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第三話 失われた真実
第六章:1 事後処理
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彼方は駆けつけた東吾の指示によって、とりあえず校舎の離れに作られた宿直室へと運び込まれた。東吾は滅多に使用しない建物だと語っていたが、彼方が見る限りそんな印象は受けない。まるで自分が運び込まれることを想定していたかのように、寝台も整えられてあった。
自分が身につけている学院の制服には、見事な返り血が染みを作っている。彼方は重い体を横たえたまま深く呼吸する。突然教室に現れた紅蓮の宮によって、礼神を著しく消耗してしまったのだ。身体を起こす事もままならない。
東吾は現れるなり、教室の窓硝子を叩き壊した。そのまま呆然としていた三人に有無を言わせぬ勢いで指示を与える。
紅蓮の宮の亡骸をどこへ運んだのかは、彼方にも分からない。用意された担架に横たえると、姿を覆い隠すように白い布を被せ、早々に運び出された。続いて一連の出来事について辻褄を合わせるためなのか、東吾は彼方を重傷人に見たて、同じように担架で連れ出す。更に今後一ヶ月、登校を禁じた。
彼方は無理もない成り行きだと苦笑する。いくら放課後であるとは言え、まだ校内には数多く生徒が残っていたのだ。返り血に濡れた三人が、姿を見られずに出て行くことは不可能だった。
遥と朱里は途中まで運び出される彼方に寄り添っていた。突然の事件に狼狽しているのか、二人は不自然なくらいに固く口を閉ざしている。血の気の失せた朱里の顔色が、彼女の受けた衝撃を物語っていた。彼方にはその落胆が、副担任への恐れのように見えたのだ。声をかけようとしたが、あえて言葉を呑み込んだ。担架に乗せられた重傷人を演じるように、目を閉じてやりきれない沈黙をやり過ごした
そのまま出来るだけ人目が届かない裏口から校舎を出ると、いつのまにか二人の姿が見えなくなった。おそらく東吾が何かを指示したのだろう。彼方はそのまま宿直室へ運び込まれて、今に至っている。
彼方は力なく寝台に横たわったまま、突然現れた紅蓮の宮のことを考える。思い出すだけでぞっとするような、忌まわしい姿。
紅蓮の宮。緋国の先代が生んだ、二の宮。
赤の宮を継ぐ地位にあり、同時に現女王の妹。継承権一位の姫宮。
彼方は自身の碧波剣がいとも簡単に砕け散った事実を思う。間違いなく次代の王となる者に与えられた絶大な力。王族であるだけでは持ち得ない、兄の碧宇に等しいものだった。
もし渾身の二刀目が振り下ろされていたのなら、こちらの世界にどれほどの被害が及んでいただろう。この異界は紺の地と同様に、戦伐の禁じられた地。それだけではなく、異界に影響を与えることは禁忌とされている。
そんなことは、天界に在れば誰もが知っている常識と言ってもいい。
紅蓮の宮を染めた、暗黒。輝きのない深淵の瞳。艶のない穢れた黒髪。
鬼に憑かれ、全てを奪われた、なれの果て。
闇呪の構える悠闇剣とは、似ても似つかない闇。
あの輝きのない瞳、深淵の闇には何が映っているのだろうか。止めようのない憎しみだけに侵されて、理性は欠片も残らない。見境なく、理由もなく、手当たり次第に刃を向ける。そうでなければ、彼女が朱里に襲い掛かる理由など、どこにもありはしないだろう。
「どうして……」
呟きながら、彼方は不安に押し潰されそうになる。違うと言いきかせても、兄である碧宇のことが脳裏を過ぎる。
たまらない不安に支配されつつあると、その重い波をせき止めるかのように、宿直室の扉が開いた。
「彼方様、大丈夫ですか」
入ってきたのは東吾と、着替えを済ませたらしい副担任の遥だった。彼方は咄嗟に起き上がろうとしたが、まだ思うように力が入らない。ゆっくりと頭だけを回して、寝台へ近づいてくる二人を迎えた。
「僕は体力を消耗しただけ。少し横になっていれば大丈夫だよ」
「そうですか。とりあえず新しい制服をご用意致しましたので、起き上がれるようになったら着替えてください。あなたは大怪我をして病院へ運び込まれたことになっておりますので、帰宅は夜になってからお願い致します。外に車をつけて置きますので、そちらを利用してください。それから、先ほども申し上げましたが、学院へ登校なさるのは一月ほど控えてください」
「一月か。……長いよね」
思わず本音を漏らすと、東吾は心得ていたと言わんばかりに企みのある笑顔を作った。
「あなたに外出を禁じても無駄でしょうね。ですから、学院には国から双子の兄が見舞いに来ていると噂でも流しておきます。その辺りのことは、ご心配なく」
「――ありがとう」
感謝していいのか複雑な気分だが、とりあえず動き回れるのは在り難い。彼方は東吾の背後に佇んでいる副担任に視線を投げてから、再び東吾を見た。
「委員長は?」
「朱里様は、もうお帰りになられました。突然の出来事で衝撃を受けていたようですが」
「うん。顔が蒼白だった。――関係ないのに巻き込まれて、可哀想だよね」
彼方は同意を求めるかのように、副担任である遥と視線を交わす。彼は何かを探るようにじっと彼方の様子を見つめているだけだった。
東吾が一歩寝台から離れた。
「では、私はそろそろ失礼致します。何か不都合なことがございましたら連絡して下さい。すぐに参ります」
「え? 東吾、帰っちゃうの?」
「はい。私の役目は終わりましたので」
にっこりと心中の探れない笑みを浮かべてから、東吾はまるで他愛ないことのように付け加えた。
「ああ、それから、大学部に在学中の奏様にも連絡を入れてあります。もうすぐこちらへ参られるでしょう」
「え?奏って……、ちょっと、東吾」
「では、失礼致しました」
彼方は引き止めようとしたが、東吾は室内の二人に会釈すると、おかまいなしに部屋を出て行ってしまう。副担任の遥と二人きりで取り残されて、彼方は緊張感が高まっていくのを感じた。遥は黙り込んだままで、何かを話しかけてくる気配もない。
彼方は彼を帰らせてはいけないと焦ってしまう。もうすぐここへ奏がやってくるのだ。彼の望み通りに闇呪と再会させる絶好の機会。何としても、それまで副担任を演じている彼を足止めしておく必要がある。
彼方はあれこれと話題を探して、苦し紛れに口を開いた。
「副担任は、どうしてあの時、委員長に本当のことを言わなかったの?」
問いかけると、彼は彼方の横たわる寝台が正面になるように、わずかに身動きした。
「本当のこと?」
ようやく遥が沈黙を破る。彼方にとっては咄嗟の質問だったが、どうやら遥は相手をしてくれるようだ。素顔を晒した副担任は教壇に立っている時とはまるで別人のようで、真っ直ぐに向けられる眼差しが澄んでいる。天界の麗人を数多く見てきた彼方の目にも、端正な容姿だった。何気ない仕草に、時折目を奪われそうになってしまう。
彼は間違いなく闇呪であるはずなのに、こちらの世界では髪も漆黒よりは明るく、瞳も深い焦げ茶だった。彼方にとって恐れる要素がないに等しい容姿。遥の変化に改めて戸惑いつつ、彼方は続けた。
「あれは緋国の後継者、紅蓮の宮だった。あなたにも判った筈だよ」
「……それで?」
「宮ならば、もちろん真名を与えられている。そして、副担任はあの時、魂禍を祓うと言ったよね」
遥は黙ったままで、わずかに目を伏せた。彼方は彼の中にある苦痛が垣間見えたような気がして、思わず目をこらす。
「あなたは初めの一突きで確かめていた。まだ間に合うのかどうかを。そうでなければ、いくら紅蓮の宮であっても、副担任――闇呪であるあなたの太刀を受けて立っていられる筈が無い」
言葉にすると、彼方にもはっきりと事情が呑み込める。彼の一太刀は黄帝をも凌ぐほどの力を発揮できる筈なのだ。そんなふうに語られてきた。そして、彼方はもはやその噂を疑う気になれない。兄である碧宇の剣を、遥はいともたやすく受け止めていたのだから。
彼は紅蓮の宮に対して、救う術があるかどうかを確かめていたに違いない。
自分が身につけている学院の制服には、見事な返り血が染みを作っている。彼方は重い体を横たえたまま深く呼吸する。突然教室に現れた紅蓮の宮によって、礼神を著しく消耗してしまったのだ。身体を起こす事もままならない。
東吾は現れるなり、教室の窓硝子を叩き壊した。そのまま呆然としていた三人に有無を言わせぬ勢いで指示を与える。
紅蓮の宮の亡骸をどこへ運んだのかは、彼方にも分からない。用意された担架に横たえると、姿を覆い隠すように白い布を被せ、早々に運び出された。続いて一連の出来事について辻褄を合わせるためなのか、東吾は彼方を重傷人に見たて、同じように担架で連れ出す。更に今後一ヶ月、登校を禁じた。
彼方は無理もない成り行きだと苦笑する。いくら放課後であるとは言え、まだ校内には数多く生徒が残っていたのだ。返り血に濡れた三人が、姿を見られずに出て行くことは不可能だった。
遥と朱里は途中まで運び出される彼方に寄り添っていた。突然の事件に狼狽しているのか、二人は不自然なくらいに固く口を閉ざしている。血の気の失せた朱里の顔色が、彼女の受けた衝撃を物語っていた。彼方にはその落胆が、副担任への恐れのように見えたのだ。声をかけようとしたが、あえて言葉を呑み込んだ。担架に乗せられた重傷人を演じるように、目を閉じてやりきれない沈黙をやり過ごした
そのまま出来るだけ人目が届かない裏口から校舎を出ると、いつのまにか二人の姿が見えなくなった。おそらく東吾が何かを指示したのだろう。彼方はそのまま宿直室へ運び込まれて、今に至っている。
彼方は力なく寝台に横たわったまま、突然現れた紅蓮の宮のことを考える。思い出すだけでぞっとするような、忌まわしい姿。
紅蓮の宮。緋国の先代が生んだ、二の宮。
赤の宮を継ぐ地位にあり、同時に現女王の妹。継承権一位の姫宮。
彼方は自身の碧波剣がいとも簡単に砕け散った事実を思う。間違いなく次代の王となる者に与えられた絶大な力。王族であるだけでは持ち得ない、兄の碧宇に等しいものだった。
もし渾身の二刀目が振り下ろされていたのなら、こちらの世界にどれほどの被害が及んでいただろう。この異界は紺の地と同様に、戦伐の禁じられた地。それだけではなく、異界に影響を与えることは禁忌とされている。
そんなことは、天界に在れば誰もが知っている常識と言ってもいい。
紅蓮の宮を染めた、暗黒。輝きのない深淵の瞳。艶のない穢れた黒髪。
鬼に憑かれ、全てを奪われた、なれの果て。
闇呪の構える悠闇剣とは、似ても似つかない闇。
あの輝きのない瞳、深淵の闇には何が映っているのだろうか。止めようのない憎しみだけに侵されて、理性は欠片も残らない。見境なく、理由もなく、手当たり次第に刃を向ける。そうでなければ、彼女が朱里に襲い掛かる理由など、どこにもありはしないだろう。
「どうして……」
呟きながら、彼方は不安に押し潰されそうになる。違うと言いきかせても、兄である碧宇のことが脳裏を過ぎる。
たまらない不安に支配されつつあると、その重い波をせき止めるかのように、宿直室の扉が開いた。
「彼方様、大丈夫ですか」
入ってきたのは東吾と、着替えを済ませたらしい副担任の遥だった。彼方は咄嗟に起き上がろうとしたが、まだ思うように力が入らない。ゆっくりと頭だけを回して、寝台へ近づいてくる二人を迎えた。
「僕は体力を消耗しただけ。少し横になっていれば大丈夫だよ」
「そうですか。とりあえず新しい制服をご用意致しましたので、起き上がれるようになったら着替えてください。あなたは大怪我をして病院へ運び込まれたことになっておりますので、帰宅は夜になってからお願い致します。外に車をつけて置きますので、そちらを利用してください。それから、先ほども申し上げましたが、学院へ登校なさるのは一月ほど控えてください」
「一月か。……長いよね」
思わず本音を漏らすと、東吾は心得ていたと言わんばかりに企みのある笑顔を作った。
「あなたに外出を禁じても無駄でしょうね。ですから、学院には国から双子の兄が見舞いに来ていると噂でも流しておきます。その辺りのことは、ご心配なく」
「――ありがとう」
感謝していいのか複雑な気分だが、とりあえず動き回れるのは在り難い。彼方は東吾の背後に佇んでいる副担任に視線を投げてから、再び東吾を見た。
「委員長は?」
「朱里様は、もうお帰りになられました。突然の出来事で衝撃を受けていたようですが」
「うん。顔が蒼白だった。――関係ないのに巻き込まれて、可哀想だよね」
彼方は同意を求めるかのように、副担任である遥と視線を交わす。彼は何かを探るようにじっと彼方の様子を見つめているだけだった。
東吾が一歩寝台から離れた。
「では、私はそろそろ失礼致します。何か不都合なことがございましたら連絡して下さい。すぐに参ります」
「え? 東吾、帰っちゃうの?」
「はい。私の役目は終わりましたので」
にっこりと心中の探れない笑みを浮かべてから、東吾はまるで他愛ないことのように付け加えた。
「ああ、それから、大学部に在学中の奏様にも連絡を入れてあります。もうすぐこちらへ参られるでしょう」
「え?奏って……、ちょっと、東吾」
「では、失礼致しました」
彼方は引き止めようとしたが、東吾は室内の二人に会釈すると、おかまいなしに部屋を出て行ってしまう。副担任の遥と二人きりで取り残されて、彼方は緊張感が高まっていくのを感じた。遥は黙り込んだままで、何かを話しかけてくる気配もない。
彼方は彼を帰らせてはいけないと焦ってしまう。もうすぐここへ奏がやってくるのだ。彼の望み通りに闇呪と再会させる絶好の機会。何としても、それまで副担任を演じている彼を足止めしておく必要がある。
彼方はあれこれと話題を探して、苦し紛れに口を開いた。
「副担任は、どうしてあの時、委員長に本当のことを言わなかったの?」
問いかけると、彼は彼方の横たわる寝台が正面になるように、わずかに身動きした。
「本当のこと?」
ようやく遥が沈黙を破る。彼方にとっては咄嗟の質問だったが、どうやら遥は相手をしてくれるようだ。素顔を晒した副担任は教壇に立っている時とはまるで別人のようで、真っ直ぐに向けられる眼差しが澄んでいる。天界の麗人を数多く見てきた彼方の目にも、端正な容姿だった。何気ない仕草に、時折目を奪われそうになってしまう。
彼は間違いなく闇呪であるはずなのに、こちらの世界では髪も漆黒よりは明るく、瞳も深い焦げ茶だった。彼方にとって恐れる要素がないに等しい容姿。遥の変化に改めて戸惑いつつ、彼方は続けた。
「あれは緋国の後継者、紅蓮の宮だった。あなたにも判った筈だよ」
「……それで?」
「宮ならば、もちろん真名を与えられている。そして、副担任はあの時、魂禍を祓うと言ったよね」
遥は黙ったままで、わずかに目を伏せた。彼方は彼の中にある苦痛が垣間見えたような気がして、思わず目をこらす。
「あなたは初めの一突きで確かめていた。まだ間に合うのかどうかを。そうでなければ、いくら紅蓮の宮であっても、副担任――闇呪であるあなたの太刀を受けて立っていられる筈が無い」
言葉にすると、彼方にもはっきりと事情が呑み込める。彼の一太刀は黄帝をも凌ぐほどの力を発揮できる筈なのだ。そんなふうに語られてきた。そして、彼方はもはやその噂を疑う気になれない。兄である碧宇の剣を、遥はいともたやすく受け止めていたのだから。
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