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第三話 失われた真実
第六章:2 遥(はるか)の迷い
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「確かめて、そして間に合わないと判断した。……あの姿を間近に見れば、僕にだって想像がつくよ。影に繋がれた艶のない黒髪、おぞましい深淵の瞳。正気を失って、無関係な委員長まで手にかけようとするんだからさ。彼女は手放してはならない真名まで鬼に奪われていた。王家、あるいは宮家の者にとっては最悪の終焉、輪廻のできない魂禍と成り果てていて、あれ以上生かしておくことはできなかった。委員長が望んでも、同級生の時のように救うことは出来なかった筈だ。――ううん、違う。あなたは救ってくれた。だって、紅蓮の宮は輪廻できる」
遥は目を伏せたまま、抑揚のない声で、まるで相槌の代わりのように繰り返す。
「それで?」
「だからさ、その、ああするしかなかったのに、どうして、委員長にあんな言い方したのかなって……」
遥は真っ直ぐに彼方を見下ろして、浅く笑う。
「どうやら君も私に正義を求めているようだが、残念ながらその期待には応えられない」
「どうして? 僕の話は事実だ。あなたは紅蓮の宮を救ってくれた」
「結果的にそうなってしまっただけだ。彼女が魂禍でなくても、私は同じように切り捨てるしかなかった。期待を裏切るようで申し訳ないが、私には彼女を生かしておけない理由があった」
「――嘘だ」
自然と口をついて出た言葉。なぜ否定してしまったのわからないまま、彼方は強い眼差しで遥を見つめる。思いも寄らない反撃を受けたかのように、彼はわずかに首を傾けて目を細めた。
「私が君に嘘をついても仕方がない」
「だって、副担任は一太刀で終わりにしなかった。あなたの言うことが本当だとしたら、矛盾しているよ」
あるいは、彼の迷いを映している。紅蓮の宮を討つことが目的であったのだとしても、心から受け入れていた役割ではないように感じてしまう。
彼は間違いなくためらっていたのだ。そして、魂禍となった二の宮を前にしても、恐れることも蔑むこともなく、小さな祈りを捧げた。紅蓮の宮への憎しみなどは微塵も存在しなかった。先途が穏やかであるように、ただ巡れと。
囁き、悼んでいた。彼方は何かを拒むように視線を逸らした遥の横顔を見つめる。
「どうして、副担任は悪役を演じようとするの?」
問いかけながらも、彼方の胸の内によぎるものが在った。切ない形をしたもどかしさがこみ上げる。本当は聞かなくても、既に判っていた。おぼろげに何かが形になりつつある。遥の下した決断。彼の行動を振り返れば、簡単に導き出される。
彼方にも感じることができる。
酷薄さを突きつけて、周りの者を突き放す態度。それが如実に全てを語っている。彼の関わる何らかの事情が、護るべき者に繋がっているのかは判らない。けれど、彼にはたしかに使命があって、何があっても投げ出すことができないのだろう。例え心が痛んでも、その身が修羅となっても、成し遂げると決意している。
自分が望まない成り行きも、彼は受け入れて進むしかない。
いつしかその道程の果てに、禍と成り果てるのだとしても。
彼方は自分の思い描いた成り行きに身震いしそうになった。それが事実であるのならば、あまりにも過酷な宿命だった。
彼は自覚しているのかもしれない。
自身の進む道程が煉獄へと続いていることを。
関わる者を不幸にすることを。だから、巻き込むことを恐れるのだ。
彼方を。それ以上に、朱里を。
巻き込みたくない一心で、彼はそういう役柄を選択したのだ。
限りなく暴走するしかない紅蓮の宮に対して、彼は悠闇剣で無表情に全てを終わらせて見せた。まるで情けなど持ち合わせていないというかのように。それが完璧なる演技だったのだと、彼方は改めて思い知る。
朱里が副担任である遥に想いを寄せているのは明らかだ。遥もそれに気がついてしまったのかもしれない。相容れない世界に住む者として、決して受け入れることが出来ない想い。禍へと歩み続けるしかない道行きに巻き込むことを、恐れている。
「副担任は、委員長のことが好きじゃないの?」
どうしてそんなことを聞いてしまったのか。彼方は自分の質問にうろたえてしまう。
遥は溜息をつくと、長い前髪で顔を隠すように俯いた。力なく寝台の傍らにあった椅子に腰掛けて、髪を掻き揚げるようにして指先に絡ませ、じっと額を押さえる。
彼方には表情が見えない。
「くだらない」
低い呟きがあった。聞き間違えたのかと思い、彼方は「え?」と目を瞬く。
「私が異界の娘に想いを寄せて、何か得られるのか」
「何かって、その、好きになるのは気持ちの問題で、利益のあるなしは関係ないと思うんだけど……」
「悪いが君の妄想に付き合っていられるほど暇じゃない」
くだらない会話は打ち切りだと言う口調だった。ここで立ち去られてはまずいと思い、彼方は必死に言い募る。
「妄想ってことはないでしょ。副担任はものすごく委員長に甘いんだからさ。鬼を呑んでまで、願いを叶えてあげるなんて在り得ないよ。それに、自分でも委員長に甘いって言っていたくせに」
「せめてもの償いだ。天宮に縁が在るというだけで、彼女は私達と関わる羽目になり、少なからず平穏な日常を侵されて来た」
「じゃあ、あれは巻き込んでしまったお詫び? 単なる罪滅ぼしってこと?」
遥はどうでも良いと言いたげに頷く。彼方は「律儀だね」と、遥の生真面目な一面に対して感想を漏らしてしまう。語り合うほどに、自分の中に築かれていた闇呪の虚像が形を変えていく。出会う前に抱いていた恐ろしげな印象は、急激に失われつつあった。
彼の抱える何らかの事情から派生する苛酷な役柄。それに伴う葛藤と苦痛。彼方の中に芽生え始めたのは、いずれ禍となる闇呪への同情だったかもしれない。
彼方は寝台に横たわったまま、まるでうな垂れているかのように俯いている遥を見つめる。彼の明かした理由を疑う気にはなれない。なれないのに、何かが引っ掛かっていた。彼方は同じような問いかけを繰り返してしまう。
「だけど、副担任は委員長のことが大切でしょ?」
言ってしまってから、彼方は再びしまったとうろたえる。闇呪である副担任を相手に、一体何を追及しているのかと、一人で慌てた。遥がゆっくりと顔を上げて、彼方を睨む。
「君が何を妄想しようと自由だが、頭の中だけにしてくれないか」
「ご、ごめんなさい」
すぐに謝ってみたが、彼方の中で芽生えた引っ掛かりは更に大きくなる。
「だけど」と考えるよりも先に口が開いていた。
頭の片隅で、懸命に遥の味方をする朱里のことがよぎる。たしかに彼女の健気な想いを応援したいという気持ちもあった。それは潔く認める。
認めるけれど。
今、この胸に引っ掛かっているのは、そんなことではなくて。
朱里の恋の行く末を案じるよりも、ずっと切実に感じるのは。
彼方の胸に迫るのは。
「だけど、副担任。すごく辛そうに見える」
何かを言い当てたのかどうか、彼方には判らない。遥は表情を動かすこともなく、こちらを睨んだままだった。
「私が?」
なぜと澄んだ眼差しが問いかけてくる。彼方はふたたびあたふたと狼狽した。また勝手な妄想だと呆れられるに違いない。
「何となく、そう感じただけ。思い悩んでいるっていうか、苦しそうっていうか。……うまく言えないけど。その、悪役を演じるのが、本当は辛いんじゃないかなって」
彼方は「どうせ僕の妄想だよ」と開き直って締めくくった。遥は何も言わず、ただ目を伏せてふっと小さく笑う。どこか自嘲的で、暗い笑い方だった。
彼は独り言のように、低く呟いた。
「そんなくだらない妄想を抱かれるとは心外だな。――肝に銘じておこう」
よく通る副担任の声。彼方には、いつもより厳しい声音に聞こえた。けれど、それでも微かに交じる。
どうしても。
ちりちりと燻るように伝わってくるのだ。
切なくて、どこか哀しい響き。
そう感じてしまうことが正しいのか、それとも単なる思い込みなのか。彼方には判らなかった。
遥は目を伏せたまま、抑揚のない声で、まるで相槌の代わりのように繰り返す。
「それで?」
「だからさ、その、ああするしかなかったのに、どうして、委員長にあんな言い方したのかなって……」
遥は真っ直ぐに彼方を見下ろして、浅く笑う。
「どうやら君も私に正義を求めているようだが、残念ながらその期待には応えられない」
「どうして? 僕の話は事実だ。あなたは紅蓮の宮を救ってくれた」
「結果的にそうなってしまっただけだ。彼女が魂禍でなくても、私は同じように切り捨てるしかなかった。期待を裏切るようで申し訳ないが、私には彼女を生かしておけない理由があった」
「――嘘だ」
自然と口をついて出た言葉。なぜ否定してしまったのわからないまま、彼方は強い眼差しで遥を見つめる。思いも寄らない反撃を受けたかのように、彼はわずかに首を傾けて目を細めた。
「私が君に嘘をついても仕方がない」
「だって、副担任は一太刀で終わりにしなかった。あなたの言うことが本当だとしたら、矛盾しているよ」
あるいは、彼の迷いを映している。紅蓮の宮を討つことが目的であったのだとしても、心から受け入れていた役割ではないように感じてしまう。
彼は間違いなくためらっていたのだ。そして、魂禍となった二の宮を前にしても、恐れることも蔑むこともなく、小さな祈りを捧げた。紅蓮の宮への憎しみなどは微塵も存在しなかった。先途が穏やかであるように、ただ巡れと。
囁き、悼んでいた。彼方は何かを拒むように視線を逸らした遥の横顔を見つめる。
「どうして、副担任は悪役を演じようとするの?」
問いかけながらも、彼方の胸の内によぎるものが在った。切ない形をしたもどかしさがこみ上げる。本当は聞かなくても、既に判っていた。おぼろげに何かが形になりつつある。遥の下した決断。彼の行動を振り返れば、簡単に導き出される。
彼方にも感じることができる。
酷薄さを突きつけて、周りの者を突き放す態度。それが如実に全てを語っている。彼の関わる何らかの事情が、護るべき者に繋がっているのかは判らない。けれど、彼にはたしかに使命があって、何があっても投げ出すことができないのだろう。例え心が痛んでも、その身が修羅となっても、成し遂げると決意している。
自分が望まない成り行きも、彼は受け入れて進むしかない。
いつしかその道程の果てに、禍と成り果てるのだとしても。
彼方は自分の思い描いた成り行きに身震いしそうになった。それが事実であるのならば、あまりにも過酷な宿命だった。
彼は自覚しているのかもしれない。
自身の進む道程が煉獄へと続いていることを。
関わる者を不幸にすることを。だから、巻き込むことを恐れるのだ。
彼方を。それ以上に、朱里を。
巻き込みたくない一心で、彼はそういう役柄を選択したのだ。
限りなく暴走するしかない紅蓮の宮に対して、彼は悠闇剣で無表情に全てを終わらせて見せた。まるで情けなど持ち合わせていないというかのように。それが完璧なる演技だったのだと、彼方は改めて思い知る。
朱里が副担任である遥に想いを寄せているのは明らかだ。遥もそれに気がついてしまったのかもしれない。相容れない世界に住む者として、決して受け入れることが出来ない想い。禍へと歩み続けるしかない道行きに巻き込むことを、恐れている。
「副担任は、委員長のことが好きじゃないの?」
どうしてそんなことを聞いてしまったのか。彼方は自分の質問にうろたえてしまう。
遥は溜息をつくと、長い前髪で顔を隠すように俯いた。力なく寝台の傍らにあった椅子に腰掛けて、髪を掻き揚げるようにして指先に絡ませ、じっと額を押さえる。
彼方には表情が見えない。
「くだらない」
低い呟きがあった。聞き間違えたのかと思い、彼方は「え?」と目を瞬く。
「私が異界の娘に想いを寄せて、何か得られるのか」
「何かって、その、好きになるのは気持ちの問題で、利益のあるなしは関係ないと思うんだけど……」
「悪いが君の妄想に付き合っていられるほど暇じゃない」
くだらない会話は打ち切りだと言う口調だった。ここで立ち去られてはまずいと思い、彼方は必死に言い募る。
「妄想ってことはないでしょ。副担任はものすごく委員長に甘いんだからさ。鬼を呑んでまで、願いを叶えてあげるなんて在り得ないよ。それに、自分でも委員長に甘いって言っていたくせに」
「せめてもの償いだ。天宮に縁が在るというだけで、彼女は私達と関わる羽目になり、少なからず平穏な日常を侵されて来た」
「じゃあ、あれは巻き込んでしまったお詫び? 単なる罪滅ぼしってこと?」
遥はどうでも良いと言いたげに頷く。彼方は「律儀だね」と、遥の生真面目な一面に対して感想を漏らしてしまう。語り合うほどに、自分の中に築かれていた闇呪の虚像が形を変えていく。出会う前に抱いていた恐ろしげな印象は、急激に失われつつあった。
彼の抱える何らかの事情から派生する苛酷な役柄。それに伴う葛藤と苦痛。彼方の中に芽生え始めたのは、いずれ禍となる闇呪への同情だったかもしれない。
彼方は寝台に横たわったまま、まるでうな垂れているかのように俯いている遥を見つめる。彼の明かした理由を疑う気にはなれない。なれないのに、何かが引っ掛かっていた。彼方は同じような問いかけを繰り返してしまう。
「だけど、副担任は委員長のことが大切でしょ?」
言ってしまってから、彼方は再びしまったとうろたえる。闇呪である副担任を相手に、一体何を追及しているのかと、一人で慌てた。遥がゆっくりと顔を上げて、彼方を睨む。
「君が何を妄想しようと自由だが、頭の中だけにしてくれないか」
「ご、ごめんなさい」
すぐに謝ってみたが、彼方の中で芽生えた引っ掛かりは更に大きくなる。
「だけど」と考えるよりも先に口が開いていた。
頭の片隅で、懸命に遥の味方をする朱里のことがよぎる。たしかに彼女の健気な想いを応援したいという気持ちもあった。それは潔く認める。
認めるけれど。
今、この胸に引っ掛かっているのは、そんなことではなくて。
朱里の恋の行く末を案じるよりも、ずっと切実に感じるのは。
彼方の胸に迫るのは。
「だけど、副担任。すごく辛そうに見える」
何かを言い当てたのかどうか、彼方には判らない。遥は表情を動かすこともなく、こちらを睨んだままだった。
「私が?」
なぜと澄んだ眼差しが問いかけてくる。彼方はふたたびあたふたと狼狽した。また勝手な妄想だと呆れられるに違いない。
「何となく、そう感じただけ。思い悩んでいるっていうか、苦しそうっていうか。……うまく言えないけど。その、悪役を演じるのが、本当は辛いんじゃないかなって」
彼方は「どうせ僕の妄想だよ」と開き直って締めくくった。遥は何も言わず、ただ目を伏せてふっと小さく笑う。どこか自嘲的で、暗い笑い方だった。
彼は独り言のように、低く呟いた。
「そんなくだらない妄想を抱かれるとは心外だな。――肝に銘じておこう」
よく通る副担任の声。彼方には、いつもより厳しい声音に聞こえた。けれど、それでも微かに交じる。
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