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Chap.5 溺れる涙
Chap.5 Sec.11
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その青年は派手な見た目をしていた。地毛は濃い茶色だと思われる髪に、カラフルなメッシュ。オレンジ、緑、青、紫、ピンク。絵の具のパレットをそこに落としてしまったかのように、規則性なく染まっている。
着ている洋服も彩度が高い。ピンクがかったオーロラに見えるホログラムのジャケットに、蛍光グリーンのボトムス。ボトムスには三角形・四角形・六角形などの多角形をえがいた穴がところどころ空いている。全身を注視していると眼が痛い。
私が見ているのと同じく、青年もまたこちらを眺めていた。不思議な色をした虹彩に囲まれた瞳が、じろじろと私を舐めていく。
「こんなヤツをハウスに入れるって? 冗談だよなァ、サクラさん?」
ロキ——とセトに呼ばれた青年——が、サクラの名を呼んだ。粒子の粗いノイズまじりの声質。エレキギターのような。
サクラは無感動に見返し、
「何か不満があるのか?」
「はァ? あるに決まってンだろ。他人は入れねェって、アンタが決めたクセに……おかしくねェ?」
「気が変わったんだよ」
「困るねェ、君主がそうコロコロ意見変えられちゃ」
「君主と思うならば、素直に従ってほしいものだが」
「反抗的な弟は要らねェって? 暴君サクラさんは、そこのペットどもさえいりゃいいか」
ギャハハハハと、ロキがやかましく嗤った。ザラザラとした声が耳に障る。
話の内容は分からない。私を嘲笑っているのかと思ったが、視線はセトとイシャンを示していた。イシャンは無表情に受け流し、セトはひどく怖い顔をしてロキに詰め寄った。
「おいロキ、お前なに突っ掛かってんだ? そこどけよ」
「その女を外に捨ててきたらなァ~」
「あ?」
セトが近寄って気づいたが、ロキは異様に背が高い。今まで一緒にいたサクラたちも私から見れば高く、サクラの身長が一番で、ついでセトとイシャンが同じくらい、ティアが少しだけ低い。だがロキは、そのサクラよりも更に上をいっていた。私の身長を(具体的な数値は分からないがとりあえず)160と仮定すると、ロキの身長は190に届くと思う。この世界の平均身長が高いのだろうか。ただ、ロキはセトやイシャンと違って体つきが細い。高身長によってそう見えるのか実際に細いのか、服の上からでは判断つかない。ボリュームのあるジャケットのせいか、見た目の感じはなんとなくフラミンゴみたいだ。
睨め上げるセトの目を受け止めて、ロキはニヤニヤと笑っている。
「サクラさんもさァ、躾はしっかりやってくんねェ~? アンタの犬っころ、人間まで拾ってきてンじゃねェか」
邪気のこもった言い方。私の左前にいたティアが「うわ、僕と同じこと言ってる……」何かつぶやいた。その横顔は悲しげで、この状況に落胆しているようだった。
「……ね、ロキ君。お願いだからさ、その反対意見、撤回してくれない?」
「ヤだね。なんでアンタに命令されなきゃいけねェんだよ」
「命令じゃなくて、お願いだよ」
「フ~ン? じゃ、ひざまずいて靴でも舐めたら考えてやろォか~?」
「えぇぇぇ……」
ティアがうめいて腕を組み、「どうしよう……でも人としてそれはちょっと……や、でも……」ぶつぶつと悩み始めた。そんなティアにサクラが、
「ティア、一度反対した以上決着したからな?」
「えーっ!」
「……アンタら、なんの話をしてンだよ」
「うん……気にしないで……」
ティアが一歩後退した。もうこの話し合いには関わりません、という意思表示に見えた。細かいところは分からないが、ロキが私を拒んでいるようだった。強い悪意のある目で見くだし、
「アンタ、さっきから黙ってるけど口ねェの? てめェで頼みこむ気もねェ? ワンワンに護ってもらうかァ?」
私の顔をのぞくように屈んだ。間近で見る虹彩は縁が青く中心はオレンジのグラデーションで、まるで地球を閉じ籠めたみたいだった。首に着けたチョーカーもよく似た色合いで、青と黄色の混ざった不透明な石が嵌まっている。
「………………」
「ハハッ、ホントに口ねェか~?」
挨拶をする場面ではないはずだ。何も言葉を返せずにいると、「やめろ」セトがロキの肩を押し戻し、あいだに割り込んだ。
「こいつは共通語が分からねぇんだよ。変に絡むな」
「はァ? 共通語が分かんねェ~? そんなヤツいるわけねェだろ」
「お前の偏見なんか知らねぇよ。つぅかそこどけ」
「テメェがどけよ。オレはその女に話してンだよ」
「あ? 力ずくでどかせって?」
「やってみろよ」
物騒な声色のセトに、状況の深刻さがうかがえた。歓迎されないのは今に始まったことではないが、反対されて揉めるのは初めてだった。
「喧嘩をするな」
剣呑な雰囲気をさえぎって、サクラが口を挟んだ。セトへと目を向けて、
「下がっていてくれないか? お前がいると煩雑になる」
「………………」
「セト」
セトが不服そうに舌を鳴らして横にずれた。開けた視界の真ん中で、重厚な扉を背にしたロキが、いやな笑みを浮かべている。
「飼い主には逆らえねェよなァ~? ……で? オレはこんなヤツ入れる気ねェけど、サクラさんが捨ててきてくれンの?」
「いいや、これは今日からここに置く」
「認めねェって言ったら?」
「私の決定にお前の意思は干渉できないよ」
「随分と横暴じゃねェ? 飼い犬のワガママは聞くってのにさァ~……こんなンじゃ感染者を拾ってきても許可しそォじゃん」
ゆがんだ笑いを頬に浮かべて、ロキは私との距離を詰めた。
「なァ、共通語分からねェっての、嘘だろ。さっきからアンタ、オレらの会話に反応してるもんなァ?」
何かを尋ねるように近づいた顔には、邪悪な笑みが浮かんでいる。
「自分の言葉でなんか言ったらど~だ? どうかここに置いてください、ぐらい言えンじゃねェの?」
「………………」
「ダンマリでごまかせると思ってンのか? あァ?」
突如、伸びてきた長い腕に胸倉をつかまれた。よろめく身体は強引に引き寄せられ、見下ろす鮮やかな眼が間近に寄る。身をすくめて反射的に目をつむったが、横から制止するようにかけられた声に気づいて、すぐに開いた。——声は、ひとつじゃない。
「おいロキ!」
「ちょ、ちょっとロキ君、やりすぎだって」
イシャンが、手を上げる勢いのセトの肩を押さえこみ、ティアの手がロキの身体に触れていた。けれどロキは、かまわず私に向き合っている。
色の氾濫。この世界で目覚めてから、もっとも色彩ゆたかな視界だと思った。
——怖くはない。
ここはベッドではないし、縛られているわけでもない。セトとティアは止めようとしてくれている。独りでもない。
——怖くは、ない。一度死に直面したせいか、もうあまり、恐怖は感じない。
地球の眼に向けて話しかけた。
「……ろき」
「あ?」
「……コンニチハ」
「……はァ?」
「……ヨロシク?」
「なめてンの?」
「……それ、ワカラない」
話せと言われた気がしたので知っている単語で対話を試みたが、ロキの表情に変化はなく挑発的なまま。
仕方がないので、胸をつかむ手に、自分の掌を重ねた。
「て、いや」
「………………」
「て、いや」
「…………アンタ、頭おかし~ひと?」
「……オカシイ?」
伝わらないのか、手を離してもらえない。けれど、「ロキ」サクラに名を呼ばれて、ロキは私から目線だけ外した。
「お前は誤解しているよ」
「……何を?」
「私が他人を無償で置くわけないだろう?」
「そ~かァ? 可愛いワンちゃんの頼みなら? 聞くんじゃねェ?」
「本気でそう思っているのか?」
「……じゃァ、なんでこんなヤツ入れンの? まさかこの女も、オレらと血ィ繋がってるとかゆ~オチやめろよ? ……ン? そォいやあのひとに似てンなァ?」
彩度の高い眼がまた私をとらえた。こちらをしげしげと見ている。
サクラはかすかに笑った。
「生き別れの兄弟か……面白いな。——だが、それは他人だよ。ホーラ博士の血は入っていない、普通の人間だ。感染もするだろう」
「ン~? つまりなに? 動物実験でもすンの?」
「それもあるが……これは、娼婦として使うつもりだよ」
「…………は?」
「退屈なんだろう? 暇潰しに使えばいい。滞在と引き換えに、これが払う対価だ。お前にとっては悪くない話だと思うが?」
私を映したロキの目が、パチリとまばたいた。気が削がれたように目から悪意が抜け落ち、代わりに妖しく細まったかと思うと、口角を愉快そうに上げ、
「へェ~? そりゃ大歓迎だけど。アンタの飼い犬、咬み付いてこねェ?」
「私の決定に、お前たちの意思は干渉できないと言っただろう?」
「ハハッ、さすが暴君」
ようやく、ロキの手から解放された。笑っている姿から解決したのかと思えたが、舐めるような視線が張りついて離れない。左手にいるティアはなんとも言えない表情をし、セトはイシャンの手を払ってロキを睨んでいる。
ロキは馴れなれしいようすで私の肩に手を回した。
「アンタ、名前なに?」
理解できるフレーズ。だが、答えに迷う。
「…………うさぎ」
セトによく呼ばれるほうを小さく答えると、ロキは例の耳ざわりな笑い声をあげた。
「マジでっ? ワンちゃんが拾ったのはウサちゃんって?」
何故こんなに笑われているのか。この呼び名は悪口か何かだったのだろうか。ロキの傍らにいたティアが、「えっ? そっち?」驚きに満ちた顔でロキに話しかけた。
「違うよロキ君、アリスちゃんだよ」
「ウサギって名乗ったろ?」
「違う違う、アリスちゃんは共通語が分からないから。いま僕と勉強中なんだよね」
「本人がウサギってンだから、そ~なんじゃねェ?」
「だめ。ロキ君はアリス派になって」
「はァ?」
ティアが懸命に何かを訴えていると、奥にあった扉が開いた。古城みたいな見た目に反してそれは外開きではなく、中央が割れて左右それぞれがスライドしていった。
「——あんたら、いつまで喋ってるんやって」
ひょこりと、扉の向こうからひとりの青年が現れた。小柄でピンクがかった金髪の、可愛らしい男性だった。セトに似た眼の色だと感じたが、違う。赤みが強く、暗い。オレンジに近いブラウン。だぼっとした黒白の太いボーダーのセーターに、赤いギンガムチェックのボトムス。首許には、眼の虹彩よりも明るい不透明なオレンジの石。
セトがその小柄な青年に向けて、
「ロキが邪魔してんだよ。ハオロン、こいつ連れてけ」
「あぁ~……うちのせいやわ。セトが人間拾ったんやってって言ったらぁ、なんでか面倒なことになってもて……ごめんの?」
「お前は悪くねぇけど……」
ハオロン。聞いた名前だった。セトとの会話に耳を傾けていたが、不思議な響きの話し方をする。抑揚が乏しく平坦に近いそれは、アクセントに独特な強さがあるロキとは正反対だった。ただ、語尾が揺れやすいところだけ、ふたりは似ている。
オレンジブラウンの眼がちろりと私を見た。
「セトは動物園でも作りたいんやろなって思ってたけどぉ……人間まで拾ってきたってことは、博物館かぁ? 地球の歴史?」
「助けたって言え」
「そぉなんか? まぁ、うちはなんでもいいんやけどぉ……」
名前から、ハオロンには同じアジアの血を感じていたが、真ん中で分けた長めの前髪と眼の色が明るすぎる。顔立ちもアジアらしさはあまり無いような。ハオロンの話を聞いたティアは、「そっか、僕がロン君に余計なこと言ったから……ほんと最悪……飲んでみたかったのに……」ぐちぐちとつぶやいている。ロキが現れてからずっと、ティアは何かを嘆いている。ティアに対して、どことなく冷たい視線を送るイシャンだけは、その理由を知っているのかもしれない。
「——さて、話は終わったな?」
サクラがハオロンの横を通って中に入っていった。イシャンが続く。ハオロンはロキを呼んだ。
「ロキも、はよ入ろさ」
「ハイハ~イ」
ロキは私から手を離し、ハオロンの後ろについた。
「その子、手ぇ出していいんかぁ? セトのやろ?」
「ン~? なんかサクラさんが、娼婦だから好きにやっていいってさァ~」
「そぉなんや。娼婦とか初めて見たんやけどぉ……」
短髪かと思ったハオロンのピンクを帯びた金髪は、後ろから見ると細い三つ編みになって背中まで垂れていた。私のことを顔だけで振り返って観察している。彼と目があったが、そのあいだにセトが入って見えなくなった。
「……大丈夫か」
声をかけられて見上げると、眉間を狭めた、飴色の眼がこちらを見ていた。案じてくれているようだった。
「……ダイジョウブ」
「なら、いいけど……」
ティアに「アリスちゃんも、入ろっか」促されて、扉に向かった。
残り4人の仲間がいると聞いていた、彼らの住処。女性もいるかも知れないという淡い期待は、砕け始めている。
誰もいない背後に目をやった。
黄昏の残光に染めあげられた中庭の向こうに、この館の四方をかこむ壁が高くそびえ立っている。まるで、破綻した外界から彼らを隔絶するかのように。
もう二度と、あの外には出られないような気がした。
そんなことは——ないと、思うけれど。
夜が来るまで、あと、少し。
着ている洋服も彩度が高い。ピンクがかったオーロラに見えるホログラムのジャケットに、蛍光グリーンのボトムス。ボトムスには三角形・四角形・六角形などの多角形をえがいた穴がところどころ空いている。全身を注視していると眼が痛い。
私が見ているのと同じく、青年もまたこちらを眺めていた。不思議な色をした虹彩に囲まれた瞳が、じろじろと私を舐めていく。
「こんなヤツをハウスに入れるって? 冗談だよなァ、サクラさん?」
ロキ——とセトに呼ばれた青年——が、サクラの名を呼んだ。粒子の粗いノイズまじりの声質。エレキギターのような。
サクラは無感動に見返し、
「何か不満があるのか?」
「はァ? あるに決まってンだろ。他人は入れねェって、アンタが決めたクセに……おかしくねェ?」
「気が変わったんだよ」
「困るねェ、君主がそうコロコロ意見変えられちゃ」
「君主と思うならば、素直に従ってほしいものだが」
「反抗的な弟は要らねェって? 暴君サクラさんは、そこのペットどもさえいりゃいいか」
ギャハハハハと、ロキがやかましく嗤った。ザラザラとした声が耳に障る。
話の内容は分からない。私を嘲笑っているのかと思ったが、視線はセトとイシャンを示していた。イシャンは無表情に受け流し、セトはひどく怖い顔をしてロキに詰め寄った。
「おいロキ、お前なに突っ掛かってんだ? そこどけよ」
「その女を外に捨ててきたらなァ~」
「あ?」
セトが近寄って気づいたが、ロキは異様に背が高い。今まで一緒にいたサクラたちも私から見れば高く、サクラの身長が一番で、ついでセトとイシャンが同じくらい、ティアが少しだけ低い。だがロキは、そのサクラよりも更に上をいっていた。私の身長を(具体的な数値は分からないがとりあえず)160と仮定すると、ロキの身長は190に届くと思う。この世界の平均身長が高いのだろうか。ただ、ロキはセトやイシャンと違って体つきが細い。高身長によってそう見えるのか実際に細いのか、服の上からでは判断つかない。ボリュームのあるジャケットのせいか、見た目の感じはなんとなくフラミンゴみたいだ。
睨め上げるセトの目を受け止めて、ロキはニヤニヤと笑っている。
「サクラさんもさァ、躾はしっかりやってくんねェ~? アンタの犬っころ、人間まで拾ってきてンじゃねェか」
邪気のこもった言い方。私の左前にいたティアが「うわ、僕と同じこと言ってる……」何かつぶやいた。その横顔は悲しげで、この状況に落胆しているようだった。
「……ね、ロキ君。お願いだからさ、その反対意見、撤回してくれない?」
「ヤだね。なんでアンタに命令されなきゃいけねェんだよ」
「命令じゃなくて、お願いだよ」
「フ~ン? じゃ、ひざまずいて靴でも舐めたら考えてやろォか~?」
「えぇぇぇ……」
ティアがうめいて腕を組み、「どうしよう……でも人としてそれはちょっと……や、でも……」ぶつぶつと悩み始めた。そんなティアにサクラが、
「ティア、一度反対した以上決着したからな?」
「えーっ!」
「……アンタら、なんの話をしてンだよ」
「うん……気にしないで……」
ティアが一歩後退した。もうこの話し合いには関わりません、という意思表示に見えた。細かいところは分からないが、ロキが私を拒んでいるようだった。強い悪意のある目で見くだし、
「アンタ、さっきから黙ってるけど口ねェの? てめェで頼みこむ気もねェ? ワンワンに護ってもらうかァ?」
私の顔をのぞくように屈んだ。間近で見る虹彩は縁が青く中心はオレンジのグラデーションで、まるで地球を閉じ籠めたみたいだった。首に着けたチョーカーもよく似た色合いで、青と黄色の混ざった不透明な石が嵌まっている。
「………………」
「ハハッ、ホントに口ねェか~?」
挨拶をする場面ではないはずだ。何も言葉を返せずにいると、「やめろ」セトがロキの肩を押し戻し、あいだに割り込んだ。
「こいつは共通語が分からねぇんだよ。変に絡むな」
「はァ? 共通語が分かんねェ~? そんなヤツいるわけねェだろ」
「お前の偏見なんか知らねぇよ。つぅかそこどけ」
「テメェがどけよ。オレはその女に話してンだよ」
「あ? 力ずくでどかせって?」
「やってみろよ」
物騒な声色のセトに、状況の深刻さがうかがえた。歓迎されないのは今に始まったことではないが、反対されて揉めるのは初めてだった。
「喧嘩をするな」
剣呑な雰囲気をさえぎって、サクラが口を挟んだ。セトへと目を向けて、
「下がっていてくれないか? お前がいると煩雑になる」
「………………」
「セト」
セトが不服そうに舌を鳴らして横にずれた。開けた視界の真ん中で、重厚な扉を背にしたロキが、いやな笑みを浮かべている。
「飼い主には逆らえねェよなァ~? ……で? オレはこんなヤツ入れる気ねェけど、サクラさんが捨ててきてくれンの?」
「いいや、これは今日からここに置く」
「認めねェって言ったら?」
「私の決定にお前の意思は干渉できないよ」
「随分と横暴じゃねェ? 飼い犬のワガママは聞くってのにさァ~……こんなンじゃ感染者を拾ってきても許可しそォじゃん」
ゆがんだ笑いを頬に浮かべて、ロキは私との距離を詰めた。
「なァ、共通語分からねェっての、嘘だろ。さっきからアンタ、オレらの会話に反応してるもんなァ?」
何かを尋ねるように近づいた顔には、邪悪な笑みが浮かんでいる。
「自分の言葉でなんか言ったらど~だ? どうかここに置いてください、ぐらい言えンじゃねェの?」
「………………」
「ダンマリでごまかせると思ってンのか? あァ?」
突如、伸びてきた長い腕に胸倉をつかまれた。よろめく身体は強引に引き寄せられ、見下ろす鮮やかな眼が間近に寄る。身をすくめて反射的に目をつむったが、横から制止するようにかけられた声に気づいて、すぐに開いた。——声は、ひとつじゃない。
「おいロキ!」
「ちょ、ちょっとロキ君、やりすぎだって」
イシャンが、手を上げる勢いのセトの肩を押さえこみ、ティアの手がロキの身体に触れていた。けれどロキは、かまわず私に向き合っている。
色の氾濫。この世界で目覚めてから、もっとも色彩ゆたかな視界だと思った。
——怖くはない。
ここはベッドではないし、縛られているわけでもない。セトとティアは止めようとしてくれている。独りでもない。
——怖くは、ない。一度死に直面したせいか、もうあまり、恐怖は感じない。
地球の眼に向けて話しかけた。
「……ろき」
「あ?」
「……コンニチハ」
「……はァ?」
「……ヨロシク?」
「なめてンの?」
「……それ、ワカラない」
話せと言われた気がしたので知っている単語で対話を試みたが、ロキの表情に変化はなく挑発的なまま。
仕方がないので、胸をつかむ手に、自分の掌を重ねた。
「て、いや」
「………………」
「て、いや」
「…………アンタ、頭おかし~ひと?」
「……オカシイ?」
伝わらないのか、手を離してもらえない。けれど、「ロキ」サクラに名を呼ばれて、ロキは私から目線だけ外した。
「お前は誤解しているよ」
「……何を?」
「私が他人を無償で置くわけないだろう?」
「そ~かァ? 可愛いワンちゃんの頼みなら? 聞くんじゃねェ?」
「本気でそう思っているのか?」
「……じゃァ、なんでこんなヤツ入れンの? まさかこの女も、オレらと血ィ繋がってるとかゆ~オチやめろよ? ……ン? そォいやあのひとに似てンなァ?」
彩度の高い眼がまた私をとらえた。こちらをしげしげと見ている。
サクラはかすかに笑った。
「生き別れの兄弟か……面白いな。——だが、それは他人だよ。ホーラ博士の血は入っていない、普通の人間だ。感染もするだろう」
「ン~? つまりなに? 動物実験でもすンの?」
「それもあるが……これは、娼婦として使うつもりだよ」
「…………は?」
「退屈なんだろう? 暇潰しに使えばいい。滞在と引き換えに、これが払う対価だ。お前にとっては悪くない話だと思うが?」
私を映したロキの目が、パチリとまばたいた。気が削がれたように目から悪意が抜け落ち、代わりに妖しく細まったかと思うと、口角を愉快そうに上げ、
「へェ~? そりゃ大歓迎だけど。アンタの飼い犬、咬み付いてこねェ?」
「私の決定に、お前たちの意思は干渉できないと言っただろう?」
「ハハッ、さすが暴君」
ようやく、ロキの手から解放された。笑っている姿から解決したのかと思えたが、舐めるような視線が張りついて離れない。左手にいるティアはなんとも言えない表情をし、セトはイシャンの手を払ってロキを睨んでいる。
ロキは馴れなれしいようすで私の肩に手を回した。
「アンタ、名前なに?」
理解できるフレーズ。だが、答えに迷う。
「…………うさぎ」
セトによく呼ばれるほうを小さく答えると、ロキは例の耳ざわりな笑い声をあげた。
「マジでっ? ワンちゃんが拾ったのはウサちゃんって?」
何故こんなに笑われているのか。この呼び名は悪口か何かだったのだろうか。ロキの傍らにいたティアが、「えっ? そっち?」驚きに満ちた顔でロキに話しかけた。
「違うよロキ君、アリスちゃんだよ」
「ウサギって名乗ったろ?」
「違う違う、アリスちゃんは共通語が分からないから。いま僕と勉強中なんだよね」
「本人がウサギってンだから、そ~なんじゃねェ?」
「だめ。ロキ君はアリス派になって」
「はァ?」
ティアが懸命に何かを訴えていると、奥にあった扉が開いた。古城みたいな見た目に反してそれは外開きではなく、中央が割れて左右それぞれがスライドしていった。
「——あんたら、いつまで喋ってるんやって」
ひょこりと、扉の向こうからひとりの青年が現れた。小柄でピンクがかった金髪の、可愛らしい男性だった。セトに似た眼の色だと感じたが、違う。赤みが強く、暗い。オレンジに近いブラウン。だぼっとした黒白の太いボーダーのセーターに、赤いギンガムチェックのボトムス。首許には、眼の虹彩よりも明るい不透明なオレンジの石。
セトがその小柄な青年に向けて、
「ロキが邪魔してんだよ。ハオロン、こいつ連れてけ」
「あぁ~……うちのせいやわ。セトが人間拾ったんやってって言ったらぁ、なんでか面倒なことになってもて……ごめんの?」
「お前は悪くねぇけど……」
ハオロン。聞いた名前だった。セトとの会話に耳を傾けていたが、不思議な響きの話し方をする。抑揚が乏しく平坦に近いそれは、アクセントに独特な強さがあるロキとは正反対だった。ただ、語尾が揺れやすいところだけ、ふたりは似ている。
オレンジブラウンの眼がちろりと私を見た。
「セトは動物園でも作りたいんやろなって思ってたけどぉ……人間まで拾ってきたってことは、博物館かぁ? 地球の歴史?」
「助けたって言え」
「そぉなんか? まぁ、うちはなんでもいいんやけどぉ……」
名前から、ハオロンには同じアジアの血を感じていたが、真ん中で分けた長めの前髪と眼の色が明るすぎる。顔立ちもアジアらしさはあまり無いような。ハオロンの話を聞いたティアは、「そっか、僕がロン君に余計なこと言ったから……ほんと最悪……飲んでみたかったのに……」ぐちぐちとつぶやいている。ロキが現れてからずっと、ティアは何かを嘆いている。ティアに対して、どことなく冷たい視線を送るイシャンだけは、その理由を知っているのかもしれない。
「——さて、話は終わったな?」
サクラがハオロンの横を通って中に入っていった。イシャンが続く。ハオロンはロキを呼んだ。
「ロキも、はよ入ろさ」
「ハイハ~イ」
ロキは私から手を離し、ハオロンの後ろについた。
「その子、手ぇ出していいんかぁ? セトのやろ?」
「ン~? なんかサクラさんが、娼婦だから好きにやっていいってさァ~」
「そぉなんや。娼婦とか初めて見たんやけどぉ……」
短髪かと思ったハオロンのピンクを帯びた金髪は、後ろから見ると細い三つ編みになって背中まで垂れていた。私のことを顔だけで振り返って観察している。彼と目があったが、そのあいだにセトが入って見えなくなった。
「……大丈夫か」
声をかけられて見上げると、眉間を狭めた、飴色の眼がこちらを見ていた。案じてくれているようだった。
「……ダイジョウブ」
「なら、いいけど……」
ティアに「アリスちゃんも、入ろっか」促されて、扉に向かった。
残り4人の仲間がいると聞いていた、彼らの住処。女性もいるかも知れないという淡い期待は、砕け始めている。
誰もいない背後に目をやった。
黄昏の残光に染めあげられた中庭の向こうに、この館の四方をかこむ壁が高くそびえ立っている。まるで、破綻した外界から彼らを隔絶するかのように。
もう二度と、あの外には出られないような気がした。
そんなことは——ないと、思うけれど。
夜が来るまで、あと、少し。
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