25 / 228
Chap.3 鏡の国の
Chap.3 Sec.1
しおりを挟む
暗闇のなかで、目を開けた。
まばたきを数回くり返すうちに、夢の世界からゆっくりと脳が覚醒していくのを感じる。
ナイロンのような、シルクのような。するするとなめらかな質感をしたマットの存在に、自分がどこにいるのかを思い出した。
そっと上半身を起こすと、カプセルの内部に、ぽうっとやわらかな光が広がる。ティアの姿はない。が、足元にきちんとたたまれている洋服が目に入った。最初の黒い服とよく似た形だが、これは薄いグレーのワンピースで袖が短い。
洋服に腕をとおしてから、この服の問題点に突きあたる。そうだ、これはひとりでは着ることができないのだった。
誰か(できればティアがいい。他の人には頼める気がしない)探してみようか。体重を移動させて立ち上がろうとすると、上部が音もなく開いた。これは、昨日も経験したのでもう驚かない。どう判断しているのか知らないが、優秀なほど先回りしてくれる。
そろりと顔を出してみる。寝室は他の部屋と比較すると暗い。今はカプセルの中のほうが明るいように思う。昨日は目が覚めた時点で明るくなっていたが、今日は身体を起こすまでカプセルの中は真っ暗だった。ティアがそう設定してくれたのだろうか。
辺りを確認したが、誰もいない。ただ、私の目の前にある、反対側の上下のカプセルがふたつとも閉じていて、側面に小さな人型のマークが点灯している。もしかすると誰か入っていて、眠っているのかもしれない。ふたりとなると誰なのか。ひとりは、なんとなくサクラだと思う。
背中は開いたままだが、仕方がないのでそのままカプセルから出た。キッチンの方へ行くために、スライドドアに触れる。開いたドアの先が眩しくて、目を細め、
『……ぁ』
思わず声が出た。
キッチンにいたセトと、バチリと目が合う。
セトは無言のままこちらを数秒ほど眺めたかと思うと、ふいっと視線を外し、カップボードとは反対の機械類がならんでいる方へと向いた。
なにか言うべきだろうか。セトの横顔を見て、考える。
「……オハ、ヨウ」
昨日ティアがつかっていた言葉を、口にしてみた。何度か耳にしたので印象に残っていたのだが、正しくつかえているだろうか。
セトの視線が、ちらりとこちらに流れ、
「はっ……何時だと思ってんだ」
嘲るように鼻で笑われた。言い方がおかしかっただろうか。
「もう昼だぞ。呑気におはようとか言ってんじゃねぇよ」
語尾が強い。注意でもされているのか、あるいは怒られているのか。とりあえずワンピースを結んでほしいと頼める雰囲気ではない。
『あの……なんて……?』
セトに近寄って問いかける。発音が悪いとか、そんな些細なことを指摘されている、だといいのだけれど。
首をかしげた私に、セトが「嫌みも通じねぇのか」あきれて吐息した。
私を無視することにしたのか、目の前の機械に話しかけ始める。食事をつくるらしい機械。これが稼働されるのを見るのは初めてだ。ちょっと、いや、けっこう気になる。
セトとの距離を詰めて、背後からそろっとのぞいてみた。たくましい体躯に隠れてあまり見えないが、電子オーブンのような形の機械。表面は中がうっすら見える仕様だが、さらにディスプレイになっているのかメニューの映像も右上に出ている。見る感じ、カレーライスのような。
眺めていた画面がスライドして、中からプラスチックのような薄っぺらい皿が出てきた。よく知るカレーとは違う気はするが、香辛料の混ざった独特の香りがただよう。美味しそう。
「…………何見てんだよ」
肩越しにセトの顔が振り返った。ジロリと睨むように見下ろされる。
「やらねぇからな。食べたきゃ自分で作れよ」
機嫌が悪いのか、昨日よりも当たりが強い。鋭い眼光にひるんで反射的に身がすくむ。
「なんだよ。ったく、なんでお前はすぐそういう顔を……」
体ごと振り向きながら何かを言いかけて、しかし言葉がとぎれた。セトの目が、私の首許にとまる。
「お前それ、なんか開けて……あぁ、そういや自分で着られねぇんだったか?」
