42 / 233
第二話 偽りの玉座
参章:一 天籍(てんせき)の誇り
しおりを挟む
内殿を出ると、白虹の皇子は迷わずに城内を突き進んでいく。翡翠達は後を追うように軒廊を渡り、広く作られた廂に出た。翡翠は目の前にひらけた中庭に人影を見つけてぎょっとする。内殿の外周に作られた庭だとしても、ここはまだ白虹の皇子が住まう居城の敷地であることには変わりがない。本来ならば、臣従は門外で主を待つべきである
現れた人影はそのような手続きを一切反故にして、中庭に現れた。
見たところ天籍の者ではない。国の政に関わるため、地界に生まれた者が天界に住まうことはある。それでも王の臣下であることは変わらない。翡翠は思わず、横目で白虹の皇子を窺ってしまう。
臣下が許可もなく城内へ侵入することは狼藉以外の何者でもない。気位の高い王族ならば、憤るだけではすまないだろう。
「ご苦労だったね、白亜。こちらへ」
白虹の皇子は人影を見つけると、自然に笑顔を向けた。翡翠は予想通りの反応だと、ますます皇子に好感を抱く。例え臣従が門外で待機していても、皇子が自ら出迎えることが既に珍しいことだ。宮殿に人を置かないということは、自らが全てを成すということに等しい。
著しく天帝の加護が失われた世界。
黄帝の礼を以って発揮される神。
神はこの世を形作る力となるもの。
この世は善氣と悪氣からなり、それは目に見えぬ氣として世界を満たしているといわれている。善氣は人の善意から、悪氣は人の悪意から発生するとも伝えられているが、翡翠の生まれた世界には、異界のように法(科学)によって仕組みを証明する手立てはない。
ただ、全てがこの世の創世を記したと言われている記録に描かれているだけである。
世界を満たす氣は、そのままでは何かを生み出すことも滅ぼすこともできない。
氣は礼に触れて神となり、はじめて活用の途が拓かれる。
そして、神が在ってこそ、はじめて天界の政は機能する。
神の用途は多岐にわたり、地界を繁栄させるために有効な用途、効率の良い供給が常に模索されるのだ。
地界をいかに豊かに育むのか。
それが国として地界を治める天界の責務。
翡翠が天籍に生まれたことを誇りに思うのは、それ故である。
けれど。
天帝の加護――神が失われた世では、天界は責務を果たすことが出来ない。
現在も国では政が行われているだろう。翡翠はそれが単なる気休めに過ぎないことを知っている。
年毎に、月毎に、やがては日毎に、神が失われつつあることは目に見えていた。
地界を育むために、天界での政が苛烈を極めた日々もあった。けれど、それすらも意味を失う日々はすぐに訪れた。
地界を育むという、天界の使命が失われた日々。
無意味な毎日。実りのない政を見限って、更なる放浪を始めたのは、いつからだろう。発端はいまでも鮮明に覚えているが、もう遠い日々になっていた。
翡翠は天界と地界の落差を思い知るたびに、胸の中の穴が広がっていく。例えようもない虚無感。
この世が滅びる。
いつからか天界でも囁かれている噂。けれど、天界で語られる――この世――は常に地界だけを指しているのだ。少なくとも、翡翠の知る碧の重鎮はそうだった。
天帝の加護が失われても天界が滅びることはない。
確たる理由もなく、彼らはそう信じていた。
なぜなら、天籍にある者は礼神を与えられているからだ。
たったそれだけの理由で。
枯れて荒れ果ててゆく地界を知りながら、自らが傷つくことも心を痛めることもない。
傲慢で、哀しい境界線。
いったい天籍にある者のどれだけが、地界の素晴らしさを知っているのだろう。
美しく尊い世界。
地界に生きる人々が、同じように喜び、怒り、悲しみ、笑うことを知っているのだろうか。翡翠は皮肉を込めて思う。
天界は、まるで異界にある偶像のようだと。
地界の神として君臨し、天高く在る尊きもの。
たしかに地界の人々は、天界の者を敬っている。その思いは、異界の信仰に似ているのかもしれない。
けれど、天界は偶像ではない。
責務を果たしてはじめて地界の畏怖や尊敬を享受することができるのだ。
礼神を与えられているだけで、尊ばれるのは間違えている。それを活かすことが出来なければ、何の意味もない。
翡翠は快く臣下を迎える白虹の皇子の横顔を見つめてしまう。
(――皇子は、この世界をどのように捉えているのだろう)
自分と同じように、天界と地界を一続きの世界として捉えるのか。
あるいは、かつて碧国の重鎮が語ったように、切り離して考えているのか。
翡翠にも、天界と地界を一続きの世界だと捉えられない部分があることは分かっている。真名や礼神といった、地界の人々が決して持ちえぬ力があることは認めなければならない。
それでも、翡翠にとって天界と地界は一続きの世界だった。
地界の衰退は、やがて天界の衰退にも繋がって行くと思えるのだ。経過に差異や時間差があったとしても、迎える終焉は等しい気がしてならない。
そんなふうに感じる自分が、変わっているのだろうか。自分の足で地界を彷徨い、翡翠は必要以上に心を移してしまった。天籍を与えられた者として、そのような傾倒は間違えているのかもしれない。
