18 / 228
Chap.2 ちいさなアリス
Chap.2 Sec.4
しおりを挟む
フィールドワーク中、相互連絡はしない。定時連絡などもない。調査のためにしろ趣味のためにしろ、規則の時間までは自由に探索している。
それなのに、わざわざイシャンから連絡が入った。サクラからそろそろ帰還するように、と。かなり遠方に移動していたのがバレたのかと思いヒヤリとしたが、まさかこちらの位置を常に把握しているはずもない。
ハイスピードでモーターホームまで帰ると、門限ギリギリだった。連絡がなければ間違いなく規則を破る羽目になっていた。
「おかえり、セト」
中に入ると、ソファにいたサクラが本から顔をあげた。
「ただいま」
短く返す。何か注意されるかと思ったが、サクラは何も言わなかった。帰還を促す連絡は偶然なのだろうか。
「……セト、おかえり」
「おう。連絡ありがとな」
運転席にいたイシャンに手を上げる。それから、ダイニングチェアに座ってこちらをずっと見ていたウサギ(名付けたはいいが、この呼び名はどうなのか。だが今さら他の名前も浮かばない)を振り返った。目が合うと、ウサギは何か言わなければと思ったのか、遠慮がちに口を開き、
「……おかえり?」
「お、おう、ただいま」
何故か疑問形だった。その言葉をかけられるとは思っていなかったので、ぎこちない返事になった。またティアに教わったのだろうか。それより、
「ちょっと来い」
指で奥の部屋へとついてくるよう指示する。首をかしげたが、素直に立ち上がってついてきた。警戒はしていない。別に悪さをするつもりはないので、警戒されても構わないが。
ただ、寝室まで来ると、急にウサギの足取りが重くなった。警戒するのがかなり遅い。よほど平和な生活をしていたのだろう。
「襲わねぇよ。そっちに行くんだよ」
背後を振り返って、さらに先へ行くことを示すと、きょとりとした顔で離れていた距離を詰めてきた。警戒を解くのも早い。あまりの無防備さに襲ってやろうかとも思ったが、警戒心を煽っても仕方ないのでそのまま進んだ。
各個人の衣類が置かれている、脱衣所として使われている空間。
背負っていたバックパックをおろして、中で仕分けしていた袋を複数手渡してやる。ウサギは、間違いなく何を渡されているのか分かっていない顔で受け取った。
「……服だよ。着る物、要るだろ」
呆れつつ、ひとつ中身を開けて出してやる。真っ白なワンピース。ウサギがそれを見て、ぱっとこちらを見上げた。
『私の……?』
自分を指さして首をかしげている。
「お前のに決まってるだろ」
とんっとウサギの鎖骨あたりを指で押す。理解したのか考えるように洋服を見つめてから、上目遣いにこちらを見返して、
「アリガトウ」
その声にかぶるように、寝室につながるドアが開いた。いかにも寝起きといった、ぼんやりした顔のティア。
「……あれ? セト君とアリスちゃん?」
こちらの姿をとらえて、パチパチとまばたきをする。
「え? なになに? どういう状況? 僕がじゃましたってわけでもないよね? そうだったらごめんだけど。あっでもセト君昨日したんだからずるい」
「……寝起きでよくそこまでペラペラ話せるな」
「うん、ありがとう」
「褒めてねぇよ」
「知ってる」
ひらひらと指をひらめかせながら、ティアはウサギに寄り、抱えている物を手に取った。
「これはまた……なんていうか、すごく愛らしいね。セト君の趣味かな?」
「ちげぇよ」
「だろうね……これ、相当な高級品だね。アンティークレース? よく分からないけど、ハンドメイドだよね。こんな精密な物が手作りなんて、信じられないな……ごく一部だろうけど、天然素材のハンドメイドじゃなきゃ嫌だっていうひとたち、あれはもう宗教なんじゃないかな」
「何にこだわるは自由だろ。おかげで服が残ってたんだからいいじゃねぇか。既製品の服なんて普通は売ってねぇしよ」
「そっか。たしかに普通はオーダーメイドだもんね。そのほうが自分の身体にぴったりの物を買えるし。そう考えると、これ、よく見つけてきたね?」
「……まぁな。偶然な」
「うんうん、出かける前に地図で周辺の施設を綿密に調べていたよね。すごい偶然だよね」
「……ほんとはよ、動きやすくて安全なやつがよかったんだけど、全然ねぇしよ」
「わ。聞こえないふりされた。……ね、アリスちゃん、ほかのも見ていい?」
ティアが、ウサギの袋に手を伸ばした。反射的にその腕を制する。
「——え、なに?」
「いや……べつに見なくてもいいだろ」
「消毒済みでしょ? ついでに片付けてあげようかと思って。僕のクローゼット、まだ空いてるから」
「自分でさせればいいだろ」
「……なるほど。下着も入ってる?」
勘だけは本当に鋭いやつだと思う。黙ったのを肯定と取ったらしい。服の片付け場所をジェスチャーでウサギに教えてやっている。
「アリスちゃん、ここ使ってね。着替えは、ひとの目が気になるならシャワー室でできるよ。とりあえず全部を持ってさ、シャワー室のなかで、どれか着られそうなの、着てみたら?」
ティアは手をしきりに動かして丁寧に説明していた。正しく理解したのか、ウサギは従順にシャワー室へと入っていく。
ティアが腕を組み、シャワー室を眺めたまま、
「下着こそ、よく見つけたね」
「さっきの服と同じとこに、下だけな。ただ……あれは、意味あるのか分かんねぇけど……」
「どういうこと?」
「その……なんつぅか……透けてる」
「……セト君の趣味だと思われるね。確実に」
「知るかよ。他になかったんだよ」
無いよりはマシだろ。と判断して入れてきたのだが、やめておけばよかったかも知れない。
「……ところで、靴もあげた?」
「いや、靴は無かったな」
「うん、それは正解だね。ちょっと危険だしね」
「裸足のほうが危険じゃねぇか?」
「そう。だから、靴があったら逃げちゃうかもしれないでしょ?」
振り返ったティアの顔を見る。試すような、探るような目をしている。
「逃げたら逃げたで構わねぇだろ。もともと他人なんだしよ」
「そう? セト君、逃げる獲物は追いたくなるんじゃない?」
「あれは人間だろ」
「でも、うさぎでしょ?」
こいつは何を言っているのか。何が言いたいのか。
反応できずにいると、ティアが大きく吐息した。
「……ダメだな。僕、寝起きでちょっと混乱してる。いやな夢見たんだよね」
「……そうかよ」
「眠気覚ましにシャワー浴びよっかな」
「おい待て。そこ今あいつが入ってるだろ」
「そうだったね、危ない危ない」
「……なんか白々しいな。ほんとに大丈夫かよ」
眠気を吹き飛ばしたいのか、首を左右に振っているティア。たしかに彼らしくない挙動ではある。ティアは隙を見せないタイプの人間だ。仲間内で隙がある人間はあまりいないが。
「不眠症かな? サクラさんじゃあるまいし」
「インソムニア? それ、誰が診断したんだよ」
「僕の所見」
「サクラさん、調子わりぃのか?」
「まぁね……たぶん、あの事件からずっとじゃない?」
ティアの指摘に、言葉が出ない。あの出来事を、今や誰も話題にすることはない。空気の読めない(いや、あえて読まない)ロキですら、絶対に触れない。
それを何故、口にしたのか。
ウサギが出てくるまで、どちらも無言のままだった。
それなのに、わざわざイシャンから連絡が入った。サクラからそろそろ帰還するように、と。かなり遠方に移動していたのがバレたのかと思いヒヤリとしたが、まさかこちらの位置を常に把握しているはずもない。
ハイスピードでモーターホームまで帰ると、門限ギリギリだった。連絡がなければ間違いなく規則を破る羽目になっていた。
「おかえり、セト」
中に入ると、ソファにいたサクラが本から顔をあげた。
「ただいま」