急に伸びてきた腕が、ぐっと私の肩を掴んだ。引き寄せられる。バランスを崩しかけたこちらに構うことなく、セトは反対の手で私の長い髪を無造作にどけると、まるで抱きしめるような形で私の背を確認した。
「ティアにやってもらわなかったのかよ。……それともあれか、ヤるのに夢中で裸で寝ちまったか?」
悪意のある言い方をされた気がする。私のほどけた背を見て、自分で着られないことを馬鹿にしているのだとしたら、すこし理不尽だ。これをくれたのは彼なのに。もっと着やすい服をくれたら、私だって着衣できる。
『……もしよければ、結んでもらってもいいですか?』
脳裏をかすめた不満をかき消して、意味もなく敬語でお願いしながら、セトを見上げた。とうぜん言葉だけでは伝わらない気がするので、指で背中を示す。
「あ? 結べってか?」
金の眼が、不満そう。頼むべきじゃなかったと後悔しかけたが、肩を掴んでいた手に力が入ったかと思うと、ぐるっと後ろ向きにされた。彼は力任せな人だと思う。転ばないよう、カップボードのトップにあしらわれた大理石(違うかも。傷ひとつないくらい丈夫な素材だ)に見える板に片手をついて、自分の体を支えた。
「邪魔だ」
背に落ちていた髪を前に払われる。あらわになった背中がすーすーして落ち着かない。腰にぐっと圧がかかったので、断られたのではないらしい。緩んでいたひもを、下から順に締めてくれている。
「……めんどくせぇな」
今のつぶやきは想像がついた。面倒だと言っているに違いない。彼自身あきれているのに、なぜこの服を選んだのだろう。たまたま見つけたのが、この複雑な服だったのだろうか。
きゅっと、ひもを引かれるたびに、背筋が伸びる。きつく締めすぎているような。でもそんな意見を言えるほどの強い心はない。半分ほど進んだところで、「もうよくねぇか」すごく投げやりな声が聞こえた。
セトの手が止まる。終わったわけないと思うのだが、放棄されたのだろうか。
様子を見るために振り返ろうとして、首の根を後ろから掴まれた。まるで動物を捕らえるみたいに。
びっくりして振り向こうとしたが、押さえられているせいで動けない。力が掛かる。ちょうど胸下くらいの高さのカップボードに押しつけられ、前のめりになった私の肩に、セトがいきなり咬み付いた。
『っ……』
鋭い痛みに、全身がこわばる。カップボードの上で、何も頼るものがなく空を掴むように手を握った。うなじにあったセトの手が離れ、握りしめた私の右手首に絡まったかと思うと、きつく押さえられる。
「……挿れるか。暇だしな」
咬み付いていた歯が離れたかと思うと、首筋の肌を舐められた。何か囁いた気がするが分からない。混乱する頭には入ってこない。セトの左手がするりとスカートの裾から滑り込んで、ためらいなく私の下着を下ろした。
悲鳴をあげるよりも早く、セトの指が無遠慮に——
《——トレイの取り忘れがあります。確認してください》
突如、妙にかっちりとした発音の声が響いた。
ピタリと。セトの動きが止まる。
「あー……そういや飯……」
耳許でセトの唇が気の抜けたような声を出した。私を拘束していた手が外れる。振り返ると、セトが先ほどのカレーのような皿に手を伸ばしていた。
皿を手にしてから、茫然とした顔の私に気づき、眉根を寄せたまま沈黙する。
しばらく黙って、何やらとても気まずそうな表情を一瞬だけ浮かべ、けれどもすぐさま怒ったように舌打ちし、
「作ってやろうか。お前も食べたいんだろ」
最終的にやけっぱちな態度で、機械を指さしたのだった。
まばたきを数回くり返すうちに、夢の世界からゆっくりと脳が覚醒していくのを感じる。
ナイロンのような、シルクのような。するするとなめらかな質感をしたマットの存在に、自分がどこにいるのかを思い出した。
そっと上半身を起こすと、カプセルの内部に、ぽうっとやわらかな光が広がる。ティアの姿はない。が、足元にきちんとたたまれている洋服が目に入った。最初の黒い服とよく似た形だが、これは薄いグレーのワンピースで袖が短い。
洋服に腕をとおしてから、この服の問題点に突きあたる。そうだ、これはひとりでは着ることができないのだった。
誰か(できればティアがいい。他の人には頼める気がしない)探してみようか。体重を移動させて立ち上がろうとすると、上部が音もなく開いた。これは、昨日も経験したのでもう驚かない。どう判断しているのか知らないが、優秀なほど先回りしてくれる。
そろりと顔を出してみる。寝室は他の部屋と比較すると暗い。今はカプセルの中のほうが明るいように思う。昨日は目が覚めた時点で明るくなっていたが、今日は身体を起こすまでカプセルの中は真っ暗だった。ティアがそう設定してくれたのだろうか。
辺りを確認したが、誰もいない。ただ、私の目の前にある、反対側の上下のカプセルがふたつとも閉じていて、側面に小さな人型のマークが点灯している。もしかすると誰か入っていて、眠っているのかもしれない。ふたりとなると誰なのか。ひとりは、なんとなくサクラだと思う。
背中は開いたままだが、仕方がないのでそのままカプセルから出た。キッチンの方へ行くために、スライドドアに触れる。開いたドアの先が眩しくて、目を細め、
『……ぁ』
思わず声が出た。
キッチンにいたセトと、バチリと目が合う。
セトは無言のままこちらを数秒ほど眺めたかと思うと、ふいっと視線を外し、カップボードとは反対の機械類がならんでいる方へと向いた。
なにか言うべきだろうか。セトの横顔を見て、考える。
「……オハ、ヨウ」
昨日ティアがつかっていた言葉を、口にしてみた。何度か耳にしたので印象に残っていたのだが、正しくつかえているだろうか。
セトの視線が、ちらりとこちらに流れ、
「はっ……何時だと思ってんだ」
嘲るように鼻で笑われた。言い方がおかしかっただろうか。
「もう昼だぞ。呑気におはようとか言ってんじゃねぇよ」
語尾が強い。注意でもされているのか、あるいは怒られているのか。とりあえずワンピースを結んでほしいと頼める雰囲気ではない。
『あの……なんて……?』
セトに近寄って問いかける。発音が悪いとか、そんな些細なことを指摘されている、だといいのだけれど。
首をかしげた私に、セトが「嫌みも通じねぇのか」あきれて吐息した。
私を無視することにしたのか、目の前の機械に話しかけ始める。食事をつくるらしい機械。これが稼働されるのを見るのは初めてだ。ちょっと、いや、けっこう気になる。
セトとの距離を詰めて、背後からそろっとのぞいてみた。たくましい体躯に隠れてあまり見えないが、電子オーブンのような形の機械。表面は中がうっすら見える仕様だが、さらにディスプレイになっているのかメニューの映像も右上に出ている。見る感じ、カレーライスのような。
眺めていた画面がスライドして、中からプラスチックのような薄っぺらい皿が出てきた。よく知るカレーとは違う気はするが、香辛料の混ざった独特の香りがただよう。美味しそう。
「…………何見てんだよ」
肩越しにセトの顔が振り返った。ジロリと睨むように見下ろされる。
「やらねぇからな。食べたきゃ自分で作れよ」
機嫌が悪いのか、昨日よりも当たりが強い。鋭い眼光にひるんで反射的に身がすくむ。
「なんだよ。ったく、なんでお前はすぐそういう顔を……」
体ごと振り向きながら何かを言いかけて、しかし言葉がとぎれた。セトの目が、私の首許にとまる。
「お前それ、なんか開けて……あぁ、そういや自分で着られねぇんだったか?」
急に伸びてきた腕が、ぐっと私の肩を掴んだ。引き寄せられる。バランスを崩しかけたこちらに構うことなく、セトは反対の手で私の長い髪を無造作にどけると、まるで抱きしめるような形で私の背を確認した。
「ティアにやってもらわなかったのかよ。……それともあれか、ヤるのに夢中で裸で寝ちまったか?」
悪意のある言い方をされた気がする。私のほどけた背を見て、自分で着られないことを馬鹿にしているのだとしたら、すこし理不尽だ。これをくれたのは彼なのに。もっと着やすい服をくれたら、私だって着衣できる。
『……もしよければ、結んでもらってもいいですか?』
脳裏をかすめた不満をかき消して、意味もなく敬語でお願いしながら、セトを見上げた。とうぜん言葉だけでは伝わらない気がするので、指で背中を示す。
「あ? 結べってか?」
