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三章 それぞれの翼
第55話 決着
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ざわざわざ。
私の一言でざわめき立つ店内、ラウロはすっかり動揺してしまい、ブリュッフェルは先ほどまでの余裕の姿を一変させ、怒り感情が篭った鋭い眼光を私の方へと向けてくる。
「ねぇラウロ。ローズマリーのスタッフ以外が知らない薄力粉なんて言葉、どこで知ったの?」
ざわざわざ。
私が放った『ローズマリーのスタッフ以外が知らない』という言葉に、耳をすませて聞いていた人たちからざわめきの声が沸き起こる。
このローズマリーに泥棒が入った事件は有名な話。ただでさえここは王都でも最も安全とされている貴族街なのだ。商店が立ち並ぶメインストリートでも大騒ぎになるというのに、貴族のお屋敷が立ち並ぶ一角で事件が起こったのなら、それはもう隠し通せるものではないだろう。
そして盗まれたのが独占販売をしていたケーキのレシピともなれば、当時の新聞に大きく取り上げられた事を覚えている。
結局その騒ぎもプリミアンローズのオープンと、ローズマリーにかけられた盗作疑惑であやふやなものとなってしまったが、思わぬ形でその詳細の断片が見えてしまったのだ。
恐らく多くの客がこう思ったのではないだろうか、なぜローズマリーのスタッフしか知らない言葉を、プリミアンローズのパティシエであるラウロが知っているのか。うちのスタッフから漏れたという可能性も否定はできないが、今この場のこの状況では、大した火消しにもならない。そもそもそのこと自体が、プリミアンローズのケーキが本家ということ否定することに繋がってしまう。
「そ、それは……」
私の問いかけに、ラウロは見事なまでに狼狽える姿を披露する。それはまるで答えたくとも答えられない理由がそこにある、と言っているようなものだろう。
そしてトドメともいえるモーリッツさんの言葉がさらにラウロを追い詰める。
「薄力粉、ですか。私も長年料理人をしておりますが、今日はじめて耳にしました。ですが、それがこの店独特の略語と説明されれば納得ができます」
現場現場で、独自の言葉が生まれるなんてのはよくある話し。例えば調理場のスタッフが『3番行きます』と言えば、それはお手洗いに行ってきますという意味だし、シルバーと言えばそれはナイフやフォークを磨くということ。
他にもその店でお肉のサイズを表す独自の表現をしたり、クレームなどの対応でお客様に気付かれないような用語を使うなんて珍しくはない。
「一応確認するけど、たまたま薄力粉なんて言葉が出た、というわけじゃないわよね?」
私もまさかこの様な状況になるとは考えていなかったので、普通に前振りとして強力粉と中力粉という言葉を使っていた。
ならばそこから推察して言葉が出て来ても不思議ではないのだが、先ほどモーリッツさんが間違えられた事から、強・中ときて『薄』という言葉が出るのは中々に難しいことだろう。
「えっと……それは……」
まぁ答えられないわよね。
彼はモーリッツさんが間違えられた言葉を自身満々に訂正してきたのだ。それはもう始めから薄力粉という言葉を知らなければ、あれ程はっきりと言い放つ事も出来ない筈だ。
この時点で店内の様子はすっかり疑いの眼差しが、ブリュッフェルとラウロに向けられている。
念のために審判役のギュンターさんとモーリッツさんの様子を伺うが、お二人とも止めるどころが疑惑の目をブリュッフェル達に向けられている。やはりここは同じ食を愛する者として、最低限のルールすら守れない者など、庇うつもりはないという事だろう。
当然よね。お二人はローズマリーからケーキやパフェの技術を盗もうとされていたが、それは純粋に研究と分析から知識を得ようとされていた。それなのに泥棒という犯罪行為でレシピを奪っておいて、平然とライバル店を名乗っていたのだから、軽蔑の目で見たとしても不思議ではないだろう。
これで納得させられる理由がラウロから飛び出さなければ、お二人がこちら側から離れるということはない筈だ。
さて、彼方はどう出るかだが。
「そんな言葉遊びで人の不信感を煽らないで頂きたい!!」
これ以上ラウロに話させてはいけないと思ったのだろう。ブリュッフェルが怒りませに私を睨めつけてくる。
「言葉遊びって……、私はただ疑問を口にしただけよ?」
「それが言葉遊びだと言っているんです! そもそも同じ商品を取り扱う店同士、同じ言葉が生まれたとしても不思議ではないでしょう。第一薄力粉という言葉を最初に出したのはラウロです。それをあたかも貴女が産み出したかの様に誑かすのは、失礼きわまりないことだと言っているのです」
なるほど、この場で薄力粉という言葉を最初に口にしたのはラウロの方だ。確かに見方を変えれば私が後付けで意味をもたせたと言えば、そう見えなくともないだろう。少々苦しい言い訳だとは思うが。
「それじゃ仮に薄力粉という言葉がそちらでも使われていたとしましょう。ならば当然『薄』と付けた理由がある筈よね? この場にいる全員を納得させられる程の理由が」
前世の内容をそのまま使えば、強力粉は焼きあがった後の弾力から付けられたのだし、中力粉は単純に強いと弱いの間から。ただ薄力粉に関しては弱力粉ではイメージが悪かったからだけなので、言葉と素材を関係付ける理由が存在していないのだ。
実際ここで『実はこういう理由から』、なんて適当な説明をされてしまえば不利になるのはこちら側だが、真実を知らない相手には十分な効果があるだろう。
あちら側にはレシピを盗んだという事実があり、私の言葉の裏に自分たちが知らない真実があるという警戒心が存在している。
私ならば下手に理由をでっち上げるより、無言の回答で誤魔化すだろう。
「バカバカしい! 貴女からの問いかけは既に終了しています。よってその問いに答える理由はありません」
やっぱりね。
ここは不信感を買ってでも『答えない』、という選択を取ると予想していた。実際適当な言い回しをされたら、私に払拭できるほどの確かな理由は存在していない。寧ろ疑いの目で見られるのはこちら側だったのではないだろうか。
「まぁいいわ。ルールですものね」
結局私からの問答はこれで終了。
真実を知りたがっていた人たちには満足のいく結果では、決してなかっただろうが、ルールはルールだ。
その後プリミアンローズ側からの問いかけは、答え方次第で不信感を抱かせるような問いもあった為、私は答えられないという結果で終了した。
「お見事でした」
睨みつけるような視線のブリュッフェルとラウロを見送り、スタッフのみが立ち入れるバックヤードへと戻って来た私とカナリア。
そこにランベルトとフローラ様達が迎えてくれる。
「それにしても流石です。まさかあの様に言葉巧みに相手から鍵となる言葉を引き出さすなんて」
先ほどまでの遣り取りを隣で聞いていたカナリアが、感心したかの様に賞賛の言葉をかけてくれる。
「あー、薄力粉の話? 実はアレ、偶然なのよね」
「「「は?」」」
カナリアの問いかけに答えたのに、何故かこの場にいる全員の言葉が見事にハモる。
……あ、あれ?
「アリス様、あれは作戦だったんじゃないのですか?」
「え、えーっとね……」
賞賛してもらえたところ悪いのだけれど、実は彼じゃ私の質問に答えられないだろうなぁ、と鷹をくくっていたのだ。
リリアナの報告ではないが、一目で彼がたいしたパティシエではない事は分かっていた。もし彼が熟練のパティシエならば自信が威厳ととして出ているだろうし、知識が豊富な人間ならば、独特の雰囲気なんてものが感じられる。
これは同じ職種の人間ならではの感覚なので、どう説明していいのか分からないのだが、彼には学生上がりのような未熟さが見え隠れしていたのだ。
結局私の見立てに反し、あっさりと質問の答えを返されたのだが、結果的にその自信がうっかり薄力粉なんて言葉を口にしてしまった。
いやー、ラウロが薄力粉なんて言葉を出してくれなければ、どうなっていたか分からなかったわ。ははは。
「……」
私の話を聞き、思いっきり呆れた顔を向けてくるカナリアとランベルト。
まぁ、結果よければすべてよし?
「はぁ……、感心して損しちゃいました」
ちょっと、これでも私頑張ったのよ? それって少し扱いが酷くない?
「まぁ、経緯はどうあれ結果として最高の成果と言えましょう」
そっとフォローを入れてくれるランベルト。さすが優秀な執事いてくれると安心出来ちゃうわ。
「それでお二人をこちらまで呼ばれた理由は、今のお話をお聞かせする為ではございませんよね?」
「えぇ、勿論よ」
そう言いながらランベルトが部屋の端で待たせている、ギュンターさんとモーリッツさんに顔を向ける。
お二人には先ほどの審判をしていただいたお礼として、後で何かをプレゼントをすると約束していた。事が事だったので、カナリア達と少々話が盛り上がってしまったが、今更聞かれて困ることでもないだろう。
「カナリア、私の部屋から0番の資料を一部持ってきてもらえる?」
「えっ、0番の資料ですか? でもあれって……」
「問題ないわ、資料をお願い」
「わかりました」
私がカナリアに取りに行かせたもの、それは来るべき日の為に用意していた大切な資料。
やがて戻って来たカナリアから紙の束を受け取り、お礼としてそのままギュンターさんへプレゼントする。
「これは!?」
「ケーキのレシピです」
私が今ギュンターさんに渡した資料、それはケーキの基本ともいえるイチゴのショートケーキの作り方が書かれた、私独自のオリジナルのレシピ。
この資料にはケーキの土台となるスポンジ生地の作り方とその特徴、クリームの部分は生クリームとホイップクリームの違いと作り方が書かれており、素材の特徴からケーキ作りに大切な説明を事細かく書き綴った、いわばケーキ作りのための教本。
用意したのは実は結構最近だったりするのだが、私が考えていたタイミング的に丁度いいかと思い、今回お礼の品としてプレゼントさせていただいた。
「ですがこれは……」
いきなりケーキのレシピを渡されて戸惑いを隠せないお二人。
それはそうよね、つい先ほどもプリミアンローズとケーキの事で揉めていたというのに、それをまさか私からレシピを渡させるとは思ってもみなかっただろう。
お二人が戸惑う気持ちも十分にわかるのだが、私としてもまったく打算がないわけでもない。
「おっしゃりたい事は分かります。ですがその前にモーリッツさん、そのレシピをご覧頂いて何か感じるものはございますか?」
「感じるもの……ですか」
そう言うとモーリッツさんは受け取ったケーキの教本をパラパラとめくり、やがて何かを納得されたように感想を述べられる。
「材料の分類にホールという名のサイズ、分量のグラムも事細かく書かれておりますし、何より聞きなれない用語の説明など、発案者でないとわからないところまで丁寧に書かれています。……なるほど、そういう事ですか」
「えぇ、これは言わば私の言葉に嘘偽りがないという、信じてもらう為の証明書」
さきほどのブリュッフェルとのやり取りで、私に掛かった噂はある程度払拭出来たが、それでも確かな証拠を提示したわけでは無い。
中には彼方の店の常連さんもいるだろうし、盗作疑惑の噂を信じている方もいる事だろう。
なのでせめて同じ業種で働く仲間の方だけでもと思い、今回このケーキのレシピが書かれた教本を用意させていただいた。
「それにそのレシピ帳に書かれているは言わばケーキの基本だけです。そこから派生するミルフィーユやシュークリームの作り方は書かれていません」
ミルフィーユに関してはパイの皮をクリームと重ね、それを何重にも重ねた技術の成果。シュークリームに関してもパイ皮と今回から加えたカスタードの事までは書いていないので、後は努力と研究で生み出してみなさいという意味も含まれている。
もっとも最大の問題であったクリームの部分さえクリア出来れば、カスタードにしろパイ生地にしろ、そう難しいものではないだろう。
「理解いたしました。つまりはこれはアリス様から下された一種の挑戦状。ローズマリーのように、人気の商品を生み出すには常に努力と研究を怠るな、という意味ですね」
「えっと、そこまで大した意味でもないんだけれど……」
単純に同じ商品をすぐに用意されたら、こちらの売り上げにも影響しちゃうからちょっとは努力してね、ってだけだったのだが……まぁいいか。
「そう言う事でしたらありがたくこの教本、頂いておきます」
何だかいろいろ勘違いされているようだが、いいように捉えてくださっているようなので、そのままそっとしておく事にする。
「それとこれは私からの願いなんですが、もし他にこのレシピを欲しがる方がいらっしゃれば、写しを差し上げて欲しいのです」
「えっ!? しかしそれでは……」
「おっしゃりたい事はわかります。ですが低迷してしまたお菓子業界に、そろそろ光が差し込んでもいいと思うのです」
「光を……ですか。わかりました。アリス様のおっしゃる通りにさせていただきます」
ギュンターさんからすれば、ようやく手に入れたケーキのレシピだろうが、私は独占するつもりも独占させるつもりも考えてはいない。
お二人にはあえてもっともらしい事で納得させたが、実はこれには別の理由が隠されている。だけどそれをわざわざ説明する必要もないだろう。
その後お二人を見送りながら私は安堵の息を吐くのだった。
私の一言でざわめき立つ店内、ラウロはすっかり動揺してしまい、ブリュッフェルは先ほどまでの余裕の姿を一変させ、怒り感情が篭った鋭い眼光を私の方へと向けてくる。
「ねぇラウロ。ローズマリーのスタッフ以外が知らない薄力粉なんて言葉、どこで知ったの?」
ざわざわざ。
私が放った『ローズマリーのスタッフ以外が知らない』という言葉に、耳をすませて聞いていた人たちからざわめきの声が沸き起こる。
このローズマリーに泥棒が入った事件は有名な話。ただでさえここは王都でも最も安全とされている貴族街なのだ。商店が立ち並ぶメインストリートでも大騒ぎになるというのに、貴族のお屋敷が立ち並ぶ一角で事件が起こったのなら、それはもう隠し通せるものではないだろう。
そして盗まれたのが独占販売をしていたケーキのレシピともなれば、当時の新聞に大きく取り上げられた事を覚えている。
結局その騒ぎもプリミアンローズのオープンと、ローズマリーにかけられた盗作疑惑であやふやなものとなってしまったが、思わぬ形でその詳細の断片が見えてしまったのだ。
恐らく多くの客がこう思ったのではないだろうか、なぜローズマリーのスタッフしか知らない言葉を、プリミアンローズのパティシエであるラウロが知っているのか。うちのスタッフから漏れたという可能性も否定はできないが、今この場のこの状況では、大した火消しにもならない。そもそもそのこと自体が、プリミアンローズのケーキが本家ということ否定することに繋がってしまう。
「そ、それは……」
私の問いかけに、ラウロは見事なまでに狼狽える姿を披露する。それはまるで答えたくとも答えられない理由がそこにある、と言っているようなものだろう。
そしてトドメともいえるモーリッツさんの言葉がさらにラウロを追い詰める。
「薄力粉、ですか。私も長年料理人をしておりますが、今日はじめて耳にしました。ですが、それがこの店独特の略語と説明されれば納得ができます」
現場現場で、独自の言葉が生まれるなんてのはよくある話し。例えば調理場のスタッフが『3番行きます』と言えば、それはお手洗いに行ってきますという意味だし、シルバーと言えばそれはナイフやフォークを磨くということ。
他にもその店でお肉のサイズを表す独自の表現をしたり、クレームなどの対応でお客様に気付かれないような用語を使うなんて珍しくはない。
「一応確認するけど、たまたま薄力粉なんて言葉が出た、というわけじゃないわよね?」
私もまさかこの様な状況になるとは考えていなかったので、普通に前振りとして強力粉と中力粉という言葉を使っていた。
ならばそこから推察して言葉が出て来ても不思議ではないのだが、先ほどモーリッツさんが間違えられた事から、強・中ときて『薄』という言葉が出るのは中々に難しいことだろう。
「えっと……それは……」
まぁ答えられないわよね。
彼はモーリッツさんが間違えられた言葉を自身満々に訂正してきたのだ。それはもう始めから薄力粉という言葉を知らなければ、あれ程はっきりと言い放つ事も出来ない筈だ。
この時点で店内の様子はすっかり疑いの眼差しが、ブリュッフェルとラウロに向けられている。
念のために審判役のギュンターさんとモーリッツさんの様子を伺うが、お二人とも止めるどころが疑惑の目をブリュッフェル達に向けられている。やはりここは同じ食を愛する者として、最低限のルールすら守れない者など、庇うつもりはないという事だろう。
当然よね。お二人はローズマリーからケーキやパフェの技術を盗もうとされていたが、それは純粋に研究と分析から知識を得ようとされていた。それなのに泥棒という犯罪行為でレシピを奪っておいて、平然とライバル店を名乗っていたのだから、軽蔑の目で見たとしても不思議ではないだろう。
これで納得させられる理由がラウロから飛び出さなければ、お二人がこちら側から離れるということはない筈だ。
さて、彼方はどう出るかだが。
「そんな言葉遊びで人の不信感を煽らないで頂きたい!!」
これ以上ラウロに話させてはいけないと思ったのだろう。ブリュッフェルが怒りませに私を睨めつけてくる。
「言葉遊びって……、私はただ疑問を口にしただけよ?」
「それが言葉遊びだと言っているんです! そもそも同じ商品を取り扱う店同士、同じ言葉が生まれたとしても不思議ではないでしょう。第一薄力粉という言葉を最初に出したのはラウロです。それをあたかも貴女が産み出したかの様に誑かすのは、失礼きわまりないことだと言っているのです」
なるほど、この場で薄力粉という言葉を最初に口にしたのはラウロの方だ。確かに見方を変えれば私が後付けで意味をもたせたと言えば、そう見えなくともないだろう。少々苦しい言い訳だとは思うが。
「それじゃ仮に薄力粉という言葉がそちらでも使われていたとしましょう。ならば当然『薄』と付けた理由がある筈よね? この場にいる全員を納得させられる程の理由が」
前世の内容をそのまま使えば、強力粉は焼きあがった後の弾力から付けられたのだし、中力粉は単純に強いと弱いの間から。ただ薄力粉に関しては弱力粉ではイメージが悪かったからだけなので、言葉と素材を関係付ける理由が存在していないのだ。
実際ここで『実はこういう理由から』、なんて適当な説明をされてしまえば不利になるのはこちら側だが、真実を知らない相手には十分な効果があるだろう。
あちら側にはレシピを盗んだという事実があり、私の言葉の裏に自分たちが知らない真実があるという警戒心が存在している。
私ならば下手に理由をでっち上げるより、無言の回答で誤魔化すだろう。
「バカバカしい! 貴女からの問いかけは既に終了しています。よってその問いに答える理由はありません」
やっぱりね。
ここは不信感を買ってでも『答えない』、という選択を取ると予想していた。実際適当な言い回しをされたら、私に払拭できるほどの確かな理由は存在していない。寧ろ疑いの目で見られるのはこちら側だったのではないだろうか。
「まぁいいわ。ルールですものね」
結局私からの問答はこれで終了。
真実を知りたがっていた人たちには満足のいく結果では、決してなかっただろうが、ルールはルールだ。
その後プリミアンローズ側からの問いかけは、答え方次第で不信感を抱かせるような問いもあった為、私は答えられないという結果で終了した。
「お見事でした」
睨みつけるような視線のブリュッフェルとラウロを見送り、スタッフのみが立ち入れるバックヤードへと戻って来た私とカナリア。
そこにランベルトとフローラ様達が迎えてくれる。
「それにしても流石です。まさかあの様に言葉巧みに相手から鍵となる言葉を引き出さすなんて」
先ほどまでの遣り取りを隣で聞いていたカナリアが、感心したかの様に賞賛の言葉をかけてくれる。
「あー、薄力粉の話? 実はアレ、偶然なのよね」
「「「は?」」」
カナリアの問いかけに答えたのに、何故かこの場にいる全員の言葉が見事にハモる。
……あ、あれ?
「アリス様、あれは作戦だったんじゃないのですか?」
「え、えーっとね……」
賞賛してもらえたところ悪いのだけれど、実は彼じゃ私の質問に答えられないだろうなぁ、と鷹をくくっていたのだ。
リリアナの報告ではないが、一目で彼がたいしたパティシエではない事は分かっていた。もし彼が熟練のパティシエならば自信が威厳ととして出ているだろうし、知識が豊富な人間ならば、独特の雰囲気なんてものが感じられる。
これは同じ職種の人間ならではの感覚なので、どう説明していいのか分からないのだが、彼には学生上がりのような未熟さが見え隠れしていたのだ。
結局私の見立てに反し、あっさりと質問の答えを返されたのだが、結果的にその自信がうっかり薄力粉なんて言葉を口にしてしまった。
いやー、ラウロが薄力粉なんて言葉を出してくれなければ、どうなっていたか分からなかったわ。ははは。
「……」
私の話を聞き、思いっきり呆れた顔を向けてくるカナリアとランベルト。
まぁ、結果よければすべてよし?
「はぁ……、感心して損しちゃいました」
ちょっと、これでも私頑張ったのよ? それって少し扱いが酷くない?
「まぁ、経緯はどうあれ結果として最高の成果と言えましょう」
そっとフォローを入れてくれるランベルト。さすが優秀な執事いてくれると安心出来ちゃうわ。
「それでお二人をこちらまで呼ばれた理由は、今のお話をお聞かせする為ではございませんよね?」
「えぇ、勿論よ」
そう言いながらランベルトが部屋の端で待たせている、ギュンターさんとモーリッツさんに顔を向ける。
お二人には先ほどの審判をしていただいたお礼として、後で何かをプレゼントをすると約束していた。事が事だったので、カナリア達と少々話が盛り上がってしまったが、今更聞かれて困ることでもないだろう。
「カナリア、私の部屋から0番の資料を一部持ってきてもらえる?」
「えっ、0番の資料ですか? でもあれって……」
「問題ないわ、資料をお願い」
「わかりました」
私がカナリアに取りに行かせたもの、それは来るべき日の為に用意していた大切な資料。
やがて戻って来たカナリアから紙の束を受け取り、お礼としてそのままギュンターさんへプレゼントする。
「これは!?」
「ケーキのレシピです」
私が今ギュンターさんに渡した資料、それはケーキの基本ともいえるイチゴのショートケーキの作り方が書かれた、私独自のオリジナルのレシピ。
この資料にはケーキの土台となるスポンジ生地の作り方とその特徴、クリームの部分は生クリームとホイップクリームの違いと作り方が書かれており、素材の特徴からケーキ作りに大切な説明を事細かく書き綴った、いわばケーキ作りのための教本。
用意したのは実は結構最近だったりするのだが、私が考えていたタイミング的に丁度いいかと思い、今回お礼の品としてプレゼントさせていただいた。
「ですがこれは……」
いきなりケーキのレシピを渡されて戸惑いを隠せないお二人。
それはそうよね、つい先ほどもプリミアンローズとケーキの事で揉めていたというのに、それをまさか私からレシピを渡させるとは思ってもみなかっただろう。
お二人が戸惑う気持ちも十分にわかるのだが、私としてもまったく打算がないわけでもない。
「おっしゃりたい事は分かります。ですがその前にモーリッツさん、そのレシピをご覧頂いて何か感じるものはございますか?」
「感じるもの……ですか」
そう言うとモーリッツさんは受け取ったケーキの教本をパラパラとめくり、やがて何かを納得されたように感想を述べられる。
「材料の分類にホールという名のサイズ、分量のグラムも事細かく書かれておりますし、何より聞きなれない用語の説明など、発案者でないとわからないところまで丁寧に書かれています。……なるほど、そういう事ですか」
「えぇ、これは言わば私の言葉に嘘偽りがないという、信じてもらう為の証明書」
さきほどのブリュッフェルとのやり取りで、私に掛かった噂はある程度払拭出来たが、それでも確かな証拠を提示したわけでは無い。
中には彼方の店の常連さんもいるだろうし、盗作疑惑の噂を信じている方もいる事だろう。
なのでせめて同じ業種で働く仲間の方だけでもと思い、今回このケーキのレシピが書かれた教本を用意させていただいた。
「それにそのレシピ帳に書かれているは言わばケーキの基本だけです。そこから派生するミルフィーユやシュークリームの作り方は書かれていません」
ミルフィーユに関してはパイの皮をクリームと重ね、それを何重にも重ねた技術の成果。シュークリームに関してもパイ皮と今回から加えたカスタードの事までは書いていないので、後は努力と研究で生み出してみなさいという意味も含まれている。
もっとも最大の問題であったクリームの部分さえクリア出来れば、カスタードにしろパイ生地にしろ、そう難しいものではないだろう。
「理解いたしました。つまりはこれはアリス様から下された一種の挑戦状。ローズマリーのように、人気の商品を生み出すには常に努力と研究を怠るな、という意味ですね」
「えっと、そこまで大した意味でもないんだけれど……」
単純に同じ商品をすぐに用意されたら、こちらの売り上げにも影響しちゃうからちょっとは努力してね、ってだけだったのだが……まぁいいか。
「そう言う事でしたらありがたくこの教本、頂いておきます」
何だかいろいろ勘違いされているようだが、いいように捉えてくださっているようなので、そのままそっとしておく事にする。
「それとこれは私からの願いなんですが、もし他にこのレシピを欲しがる方がいらっしゃれば、写しを差し上げて欲しいのです」
「えっ!? しかしそれでは……」
「おっしゃりたい事はわかります。ですが低迷してしまたお菓子業界に、そろそろ光が差し込んでもいいと思うのです」
「光を……ですか。わかりました。アリス様のおっしゃる通りにさせていただきます」
ギュンターさんからすれば、ようやく手に入れたケーキのレシピだろうが、私は独占するつもりも独占させるつもりも考えてはいない。
お二人にはあえてもっともらしい事で納得させたが、実はこれには別の理由が隠されている。だけどそれをわざわざ説明する必要もないだろう。
その後お二人を見送りながら私は安堵の息を吐くのだった。
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