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Ep.18 再教育
しおりを挟むクララに与えられた離宮は、以前と見違えるほど美しく整えられた。
調度品も一新され、その一部はヴィクトリアの持ち物から『下賜』という形でクララへ贈られた。
しかし、環境が整えられても、クララの軟禁が解かれることはない。
彼女が表舞台に立つ日は来ないだろうが、それでも万が一の事態に備え、今更ではあるが淑女教育のやり直しと、妃として必須の教養を叩き込まれることになった。
「最低限、身に付いていれば問題ないだろう」という甘えの中で生きてきたクララにとって、それは地獄のような日々だった。
さすがに、幼い頃のように泣き叫ぶような真似はしなかったが、やる気はまったくなかった。
国王から派遣された教師たちに下手なことをして報告されても困るため、表面上は一生懸命取り組んでいるかのように振る舞っていた。
しかし、王族の教育を担うこともある教師たちである。
いくら取り繕おうと、その目を欺くことは出来なかった。
「……以上が、アシュフォード公爵令嬢の教育報告にございます」
ハインリヒは定期的にクララの教育報告を受けていたが、その内容は救いようがないほどに酷いものだった。
側妃には正妃ほどの能力は求めない。
それでも、王族の一員として最低限の教養は必須なのだ。
「まあ、お噂には聞いておりましたけれど……予想以上ですのね」
側妃の差配は正妃の務めの一つである。
その日の報告はヴィクトリアも共に聞いていた。
『下級貴族よりも能力が低い』とは聞いていたが、本当に最低限のことしか身に付けておらず、ハインリヒを更に失望させた。
地頭が悪かったり、記憶力が低かったりするのであれば、本人の資質として同情の余地もある。
だが、クララはそうではない。
本人にやる気がなく、嫌いなことは『必要がないもの』と決めつけて勝手に投げ出す。
その傲慢さが透けて見えるのだ。
「これ以上、クララに期待するのは時間の無駄だな。教師たちの貴重な時間を浪費させるわけにはいかない」
勤勉なアーサーやセシリアを間近で見ているハインリヒにとって、大変だから、難しいからと努力を放棄するクララは理解しがたい存在である。
いざ現実に直面すると、クララを信じていた自分の愚かさが情けなかった。
「そうですわね……勉強はともかく、礼儀作法と言語だけは最低限身に付けていただきたいですわね」
「……ああ。万が一の際、あれが我が国の側妃だと知られては、王家の恥晒しでしかないからな」
ハインリヒがソファに背を預けて溜め息をつく隣で、ヴィクトリアは完璧な所作で紅茶を口に運ぶ。
「教師の方々に、少しだけお力添えをいただいて、私が礼儀作法と言語の指導をいたしますわ」
彼女は手に持っていたカップをソーサーの上に置くと、柔らかい微笑みをハインリヒに向けた。
「しかし、かなり難しいと思うぞ?」
「ええ、承知しておりますわ。ですが、このままではハインリヒ様の名誉に傷が付いてしまいますもの…側妃を導くのは正妃の務めの一つですし……やれる限り、やってみますわ」
自分のために尽くそうとするヴィクトリアの献身的な言葉に、ハインリヒは愛おしさに突き動かされ、そのまま彼女を強く抱き寄せた。
「ありがとう……だが、無理はしないでくれ」
ヴィクトリアは「承知しておりますわ」と囁き、ハインリヒの背中にそっと手を回した。
⸺⸺⸺
「クララ様。本日から私が直接、礼儀作法を指導させていただきますわ。ご安心なさって?私の信頼できる者しか、この部屋へは入れませんから」
クララの向かい側に座り、ヴィクトリアは優雅に微笑んだ。
教養がないクララでも、貴族特有の『言葉遊び』くらいは理解できる。
今、ヴィクトリアは言外に「あなたの醜態は外に漏れないようにしてあげているから、安心して?」と、クララを侮辱したのだ。
顔に出さないように必死に我慢したが、ぎゅっと拳を握り締めるクララの爪が、手の平に食い込んでいる。
「……ええ、不出来で申し訳ございませんが、よろしくお願いいたしますわ」
適当にあしらえば、きっとハインリヒに泣きつくだろう。
そうなれば、帝国の皇女のくせに貴族令嬢一人扱えない無能だと判断されるかもしれない。
上手くいけば、またハインリヒ様は私を見てくれるかも……
側妃に降格したのは悔しいけれど、難しい執務を押し付けられるのは面倒だ。
私はただ愛されて、次の国王となる子を産むだけでいい。
そう考えたら、この皇女の存在は悪くないかもしれない……
クララはそんなことを考え、口元が緩みそうになるのを必死に耐えた。
「では、早速始めましょう。まずは、カーテシーからですわ」
「アシュフォード公爵令嬢、また、体勢が崩れました。やり直してください」
ヴィクトリアの侍女が、氷のように冷たい声で言い放つ。
頭の上には分厚い本が乗せられていて、「これを落とさないように」と告げられる。
カーテシーの指導の前段階として背筋を伸ばしながら、ただ歩くという行為をさせられた。
すると「歩く際に体がブレている」からと、分厚い本を頭に乗せながら部屋の中を往復するだけの訓練に数時間を費やした。
その間、ヴィクトリアはソファで優雅に紅茶を口にしている。
「クララ様、頑張ってくださいませ。側妃といえど王族に名を連ねるのですから、最低限、礼儀作法は完璧に仕上げませんと……」
「頭を下げる際に体の軸がぶれるのは、実に見苦しいですもの」と、明らかに私を馬鹿にしている。
何度も、何度も繰り返している動作で足は震え、重い本を乗せられるせいで背中にも痛みが走る。
「……ヴィクトリア様。普通、これほど長く頭を下げ続けることなんて、あり得ないのでは?」
少し控えめに、でも精一杯の棘を込めて抗議の声を上げたけれど、皇女の侍女が無感情な声で即答した。
「格上の方の許しなく頭を上げることは許されません。それとも、お疲れになったという理由で、王家への敬意を放棄なさるおつもりですか?」
……この女、私をいたぶるつもりなんだわ!
ハインリヒ様が来てくれたら、すぐにでもこの女の本性を暴いてやるのに!!
深く頭を下げた姿勢のまま、クララの表情は憎悪に歪み、奥歯がギリッと鳴るほど強く噛み締めていた。
「皇女殿下、お疲れ様でございました」
クララの部屋を退室し、回廊を少し歩いたところで、腹心の侍女が口を開いた。
「ふふっ、あなたの方が疲れたでしょう?まったく、あれで公爵令嬢だなんて驚きを通り越して呆れてしまうわ。お姉様とは大違いでしてよ」
お姉様は『完璧な淑女』『美しき無欠の王太子妃』と、他国でも知られていた。
「……あんな者に乗り換えるなんて、本当に悪趣味だわ」
……まぁ、そのおかげで私にチャンスが回ってきたのだから、あの愚かな二人に感謝しないといけないかしら?
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