金の眼が、不満そう。頼むべきじゃなかったと後悔しかけたが、肩を掴んでいた手に力が入ったかと思うと、ぐるっと後ろ向きにされた。彼は力任せな人だと思う。転ばないよう、カップボードのトップにあしらわれた大理石(違うかも。傷ひとつないくらい丈夫な素材だ)に見える板に片手をついて、自分の体を支えた。
「邪魔だ」
背に落ちていた髪を前に払われる。あらわになった背中がすーすーして落ち着かない。腰にぐっと圧がかかったので、断られたのではないらしい。緩んでいたひもを、下から順に締めてくれている。
「……めんどくせぇな」
今のつぶやきは想像がついた。面倒だと言っているに違いない。彼自身あきれているのに、なぜこの服を選んだのだろう。たまたま見つけたのが、この複雑な服だったのだろうか。
きゅっと、ひもを引かれるたびに、背筋が伸びる。きつく締めすぎているような。でもそんな意見を言えるほどの強い心はない。半分ほど進んだところで、「もうよくねぇか」すごく投げやりな声が聞こえた。
セトの手が止まる。終わったわけないと思うのだが、放棄されたのだろうか。
様子を見るために振り返ろうとして、首の根を後ろから掴まれた。まるで動物を捕らえるみたいに。
びっくりして振り向こうとしたが、押さえられているせいで動けない。力が掛かる。ちょうど胸下くらいの高さのカップボードに押しつけられ、前のめりになった私の肩に、セトがいきなり咬み付いた。
『っ……』
鋭い痛みに、全身がこわばる。カップボードの上で、何も頼るものがなく空を掴むように手を握った。うなじにあったセトの手が離れ、握りしめた私の右手首に絡まったかと思うと、きつく押さえられる。
「……挿れるか。暇だしな」
咬み付いていた歯が離れたかと思うと、首筋の肌を舐められた。何か囁いた気がするが分からない。混乱する頭には入ってこない。セトの左手がするりとスカートの裾から滑り込んで、ためらいなく私の下着を下ろした。
悲鳴をあげるよりも早く、セトの指が無遠慮に——
《——トレイの取り忘れがあります。確認してください》
突如、妙にかっちりとした発音の声が響いた。
ピタリと。セトの動きが止まる。
「あー……そういや飯……」
耳許でセトの唇が気の抜けたような声を出した。私を拘束していた手が外れる。振り返ると、セトが先ほどのカレーのような皿に手を伸ばしていた。
皿を手にしてから、茫然とした顔の私に気づき、眉根を寄せたまま沈黙する。
しばらく黙って、何やらとても気まずそうな表情を一瞬だけ浮かべ、けれどもすぐさま怒ったように舌打ちし、
「作ってやろうか。お前も食べたいんだろ」
最終的にやけっぱちな態度で、機械を指さしたのだった。
20
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
同期に恋して
美希みなみ
恋愛
近藤 千夏 27歳 STI株式会社 国内営業部事務
高遠 涼真 27歳 STI株式会社 国内営業部
同期入社の2人。
千夏はもう何年も同期の涼真に片思いをしている。しかし今の仲の良い同期の関係を壊せずにいて。
平凡な千夏と、いつも女の子に囲まれている涼真。
千夏は同期の関係を壊せるの?
「甘い罠に溺れたら」の登場人物が少しだけでてきます。全くストーリには影響がないのでこちらのお話だけでも読んで頂けるとうれしいです。
診察室の午後<菜の花の丘編>その1
スピカナ
恋愛
神的イケメン医師・北原春樹と、病弱で天才的なアーティストである妻・莉子。
そして二人を愛してしまったイケメン御曹司・浅田夏輝。
「菜の花クリニック」と「サテライトセンター」を舞台に、三人の愛と日常が描かれます。
時に泣けて、時に笑える――溺愛とBL要素を含む、ほのぼの愛の物語。
多くのスタッフの人生がここで楽しく花開いていきます。
この小説は「医師の兄が溺愛する病弱な義妹を毎日診察する甘~い愛の物語」の1000話以降の続編です。
※医学描写はすべて架空です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる