熱のない部屋で

中道舞夜

文字の大きさ
15 / 69

第15話 異国の地②鈴木の視点

しおりを挟む
海外出向になってから8か月が経ち、季節は冬から夏へと移り変わっていた。
出向国は湿度が低いため、日本のようなジメジメとした暑さはないが容赦なく太陽の光が照り注ぎ熱気で充満していた。


日本とは全く異なる気候、文化、そして生活リズム。最初は物珍しかった異国の風景も、今では日常の一部となっていた。しかし、心の中には常に楠木のことがあった。


本来なら今頃2度目の一時帰国をしていた頃だろう…。

俺は唇をかみしめた。
乾いた風が頬を撫でる。
今年3月上旬に一度目の帰国の予定だった。
1週間まとめて休暇が取れるため楠木を初めての旅行に誘った。


付き合って1か月後には出国。
そんな俺を思ってか、楠木は遠出やショッピングモールの買い物は控えていた。

あの時は、後任との引継ぎが長引いて出発直前まで慌ただしかった。遠出をして月曜の朝に疲れが残ることを危惧し楠木の優しさに甘えてしまっていた。


本当は遠出もしたかったのではないか?
帰国をしたら旅行に行こう。
俺の部屋で一緒に食事をし過ごす日常もいいが、たまには楠木に料理を作らせてばかりではなく、料理長が腕を振るった美味しい食事を楠木と楽しみたいと思い「帰国した時に旅行行かない?」とメールすると、すぐさま「行きたい」と返信がきた。


やはり我慢させていたのだなという申し訳ない気持ちと、心から楽しみにしてくれていることが伝わってきて嬉しかった。


どこに行くのがいいか……。楠木はホテルと旅館ならどちらが好きか?買い物よりも景色を楽しむ方がいいのか?楠木の事を想いながら俺も密かにネットで検索ばかりしていた。



しかし、直前になり世界中に疫病が流行。日本政府は入国制限を発表し、俺の一時帰国は幻となった。


「GW前には落ち着くよ…」当初はそう言って励ましあっていた。
しかし、そんな希望は無残に消えそれどころか外出も控えるようにと生活制限が厳しくなっていた。


「夏休みには……」と最初は言っていたが、最近はお互い口にしなくなった。
そして今、こうして異国の地で一人夏を過ごしている。


こんなことになるなら出発前に旅行しておけばよかったという後悔が何度も頭をよぎった。二人で俺の部屋で過ごす休日も十分楽しく幸せな時間だったが、もしあの時、旅行や遠出をしてもっとたくさんの思い出を作ることができていたら……そんなことをつい想像してしまう。


そして、一度負のループにはまると「あの時、もっと早く素直に気持ちを伝えていたら……」など付き合う前の過去のことまで後悔するのであった。


半年前と状況は何も変わっていない。
帰国の目途が見えない……俺はこの地に骨を埋めるのか……。そんな恐怖を感じた。



従来の出張のように終わりが見えていれば、帰国を指折り数えて心待ちにすることが出来たであろう。

しかし、今はただただ悪戯に心待ちの日々だけが積み重なっている。そして期待は高まりすぎると、駄目だった時に絶望に変わる。
先行きが見えない中で期待をすることは、テコの原理のように失望も大きい。


楠木とは今でも変わらず、連絡を取り合っている。むしろ帰国できないと分かってからの方がマメになった。


「おはよう」と「おやすみ」に加えて「体調はどう?周りの人は大丈夫?」が新しい挨拶として加わっていた。


それ以外は普段の出来事をやり取りしていたが、お互いネガティブな話は避けていた。


特に早苗は出会ったころから周りを見て行動し気配りを忘れないタイプだ。
BBQでは皆が疲れ始めた頃に率先して動こうと追加の買い出しや後片付けをするタイプだった。

そのためにお酒の量を控えているのも知っていた。常に周りが困った時にさりげなく手を差し伸べられるよう用意周到だった。
そして、ひけらかすようなことはせず静かに見守る優しくて大きな愛情を持っていた。


そんな楠木に惹かれた。そのことを知っていながら楠木の優しさに甘えていた。

もっと楠木のやりたいことや気持ちに寄り添うべきだった。俺は楠木に我慢をさせていた。そして今も……我慢させている。


俺が日本にいたらこんな思いはしなかったのに……遠く離れた異国の地で何もできない自分がもどかしかった。


楠木はいつも俺のことを気遣い心配してくれていた。その優しさに俺は甘え過ぎていたのかもしれない。今更そんなことを考えても、過去は変わらない。しかし、過去を反省することで未来を変えることができるかもしれない。



『このまま会えない時間が続き、待たせるままでいいのか?いつ会えるのか分からないまま待たせるのか?楠木は、日本で他の人と出逢い、もっと別の新しい幸せを見つけた方がいいのではないか。』
そんな考えが頭から離れなかった。


楠木を待たせるということは楠木の時間を奪っていることと同等ではないかという罪悪感にも似た感情が俺を苦しめていた。


そんな苦悩をよそに楠木からの連絡は以前と変わらず優しく温かかった。
「家にいる時間が増えたから蒸篭買ってしゅうまい作ったよ。包むの難しくて苦戦中」
メールと一緒に、蒸篭のふたを開け湯気で曇りがちとなった写真も送られてきた。


しゅうまいの姿はよく見えないが、一生懸命包もうと悪戦苦闘している楠木の姿が目に浮かび小さく笑った。

いつでも周り優先で気遣いを忘れない楠木。今も暗い話はしないようにしていることが伝わってくる。その優しさが逆に俺を苦しめた。


楠木は何も言わない。寂しくても自分の中でしまい込んで弱音を吐かないだろう。
『辛いのは自分だけではない、知らない土地で一人の鈴木の方がつらいだろうから』ときっと想っているのだろう。
 

楠木は、いつもと同じように優しく温かい。しかしその優しさの裏に何かを隠していると感じるようになってきたのは、俺の気のせいだろうか…。


会えない時間が長くなるにつれて言葉だけでは伝えられないものが増えていく。
温もり、表情、空気感…………。そういった言葉以外の要素が少しずつ二人から失われて始めている。


信じて待ってくれていることに嬉しさを感じながらも鈴木は早苗からのメールにすぐに返信をすることが出来ず、そっと画面を暗くした。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

紙の上の空

中谷ととこ
ライト文芸
小学六年生の夏、父が突然、兄を連れてきた。 容姿に恵まれて才色兼備、誰もが憧れてしまう女性でありながら、裏表のない竹を割ったような性格の八重嶋碧(31)は、幼い頃からどこにいても注目され、男女問わず人気がある。 欲しいものは何でも手に入りそうな彼女だが、本当に欲しいものは自分のものにはならない。欲しいすら言えない。長い長い片想いは成就する見込みはなく半分腐りかけているのだが、なかなか捨てることができずにいた。 血の繋がりはない、兄の八重嶋公亮(33)は、未婚だがとっくに独立し家を出ている。 公亮の親友で、碧とは幼い頃からの顔見知りでもある、斎木丈太郎(33)は、碧の会社の近くのフレンチ店で料理人をしている。お互いに好き勝手言える気心の知れた仲だが、こちらはこちらで本心は隠したまま碧の動向を見守っていた。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

一億円の花嫁

藤谷 郁
恋愛
奈々子は家族の中の落ちこぼれ。 父親がすすめる縁談を断り切れず、望まぬ結婚をすることになった。 もうすぐ自由が無くなる。せめて最後に、思いきり贅沢な時間を過ごそう。 「きっと、素晴らしい旅になる」 ずっと憧れていた高級ホテルに到着し、わくわくする奈々子だが…… 幸か不幸か!? 思いもよらぬ、運命の出会いが待っていた。 ※エブリスタさまにも掲載

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。

Blue Bird ―初恋の人に再会したのに奔放な同級生が甘すぎるっ‼【完結】

remo
恋愛
「…溶けろよ」 甘く響くかすれた声と奔放な舌にどこまでも落とされた。 本宮 のい。新社会人1年目。 永遠に出来そうもない彼氏を夢見つつ、目の前の仕事に奮闘中。 なんだけど。 青井 奏。 高校時代の同級生に再会した。 と思う間もなく、 和泉 碧。 初恋の相手らしき人も現れた。 幸せの青い鳥は一体どこに。 【完結】 ありがとうございました‼︎

15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~

深冬 芽以
恋愛
 交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。  2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。  愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。 「その時計、気に入ってるのね」 「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」 『お揃いで』ね?  夫は知らない。  私が知っていることを。  結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?  私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?  今も私を好きですか?  後悔していませんか?  私は今もあなたが好きです。  だから、ずっと、後悔しているの……。  妻になり、強くなった。  母になり、逞しくなった。  だけど、傷つかないわけじゃない。

処理中です...