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Chap.10 DRINK ME, EAT ME
Chap.10 Sec.7
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何もしたくない。時にそんな日がある。
ティアにとってそれが今日であって、毎日閉じこもっているわけではない。私室で映画を流しながら惰眠をむさぼったり、きちんとした食事をとることなく紅茶と茶菓子のみで過ごしたりなんて、めったにない。
つまりこれは非常にまれなケースであって、それだけ今日のティアは憂鬱を抱えていた。昨日から降り続ける雨のせいではない。どちらかといえば雨は好きだった。ただし、暖かな室内から眺めている場合の話。
憂鬱の原因は、なんとなくは分かっていて。でも、気づかないフリで、今日を乗りこえようとしている。自分の心について考えるのは、苦手だった。
だらりだらりとした時の浪費は、メルウィンからの夕食のしらせによって、ひとまず終わりを告げた。
「……え? なに?」
食堂にたどり着いたティアは、場を占める妙な空気に気おくれしつつ、開いたドアの先へと入った。食堂にはティア以外の全員がそろっていて、ピシリと席についている。いや、座っていない者もいる。長いテーブルの奥では、派手な色の人間が腕を組み、立っていた。その人物と目が合う。「い~から。アンタも座って」指示が飛び、よく分からないまま廊下側の列に連なった。
腰を下ろしながら、隣のセトに尋ねる。
「え? なになに? これなに?」
「知らねぇ……」
お腹が空いているのか、すこし不機嫌そうな声が何にもならない回答をくれた。周りを見回す。こちらの廊下側には奥からサクラ、イシャン、セト。サクラとイシャンの表情はよく見えない。向かいの窓側にはアリアとハオロン。どちらも不思議そうな目でロキを見ている。ロキの後ろにはメルウィンと彼女が立っていて、彼女はひまわりみたいな黄色いセーターを着ていた。ふたりは目を合わせたり外したりしながら、申し訳なさそうな顔をしている。
テーブルの左右に兄弟をはべらせたロキが、真ん中で一歩前に出る。
「先に来たヤツには説明したけど、今から実験に付き合ってもらうから。こっから先の私語は禁止。質問は手ェあげて」
すみやかにハオロンの手があがった。「なに?」ロキが目を投げる。
「いきなりすぎて訳が分からんのやけどぉ……何するって?」
「実験」
「なんの?」
「詳細は結果に影響するし言わねェけど、簡単に言うとパンの比較実験」
「……ぱん?」
ぱんってなんだったっけ? みたいな疑問の見えるハオロンを置いて、ロキは調理室側に待機していたロボットを呼んだ。するすると動くロボットとワゴンが、席に着く者それぞれの前へと、パンがひとつ載ったプレートを2枚ずつ配っていく。ひとつはA、もうひとつはBと記されたシートがプレートの端に付いていた。
(え……ディナーは……?)
なんの前触れなく始まった謎の実験(?)。まともな料理を口にするのが24時間ぶりに近いティアにとって、わりと迷惑なのだが……サクラが黙っているということは、許可されているということになる。そうなると不平は言えそうにない。隣のセトも(はぁ?)という顔をしているが、ぎりぎり声には出していない。
パンが行き渡ったのを確認して、ロキは口を開いた。
「目の前に配ったそれを食べて、うまいと思うのをブレス端末でオレに教えて。他のやつと相談すンのはナシ、会話禁止。どっちも変わんねェっていう回答も認める。——ハイ、どォぞ」
つらつらとした説明に、(なんでそんな実験を今するかな……ふつうにメル君のごはん食べたかったのに……)心のなかで文句をぶつけながらも、Aのパンを手に取った。どちらも同じバゲットの一部に見える。空腹時に美味しさを平等に評価するのは難しいと思うが……とりあえず、ひとくち。
(……?)
ちぎったそれを口に入れた瞬間、香ばしさに違和感が。表面の皮に引っかかりを覚えながら、Bのパンへと移った。
(……なるほど)
Bの食べ慣れた食感と風味から、ピンとひらめいた。この実験の目的——つまり、ロキの意図が、なんなのか。
自身の回答をロキに送信し、ちらりと横を見ると、セトは両方を食べきっていた。それを見たロキは悪だくみする悪役のような顔をしている。背後にひかえている配下みたいなふたりは、完食したセトのプレートを見て不安そうに横目を送り合っていた。
思い出したようにブレス端末に触れたセトが回答を終えるのを待っていると、ハオロンが再び手をあげた。
「もぉいいやろ? なんの実験か教えてくれんかぁ?」
セトの手がブレス端末から離れる。許可を得ないハオロンの勝手な発言を注意することなく、ロキが実験の主題を口にした。
「“ヒトはパンにおける呈味成分を正しく評価できるかどうか”、あるいは、“パン作りにおいてヒトとロボットはどちらが優れているか”」
「……は? なんて?」
「だからさ……アンタらは、ヴェスタが作ったパンとロボが作ったパンの違いが分かンのか、それと、どっちがうまいパンを作れるかってのを試したワケ。先にウサちゃんで実験したけど、結果に納得いかなかったから。母数増やそうと思って」
「……ん~?」
テーマを聞いたところで目的が見えないハオロンは、「よく分からんけどぉ……ディナーは食べていいの? まさか今夜はパンだけ……?」食事があるかどうかを心配して、メルウィンへと問いかけた。
「だいじょうぶだよ、ほかの料理もあるよ」
メルウィンの返事を聞いて安堵したハオロンに、ロキが「もう食べてい~よ。アンタらも好きに食べて」実験協力に対する感謝もなく、雑に終了し——ようとしたが、遮るようにして、サクラが、
「——実験の結果は?」
(そう、それが気になるんだけど)
ティアは胸中だけでサクラの声に同調した。
ハオロンを筆頭にロボットを呼び寄せていた彼ら——セト、イシャン、アリア——が、サクラの問いを聞いて興味半分にロキを見つめる。ロキは回答を見るまでもなく結果に自信があるのか、「なに? アンタらも知りてェの?」不敵な笑みを浮かべ、「じゃァ、答え合わせしてやろォかな~っ」機嫌よくブレス端末を操作し、画面を公開表示にして空間に映し出した。座るイスすらない余ったスペースのテーブル上、ティアが最も近く、みんなが見やすい位置。
全員の目がそこに向く。離れていたメルウィンと彼女もテーブルまで寄って、のぞいていた。そこには個人の名前と選択したアルファベットが、つらりと並んでおり——
「——は?」
結果を読み取ったロキの声が、真っ先にあがった。
そこにあらわれた答えは、実にシンプルで。
兄弟たちの名前の横に、等しく表示された一文字の羅列が、ティアには美しくさえ思えた。
「なんで? ありえねェ……は? うそだろ?」
動揺を隠せないロキに、ティアは思わず笑ってしまいそうになるのを抑え、「みんなBだね……ちなみに、AとB、どっちがメル君のパンだったの?」白々しく尋ねてみる。ロキは、ティアに答えることなく頭を抱えて、
「ありえねェ……ぜってェおかしい……アンタら、オレに内緒でハンドサインとかやったろ……」
完全なる被害妄想に、
「するわけねぇだろ」
「なんでやって」
「……そんなことは、していない」
「誤解ですよ」
方々から否定が飛んだが、ロキは納得いかずにうなっている。
「信じらんねェ……なんでロボが負けるわけ?プロの作り方をトレースしてンのに?」
「ロキさん、聞いた話ですが……パン作りは、温度や湿度の影響を受けるらしく……一般的なロボには、そういった繊細な生地の状態把握が難しいそうですよ?」
「……そんなわけねェじゃん……マシンは画一的にパン作るじゃん……」
アリアが優しく声をかけるが、あまり効果はない。空腹を満たすことに意識がいったセトは、「マシンのパンはそんな美味くねぇだろ」しれっと食事の用意を再開していた。
ぶつぶつと「パン作りに特化したロボ……生地の把握は感度高いやつ搭載してやれば……」変な方向に向かっていたロキは、セトのつっこみにハッとして、
「ってか! てめェはなんでB選んでンだよ!」
「は? ……なんで俺にキレてんだ?」
「ほかのヤツらはAが多く残ってたし、まァ納得できるけど……てめェは、どっちも一瞬で食ったよなァ?」
「腹減ってたら、とりあえず食うだろ」
「……う~わ、完全に騙された……悪食する犬っころのせいで……」
「あ? なんつった?」
うなだれるロキとそれを睨めつけるセトは気にせず、みなロボットから料理を受け取っていた。ティアも胃にもたれない料理を選択し、ちらりと——ロキの横へ、目を向ける。
肩を落とすロキの手前、大きくは喜べないが……こっそりと見合わせたふたりが、同じタイミングで、小さく笑った。
——わたしの、しゅみ……めるうぃんのごはん、たべること。
宣言に見合う回答を先に出していたらしい彼女と、それ以上の結果を全員から引き出したメルウィン。
(……面目躍如、ってやつかな?)
