【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.5 溺れる涙

Chap.5 Sec.10

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 不愉快な夢を見た。
 食べようとしたステーキを横からティアにさらわれて、しかも、あいつは「僕、そんなに好きじゃないんだよね?」ふざけたことを言いながら一口だけ食べて捨てやがった。じゃあ俺によこせよ、と。飄々ひょうひょうとしたティアに食ってかかろうと手を伸ばして——脳が覚醒し、何が起こったのか把握できず混乱した。
 夢があまりにも鮮明すぎて、かすみがかった視野が焦点を結ぶまで、ティアに殺意が湧いていたくらいだった。

 体を起こし、花畑みたいな香りに顔をしかめる。夢見が悪い原因は明らかだ。ティアのベッドで寝ていたのを思い出し、手首に着けたブレスレットをかかげて時刻を空間に映し出す。いやな夢を見るほど眠りが浅かったわりには、相当な時間が経っていた。急いで立ち上がり、ベッドから降りる。ウサギはどうしているかと残りのベッドに目をやったが、どれも不在のマークと透化した状態で、(あいつ……)かすかに残っていた殺意の欠片かけらがそのまま矛先を変えた。



 §



 リビングにたどり着くと、案の定ウサギはそこにいた。ティアと優雅に紅茶を飲んでいて、心配したのが馬鹿らしくなるほど穏やかな光景だった。

「あれ、セト君? いま起きた?」

 キッチン側を向いていたティアが先にセトの存在に気づいた。ウサギは遅れて振り返ったが、何も言葉を発しない。ティアとの間には端末が置かれ、宙には立体映像で文字が浮かんでいる。共通語を学んでいるのか。

「……セト君? もしかして、何か怒ってる?」

 ウサギみたいな鬱陶しい質問がティアから挙がったので、黙殺した。
 ソファに座っていたサクラが、本から顔を上げ、

「おはよう」
「……おう」

 普段どおりに話すその顔に、もう朝の怒気は感じられない。あれで片付いたはずがないのだが、こちらから話題を出して藪蛇やぶへびになるのは避けたい。本へと視線を戻したサクラの姿に、一旦そっとしておこうと決めた。

 イシャンが座っている運転席へとを進める。そばに立つと、こちらの気配に気づいたのかイシャンはヘッドセットを外して首を回した。ディスプレイに映る映像と位置情報から、すでには過ぎていることが知れた。

「もう敷地に入ってんじゃねぇか。けっこう飛ばしたんだな?」
「……ああ、夕飯までに帰れるよう、調整した」
「夕飯って、まさか全員で食うのかよ」
「……何か、支障があるだろうか?」
「いや……ねぇけど」

 ウサギは? と訊きかけてやめた。
 あの長いリフェクトリーテーブルで食事をするのはいつものことだが、そこにウサギも並んでいるのが想像つかない。席次などはないが、が加わるのは久しぶりすぎて違和感がある。ウサギをどうするのか気になるが、それはサクラ次第か。

(まぁ、なんなら個室に持っていってやればいいか……)

 サクラが許可しなかったとしても影響はない。個室のほうがむしろトラブルがなくていいかも知れない。

「珈琲でも飲むかな……イシャンも要るか?」

 尋ねてから、イシャンの手許にあるマグカップに気づいた。薄荷はっかの香りがする。

「……いや、私は要らない」
「ん」
「……セト、」

 キッチンに行こうとディスプレイに背を向けたところ、名を呼ばれて体をひねった。

「ん?」
「………………」
「なんだよ?」
「…………なんでもない」
「は?」

 物言いたげな双眸を伏せて、イシャンはディスプレイの方へと顔を向けた。本当は珈琲を飲みたかった、というわけでもないだろうし。何を言おうとしたのか気になるが、ヘッドセットを頭に着けたイシャンはもう話す気がないようだった。
 仕方なくキッチンへと向かい、途中でサクラにも要不要を尋ねる。

「珈琲飲むか?」
「いいや」

 こちらも要らないらしい。
 横を通りながらウサギを見ると、宙に映し出された文字を凝視して、真剣に学習しているようだった。ただ、残念なことに内容が浅い。歩く、走るなどの簡単な動詞が並んでいる。そのレベルなのかと軽い衝撃を受けた。

「これが、〈歩く〉。セト君は、歩いている」
「……せとは、アルイテいる」
「彼は、歩いている」
「……カレは、アルイテいる」
「〈彼〉は性差なく遣えるからね。〈彼女〉もあるけど、気にするひともいるから……」
「……カノジョ?」
「うん、それは忘れていいや」

 カップに珈琲をそそぎながら、ティアの説明を聞くともなしに聞く。

「サクラさんは、本を読んでいる」
「……カレは、ホンを、ヨンデいる」
「そうそう、現在分詞はつかめたね。ちなみに、君は今、何をしているかな?」
「……わたし、は……スワッテいる?」
「うん、いいね」

 嘘だろう。そう思わずにいられないほど低レベルな授業だった。幼児でももう少し文法を感覚的に知っていると思う。
 珈琲を手にして、リビングとキッチンの境目に寄り掛かりながら眺めていると、「座って飲んだら?」ティアに注意され、気づいたウサギが壁側に移動した。空いた席に着席する。

「お前、ほんとに言葉が分からねぇんだな……」

 ウサギに横目を投げてつぶやくと、向かいにいたティアが驚異の目をみはった。

「えっ、今さら何言ってるの……?」
「いや、なんか……すげぇ初歩的なことやってんなって思ってよ」
「そう? アリスちゃん、わりと優秀な生徒だよ?」
「どこがだよ」
「まぁね、セト君たちと比べたら、僕らなんて凡人だからね? ……ね、アリスちゃん」

 話を振られたウサギは首をかしげた。同意を避けたのではなく、理解していないだけだと思われる。

「なんだよその言い方」
「アリスちゃんはさ、知らないだろうけど。こう見えて僕以外のみんな、かなりの英才教育受けてるからね? 10代のうちに博士課程まで修めてるようなものだからね? ……セト君ですら10代なかばで論文を出してるんでしょ? ……ほんと信じられないよね」
「なんかお前、褒めてるようでけなしてねぇか」
「そんなことないよ、褒めてる褒めてる。セト君はすごい」
「…………せとは、すごい?」
「ほら、アリスちゃんも言ってる」
「こいつは意味分かってねぇだろ」

 セトは珈琲を飲んでから、ため息をついた。

「俺は別に普通だ。スポーツのほうが向いてたしな……つぅか、お前も同じ血ぃ引いてんだし、ハウスで暮らしてたらお前のほうが優秀だったんじゃねぇの?」
「えっ? めずらしく僕、褒められてる?」
「そうだな。珍しく」
「わぁい」
「ガキみてぇな反応すんな」
「え……厳しい。……ちょっとふざけただけなのに」

 ティアとの会話を聞いていたウサギが、そっと手をあげた。学校で意見を言うみたいに。といっても、セトたちの世代にとって学校はVRにしかない。とりわけ彼らは特殊な環境下にいたため、実際に見たことはなくイメージである。
 ふたりの視線を受けて、真顔のまま口を開き、

「せと、てぃあ、なに?」

 固有名詞と単語だけ並べて、疑問符を付けてくる。意味が分からずにティアを見るが、ティアのほうも分からないらしく首を振られた。
 ウサギは5秒ほど黙って考え、もう一度、

「せと、てぃあ、さくら、いしゃん……ろき? ……めるろん? ……ありあ?」

 名前が増えた。数が合わないことに気づいたウサギが記憶を探っているようなので、「ロキ、ハオロン、メルウィン、アリア」横から訂正する。こくこくと首を縦に振って理解を示したあと、

「……ハチ?」
「おう、8人」
「はちにん……なに?」
「……何ってなんだよ?」

 質問を質問で返すと、ウサギが唇を結んだ。セトに訊いても意味がないと諦めたように見えて、なんとなく腹立つ。
 しかしそのとおりで、察せないセトの代わりにティアが人さし指を立てて「分かった!」表情を明るくした。

「僕らの関係性だよね? そっか、言ってなかったっけ……いちおう兄弟なんだけど……」
「……キョウダイ?」
「うん。って……単語の意味わかんないよね? ちょっと待ってね?」

