【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.14 純白は手折りましょう

Chap.14 Sec.12

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「——ね、やっぱりセト君のことキャンセルできない?」
「無理。アンタが言えば? 抜けろって」

 ハウスの2階、南東のエレベータを出て右手にある遊戯室ゲームルームには、5台の専用マシンがある。見た目はリクライニングチェアに似ているが、頭部のヘルメットのようなカバーが異質な存在感を放っていて、ただ座るだけの代物しろものではないことを物語っている。現在そこは、しんとした沈黙のなか、マシンの稼働音だけが細々と響いていた。
 ——つまり、ティアとロキの会話がなされたのはではない。彼らの会話はバーチャル空間のなかで成り立っていた。

「僕さ、バーチャル空間って初めてなんだよね。だから、ゲームなんて当然したことがないんだよ。……なのにさ、スタートでセト君があそこまで不機嫌な状態だと、もうこれは不安しかないなって思うんだ」

 現実世界ではなく、ハオロンによって作られたという夜の森。木深い森の奥に設けられた小さなログハウスの中には、4人のアバターが存在していた。
 ログハウスの外装は、セトが製作した物とうりふたつ。しかし、内装はただの箱のようにぽっかりとしていた。ドア側の壁沿いに立つのは白金の長髪の青年。その横にはカラフルな髪をした身長110センチメートルほどの少年。前者はティア、後者はロキの脳波を反映している。部屋の中央で、困ったようにおろおろとしている長い黒髪のアバターを挟んで向こう側、反対の壁に寄りかかって腕を組み、そっぽを向く金髪の少年。こちらも身長はロキと並んでいる。ツンっと跳ね上がった目尻のその少年が、宙に向かってイラついた声で話しかけた。

「——つぅか! なんだこのアバターはっ? ガキじゃねぇか!」

 少年の見た目にそぐわない、低い声が室内に響いた。ひやっと首を縮める黒髪の彼女は、おびえたのではなくびっくりしている。それくらい声量が大きかった。
 機嫌の悪そうな金髪少年に向けて応えたのは、その場にいたアバターの誰かではなく、

《——セト、それはハンデだよ。ハオロンから、ロキとセトにはハンデを設けるよう指示されてる。歩幅やリーチの長さ、攻撃における耐性……いろいろあるけれど、一番のハンデは持久力かな。最大値が少ないから、走るときは気をつけてね?》

 小さな鈴を鳴らしたような声が、ふんわりと反響する。彼らがミヅキと呼ぶ、(自称)汎用はんよう人工知能。姿は見えず音声のみ。

「はぁっ? 俺は初見だぞ!」

 ミヅキに食ってかかるセトに対して、ロキが「フィールドがハウスの森だから。てめェのテリトリーだろ」口を挟むと、鋭い目がロキをにらんだ。

《ロキの言うとおり、フィールドはハウスの森全体をスキャンして作られているよ。……ところで、僕の役目であるルール説明は終わったから、そろそろ消えていい? サービスタイムは残り3分。“人間チーム”の作戦について、話し合うことを提案するよ》

 やんわりと促された戦略会議を、誰も始める気配がない。話には挙がっていないが、“森の魔物チーム”も同じく開始早々に同等のサービスタイムが設けられている。あちらにはハオロンとメルウィン。メルウィンが参加者として確定したのは、時間軸でみるとセトよりも先だった。ブラウニー作りが始まるよりも早い段階で巻き込まれていた。
 夕食では「明日の朝は、料理をお休みします」といった宣言がなされている。こういう場合は各自での自由調達になる。主にマシンの加工食が供給されているが、何も食べない者もいる。

 ミヅキの助言を気にしないティアは、先ほどから手を握ったり開いたりしていた。誰へともなしに話し始める。

「深度レベルの高いVRって、こんな感じなんだ? なんだか不思議だね……夢の中みたい」

 振り返った中央の彼女と目を合わせて、にこりと微笑む。

「表情の変化がワンパターンだね? 意識的なものしか表に出てこないのかな……?」

 スタスタと床の上を歩いてみせる。向かいの壁にいたセトの前までたどり着くと、「感情の機微きびが見えなくて、心もとないね」独り言のように呟いた。腕を組んだままのセトの目が、ちらりとティアに流れる。セトは愛想のない声音で、

「……俺らの世代はこれが普通だ」
「あっ、相手に触ったりもできるの?」
「当たり前だろ」
「うわぁ……ほんとに触ってるみたいで気持ちわるい……」
「なら触んな」

 小柄なセトの肩をポンポンっと触っていたティアの手を払うために、セトは組んでいた腕を解いた。め上げてくる金の眼を、ティアは気にするようすなく、靴のかかとで床を鳴らしてみる。タン、タタン、タンタン。ティアの耳には、本当に木を踏んでいる音のように届いた。「おもしろいね」音の鳴るおもちゃを初めて掴んだ乳児のように、音の変化を興味深く試している。

「何が面白いワケ? ってか、3分経つけど」

 ロキの言葉尻と同時に、周囲の映像が切り替わった。ログハウスは完全に消え失せ、暗い緑に覆われる。見上げた空には、今にも折れそうな細い月が光っていた。湿りけのある土の匂いと野草の香りを感じて、ティアは驚きに目をみはった。

「ほんとに夜の森にいるみたいだ」

 感動に満ちたティアの声は、しかし——それよりも圧倒的な音量の咆哮ほうこうによって、完全にかき消された。びくっと大きく反応したティアが、その荒々しい雄たけびが聞こえた方を振り返る。遠くかなた、樹木の隙間からティアの目に入ったのは、2メートルほどの人影——ひとかげ? いや、あれは……

「ひっ! なにあれっ? ちょっとロキ君! 何あれ何あれ!」
「うわっ、放せって! 走れねェじゃん!」

 手近な場所にいた小さな肩を盾にして、ティアがロキの背後に回った。力は子供よりも大人のほうが強く設定されている。押さえ込まれたロキはジタバタと暴れながら、「あれが魔物! だからハオロンかメルだろ! ……あ? 今回は名前呼べる仕様になってンな?」前回との変更点に気づいたらしい。ただ、ティアの耳にそんなことは入っていない。

「魔物!? あれが!? 僕の思ってたのと全然違う! もっとファンタジーかと思ってたのに! ……ちょっと! こっち来るよ!? どうするのっ?」

 ゲームの中だからか、ティアは本来の視力よりもクリアに周囲を見渡せられた。そのせいで遠くの魔物の姿をはっきりと捉えられている。
 水を吸ったように膨れあがった皮膚。頭部の髪が抜け落ちていて、衣服は無い。全身が分厚い皮膚だけのようにぶくぶくと波打っている。眼球のひとつは飛び出てれ下がり、口は耳まで裂けている。左腕は関節を無視して折れ曲がり、右腕は異常に長く伸びきっていて——その、ぞっとするような化け物が、アンバランスな動きで左右に上体を振りながらこちらに向けて前進してくる。

「やだ! こんなの無理! やめる! 僕やめるから止めて!」
「決着するまで止めらんねェし。わめいてないで逃げれば?——で、まずオレを放してくんねェ? 共倒れすンじゃん」
「えっ! なんかうまく走れないんだけど! なにこれ? なんでっ?」
「あァ~……アンタもかァ……」

 あきれたように呟いてから、ロキは彼女の方を見た。

「ウサちゃん、ひとりで行ける? ポンコツ2号が離れないから、オレこっち連れてくけど……平気?」
「……はい、へいき」
「じゃ、北の湖を越えたとこで落ち合お。湖の、さらに奥。聞き取れてる?」
「はい」
「おっけェ、また後で」

 ロキの腕を掴んだまま騒いでいるティアに、「もォい~から、とりあえずオレが引っぱるから、抵抗なしで黙ってついて来て」期待のない声で告げると、逆に腕を掴み返して走り出した。足がもつれそうになりながらも釣られて走るティアの口から、「わ、わ、わ」言葉にならない声がこぼれていった。
 ——見送っている場合じゃない、と。自身も逃げようとした彼女は、ふと、もうひとりの少年をかえりみる。魔物の方向へと目をやっていたセトが、その視線に気づいた。

「……なんだよ」
「にげない……?」
「逃げて何になんだよ。負けたところでペナルティあるわけでもねぇし、勝つ意味もねぇし。こっちは元からやる気なんてねぇんだよ」
「? ……せと、わたし、いま、ほんやくきがない。ことばのれんしゅうで、げーむは、なし。だから……ゆっくり、はなしてほしい」
「………………」

 二度も言う気はないらしく、セトは会話を切って魔物に目を戻した。黙ってしまったセトに、彼女は困惑したが……魔物は着々と近づいており、話している余裕は無いように思える。いったん話をやめて走り出そうと決め、足を踏み出す。しかし、セトは不動のまま立っている。何かを察したような顔をした彼女は、ふいにセトの手を取った。今や自分よりも小柄な彼の、小さな手を。

 反射的に、セトは顔を上げていた。驚いたようすで——驚きすぎて、言葉も出ないような顔で。
 見上げた先には、こちらを見下ろすふたつの黒。普段のように見上げられてはいない。目が合うと、目許をこわばらせることなく、その瞳は見守るような——心配そうな色を映した。

「だいじょうぶ。わたし、このげーむは、わかるから……せとを、まもれる。……こっち、いっしょに」

 ぎゅっ、と。手に伝わる感触は、まがいものだというのに。
 ——振り払えない。幼い容姿に向けられた彼女の表情が、いつもよりもはるかに穏やかで——いや、優しくて。作られたものだと分かっているのに、不覚にもその一瞬で、全部奪われた。思考力も、振りほどくための力も、あらがうための何もかも。

 すぐそばまでやって来た魔物から逃げるように、強く手を引かれる。どこか覚束おぼつかない足取りで走り始める彼女に連れられて、周囲が後ろに流れていく。彼女の瞳は、もう見えない。代わりに——繋がった掌が、世界の中心のように——セトを惹きつけてやまない。

「……俺ひとりで走ったほうが速いだろ」

 ぼそりと、もれた声。翻訳機のない彼女に、小さな文句は届かなかった。
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