ふたりの勝利に、ティアもまた小さく笑った。
ティアにとってそれが今日であって、毎日閉じこもっているわけではない。私室で映画を流しながら惰眠をむさぼったり、きちんとした食事をとることなく紅茶と茶菓子のみで過ごしたりなんて、めったにない。
つまりこれは非常にまれなケースであって、それだけ今日のティアは憂鬱を抱えていた。昨日から降り続ける雨のせいではない。どちらかといえば雨は好きだった。ただし、暖かな室内から眺めている場合の話。
憂鬱の原因は、なんとなくは分かっていて。でも、気づかないフリで、今日を乗りこえようとしている。自分の心について考えるのは、苦手だった。
だらりだらりとした時の浪費は、メルウィンからの夕食のしらせによって、ひとまず終わりを告げた。
「……え? なに?」
食堂にたどり着いたティアは、場を占める妙な空気に気おくれしつつ、開いたドアの先へと入った。食堂にはティア以外の全員がそろっていて、ピシリと席についている。いや、座っていない者もいる。長いテーブルの奥では、派手な色の人間が腕を組み、立っていた。その人物と目が合う。「い~から。アンタも座って」指示が飛び、よく分からないまま廊下側の列に連なった。
腰を下ろしながら、隣のセトに尋ねる。
「え? なになに? これなに?」
「知らねぇ……」
お腹が空いているのか、すこし不機嫌そうな声が何にもならない回答をくれた。周りを見回す。こちらの廊下側には奥からサクラ、イシャン、セト。サクラとイシャンの表情はよく見えない。向かいの窓側にはアリアとハオロン。どちらも不思議そうな目でロキを見ている。ロキの後ろにはメルウィンと彼女が立っていて、彼女はひまわりみたいな黄色いセーターを着ていた。ふたりは目を合わせたり外したりしながら、申し訳なさそうな顔をしている。
テーブルの左右に兄弟をはべらせたロキが、真ん中で一歩前に出る。
「先に来たヤツには説明したけど、今から実験に付き合ってもらうから。こっから先の私語は禁止。質問は手ェあげて」
すみやかにハオロンの手があがった。「なに?」ロキが目を投げる。
「いきなりすぎて訳が分からんのやけどぉ……何するって?」
「実験」
「なんの?」
「詳細は結果に影響するし言わねェけど、簡単に言うとパンの比較実験」
「……ぱん?」
ぱんってなんだったっけ? みたいな疑問の見えるハオロンを置いて、ロキは調理室側に待機していたロボットを呼んだ。するすると動くロボットとワゴンが、席に着く者それぞれの前へと、パンがひとつ載ったプレートを2枚ずつ配っていく。ひとつはA、もうひとつはBと記されたシートがプレートの端に付いていた。
(え……ディナーは……?)
なんの前触れなく始まった謎の実験(?)。まともな料理を口にするのが24時間ぶりに近いティアにとって、わりと迷惑なのだが……サクラが黙っているということは、許可されているということになる。そうなると不平は言えそうにない。隣のセトも(はぁ?)という顔をしているが、ぎりぎり声には出していない。
パンが行き渡ったのを確認して、ロキは口を開いた。
「目の前に配ったそれを食べて、うまいと思うのをブレス端末でオレに教えて。他のやつと相談すンのはナシ、会話禁止。どっちも変わんねェっていう回答も認める。——ハイ、どォぞ」
つらつらとした説明に、(なんでそんな実験を今するかな……ふつうにメル君のごはん食べたかったのに……)心のなかで文句をぶつけながらも、Aのパンを手に取った。どちらも同じバゲットの一部に見える。空腹時に美味しさを平等に評価するのは難しいと思うが……とりあえず、ひとくち。
(……?)