 ティアが端末に指示して映像を出す。母親みたいなキャラクターが出現し、そこから赤ん坊が一人ずつ腹から飛び出し、並んだ子供たちが成長し、腕を組んで笑顔を見せた。その上に〈兄弟〉の文字が表示される。はたしてそれでいいのか。概念をつかめるのか。はなはだ疑問だったが、ウサギは単語の意味を理解したようだった。

「てぃあ、せと、キョウダイ?」
「や、みーんな、兄弟」
「……はちにん、キョウダイ?」
「そうそう」
「………………」
「うん、そうだよね、信じられないよね。僕ら似てないし……ここにいるメンバーは、サクラさん以外みんな歳も同じだしね」

 そんなばかな、とでも思っていそうな顔で眉を寄せているウサギに、ティアが説明しきれず頭を悩ませている。

「伝わるかな……異母兄弟[half brothers:半分兄弟]なんだよね。血縁上の父親はみんな一緒なの」
「……ハンブン、キョウダイ」
「うん。まぁ……けっこう有名なんだけど……や、まって。ちょっとこの情報なし」

 サクラを気にしたティアは、言葉を取り消して紅茶のカップを口に運んだ。ウサギにハウスの情報を伝えるなと、サクラから言われてはいる。だがハウスを中心とした私有地は広大で、世間的にもそこそこ有名だった。ホーラ・ヴァシリエフ博士、ヴァシリエフハウス、ジーニアスプロジェクトといったワードと共に表向きは認知されている。なので、セトとしてはハウスの場所をウサギごときに隠す意味なんて、なんらないと思っている。

「ほらアリスちゃん、そろそろ着くよ。勉強はおしまいね?」
「……はい」

 話をそらして端末の電源を落としたティアに、ウサギは素直に従った。でまかせではなく、実際にモーターホームはを抜け、ハウスの正面に停車した。
 ソファから立ち上がったサクラが、ドアを開けて降りて行く。イシャンも追随ついずいした。

「今日のディナーは何かな~? メル君の料理、楽しみだね」
「俺は肉ならなんでもいい」
「はいはい」

 声を弾ませて席を立ったティアに続き、セトも腰を上げた。ふと、立ち上がらないウサギに気づいて「着いたぞ」ドアの方を指さし教えてやる。目だけでセトの顔を捉えたウサギの顔は感情が見えず、ろう人形のイメージが重なった。

「……はい」

 返事をして立つウサギは淡々としていて、ハウスに行くことを嫌がっているようすはない。セトが気にしすぎていたのかと思うくらい、従順な態度で動いた。

 先にモーターホームから降り、ウサギを振り返って手を出す。段差で転ぶのではないかと案じたのだが、躊躇ちゅうちょしたのか手を取るまでに間があった。

「……アリガトウ」

 重なった手に、奇妙な連想をした。かつて、VRではなくリアルで教えられた社交ダンス。英才教育とティアが呼んだ学習の大半が今や無駄ではあるが、とりわけあれは何にもならなかったな、と。そんな些末さまつなことを思った。

 地に降り立ったウサギから手を離し、扉の方を向く。古城を改装したハウスは不必要な装飾のせいで外観は物々しく、数年前まで“博士の城[castle]”との通称があった。それは世間からの称賛なのか揶揄やゆなのか、歳月を経て前者から後者へと移り変わったのか知らないが、外界を遮断し敷地を要塞化した今では——言い得て妙だ。皮肉なくらい。

 エントランスに進もうとして、しかし、すぐに足を止めた。なぜか誰一人ハウスに入っていない。

「……どうした?」

 声をかけると、扉の所でたむろしていたサクラたちが振り返った。開けた空間から見えたのは、ドアに寄り掛かる——

「——よォ」

 腕を組む見知った顔に、セトは眉根をゆがめた。

「……ロキ」
「おかえりィ、ワンちゃん」

 口唇を斜めにし、露骨な悪意を見せて笑う青年。彼の目はすぐにセトから離れ、その背後に向いた。ブルーとオレンジの混じったアースアイで、値踏みするように彼女を捉える。

 ロキの様子に、ティアが何かささやいた。

「……さいあく」

 なげきに似たそれに構うことなく、セトはその複雑な色彩の眼を睨んでいた。
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