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しおりを挟むナイトラビット寮の受付には、小さな黒兎がいた。
ただの兎ではない。
人間の言葉でしゃべる魔法生物だ。
「儂は学園長の使い魔兎にして、ナイトラビット寮の管理人、ルナル寮長だ」
「パメラ・タロットハートです。今日からお世話になります」
ルナル寮長が長い耳をひょこりと揺らし、鼻をひくつかせる。
目が宝石の紫水晶みたいで綺麗……!
「可愛い……! 撫でてもいいですか?」
「良いぞ! 撫でろ!」
ルナル寮長は私の手に身体を擦りつけてきた。
「わぁっ、手触りがふわふわ!」
「お嬢ちゃんは撫で方が優しいな。もっと激しくてもいいぞ」
「えっ。ぎゅーってしてもいいんでしょうか?」
ぎゅーっ。
うわぁ、もっふもふだ。あたたかーい!
ルナル寮長を愛でながら入寮案内を受けていると、近くの部屋から生徒たちが出てきた。
眼鏡男子と青髪男子だ。
「パメラお嬢様は気に入らない東屋を燃やした噂もあるんです! 同じ寮だなんて……気を付けた方がいいですよ、セレスティン様」
「寮を燃やそうとしたらボクが水をぶっかけてあげるよ。ボク、水属性の魔法得意だし。あと、『様』はいらないよ。呼び捨てにして」
どう考えても私の話では?
目が合うと眼鏡男子は逃げて行ったけど、青髪男子は私に近寄ってくる。
貴族の子弟風の白いシャツと濃紺色の脚衣姿で、晴れた日の海のように青々とした長髪を白リボンで結わえている彼は……よく見ると『彼女』だとわかる。
「陰口みたいになってしまってすみません。パメラさんですよね? ボクはセレスティン・ルケイオス。同じ1年生です」
「あ、やっぱりセレスティンだ」
この子、原作に出てきたキャラだ。
『青の騎士セレスティン』――将来高名な騎士に育つ予定の男装イケメン少女のセレスティン・ルケイオス男爵令嬢。
騎士に憧れていて正義感が強く、パメラに決闘を申し込んで勝利する子だ。
「やっぱりというと?」
「あ、いえ、失礼しました……パメラ・タロットハートです。私、寮を燃やしたりしないのでご安心ください」
同じ寮だし、距離を取るのは難しいかな?
敵対しないようにして、できるだけ良好な関係を築きたいな。
私が方針を決めている間も、セレスティンは短杖を構えたまま、私から目を離さない。
「ボク、聞いたことがあるよ。パメラ嬢は我慢ができないって」
その水色の瞳には、明らかな警戒の色がある。
物騒だな。仲良くしようよ。
「そんな噂があるんですね」
「ナイトラビット寮は燃やさせないからね」
「頼もしいですね」
ここで「無礼ね」と怒ったら決闘が始まっちゃいそう。噂を流した子の思う壺だ。
学園の「外での身分関係なし」ルールが厄介なんだ。
このルールがあると、身分が高い側が偉そうにすると非難される。
なので、下の身分の生徒の中にはそれをわかって利用する人たちが出てくる。
普通の生徒は「身分関係なし」と言われても、上の家柄の生徒に対しては学園外での身分差を意識した接し方をする。
でも彼らは弱い立場を武器にして、馴れ馴れしかったり偉そうだったり無礼だったりするような大胆な絡み方をするんだ。
外に出たときのことを考えたらお互い相手を尊重して接した方がいいんだけど、ね。
さて、そんなわけで「無礼ね」と怒ったら悪役まっしぐら。
思い通りには踊ってあげない――穏やかに対応しよう。
自分に言い聞かせていると、私の腕の中のルナル寮長が黒い耳をぴんと立てた。
「セレスティン。このお嬢ちゃんは優しい撫で方をする。乱暴な奴の撫で方ではない。儂が保証してやる」
おおっ、味方してくれてる!
「……! ありがとうございます、ルナルさん」
「呼び捨てで構わないぞ。儂のことは愛くるしいペットだと思って愛でるがよい」
「はいっ。では、私はこれで失礼しまして、自分のお部屋に行きますね」
可愛いルナル寮長に癒されて自分の部屋に向かうと、セレスティンは後を付いてきた。
私が寮を燃やすと思って消火のために付いてきてるとか?
……もしそうなら、私が理性的で無害な生徒だと納得してもらおうか。
私の部屋は3階にある。
歩くとぎしぎし音がする階段を上っていく。
「セレスティンさんのお部屋は同じフロアなんですか?」
話しかけてみると「ボクは2階だよ」という声が返ってくる。
「……じゃあなんで3階に付いてくるのかな?」
「安全のために」
「……私を心配してくれてるわけではないよね」
私が寮を燃やさないか注視してるんだろう。
見てなさい。
私の菩薩のように無害で善良な令嬢っぷりを。
廊下は狭くて、一人がやっと通れるくらいの幅だ。
「私のお部屋はここね、セレスティンさん」
「そうみたいだね、パメラさん」
扉に架けられたウサギ型のネームプレートに『パメラ・タロットハート』と書いてある部屋を見つけて、私はドアを開けた。
荷物をドアストッパー代わりにして開けておくと、セレスティンが覗き込んでくる。狙い通り。
「中に入ってもいいわよ、セレスティンさん」
「罠か?」
罠って何?
そこまで警戒されるって、私の悪評どこまで誇張されて伝わってるの……?
――気を取り直そう。
気にしない、気にしない!
さて、私の個人部屋は実家の寝室の半分くらいの広さで、背伸びしたら天井に指先が届く。
今世の貴族感覚だと狭い。でも、前世の日本人感覚だと気にならない。絶妙だ。
窓は小さくて、降り始めた雨にけぶる都市風景が見下ろせる。
「お部屋は清潔で、景色も素敵。気に入ったわ」
燃やさないよ!
アピールしながら部屋を見渡す。
こじんまりとした勉強机に椅子のセット、空っぽの本棚。うん、過ごしやすそう。
ベッドメイキングは自分でする決まりだ。
ベッド脇に畳まれた白いシーツやふかふかの掛け布団、ふっくらした枕が置かれている。
シーツを広げてマットレスの四隅に手を滑らせ、隙間に押し込んでいく。
少しずつ皺を伸ばしながら整えると、真っ白なシーツがぴんと張った。
掛け布団を広げて枕を置き、ベッドの端を整える。
病弱な前世と軟禁状態の今世で何度も見てきた手順だ。
ベッドが清潔でパリッとしていると、安心する。
「うまいね」
「ありがとうセレスティンさん。自分でもうまくできたと思ってたところよ」
セレスティンがいつの間にか部屋の中にいる。
まるで人を警戒している野生の猫が少しずつ近づいてきているみたいだ。
私はセレスティンを気にしないようにして鞄から推しのぬいぐるみを出した。
推しは日々の光だ。
自分の部屋を推しグッズで飾れば、居心地満点。
「これでよし。うふふ、私の部屋の完成よ」
「何、このぬいぐるみ?」
「私の推しです!」
「オシ?」
セレスティンが首を傾げる。
おや、推しに興味を示してくれるなんて嬉しい。
教えてあげようか!
私はぬいぐるみを両手で掲げて見せた。
「教えましょう! セレスティンさん、隣に座って! まず、私の推しはシグフィード・ネクロセフ教授です。学園の教授で、知的で麗しくて実は一途で……!」
「あっ、うん。ボクも知ってる。厳しくて怖いって評判の人だね?」
語りだすと止まらない。
オールバックの黒髪の流麗なライン、黒曜石めいた瞳の怜悧な輝き。隙なく着込んだ夜色の紳士服……。
ぬいぐるみは可愛いけど、高貴な教授の貫禄が出るように素材を厳選して拘り抜いて仕上げたこと。
「見てください、この髪の艶!」
私は推しのぬいぐるみをセレスティンの目の前に掲げた。
「最高級の絹糸を三種類使って、光の当たり方で色が変わるように刺繍したんです。教授が歩いている時、窓からの光でこう――」
私はぬいぐるみを揺らして、光の角度を変える。
「髪が艶めくんです! あの瞬間の美しさを再現したくて、三日三晩試行錯誤して……ああぁ、思い出すだけで尊い……!」
「パメラ、目がすごいキラキラしてる……ふふっ。好きなのが伝わってくるよ」
セレスティンの声のトーンが、少し柔らかくなった気がする。
さっきまで構えていた短杖も、いつの間にか腰の鞘に戻っている。
「あっ、ごめんなさい。つい熱くなってしまって」
「いや、いいよ。可愛かった……なんか、『好きなことに夢中なのいいな、楽しそうで素敵だな』って思って、こっちまで嬉しくなっちゃったよ。あはは」
セレスティンが照れたように笑う。
その笑顔を見て、私も笑顔になった。
「それで――」
セレスティンが身を乗り出す。
「その教授の何が一番好きなの?」
「えっ! 興味を持ってくださったんですか?」
もっと語っていいらしい。じゃあ語っちゃう。
「全部です! でも、あえて言うなら……切なさでしょうか。彼、婚約者のグレイシア姫殿下のことを大切に想ってるんです。病弱な姫殿下の健康のためにお薬をこっそり研究してたり、それを照れて隠していたり、隠してるせいで誤解されてたり」
「それ、どこで知ったんだい? 詳しすぎて驚いたよ」
「あっ、そ、そうですね。偶然知りまして……内緒にしてください」
セレスティンの顔色を窺うと、「いいよ」と頷いてくれた。ちょっと打ち解けた雰囲気じゃない?
「推しは一生懸命で、困難な問題に黙々とひとりで立ち向かっていて、素敵なんです。私も頑張ろうって思えてくるんです……!」
「へえ。そういうの、ボクも良いと思うな。どうにもならないから諦めろって言われること、多いもん」
セレスティンの声には共感がある。この子も苦労している設定だったな。
……セレスティンって、仲良くなれたりする?
もうすでに結構いい感じじゃない?
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