8 / 29
【8】ブリジット様に相対する
しおりを挟む今は、受け取ってもらえないかもしれないが、クライブ様のひざ掛けを編んでいた。
淡いグレーに青色の糸で雪の結晶模様を編み込んでいる。
これを編むにあたって、街の女性たちに教えてもらった『願掛け』をした。
この土地の女性に伝わるものらしく、自分の髪を売って得た金で糸を買って編む。
元々は自分の髪を毛糸と撚り合せて編み込んだらしいが、今では形骸化して髪を売るだけになったようだ。
それを聞いて、すっぱりと髪を切って売ったお金で毛糸を買ってみた。
腰の辺りまであった髪を肩で切り揃えた。
ここまで短くしたのは物心がついてから初めてだ。
首のあたりが寒いと感じるけれどミニマフラーを巻いていればいいし、髪を洗って乾かす時間が驚くほど短くなって便利になった。
髪を乾かす時間も短縮できるし、石鹸を洗い流す湯も少量で済む。
かなり長かった髪をいきなり短くしたので、私がびっくりするほど皆が驚いた。
「それにしてもあんな長くてきれいだった髪をここまで切るくらい惚れこんでいる領主様って、家ではどんな人なんだい?」
「……そうね、仕事熱心で真面目な人かしら」
「街で見かけた誰かがものすごくいい男だって言っていたよ。金髪でエメラルドみたいな瞳のいい男なんて、この辺には居ないからねぇ」
──私が暮らしている本邸にも居ないわ。
とは言えないので、そうですか? とお茶を濁しておく。
ほとんど本邸にはやって来ないけれど、先週突然やってきたのだ。
『かなり寒くなってきたが、不自由はしていないか』
そう聞かれた。
『ありがとうございます。よくしていただいていますので不自由はありません。旦那様も寒さと体調にどうぞお気を付けください』
『わかった』
たったそれだけの会話だった。
あまりにも短かったので暗唱できるほどだ。それでも姿を見ることができたのは嬉しかった。嬉しくて日記にそう書いた。
あまりにも馬鹿みたいでずっと認めたくはなかったが、学園時代に婚約者となった時からクライブ様のことをひっそりとお慕いしていた。
あの青色の美しい瞳に、自分が映ることを夢見ていた。第三王子であるクライブ様は遠い存在だった。
まさか結婚してから学園時代よりもさらに遠い存在になるとは思わなかった。
クライブ様は、私の髪がこんなに短くなったことにさえ気づくこともなかった。
ただもうすべては諦めたこと、ただそれだけだった。
「ほらほら、いい男の御主人のことを思い出してニヤニヤしてないで、編み込みの色を間違えているよ」
「あら、本当だわ! またほどかなくちゃ……」
「奥様がた、もう寄合所を閉める時間です」
役場の敷地の一角にある寄合所は、夕方には閉められる。
日中は何人もの女性が入れ替わり立ち替わり寄合所にやってきて、今日は最初から最後まで居たのは私くらいだ。
役場の人と戸締りをして別れ、馬車乗り場まで歩いていると、
「領主の奥様―! お忘れ物!」
と役場の人が走ってやってきた。
「テーブルの下に、毛糸が入った袋を忘れていましたよ」
「わざわざ追いかけてきてくれてありがとう、助かりました」
「ではお気をつけて」
戻っていった役場の人を見送って、改めて停車場に向かって歩き出す。
「あなたが領主の奥方なの?」
そう声を掛けられた。振り返ると、車椅子に乗った女性がいた。
先日の帽子店でクライブ様と一緒にいらした、ブリジット様だ。
今日は、おそらく別邸の執事のどなたかがブリジット様の車椅子を押している。
私がブリジット様を知らないと、そう思っているのかしら……。
「はい、オールブライト領を治めることになり着任いたしました領主の妻です。
よろしくお願いします」
ブリジット様はくすくす笑っている。
「ずいぶんと慎ましい領主の奥方なのね、平民よりも平民らしいわ。
さっき毛糸がどうのとおっしゃっていたけど、まさかそのピエロのような帽子もあなたが編んだのかしら。領主の妻をいつ辞めても平民に混じって暮らせそうね」
「領地の民が額に汗して納めてくれている税ですから、無駄遣いはできませんわ。
少しでも領民の皆様が暖かく豊かに暮らせることが大事ですから。
オールブライト領民のあなた様もそうであれば、領主の妻として幸せに感じます。
これから寒くなってまいりますので、お身体大事になさってくださいね。では失礼いたします」
「……何を上から言っているのよ……」
私はその言葉を聞き流し、軽くお辞儀をして停車場に向かって歩く。
ブリジット様は、私が『領主の妻です』と言い切ったことが癪に障ったのかもしれない。
『上から』も何も、ブリジット様は伯爵令嬢、私の実家は侯爵家で今は書類上ではあるけれど辺境伯の妻なのだ。
辺境伯は『伯』ではあるけれど、ここオルティス王国での辺境伯の扱いは侯爵相当なのだ。
別に家格を振りかざすつもりはないけれど。
ブリジット様はここで私に会ったことをクライブ様に言うだろうか。
彼女は何も言わないような気がしている。
私はクライブ様からの愛など望んでいない。
婚儀の日に『君を愛することは無い』と言われた瞬間に諦めた。
私が諦めたものを手にしているはずのブリジット様は、何故私に絡んできたのだろう。
私を知っているのであれば、私が侯爵家の生まれだということも知っているはずだ。
貴族社会で相手の背景も知らないうちに、ああした物言いをする者はいない。
それでもああして何か言わずにいられなかったブリジット様と相対して、むしろ良かったと思える。
クライブ様の愛をブリジット様と奪い合わなければ、私の心はずっと凪いだままでいられるのだ。
私は私のできることをただしていくだけだ。
ひざ掛けはもうすぐ完成する。
街で買ったと言ってアーサーに渡してもらうつもりだ。私が編んだなどと言ったら使ってもらえそうもない。
髪を切り、クライブ様が元気でお幸せに日々を過ごせるようにと願いを込めたひざ掛けがクライブ様のところへ届けばそれでよかった。
313
あなたにおすすめの小説
「義妹に譲れ」と言われたので、公爵家で幸せになります
恋せよ恋
恋愛
「しっかり者の姉なら、婚約者を妹に譲ってあげなさい」