短く返す。何か注意されるかと思ったが、サクラは何も言わなかった。帰還を促す連絡は偶然なのだろうか。
「……セト、おかえり」
「おう。連絡ありがとな」
運転席にいたイシャンに手を上げる。それから、ダイニングチェアに座ってこちらをずっと見ていたウサギ(名付けたはいいが、この呼び名はどうなのか。だが今さら他の名前も浮かばない)を振り返った。目が合うと、ウサギは何か言わなければと思ったのか、遠慮がちに口を開き、
「……おかえり?」
「お、おう、ただいま」
何故か疑問形だった。その言葉をかけられるとは思っていなかったので、ぎこちない返事になった。またティアに教わったのだろうか。それより、
「ちょっと来い」
指で奥の部屋へとついてくるよう指示する。首をかしげたが、素直に立ち上がってついてきた。警戒はしていない。別に悪さをするつもりはないので、警戒されても構わないが。
ただ、寝室まで来ると、急にウサギの足取りが重くなった。警戒するのがかなり遅い。よほど平和な生活をしていたのだろう。
「襲わねぇよ。そっちに行くんだよ」
背後を振り返って、さらに先へ行くことを示すと、きょとりとした顔で離れていた距離を詰めてきた。警戒を解くのも早い。あまりの無防備さに襲ってやろうかとも思ったが、警戒心を煽っても仕方ないのでそのまま進んだ。
各個人の衣類が置かれている、脱衣所として使われている空間。
背負っていたバックパックをおろして、中で仕分けしていた袋を複数手渡してやる。ウサギは、間違いなく何を渡されているのか分かっていない顔で受け取った。
「……服だよ。着る物、要るだろ」
呆れつつ、ひとつ中身を開けて出してやる。真っ白なワンピース。ウサギがそれを見て、ぱっとこちらを見上げた。
『私の……?』
自分を指さして首をかしげている。
「お前のに決まってるだろ」
とんっとウサギの鎖骨あたりを指で押す。理解したのか考えるように洋服を見つめてから、上目遣いにこちらを見返して、
「アリガトウ」
その声にかぶるように、寝室につながるドアが開いた。いかにも寝起きといった、ぼんやりした顔のティア。
「……あれ? セト君とアリスちゃん?」
こちらの姿をとらえて、パチパチとまばたきをする。
「え? なになに? どういう状況? 僕がじゃましたってわけでもないよね? そうだったらごめんだけど。あっでもセト君昨日したんだからずるい」
「……寝起きでよくそこまでペラペラ話せるな」
「うん、ありがとう」
「褒めてねぇよ」
「知ってる」
ひらひらと指をひらめかせながら、ティアはウサギに寄り、抱えている物を手に取った。
「これはまた……なんていうか、すごく愛らしいね。セト君の趣味かな?」
「ちげぇよ」
「だろうね……これ、相当な高級品だね。アンティークレース? よく分からないけど、ハンドメイドだよね。こんな精密な物が手作りなんて、信じられないな……ごく一部だろうけど、天然素材のハンドメイドじゃなきゃ嫌だっていうひとたち、あれはもう宗教なんじゃないかな」
「何にこだわるは自由だろ。おかげで服が残ってたんだからいいじゃねぇか。既製品の服なんて普通は売ってねぇしよ」
「そっか。たしかに普通はオーダーメイドだもんね。そのほうが自分の身体にぴったりの物を買えるし。そう考えると、これ、よく見つけてきたね?」
「……まぁな。偶然な」
「うんうん、出かける前に地図で周辺の施設を綿密に調べていたよね。すごい偶然だよね」
「……ほんとはよ、動きやすくて安全なやつがよかったんだけど、全然ねぇしよ」
「わ。聞こえないふりされた。……ね、アリスちゃん、ほかのも見ていい?」
ティアが、ウサギの袋に手を伸ばした。反射的にその腕を制する。
「——え、なに?」
「いや……べつに見なくてもいいだろ」
「消毒済みでしょ? ついでに片付けてあげようかと思って。僕のクローゼット、まだ空いてるから」
「自分でさせればいいだろ」
「……なるほど。下着も入ってる?」
勘だけは本当に鋭いやつだと思う。黙ったのを肯定と取ったらしい。服の片付け場所をジェスチャーでウサギに教えてやっている。
「アリスちゃん、ここ使ってね。着替えは、ひとの目が気になるならシャワー室でできるよ。とりあえず全部を持ってさ、シャワー室のなかで、どれか着られそうなの、着てみたら?」
ティアは手をしきりに動かして丁寧に説明していた。正しく理解したのか、ウサギは従順にシャワー室へと入っていく。
ティアが腕を組み、シャワー室を眺めたまま、
「下着こそ、よく見つけたね」
「さっきの服と同じとこに、下だけな。ただ……あれは、意味あるのか分かんねぇけど……」
「どういうこと?」
「その……なんつぅか……透けてる」
「……セト君の趣味だと思われるね。確実に」
「知るかよ。他になかったんだよ」
無いよりはマシだろ。と判断して入れてきたのだが、やめておけばよかったかも知れない。
「……ところで、靴もあげた?」
「いや、靴は無かったな」
「うん、それは正解だね。ちょっと危険だしね」
「裸足のほうが危険じゃねぇか?」
「そう。だから、靴があったら逃げちゃうかもしれないでしょ?」
振り返ったティアの顔を見る。試すような、探るような目をしている。
「逃げたら逃げたで構わねぇだろ。もともと他人なんだしよ」
「そう? セト君、逃げる獲物は追いたくなるんじゃない?」
「あれは人間だろ」
「でも、うさぎでしょ?」
こいつは何を言っているのか。何が言いたいのか。
反応できずにいると、ティアが大きく吐息した。
「……ダメだな。僕、寝起きでちょっと混乱してる。いやな夢見たんだよね」
「……そうかよ」
「眠気覚ましにシャワー浴びよっかな」
「おい待て。そこ今あいつが入ってるだろ」
「そうだったね、危ない危ない」
「……なんか白々しいな。ほんとに大丈夫かよ」
眠気を吹き飛ばしたいのか、首を左右に振っているティア。たしかに彼らしくない挙動ではある。ティアは隙を見せないタイプの人間だ。仲間内で隙がある人間はあまりいないが。
「不眠症かな? サクラさんじゃあるまいし」
「インソムニア? それ、誰が診断したんだよ」
「僕の所見」
「サクラさん、調子わりぃのか?」
「まぁね……たぶん、あの事件からずっとじゃない?」
ティアの指摘に、言葉が出ない。あの出来事を、今や誰も話題にすることはない。空気の読めない(いや、あえて読まない)ロキですら、絶対に触れない。
それを何故、口にしたのか。
ウサギが出てくるまで、どちらも無言のままだった。
20
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
Perverse
伊吹美香
恋愛
『高嶺の花』なんて立派なものじゃない
ただ一人の女として愛してほしいだけなの…
あなたはゆっくりと私の心に浸食してくる
触れ合う身体は熱いのに
あなたの心がわからない…
あなたは私に何を求めてるの?
私の気持ちはあなたに届いているの?
周りからは高嶺の花と呼ばれ本当の自分を出し切れずに悩んでいる女
三崎結菜
×
口も態度も悪いが営業成績No.1で結菜を振り回す冷たい同期男
柴垣義人
大人オフィスラブ
【R18】幼馴染がイケメン過ぎる
ケセラセラ
恋愛
双子の兄弟、陽介と宗介は一卵性の双子でイケメンのお隣さん一つ上。真斗もお隣さんの同級生でイケメン。
幼稚園の頃からずっと仲良しで4人で遊んでいたけど、大学生にもなり他にもお友達や彼氏が欲しいと思うようになった主人公の吉本 華。
幼馴染の関係は壊したくないのに、3人はそうは思ってないようで。
関係が変わる時、歯車が大きく動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる