Loves、Loved

富井

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1、雅の新しい恋人

山内隼人

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「ごめん雅・・・今晩、兄がくるんだ。映画、楽しみにしてたけど、本当に、ごめん・・・。」

朝、六時半、電話の相手は最近付き合いはじめたばかりの隼人だった。

雅はベッドからゆっくり起き上がると冷蔵庫から、水のペットボトルを取り出して南に面した窓を開けた。

部屋の中にたまった生ぬるい空気が、朝の澄んだ空気に洗われるように風が吹き込んだ。

「いいよ。仕方ない。また、今度行こうよ。」

「ごめん・・・」

「いいって、お兄さんと会うの、久しぶりでしょ。ゆっくり楽しんでおいでよ。」

雅はとても気遣って話したつもりだったけど、電話の向こうでは隼人がすすり泣いているようだった。

「隼人・・・どうした、泣いてるの?」
「雅・・・今から行っちゃダメ?」
「いいよ。おいで。」
隼人は5分もかからずに雅のマンションのチャイムを鳴らした。

「早いな。」
「マンションの前にいた」
「どうして」
「会いたかった。どうしても。」
「そう。」

隼人は雅の胸に顔を埋め強く抱きしめた。

雅もまだ靴を履いたままの隼人を一度抱きしめたあと、軽々と抱き上げ寝室へ運んだ。

「どうして泣いている。」
「映画に行きたかった・・・」
「また行けるよ。」
雅は隼人の髪を優しく撫でると唇を重ねた。はじめは優しく、何度も泣いている隼人の顔を見ながら、そして強く呼吸が止まるほどに・・・

隼人もいっそ、このベッドの上で呼吸が止まってしまえばいいのにと・・・
神様、この命を、今この場で奪ってくださいと・・・何度も、何度も願った。


-----------------------------------------------------
出会いは・・・大学の図書室。

雅と隼人は、同じ学部だったが、雅は3つ歳下の隼人の存在はこの日まで全く知らなかった。

その時の雅には死にたくなるほど身を焦がし、狂うほど夢中にさせる人がいた。

その人を追ってこの学校に来た。

隼人と会ったその日も、その人を見つめるために3階の図書館にいた。

そこからは、その人のいる場所が手に取るように見える。
その人も見られているのを気づいているように雅が見下ろす時間には、窓際に立ちいつまでも空を見上げていた。

二人を隔てるその距離が縮まりそうで縮まらないことに強く苛立っていた。

棘の縄に締め付けられる胸の苦しみと日々重くなる過去の十字架から解き放たれたくて、その場所に行くことを辞めようと何度か思ったが、ダメだった。

そして、絞めつけられる胸の痛みに耐えながらその日もまたそこに立っていた。
その人を見つめるためだけに。

「この学校はとっても広いですね。僕、田舎者だから迷っちゃって・・・食堂に行きたいのになぜか図書館に辿りつくんです毎日。」
雅が窓の下のその人と見つめ会っているその時に話しかけて来たのが一年の隼人だった。
「食堂は隣の塔だ。」

雅はその人から視線を外さず、冷たく答えた。

話しかけてきたからつい答えてしまったが、ほんとうは相手をする気持ちなどさらさら無かったし、隼人の顔すら見る気もない。

今はその人との甘く切ない思い出にすがり憑くように止まってしまった時の中にいて、そこへは誰も踏み入れない・・・はずだった。

「あの・・・」


まだ何か話しかけてくるのか・・・早くどこかへ行ってくれ、と心の中で呟いていた。

「あの・・・一緒に行ってもらえませんか。僕、迷子になりそうで・・・」

隼人は自分が持っていた荷物を捨てて、雅の腕を両手で抱えた。雅はその行動に驚き、窓の下のその人から目を離し、隼人を見た。大きくて少し茶色がかった瞳が雅にすがるように見えた。

「あ、ああ・・・」

その一言で、子犬のように震えていたさっきとは別人のように明るく微笑んだ。

それは、見つめていた雅が驚くほどに・・・けれど、その一瞬目を離したスキに窓の下のその人は姿を消した。

雅がほんとうに見たかったのは、その人の微笑んだ顔だったのに、心の中を大きくえぐられたような力も 入らないなんとも言えない脱力感で、食堂についてもほとんど話すことができずにいた。

どうやって、どの廊下を通ってどの階段を登ってここへ来たのかすらも覚えていない。

「・・・・ね。」

そう隼人に返事を求められてはじめてハッと気づいた。満面の笑みで覗き込む、子供っぽい顔、色が白いというよりは血色が悪いというほうが正しい。
髪も瞳も茶色で、小さくて細くて、折れそうな子だな、と思った。
隼人は食堂の一番端っこの6人がけテーブルで向かい側ではなく、雅の隣に座っていた。
食堂が混んでいて相席だったわけでもなさそうだったのに、なぜだろうとしみじみ考えた。

「なんだったかな、ごめん。ちょっと聞こえ無かった。」

「そんな大した話しじゃないです。
オムライスとオムレツの区別がつかなかったっていう話しです。
僕の話なんてつまらなかったでしょ。
いいんです。聞き流してもらって。今日は楽しかったです。
一緒にごはんできて。ありがとうございました。」

「い、イヤごめん・・・」

「謝らないでください。本当に楽しくて・・・
僕、先輩のことずっとスキでした。一度でいいから、ごはん、ご一緒できればって、考えてました。ほんとうは食堂の場所も知っていました。ごめんなさい。
僕・・・先輩のことが・・・雅さんのことがはじめてこの学校に来たときから、大好きになって・・・今日、一人でいるところ見つけてつい声をかけてしまって・・・」

「そう・・・」

「イヤでしたよね。ごめんなさい。気持ち悪いですよね。
僕がスキになったとか・・・すいませんでした。」

隼人はさっきまでとは違い、目に涙をいっぱいためて、まるで今日のこのオムライスが最後の晩餐かのように大切にスプーンにのせ、口へ運び、一粒、一粒噛み締め味わった。

手を合わせごちそう様をすると、素早く立ち上がり、雅にも深々と頭を下げトレイに手をかけると、その小さな手を優しく大きな手が包んだ。
「もう授業?始まるの。」
「まだ・・・あと1時間くらいあります。」

「じゃあここにいて、まだ半分も食べ終わってないんだ。」

「僕でいいの?」

雅が深くうなずくと、隼人はその椅子にゆっくりと腰をおろすのと同時に大粒の涙を落とした。
「泣くほどことじゃないでしょ。」

「ごめんなさい。」

「謝ってばかりだね。もっと話しをして。こんどはちゃんと聞くよ。」

「何を話せばいいですか?」
「最初から・・・そうだな・・・オムライスとオムレツの話しからしてもらおうかな。」

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「最近、子犬を拾ったらしいね。」

雅の親友、緑山則夫が声を掛けた。
二人は、幼稚園の頃からの付き合いで、どんな時も一緒。

昔から細くて可愛いくてよく女の子に間違えられる緑山を、鍛え上げた筋肉質で男っぽい雅が守っているかのように見えるが、冷静な緑山が泣き虫の雅を支えているというのが子供のころからの二人の姿。

緑山は雅が心配で離れられないし、雅はなんとなく緑山がそばにいるのがあたり前で、離れるなんて案は微塵も無かった。

背が高くとても目立ついい男でキラキラと輝いているのではないかと錯覚するほどの容姿だが、昔から雅以外の友達を作ろうとはしない変わり者だった。

「ひょっとして隼人のこと。」

「隼人っていうんだ。」

「うん。子犬とかやめてくれよ。」

「あれ、好きになっちゃったんだ。」

「まだそういう感じでもない。あっちも友達がいないっていうから一緒に昼を食べてるだけだよ。」

「ふうん。で、このごろは、食堂には彼とばっかりなんだね。僕は誘ってももらえない。」

「前から食堂は嫌いだって言ってたじゃないか。」

「そうだった。・・・僕は雅のそういう困った顔、大好き。」

緑山はイタズラな目 で雅を覗き込んだ。
くるりとした大きく澄んだ瞳に色白の肌。
その整った美しい顔でのぞきこまれると、困った顔の雅はさらに困った顔で口を歪めて笑う。

緑山は、子供のころから変わらないその顔が大好きだった。
よく勘違いされるが、二人が恋人だったことは一度もない。
けれど、雅は緑山のことが友人としてではなく肉体をも支配したいほど好きだった。
緑山もやはり同じ考えではあったが、そういう関係になることを選ばなかった。
そして、雅が今も忘れられない、その人を紹介したのが緑山だった。

「教授のことはもう忘れた?」

「イヤ・・・忘れはしない。
けれど、最近ようやく気付いたんだ。教授は俺の事なんて最初からなんとも思ってなかった。悲しいけどそういう事だ。」

「そうかなぁ。あの人、見た目ではわかりズラいけれど、雅といた時のあの人は明らかに違っていたけどな。」

「あのときは俺も子供だったし、からかうのにちょうどよかった。
本当に何も知らなかった。ただ、花壇に入り込んだボールを拾いに行っただけのガキだった。」

「じゃあ、もう終わり?」

「俺は今でも愛しているよ。これからもずっと、忘れることなんてできない。忘れる気もないよ。」

そういうと緑山に背を向けて歩いた。
緑山は研究室に向かうため、雅はまた図書館に向かうためだ。
以前と変わらず毎日のように図書館の窓から見下ろしているのに、あの人も雅がそこから見ていることを知っているはずなのに、あの日を境にその人は窓辺に立つ事をやめてしまった。

何時間そこにいようと、たまに書類を探す左手が見えるくらい。それでも今日もそこで自分を待ってくれているのだと思い込んだ。そう思うことでほんの少し、心の隙間が埋まるような気がして、きっとそうなんだと何度も思い込んだ。その時の一瞬、そう思わないと苦しみであの窓から飛び降りそうになってしまうからだ。

「雅先輩・・・」
「あ、隼人」
「もう帰りますか?」
「うん、帰ろうかな。どこか行く?案内しようか?」
「ハイ。」
雅は隼人を車に乗せて街へ向かった。

緑山には「仔犬なんて・・・」と言ったが、雅にしてみればこの時の隼人はペットだった。

退屈な雅に一生懸命話をしてくれる、メールも返しもしないのに、毎日打ってくる。

見た目もかわいくて、小さくて、連れて歩くのにちょうどいい。
その程度だった。

歳下で何も知らなくて、ちょっとのことで喜んでくれる隼人を見ていると、あの時あの人は自分をこんな目で見つめていたのかな・・・と、

「あの人にはじめて会った時、あの人はちょうど今の俺のような感じだったのかな・・・そして、あの頃の俺は中学生だった。
ガキだったな・・・」そう考えていた。

「Tシャツ。買ってもらってありがとうございます。」

「いいよ。安物だったし。ごはん食べて帰ろうか。」

「あの・・・雅先輩はお酒飲みますか?」
「うん飲むよ。」

「じゃあ、僕がごはん作ります。買い物して帰りませんか。」

「いいよ。じゃあ、俺のマンションくる?」

「はい。」

何度か会うたび雅を見上げる無垢な笑顔が、心の棘を忘れさせてくれることに気づいた。

隼人が、懐いてくれることに喜びすら覚えていた。

「そうだ隼人のマンションってどこ?近く?」

「いいえ・・・僕は反対方向だから電車で2駅行って、乗りかえて・・・」

「ごめん、お酒飲んじゃったから送って行けないや。」
「大丈夫です。帰れます。今日はほんとうにありがとうございました。」

「イヤ、また時間あったら行こうな。」
「はい・・・」

隼人は荷物を持ち、雅に丁寧に頭を下げて一度は身支度をし、玄関への扉に向かったが、雅に背を向けたまま動こうとしなかった。

「どうした。」

「先輩ごめんなさい・・・Tシャツ買ってもらったけど・・・僕、着ることができないんです。」

「え、ナニどうした?」

「先輩・・・」

隼人は荷物を置いて自分のシャツのボタンを泣きながら外した。

背を向けてシャツ下から見えた肌は、醜く焼け爛れ、崩れた肌に何重にも重なった痣が小さな背中いっぱいに広がっていた。

雅は少し酔っていた事もあってか、驚きと恐怖の入り混じったものが燃えて、熱いものになって全身を駆け抜けていくのを感じた。

慌てて前を向かせシャツの胸を広げた。

胸にも腕にも、背中と同じように切り刻まれた皮膚が広がっていた。

「これ・・・」

「気持ち悪いでしょ。ごめんなさい。変な物を見せて。
でもこのTシャツは大切にします。ありがとうございました。」

着ていたシャツと荷物を掴み、走って帰ろうとした隼人を玄関にたどり着く前に捕まえて背中から強く抱きしめた。
苦しみを何十年も抱えてきた隼人の心を、抱きしめて慰める事しか、してあげられなかった。
それでも隼人は恥ずかしくて、その場から逃げようと体を左右に強く振った。
雅が肩にある一番大きなヤケドの跡に唇を押し当てると、隼人はその場に声を上げて泣き崩れた。

小さく震えるその背中を指でなぞり、舌を伸ばすと鳴き声は少しづつ甘い吐息にかわっていった。

絡ませた指を隼人の口に押し込むと、 暖かで柔らかな舌が震えながら指の輪郭を何度もなぞったあと、手の甲の血管をたどり、手首に下唇を押し当てると雅の時計を外し隠した。

「気持ち悪い?」
「イヤ・・・」
「ウソだ・・・・」

今までに味わったことのない甘く柔らかな唇が隼人の唇に優しく重なると、時間も忌わしい過去の記憶もすべてがかき消され醜くい傷があったことも忘れ、雅の腕の中で小さな金魚のように優雅に暴れた。

可愛いらしくか細い鳴き声をあげながら。

ベランダの閉め忘れた窓から入る冷たい風に起こされ、やっと朝日が覗くくらいの時間に目が覚めた。

まだそんな時間なのに、隼人の姿はそこになかった。

雅は隼人を抱いた後、ベッドには戻らず、一人キッチンでワインをあけ、そのまま居間のソファーで眠ってしまった。

隼人がかけたのか、雅には覚えのない毛布がかかっていた。

だが、冷たい風は毛布の暖かさもかなわないほど、首筋から指先から、体温を奪った。

今も図書館の窓から待ち続けるその人への思いを断ち切れぬまま、ひと時の感情だけで隼人と関係を持ってしまった罪悪感が冷たい風となって全身を刺す針のように感じた。

「謝らなきゃ」

太陽が上がり、窓から刺す陽の温度が暖かく感じられた時、咄嗟にそう思った。

待ち合わせをしようと、電話をかけたが隼人は出なかった。

「まだこんな時間だもんな・・・」だから、メールを送った。

隼人に送る初めてのメールだった。

【お昼か放課後。どちらか会えないか?】

メールは雅がシャワーを浴び、朝食の準備をしている頃に帰ってきた。

【ごめん。寝てた。どっちでもいいよ。っていうか、どっちも会いたい。待ち合わせは、図書館?】

【いや、食堂の前にしよう】 と返した。

今日はあの人のカケラにさえ触れたくない気分だった。隼人は可愛い、もちろん好きだ。

けれど、あの人への愛は、雅の心の中では永遠に終わることはない。

その人と出会ったのは中学の夏休み・・・今でも鮮明に覚えている。

その人はもう大人でその時の雅には初めて出会う親や先生の類とは全く違う、美しく若い大人だった。

出会っただけで心臓を掴まれ揺すぶられ、ネジ回されたほどの衝撃を受けた。

その衝撃は雅の身体の内側に深く濃い傷跡をつけた。
その傷跡は日々を追うごとに深くなり、重い十字架を背負うことになったのだが、雅はあの人のためならばどんなことでも、その十字架に棘の蔓で縛られる事も喜んで答えられる。

だが、あの人はどう思っているのかと考えると、悲しみで身が引きちぎられ、ばらばらに切り刻まれるほどに苦しむ。それでもあの人と過ごした日々を忘れる気は決してない。

その人への思いを頭の中に巡らせているだけで、雅の体の機能が充実していくような錯覚を覚え、朝食が食べられなくなった。

「ハアー」と深く重いため息をついて、立ち上がった。

隼人が帰った後の寝室は少し甘い香りがした。
丁寧にベッドを片付けシワひとつなく綺麗に広げられた布団の上に腰掛け枕をゆっくりと撫でると昨日の隼人の温もりや髪の柔らかさを指先が思い出し、また胸が締め付けられた。
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