「そうだよ、バネッサ。君なら、わかるだろう」
十五歳の冬。父と婚約者パトリックから放たれた無慈悲な言葉。
再婚相手の連れ子・ナタリアの図々しさに耐えてきたバネッサは、
その瞬間に決意した。
「ええ、喜んで差し上げますわ」
将来性のない男も、私を軽んじる家族も、もういらない。
跡継ぎの重責から解放されたバネッサは、その類まれなる知性を見込まれ、
王国の重鎮・ヴィンセント公爵家へ嫁ぐことに。
「私は、私を一番に愛してくれる場所で幸せになります!」
聡明すぎる令嬢による、自立と逆転のハッピーエンド。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
結婚十年目の夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。彼は「送り間違えた」というけれど、それはそれで問題なのでは?
ぽんた
恋愛
レミ・マカリスター侯爵夫人は、夫と政略結婚をして十年目。侯爵夫人として、義父母の介護や領地経営その他もろもろを完ぺきにこなしている。そんなある日、王都に住む夫から「結婚契約更新書」なるものが届いた。義弟を通じ、夫を追求するも夫は「送り間違えた。ほんとうは金を送れというメモを送りたかった」という。レミは、心から思った。「それはそれで問題なのでは?」、と。そして、彼女の夫にたいするざまぁがはじまる。
※ハッピーエンド確約。ざまぁあり。ご都合主義のゆるゆる設定はご容赦願います。
ローザリンデの第二の人生
梨丸
恋愛
伯爵令嬢、ローザリンデの夫はいつも彼女より仕事を優先させ、彼女を無碍にしている。
彼には今はもういない想い人がいた。
私と結婚したことにいい思いをしていないことは知っていた。
けれど、私の命が懸かっていた時でさえも、彼の精神は変わらなかった。
あなたが愛してくれないのなら、私は勝手に幸せになります。
吹っ切れたローザリンデは自分自身の幸せのために動くことにした。
※投稿してから、誤字脱字などの修正やわかりにくい部分の補足をすることがあります。(話の筋は変わらないのでご安心ください。)
1/10 HOTランキング1位、恋愛3位ありがとうございます。
もう、あなたには何も感じません
たくわん
恋愛
没落貴族令嬢クラリッサは、幼馴染の侯爵子息ロベルトから婚約破棄を告げられた。理由は「家が落ちぶれた」から。社交界で嘲笑され、屈辱に打ちひしがれる彼女だったが――。
病弱な幼馴染を守る彼との婚約を解消、十年の恋を捨てて結婚します
佐藤 美奈
恋愛
セフィーナ・グラディウスという貴族の娘が、婚約者であるアルディン・オルステリア伯爵令息との関係に苦悩し、彼の優しさが他の女性に向けられることに心を痛める。
セフィーナは、アルディンが幼馴染のリーシャ・ランスロット男爵令嬢に特別な優しさを注ぐ姿を見て、自らの立場に苦しみながらも、理想的な婚約者を演じ続ける日々を送っていた。
婚約して十年間、心の中で自分を演じ続けてきたが、それももう耐えられなくなっていた。
氷の王妃は跪かない ―褥(しとね)を拒んだ私への、それは復讐ですか?―
柴田はつみ
恋愛
亡国との同盟の証として、大国ターナルの若き王――ギルベルトに嫁いだエルフレイデ。
しかし、結婚初夜に彼女を待っていたのは、氷の刃のように冷たい拒絶だった。
「お前を抱くことはない。この国に、お前の居場所はないと思え」
屈辱に震えながらも、エルフレイデは亡き母の教え――
「己の誇り(たましい)を決して売ってはならない」――を胸に刻み、静かに、しかし凛として言い返す。
「承知いたしました。ならば私も誓いましょう。生涯、あなたと褥を共にすることはございません」
愛なき結婚、冷遇される王妃。
それでも彼女は、逃げも嘆きもせず、王妃としての務めを完璧に果たすことで、己の価値を証明しようとする。
――孤独な戦いが、今、始まろうとしていた。
その結婚は、白紙にしましょう
香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。
彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。
念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。
浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」
身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。
けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。
「分かりました。その提案を、受け入れ──」
全然受け入れられませんけど!?
形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。
武骨で不器用な王国騎士団長。
二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。
これ以上私の心をかき乱さないで下さい
Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。
そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。
そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが
“君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない”
そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。
そこでユーリを待っていたのは…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる