから……」

 周囲の客が、ふたり組に白い目を向ける。
 ふたり組は「けっ」と吐き捨てると、席を立った。

「あんたらみたいなニワカが甘やかすから、ジュラシックスは弱くなったんだよ!」
「酔いが醒めちまった。ションベン行こうぜ」

 後ろの席からふたり組がいなくなった。
 子ども連れの女性が、陽翔に頭を下げた。

「ありがとうございます。あの人たちのヤジ、怖くて。困ってたんです」
「いえ、俺の方こそ加勢してもらって助かりました」
「陽翔くんって勇気があるね」

 玲司に褒められたが、陽翔は首を横に振った。

「全然違いますよ! あの人たちに話しかける時、心臓がバクバクしてました」
「それでも放っておけなかったんだ」
「……はい」

 その後、ふたり組が席に戻ってきた。
 相変わらずビールを飲みながらボヤいているが、汚いヤジを飛ばすことはなかった。
 男児は笑顔で試合を観戦している。
 ゲームは早いテンポで進み、終盤を迎えた。三対ゼロでジュラシックスは敗北を喫してしまうのだろうか。
 いや、このまま終わるわけがない。ジュラシックスは何度も劣勢を跳ね返してきたではないか。
 陽翔は玲司とともに、グラウンドに声援を送った。選手が躍動し、連打が生まれる。ライト席にいるジュラシックスの応援団がチャンステーマを奏で、反撃のムードを盛り上げた。
 八回の裏、ツーアウト満塁の好機で渕上に打順が回ってきた。
 ファウルで粘ったあと、渕上は高めに浮いたストレートを仕留めた。打球が伸びていき、レフトスタンドに入った。
 ドームは大歓声に包まれた。
 陽翔は玲司と拳を合わせて、渕上の一発を讃えた。

「やっぱり渕上ならやってくれると思ってたぜー!」
「さすがジュラシックスの四番!」

 ふたり組が手のひらを返して、無邪気に喜んでいる。陽翔は思わず笑ってしまった。玲司も口元を押さえている。
 ジュラシックスは一点差を守りきり、見事勝利を収めた。

「いやー、いい試合だったね!」

 ドームからの帰り道、玲司はご機嫌だった。
 一方、陽翔は気分が沈みかけていた。玲司はまた自分と会ってくれるだろうか。
 電車の走行音をかき消して、心臓の音がトクントクンと響いている。
 
「陽翔くん、どうしたの。疲れた?」
「あの……玲司さん。俺、また玲司さんと会いたいです」
「僕もだよ」

 陽翔は天にも昇るような喜びを感じた。しかし、すぐに心がしぼんだ。玲司は陽翔を単なるゲイ仲間として見ているに決まっている。地味で平凡な自分が、玲司の恋人候補になれるわけがない。
 大型書店でも、今日のドームでも玲司は陽翔を助けてくれた。でも、玲司はきっと誰にでも優しいのだろう。

「今度はどこがいい?」
「玲司さんのお気に入りの店に行ってみたいです」
「いいよ。陽翔くん、コーヒーは好き?」
「はい」
「よかった。それじゃあ、また連絡するから」

 玲司は優しい微笑みを残して、電車を降りていった。
 陽翔は吊り革を握りしめた。
 玲司との縁をなんとか確かなものにして、できることならば恋人になりたい。そのためにはもっと魅力的な自分にならないとダメだ。
 インテリの玲司との会話についていけるように、陽翔はスマートフォンを操り、雑学に関するクイズに挑戦して知識を増やした。
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