シンメトリーの翼 〜天帝異聞奇譚〜

長月京子

文字の大きさ
43 / 233
第二話 偽りの玉座

参章:二 地界の民、白亜(はくあ)

しおりを挟む
 白虹はっこう皇子みこが使いに出していた者は、白亜はくあと名乗った。地界の生まれであることは間違いがなく、翡翠ひすいが見上げるほどの巨漢だった。 

 国籍は固く編まれた銀髪と、灰褐色の瞳が物語っている。 
 彼は皇子みこに導かれるまま、連れの者と中庭を渡って廂へ上がると片膝をついた。自身のあるじである皇子みこを差し置いて、翡翠に深く頭を垂れたのだ。 

「うわ、あの、僕はただの訪問者なので。どうか顔を上げてください」 

 翡翠ひすい白亜はくあの前で膝を折って慌てていると、顔を上げた男は白い歯を見せて笑った。 

玉花ぎょくか様のお話どおり、人懐こい方だ」 
「え?」 

 白亜はくあはゆっくりと立ち上がると、逞しい二の腕を伸ばして軽々と翡翠を立ち上がらせた。思わず鍛え上げられた肉体を羨ましげに眺めてしまう。 
 天界の者が身を鍛えたとしても、ここまで見事な体躯たいくは得られない。身につく筈である筋力は、限度を超えると目に見えないらいとなって蓄えられ、力として発揮される。 

 見た目はしなやかな筋肉をまとうだけの華奢きゃしゃな体をしていても、地界の者が及びもつかない力を持ち得るのだ。そこには超えられない質の違いがあった。 

 白亜はにこにこと嬉しそうに翡翠を見つめている。親しみの込められた眼差しだった。悪い気はしなかったが、翡翠は彼と共に表れた小柄な人影が気に掛かる。まるで身を隠すように頭から濃紺の表着うわぎを被っており、男なのか女なのかも判断がつかない。 
 平伏すようにその場で小さくなっている。 
 じっと眺めていると、身体が小刻みに震えているようにも見える。気のせいだろうか。 

 翡翠が眉を潜めると、白虹はっこう皇子みこが一歩前へ進み出た。小柄な人影は近づいた気配に怖気づいたのか、びくりと身を起こして後ずさりする。背後の白亜にぶつかって退路を断たれると、再び深く平伏した。 
 白亜と同じ地界の生まれであることは、身にまとう気のようなものが伝えてくれる。地界の人間が天界の王族にためらいや恐れを感じるのは仕方がないのかもしれない。それでも白亜との様子の違いが、翡翠の目にも明らかだった。 

「そんなに恐れることはありません」 

 白虹の皇子みこは優しく声をかけて、平伏す人影の前で膝をついた。 

「顔を上げて下さい。私はあなたに話を聞きたいだけなのです」 

 翡翠達が見守る中で、皇子みこが手を伸ばして人影の手をとった。瞬間、手を握られた者は「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。王族に対する恐れだけでは説明のつかない怯えがあった。皇子みこに取られた痩せた手は、隠しようもなくガタガタと震えている。 

「どうか恐れないで。顔を上げてください」 

 皇子みこの柔らかな声も、恐れをいやすことはないようだった。震えたまま、伏せていた上体を起こす。頭からかぶっていた表着うわぎが、はらりと肩に落ちた。 
 あらわになった素顔を見て、翡翠は眉間にじわを寄せた。 
 女だった。 

 白い顔は痩せて、頬の輪郭が骨格をなぞっている。蒼ざめた顔色。かちかちとかみ合わない歯が鳴る。女のやせ衰えた姿と、尋常ではない怯え方が翡翠には痛々しいほどだった。 
 深いあいを映す長い髪が、国籍を語る。地界のそうに生まれたのは疑いようがない。 

 世界が、殊に地界が止めようもなく荒れ果ててゆくのは知っていたが、ここまで人の輪郭が損なわれた姿を見るのは初めてだった。 
 地界の貧しさは、まだこれほどには至らないはずなのだ。 
 けれど。遠くない将来の姿ではあるだろう。 

 翡翠はその女に地界の未来を見た気がして、知らずに唇を噛み締める。 
 皇子みこもまるで労わるように女を見る目を細めた。 
 突然、女は激しく頭を振った。引きつる顔から、ますます血の気が引いていく。どうやら翡翠達の周りで小さく羽ばたいている黒鳥が目に止まったようだ。 

「し、知りません。私は何も知りません。見ていません」 

 涙を流して、女は手を組み合わせた。皇子みこおがむように、頭を垂れて繰り返した。 

「何も知りません。……だから、どうか、魂魄いのちだけは」 

 ゆきも女が恐れる元凶に気付いたようで、袖を振って黒鳥を追いかけている。少しでも女と距離を取らせるための配慮なのだろう。 

清香きよか、この方は君の魂魄いのちを取ろうとは思っていない」 

 白亜が厚みのあるてのひらを、なだめるように女の肩に置いた。 

「私に話してくれたことを、そのまま話してくれればそれでいい」 
「や、約束が違います。白亜、……あなたは、私を助けてくださると」 
「もちろん、約束は守る」 

 力強く、白亜が女に頷いて見せるが、女は涙に濡れた顔を激しく左右に振る。 

「私はここでじゅをかけられるのだわ」 
「違う」 

 白亜の太い声が、虚しく響いた。翡翠がどのように説明をすれば良いのかと考えていると、背後からぬっと皓月こうげつが顔を出した。呑気に大きな欠伸をしてから、ゆっくりと女の元へ歩み寄る。 
 ひさしに出てきた皓月こうげつの毛並みが、金色こんじきの美しい煌めきを見せた。目の前に現れた幻獣げんじゅうの輝きに、女も目を奪われたようだった。 

 皓月は皇子みこの傍らで立ち止まると、女の顔を覗きこむ様に鼻を寄せる。長いひげがひくひくと女の頬に当たった。 
 女は巨体を持つ幻獣にすくんでいるのか、金色の体毛に見惚れているのか、放心したように身動きしない。皓月は女の涙に濡れた頬を、慰めるようにべろりと舐めた。 
 女は驚いて身を硬くしていたが、幾度もべろべろと舐められるうちに、少しずつ自分を取り戻したようだ。 
 痩せた手で皓月の頬に触れて、大きく息をつく。 

「無様に取り乱して、申し訳ございません」 

 女はゆっくりと頭を下げてから、目の前の皇子みこと向き合う。 
 皓月はそれを見届けると、役目を終えたとばかりに、するりと身を翻した。去り際に長い尾をゆるゆると動かして、再び欠伸をした。翡翠の背後まで戻ってくると、前足を揃えて巨体を横たえている。 
 皇子みこは両手で女の手を握った。 

「あなたの無事は、私が約束します」 
「――本当ですか?」 
「はい」 
「本当に、私はもう追われることはないのですか?」 

 皇子みこは何かを問い返すことはせず、ただ静かに頷いた。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

遡ったのは君だけじゃない。離縁状を置いて出ていった妻ーー始まりは、そこからだった。

沼野 花
恋愛
夫と子供たちに、選ばれなかったイネス。 すべてを愛人に奪われ、彼女は限界を迎え、屋敷を去る。 だが、その先に待っていたのは、救いではなかった。 イネスを襲った、取り返しのつかない出来事。 変わり果てた現実を前に、 夫はようやく、自分が何を失ったのかを思い知る。 深い後悔と悲しみに苛まれながら、 失ったイネスの心を取り戻そうとする夫。 しかし、彼女の心はすでに、外の世界へと向かっていた。 贖罪を背負いながらもイネスを求め続ける夫。 そして、母の心を知っていく子供たち。 イネスが求める愛とは、 そして、幸せとは――。

白い結婚の行方

宵森みなと
恋愛
「この結婚は、形式だけ。三年経ったら、離縁して養子縁組みをして欲しい。」 そう告げられたのは、まだ十二歳だった。 名門マイラス侯爵家の跡取りと、書面上だけの「夫婦」になるという取り決め。 愛もなく、未来も誓わず、ただ家と家の都合で交わされた契約だが、彼女にも目的はあった。 この白い結婚の意味を誰より彼女は、知っていた。自らの運命をどう選択するのか、彼女自身に委ねられていた。 冷静で、理知的で、どこか人を寄せつけない彼女。 誰もが「大人びている」と評した少女の胸の奥には、小さな祈りが宿っていた。 結婚に興味などなかったはずの青年も、少女との出会いと別れ、後悔を経て、再び運命を掴もうと足掻く。 これは、名ばかりの「夫婦」から始まった二人の物語。 偽りの契りが、やがて確かな絆へと変わるまで。 交差する記憶、巻き戻る時間、二度目の選択――。 真実の愛とは何かを、問いかける静かなる運命の物語。 ──三年後、彼女の選択は、彼らは本当に“夫婦”になれるのだろうか?  

あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜

瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。 まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。 息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。 あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。 夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで…… 夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

訳あり冷徹社長はただの優男でした

あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた いや、待て 育児放棄にも程があるでしょう 音信不通の姉 泣き出す子供 父親は誰だよ 怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳) これはもう、人生詰んだと思った ********** この作品は他のサイトにも掲載しています

魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました

iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。 両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。 両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。 しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。 魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。 自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。 一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。 初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。 恋人になりたいが、年上で雇い主。 もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。 そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。 そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。 レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか? 両片思いのすれ違いのお話です。

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

靴屋の娘と三人のお兄様

こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!? ※小説家になろうにも投稿しています。

処理中です...