かつて重鎮が語ったように、地界と天界を切り離して考えることが正しいのかもしれなかった。
皇子は中庭に現れた人影を手招きして、廂の前まで呼び寄せている。
知的な眼差しには、親しみと労わりだけが込められていた。
翡翠は傍らで廂から身を乗り出すようにして、人影に袖を振っている雪を見て、自然と口元に笑みが浮かんだ。
雪も白虹の皇子も、王族という立場をわきまえている。
責務を忘れ果てて、身分や特権だけを振りかざす碧の重鎮とは違う。
(この世の衰退を憂い、何か出来ることはないのかと手掛かりを探してしまう)
言い当てられた真実は、おそらく皇子の中にもあるに違いない。
たとえ天界と地界が、皇子にとって一続きの世界ではなくても。
皇子が衰退して行く世界のために、既に行動を起こしていることは揺ぎ無い事実なのだ。
現れた人影はそのような手続きを一切反故にして、中庭に現れた。
見たところ天籍の者ではない。国の政に関わるため、地界に生まれた者が天界に住まうことはある。それでも王の臣下であることは変わらない。翡翠は思わず、横目で白虹の皇子を窺ってしまう。
臣下が許可もなく城内へ侵入することは狼藉以外の何者でもない。気位の高い王族ならば、憤るだけではすまないだろう。
「ご苦労だったね、白亜。こちらへ」
白虹の皇子は人影を見つけると、自然に笑顔を向けた。翡翠は予想通りの反応だと、ますます皇子に好感を抱く。例え臣従が門外で待機していても、皇子が自ら出迎えることが既に珍しいことだ。宮殿に人を置かないということは、自らが全てを成すということに等しい。
著しく天帝の加護が失われた世界。
黄帝の礼を以って発揮される神。
神はこの世を形作る力となるもの。
この世は善氣と悪氣からなり、それは目に見えぬ氣として世界を満たしているといわれている。善氣は人の善意から、悪氣は人の悪意から発生するとも伝えられているが、翡翠の生まれた世界には、異界のように法(科学)によって仕組みを証明する手立てはない。
ただ、全てがこの世の創世を記したと言われている記録に描かれているだけである。
世界を満たす氣は、そのままでは何かを生み出すことも滅ぼすこともできない。
氣は礼に触れて神となり、はじめて活用の途が拓かれる。
そして、神が在ってこそ、はじめて天界の政は機能する。
神の用途は多岐にわたり、地界を繁栄させるために有効な用途、効率の良い供給が常に模索されるのだ。
地界をいかに豊かに育むのか。
それが国として地界を治める天界の責務。
翡翠が天籍に生まれたことを誇りに思うのは、それ故である。
けれど。
天帝の加護――神が失われた世では、天界は責務を果たすことが出来ない。
現在も国では政が行われているだろう。翡翠はそれが単なる気休めに過ぎないことを知っている。
年毎に、月毎に、やがては日毎に、神が失われつつあることは目に見えていた。
地界を育むために、天界での政が苛烈を極めた日々もあった。けれど、それすらも意味を失う日々はすぐに訪れた。
地界を育むという、天界の使命が失われた日々。
無意味な毎日。実りのない政を見限って、更なる放浪を始めたのは、いつからだろう。発端はいまでも鮮明に覚えているが、もう遠い日々になっていた。
翡翠は天界と地界の落差を思い知るたびに、胸の中の穴が広がっていく。例えようもない虚無感。
この世が滅びる。
いつからか天界でも囁かれている噂。けれど、天界で語られる――この世――は常に地界だけを指しているのだ。少なくとも、翡翠の知る碧の重鎮はそうだった。
天帝の加護が失われても天界が滅びることはない。
確たる理由もなく、彼らはそう信じていた。
なぜなら、天籍にある者は礼神を与えられているからだ。
たったそれだけの理由で。
枯れて荒れ果ててゆく地界を知りながら、自らが傷つくことも心を痛めることもない。
傲慢で、哀しい境界線。
いったい天籍にある者のどれだけが、地界の素晴らしさを知っているのだろう。
美しく尊い世界。
地界に生きる人々が、同じように喜び、怒り、悲しみ、笑うことを知っているのだろうか。翡翠は皮肉を込めて思う。
天界は、まるで異界にある偶像のようだと。
地界の神として君臨し、天高く在る尊きもの。
たしかに地界の人々は、天界の者を敬っている。その思いは、異界の信仰に似ているのかもしれない。
けれど、天界は偶像ではない。
責務を果たしてはじめて地界の畏怖や尊敬を享受することができるのだ。
礼神を与えられているだけで、尊ばれるのは間違えている。それを活かすことが出来なければ、何の意味もない。
翡翠は快く臣下を迎える白虹の皇子の横顔を見つめてしまう。
(――皇子は、この世界をどのように捉えているのだろう)
自分と同じように、天界と地界を一続きの世界として捉えるのか。
あるいは、かつて碧国の重鎮が語ったように、切り離して考えているのか。
翡翠にも、天界と地界を一続きの世界だと捉えられない部分があることは分かっている。真名や礼神といった、地界の人々が決して持ちえぬ力があることは認めなければならない。
それでも、翡翠にとって天界と地界は一続きの世界だった。
地界の衰退は、やがて天界の衰退にも繋がって行くと思えるのだ。経過に差異や時間差があったとしても、迎える終焉は等しい気がしてならない。
そんなふうに感じる自分が、変わっているのだろうか。自分の足で地界を彷徨い、翡翠は必要以上に心を移してしまった。天籍を与えられた者として、そのような傾倒は間違えているのかもしれない。
かつて重鎮が語ったように、地界と天界を切り離して考えることが正しいのかもしれなかった。
皇子は中庭に現れた人影を手招きして、廂の前まで呼び寄せている。
知的な眼差しには、親しみと労わりだけが込められていた。
翡翠は傍らで廂から身を乗り出すようにして、人影に袖を振っている雪を見て、自然と口元に笑みが浮かんだ。
雪も白虹の皇子も、王族という立場をわきまえている。
責務を忘れ果てて、身分や特権だけを振りかざす碧の重鎮とは違う。
(この世の衰退を憂い、何か出来ることはないのかと手掛かりを探してしまう)
言い当てられた真実は、おそらく皇子の中にもあるに違いない。
たとえ天界と地界が、皇子にとって一続きの世界ではなくても。
皇子が衰退して行く世界のために、既に行動を起こしていることは揺ぎ無い事実なのだ。
0
あなたにおすすめの小説
冷徹公爵の誤解された花嫁
柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。
冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。
一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。
訳あり冷徹社長はただの優男でした
あさの紅茶
恋愛
独身喪女の私に、突然お姉ちゃんが子供(2歳)を押し付けてきた
いや、待て
育児放棄にも程があるでしょう
音信不通の姉
泣き出す子供
父親は誰だよ
怒り心頭の中、なしくずし的に子育てをすることになった私、橋本美咲(23歳)
これはもう、人生詰んだと思った
**********
この作品は他のサイトにも掲載しています
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
【完結】東京・金沢 恋慕情 ~サレ妻は御曹司に愛されて~
安里海
恋愛
佐藤沙羅(35歳)は結婚して13年になる専業主婦。
愛する夫の政志(38歳)と、12歳になる可愛い娘の美幸、家族3人で、小さな幸せを積み上げていく暮らしを専業主婦である紗羅は大切にしていた。
その幸せが来訪者に寄って壊される。
夫の政志が不倫をしていたのだ。
不安を持ちながら、自分の道を沙羅は歩み出す。
里帰りの最中、高校時代に付き合って居た高良慶太(35歳)と偶然再会する。再燃する恋心を止められず、沙羅は慶太と結ばれる。
バツイチになった沙羅とTAKARAグループの後継ぎの慶太の恋の行方は?
表紙は、自作です。
同窓会~あの日の恋をもう一度~
小田恒子
恋愛
短大を卒業して地元の税理事務所に勤める25歳の西田結衣。
結衣はある事がきっかけで、中学時代の友人と連絡を絶っていた。
そんなある日、唯一連絡を取り合っている由美から、卒業十周年記念の同窓会があると連絡があり、全員強制参加を言い渡される。
指定された日に会場である中学校へ行くと…。
*作品途中で過去の回想が入りますので現在→中学時代等、時系列がバラバラになります。
今回の作品には章にいつの話かは記載しておりません。
ご理解の程宜しくお願いします。
表紙絵は以前、まるぶち銀河様に描いて頂いたものです。
(エブリスタで以前公開していた作品の表紙絵として頂いた物を使わせて頂いております)
こちらの絵の著作権はまるぶち銀河様にある為、無断転載は固くお断りします。
*この作品は大山あかね名義で公開していた物です。
連載開始日 2019/10/15
本編完結日 2019/10/31
番外編完結日 2019/11/04
ベリーズカフェでも同時公開
その後 公開日2020/06/04
完結日 2020/06/15
*ベリーズカフェはR18仕様ではありません。
作品の無断転載はご遠慮ください。
【完結】番(つがい)でした ~美しき竜人の王様の元を去った番の私が、再び彼に囚われるまでのお話~
tea
恋愛
かつて私を妻として番として乞い願ってくれたのは、宝石の様に美しい青い目をし冒険者に扮した、美しき竜人の王様でした。
番に選ばれたものの、一度は辛くて彼の元を去ったレーアが、番であるエーヴェルトラーシュと再び結ばれるまでのお話です。
ヒーローは普段穏やかですが、スイッチ入るとややドS。
そして安定のヤンデレさん☆
ちょっぴり切ない、でもちょっとした剣と魔法の冒険ありの(私とヒロイン的には)ハッピーエンド(執着心むき出しのヒーローに囚われてしまったので、見ようによってはメリバ?)のお話です。
別サイトに公開済の小説を編集し直して掲載しています。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈@コミカライズ3巻7/30発売
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる