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Chap.1 X in Unknownland
Chap.1 Sec.12
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夜が怖いと怯えるのは、子供だけだと思っていた。
この乗り物は窓がなく、私には外のようすが分からない。けれども、刻々と時が過ぎているのは分かっていた。
サクラが戻ってきて、ティアが奥の部屋に——たぶん、シャワールームに向かった。サクラと入れ替わりにティアがいなくなると、空間がぴりっと張りつめた。ティアがいなくなった席を見つめる。サクラはそこには座らず、先ほどのソファに腰を下ろした。桜色の浴衣みたいな服。腰には灰色の組紐のような帯を無造作に巻いている。セトが勧めた珈琲は断ったようだった。チョコレートも、彼は手を出さなかった。そもそもセトによってほとんど食べ尽くされてはいたが。
残りひとつ。セトがプレートごと私の前に滑らせた。
「ほら、やるよ」
食べてもいいと、言ってくれているようだった。もう要らなくなったのか、あるいは優しさのようなものなのか。遠慮しようと思ったが、断って機嫌が悪くなるかもしれないと思い、素直に頂くことにした。
そっと口に含んでから、風味に引っかかりを覚える。噛んだチョコレートの中から、しっとりとした干しぶどうに混ざってとろりとシロップがあふれ、アルコールの匂いが鼻に抜けた。
セトを見ると、彼も頬杖をつきながら私を見ていたらしく、目が合った。唇の端が上がっている。
「それ、美味いよな」
美味しいか? と訊かれたのかもしれない。美味しくない。この身体はアルコールの耐性があまりないのか、それともこのお酒が慣れない味だからか分からないが、高濃度の消毒液を口にしたような味がする。消毒液なんて飲んだことはないと思う。でも、こんな味に近いはず。
なぜこれをくれたのか。嫌がらせじゃないと信じたいが、このひとの場合は判断がつかない。
「お、おいっ……なんでだよ、なんでまた涙浮かべてんだ? ……そうか! 泣くほど美味いってことか? そうだな?」
彼の慌てぶりから、悪意はなかったのだと思う。アルコールのせいか、頭に負荷がかかったような、顔が熱いような。急性アルコール中毒、なんて言葉が浮かんだ。さすがに、この一口サイズのチョコでなるはずもないと思うが……。
「……セト。酒の刺激が、強かったんじゃないだろうか」
「は? ……は? こんな菓子くらいで?」
「……チョコレートも知らないのなら、酒も知らない可能性がある……あるいは、ただ単にアルコールに弱いか、だ」
「なんなんだよ……ほんと扱いづれぇな」
珈琲で口内のアルコール成分を打ち消そうとしていると、セトの向こう、サクラがこちらを見ていることに気づいた。目が合うと、ふっと微笑される。怖い、笑顔。
『楽しそうなところ悪いが、そろそろ仕事をしてもらおうか』
サクラの口にした言語に、セトとイシャンが彼を振り返った。サクラは気にせず会話を続ける。
『最初くらいは、配慮してやる。好きな相手を選べばいい』
くらくらする頭に、サクラの艶やかな声が響く。なんの選択か。分からないふりをしていたいのに、彼の青い眼が怖くて、できない。逃げ道などないと、追い詰めるような。
暗い青の虹彩に抗おうと、必死に感情を抑えて口を開いた。
『今さら、こんなことを言うのは……ずるいかも知れませんが……ほかのことでは、だめですか……?』
サクラが、この案を受け入れてくれるとは思わない。けれど、それは、サクラだけなのではないだろうか。
『私、なんでもします。洗濯も掃除も、させていただけるなら……なんでも』
他のひとたちは? わずかな時間しか過ごしていないけれど、少なくとも良心がないわけではないと、思う。
『だから……だから、その、』
私の懸命な訴えを遮って、サクラが唐突にクツクツと笑いだした。さもおかしそうに笑う彼に、セトとイシャンは驚いたような顔をしている。
笑った唇のまま、青い眼が、私を捉えた。
『何も分かっていないようだな』
見下すような、響き。
『皆が優しくしてくれるのは、お前が、身体で代償を払うからだろう?』
——がつん、と。頭を殴られたような衝撃だった。
サクラの言葉が、身体の奥底に落ちる。アルコールでゆれる脳が、冷えていく。
『洗濯だろうと掃除だろうと、誰もお前に求めていない。なんでもすると言うなら、さっさと選んで相手をしろ』
サクラが、立ち上がった。薄桃色の着物をまとった青白い腕が、私に向かって伸びる。
ふいに、笑顔が消えて、
『選べないなら——私が抱く』
ぞくりと鳥肌がたった。私の首を掴むように伸びてきた腕から、身をよけるように、隣の腕にしがみついていた。振り払われるかも知れない。でも、反射的に助けを求めてしまった。きっと、セトが最初に私を助けてくれたひとだから。
「……セト」
サクラが、セトに声をかける。私たちの会話が分からないセトとイシャンは、当惑したままだ。セトは、私を振り払おうとはしなかった。
「それはお前を選んだようだから、相手をしてくればいい」
「相手って……」
「面倒をかけた礼として、身体で返してくれるそうだ。最初はセトがいいらしい。今夜はお前が使えばいい」
セトが、「はっ?」場にそぐわない変な声をあげた。縋りついていた腕から顔を上げてセトを見ると、びっくりしたような飴色の眼とかちあった。
「い……いやっ、それはおかしいだろ。こういうのは普通、サクラさんからだろ」
「最初くらい、それの好きな相手を選ばせてやってもいいだろう?」
私から目を外し、セトがサクラに何かを訴えている。——と思うと、サクラの返事に慌てて私を振り返り、
「じゃあティアにしとけ。な?」
動揺しているセトに、イシャンが不思議そうな目を向けた。
「……セトは、その人間が嫌いなのか?」
「好きとか嫌いとかじゃなくてよ。……なんつぅか、俺じゃなくても……こういうのはティアが向いてるだろ? それか順当にサクラさんでいいじゃねぇか」
「——セト、私のことを気にする必要はないよ」
「いや……けど、ベッドも狭ぇし!」
「好きなだけ拡張すればいいだろう? 喚いていないで早く行ってくれ。うるさいよ」
目を閉じてソファに腰を下ろしたサクラに、セトがぐっと押し黙った。ずっと見ていて分かってはいたが、サクラが絶対的なリーダーなのか、誰も彼に反抗しているようすがない。
セトが、ちらりと私を見る。困っていることだけは分かる。サクラに何かを言って、私を助けてくれたのだろうか。いや、そんな都合のいいことはないか。——だったら。
聞こえたのは、吐息まじりの舌打ち。セトがイスから立ち上がった。私の二の腕を掴んで、引き上げる。今度は痛くなかった。彼は掴んだ手を離して、くすんだ金髪をクシャクシャと掻き、改めて私の腕を——触れる瞬間、迷うように止まったが——掴んだ。
「俺を選んだこと、後悔すんなよ」
語尾だけ強い。何かを念押しされたのだろうけれど、推測できない。彼にはよくよく念押しされる。
奥の部屋へと、手を引かれる。
分かってしまった。
これから待ち受けるものが、なにか。
この乗り物は窓がなく、私には外のようすが分からない。けれども、刻々と時が過ぎているのは分かっていた。
サクラが戻ってきて、ティアが奥の部屋に——たぶん、シャワールームに向かった。サクラと入れ替わりにティアがいなくなると、空間がぴりっと張りつめた。ティアがいなくなった席を見つめる。サクラはそこには座らず、先ほどのソファに腰を下ろした。桜色の浴衣みたいな服。腰には灰色の組紐のような帯を無造作に巻いている。セトが勧めた珈琲は断ったようだった。チョコレートも、彼は手を出さなかった。そもそもセトによってほとんど食べ尽くされてはいたが。
残りひとつ。セトがプレートごと私の前に滑らせた。
「ほら、やるよ」
食べてもいいと、言ってくれているようだった。もう要らなくなったのか、あるいは優しさのようなものなのか。遠慮しようと思ったが、断って機嫌が悪くなるかもしれないと思い、素直に頂くことにした。
そっと口に含んでから、風味に引っかかりを覚える。噛んだチョコレートの中から、しっとりとした干しぶどうに混ざってとろりとシロップがあふれ、アルコールの匂いが鼻に抜けた。
セトを見ると、彼も頬杖をつきながら私を見ていたらしく、目が合った。唇の端が上がっている。
「それ、美味いよな」
美味しいか? と訊かれたのかもしれない。美味しくない。この身体はアルコールの耐性があまりないのか、それともこのお酒が慣れない味だからか分からないが、高濃度の消毒液を口にしたような味がする。消毒液なんて飲んだことはないと思う。でも、こんな味に近いはず。
なぜこれをくれたのか。嫌がらせじゃないと信じたいが、このひとの場合は判断がつかない。
「お、おいっ……なんでだよ、なんでまた涙浮かべてんだ? ……そうか! 泣くほど美味いってことか? そうだな?」
彼の慌てぶりから、悪意はなかったのだと思う。アルコールのせいか、頭に負荷がかかったような、顔が熱いような。急性アルコール中毒、なんて言葉が浮かんだ。さすがに、この一口サイズのチョコでなるはずもないと思うが……。
「……セト。酒の刺激が、強かったんじゃないだろうか」
「は? ……は? こんな菓子くらいで?」
「……チョコレートも知らないのなら、酒も知らない可能性がある……あるいは、ただ単にアルコールに弱いか、だ」
「なんなんだよ……ほんと扱いづれぇな」
珈琲で口内のアルコール成分を打ち消そうとしていると、セトの向こう、サクラがこちらを見ていることに気づいた。目が合うと、ふっと微笑される。怖い、笑顔。
『楽しそうなところ悪いが、そろそろ仕事をしてもらおうか』
サクラの口にした言語に、セトとイシャンが彼を振り返った。サクラは気にせず会話を続ける。
『最初くらいは、配慮してやる。好きな相手を選べばいい』
くらくらする頭に、サクラの艶やかな声が響く。なんの選択か。分からないふりをしていたいのに、彼の青い眼が怖くて、できない。逃げ道などないと、追い詰めるような。
暗い青の虹彩に抗おうと、必死に感情を抑えて口を開いた。
『今さら、こんなことを言うのは……ずるいかも知れませんが……ほかのことでは、だめですか……?』
サクラが、この案を受け入れてくれるとは思わない。けれど、それは、サクラだけなのではないだろうか。
『私、なんでもします。洗濯も掃除も、させていただけるなら……なんでも』
他のひとたちは? わずかな時間しか過ごしていないけれど、少なくとも良心がないわけではないと、思う。
『だから……だから、その、』
私の懸命な訴えを遮って、サクラが唐突にクツクツと笑いだした。さもおかしそうに笑う彼に、セトとイシャンは驚いたような顔をしている。
笑った唇のまま、青い眼が、私を捉えた。
『何も分かっていないようだな』
見下すような、響き。
『皆が優しくしてくれるのは、お前が、身体で代償を払うからだろう?』
——がつん、と。頭を殴られたような衝撃だった。
サクラの言葉が、身体の奥底に落ちる。アルコールでゆれる脳が、冷えていく。
『洗濯だろうと掃除だろうと、誰もお前に求めていない。なんでもすると言うなら、さっさと選んで相手をしろ』
サクラが、立ち上がった。薄桃色の着物をまとった青白い腕が、私に向かって伸びる。
ふいに、笑顔が消えて、
『選べないなら——私が抱く』
ぞくりと鳥肌がたった。私の首を掴むように伸びてきた腕から、身をよけるように、隣の腕にしがみついていた。振り払われるかも知れない。でも、反射的に助けを求めてしまった。きっと、セトが最初に私を助けてくれたひとだから。
「……セト」
サクラが、セトに声をかける。私たちの会話が分からないセトとイシャンは、当惑したままだ。セトは、私を振り払おうとはしなかった。
「それはお前を選んだようだから、相手をしてくればいい」
「相手って……」
「面倒をかけた礼として、身体で返してくれるそうだ。最初はセトがいいらしい。今夜はお前が使えばいい」
セトが、「はっ?」場にそぐわない変な声をあげた。縋りついていた腕から顔を上げてセトを見ると、びっくりしたような飴色の眼とかちあった。
「い……いやっ、それはおかしいだろ。こういうのは普通、サクラさんからだろ」
「最初くらい、それの好きな相手を選ばせてやってもいいだろう?」
私から目を外し、セトがサクラに何かを訴えている。——と思うと、サクラの返事に慌てて私を振り返り、
「じゃあティアにしとけ。な?」
動揺しているセトに、イシャンが不思議そうな目を向けた。
「……セトは、その人間が嫌いなのか?」
「好きとか嫌いとかじゃなくてよ。……なんつぅか、俺じゃなくても……こういうのはティアが向いてるだろ? それか順当にサクラさんでいいじゃねぇか」
「——セト、私のことを気にする必要はないよ」
「いや……けど、ベッドも狭ぇし!」
「好きなだけ拡張すればいいだろう? 喚いていないで早く行ってくれ。うるさいよ」
目を閉じてソファに腰を下ろしたサクラに、セトがぐっと押し黙った。ずっと見ていて分かってはいたが、サクラが絶対的なリーダーなのか、誰も彼に反抗しているようすがない。
セトが、ちらりと私を見る。困っていることだけは分かる。サクラに何かを言って、私を助けてくれたのだろうか。いや、そんな都合のいいことはないか。——だったら。
聞こえたのは、吐息まじりの舌打ち。セトがイスから立ち上がった。私の二の腕を掴んで、引き上げる。今度は痛くなかった。彼は掴んだ手を離して、くすんだ金髪をクシャクシャと掻き、改めて私の腕を——触れる瞬間、迷うように止まったが——掴んだ。
「俺を選んだこと、後悔すんなよ」
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