ちぎったそれを口に入れた瞬間、香ばしさに違和感が。表面の皮に引っかかりを覚えながら、Bのパンへと移った。
(……なるほど)
Bの食べ慣れた食感と風味から、ピンとひらめいた。この実験の目的——つまり、ロキの意図が、なんなのか。
自身の回答をロキに送信し、ちらりと横を見ると、セトは両方を食べきっていた。それを見たロキは悪だくみする悪役のような顔をしている。背後にひかえている配下みたいなふたりは、完食したセトのプレートを見て不安そうに横目を送り合っていた。
思い出したようにブレス端末に触れたセトが回答を終えるのを待っていると、ハオロンが再び手をあげた。
「もぉいいやろ? なんの実験か教えてくれんかぁ?」
セトの手がブレス端末から離れる。許可を得ないハオロンの勝手な発言を注意することなく、ロキが実験の主題を口にした。
「“ヒトはパンにおける呈味成分を正しく評価できるかどうか”、あるいは、“パン作りにおいてヒトとロボットはどちらが優れているか”」
「……は? なんて?」
「だからさ……アンタらは、ヴェスタが作ったパンとロボが作ったパンの違いが分かンのか、それと、どっちがうまいパンを作れるかってのを試したワケ。先にウサちゃんで実験したけど、結果に納得いかなかったから。母数増やそうと思って」
「……ん~?」
テーマを聞いたところで目的が見えないハオロンは、「よく分からんけどぉ……ディナーは食べていいの? まさか今夜はパンだけ……?」食事があるかどうかを心配して、メルウィンへと問いかけた。
「だいじょうぶだよ、ほかの料理もあるよ」
メルウィンの返事を聞いて安堵したハオロンに、ロキが「もう食べてい~よ。アンタらも好きに食べて」実験協力に対する感謝もなく、雑に終了し——ようとしたが、遮るようにして、サクラが、
「——実験の結果は?」
(そう、それが気になるんだけど)
ティアは胸中だけでサクラの声に同調した。
ハオロンを筆頭にロボットを呼び寄せていた彼ら——セト、イシャン、アリア——が、サクラの問いを聞いて興味半分にロキを見つめる。ロキは回答を見るまでもなく結果に自信があるのか、「なに? アンタらも知りてェの?」不敵な笑みを浮かべ、「じゃァ、答え合わせしてやろォかな~っ」機嫌よくブレス端末を操作し、画面を公開表示にして空間に映し出した。座るイスすらない余ったスペースのテーブル上、ティアが最も近く、みんなが見やすい位置。
全員の目がそこに向く。離れていたメルウィンと彼女もテーブルまで寄って、のぞいていた。そこには個人の名前と選択したアルファベットが、つらりと並んでおり——
「——は?」
結果を読み取ったロキの声が、真っ先にあがった。
そこにあらわれた答えは、実にシンプルで。
兄弟たちの名前の横に、等しく表示された一文字の羅列が、ティアには美しくさえ思えた。
「なんで? ありえねェ……は? うそだろ?」
動揺を隠せないロキに、ティアは思わず笑ってしまいそうになるのを抑え、「みんなBだね……ちなみに、AとB、どっちがメル君のパンだったの?」白々しく尋ねてみる。ロキは、ティアに答えることなく頭を抱えて、
「ありえねェ……ぜってェおかしい……アンタら、オレに内緒でハンドサインとかやったろ……」
完全なる被害妄想に、
「するわけねぇだろ」
「なんでやって」
「……そんなことは、していない」
「誤解ですよ」
方々から否定が飛んだが、ロキは納得いかずにうなっている。
「信じらんねェ……なんでロボが負けるわけ?プロの作り方をトレースしてンのに?」
「ロキさん、聞いた話ですが……パン作りは、温度や湿度の影響を受けるらしく……一般的なロボには、そういった繊細な生地の状態把握が難しいそうですよ?」
「……そんなわけねェじゃん……マシンは画一的にパン作るじゃん……」
アリアが優しく声をかけるが、あまり効果はない。空腹を満たすことに意識がいったセトは、「マシンのパンはそんな美味くねぇだろ」しれっと食事の用意を再開していた。
ぶつぶつと「パン作りに特化したロボ……生地の把握は感度高いやつ搭載してやれば……」変な方向に向かっていたロキは、セトのつっこみにハッとして、
「ってか! てめェはなんでB選んでンだよ!」
「は? ……なんで俺にキレてんだ?」
「ほかのヤツらはAが多く残ってたし、まァ納得できるけど……てめェは、どっちも一瞬で食ったよなァ?」
「腹減ってたら、とりあえず食うだろ」
「……う~わ、完全に騙された……悪食する犬っころのせいで……」
「あ? なんつった?」
うなだれるロキとそれを睨めつけるセトは気にせず、みなロボットから料理を受け取っていた。ティアも胃にもたれない料理を選択し、ちらりと——ロキの横へ、目を向ける。
肩を落とすロキの手前、大きくは喜べないが……こっそりと見合わせたふたりが、同じタイミングで、小さく笑った。
——わたしの、しゅみ……めるうぃんのごはん、たべること。
宣言に見合う回答を先に出していたらしい彼女と、それ以上の結果を全員から引き出したメルウィン。
(……面目躍如、ってやつかな?)
ふたりの勝利に、ティアもまた小さく笑った。
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