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しおりを挟む『かみやこう、です』
両親の隣で、ぺこりと頭を下げる少年。
その鋭くも美しい灰色がかった瞳と凛とした姿に、母親の後ろに隠れていた唯は途端にキラキラとした瞳で煌を見ては、笑った。
──それは、約十六年前、二人が初めて出会った日の事だった。
それからというもの、すぐに意気投合した両家の関係は良好で、夕食を共にしたり、お泊まり会やキャンプなどを頻繁にするようになると、唯は兄と遊ぶ煌の後を金魚のフンよろしく付いて回り、へらへらと笑っていた。
『にぃに、こうくん、ゆいもいっしょにいく!』
が当時の唯の口癖であり、何をするにも、唯の優先順位は、煌だった。
『こうくん、おきて、きょうはゆいとおそとにいくひだよ!』
『こうくんとおなじのがいい!』
『こうくん、えほん、よんで……』
なんて、休日の日などは目覚ましが鳴るよりも早く起こし、お昼は煌が食べているものと同じものを欲しがり、夜はパジャマ姿に大きなぬいぐるみを腕に抱いて、煌の隣で寝る。
そんな、朝から晩まで煌の側に引っ付いては乳歯が抜け始めた口でへにゃへにゃと笑う唯の事を煌は時々無視をしたりする事もあったが、それでも煌なりの優しさで、唯と向き合ってくれていた。
そうして、唯と煌が出会ってから、約半年後。
唯にとっては遠い過去の一つの出来事としてしか捉えていなかった、しかし今思えばここで二人の立場が逆転するような出来事が、起こってしまった。
──それは、良く晴れた日の午後、みんなでキャンプをしている時の事だった。
その日のキャンプをひたすらに楽しみにしていた唯が、しかし当日、ひどく浮かない顔をしては唇を突きだしていて。
いつも間抜けな顔をしてニコニコしている唯しか見たことがなかった煌がついつい気になり、『……どうしたの』と尋ねると、『……きのうね、ほいくえんでね、おまえ、まだへんかできないのかって、わらわれたの……』と唯がぷくぷくの頬をさらに膨らませ俯いたので、その顔に煌は堪らず吹き出してしまいそうになりながらも、唯の小さな手をそっと握った。
『じゃあ練習すれば良いんだよ』
だなんて言って、茂みの方へと手を引いていく煌。
その姿に、なんだかんだ唯に甘いと皆が笑うなか、二人はあまり目立たない大きな木の隅で、訓練する事にした。
『自分の体の中にある本能的な感覚に集中するんだ』
『……そうしたいけど、そのかんかくが、ゆいにはまだわかんなくて……』
ここ最近、保育園で周りからいつもそう言われているのだろう唯が、いじいじと服の裾をいじりながら、口を尖らせる。
それに煌はどうしたものかと頭を悩ませたあと、唯の前に跪いた。
『そうだな……。お腹の中、胸の下くらいを意識してみるんだ』
『……ここ?』
『そう。そこに手を置くとぽかぽかして温かくなってくるだろ?』
『……うん!』
『よし、それが第一歩だ。そしたら次は、手を置かなくてもその場所が温かくなるように意識してみるんだ。その感覚だけに集中して、余計な事は何も考えないようにする。そして、その温かさがだんだん大きく、広く、全身に流れていくように意識すれば良い』
『……う、うぅ……!』
『……ぷっ、あははっ!』
唯がぎゅっと目を瞑り、プルプルと震えながら集中しているのを見て、煌が声をあげて笑う。
そんな煌に唯が拗ね、もうれんしゅうしない!と怒る事もあったが、煌は根気強くつきっきりで教えてあげたのだった。
『唯、もうそろそろ暗くなる。だからあと一回だけ試してみて無理なら、また明日、練習しよう』
『……うん』
『いいか。もう一回するからな。見てて』
『うん……!』
──だんだんと陽が暮れ始め、夕陽が木々の隙間から美しく射し込んでくる頃。
その中で煌がゆっくりと目を閉じ、深呼吸をする。
それから徐々に煌の姿が形を変え、今日何度も見た美しい灰色の毛並みをした狼に変わり、けれども唯は何度見ても綺麗だと、瞳を輝かせた。
『こうくんすごいねぇ……! きらきら、きれいだねぇ!!』
だなんて、毎度同じ台詞を繰り返しながら、唯が手を伸ばしてくる。
煌は元々人に触られるのが好きではなく、ましてや狼の姿という無防備な状態で人に近寄られる事が大嫌いなのだが、唯はそんな事も知らずに、先程からベタベタと煌の体を撫でてくるばかりで。
まだ子ども特有のむちっとした小さく熱い掌がわしゃわしゃと無遠慮に毛を撫で、汗がひっつく感触に煌は堪らず唸り声をあげそうになりながらも、鼻先で唯をグイグイとつついた。
『バウッ』
『わかってるよぉ! よし……、』
時間が無いんだから早くしろ。と言わんばかりに煌が鳴き、それに唯もゆっくりと目を閉じる。
それからしばらくし、今までなんの変化もなかった唯の体がみるみるうちに小さくなっていき、煌は爛々とした瞳を丸くさせ、尻尾をブンブンと振った。
そうして、瞬く間に唯の体が全く見えなくなり、煌が慌てて唯の服の中に鼻を突っ込もうとした、その時。
『ピィッ』と高く鳴く、一羽のとても小さなヒヨコがそこに居た。
『バウッ!』
『ピッ、ピィッ!』
目の前に居る煌に、唯が変化出来たと驚きに目を見開いては、パタパタと羽をバタつかせる。
しかし突然の初めての変化に加え、あまりにも小さい体は上手く機能出来ず、唯が風に煽られて転倒しかけたのを見て、煌は慌てて唯を掴もうとした。
『ピィッ!!』
『ッ、ガウッッ』
『──ピイィィッッ!!』
しかし、焦って加減出来なかった煌の鋭い歯が誤って唯の肉体を軽く裂き、辺りに響く、甲高いヒヨコの鳴き声。
その悲鳴に慌てて離したが、煌の目の前には、人間の姿に戻っているものの、頭から血を流して地面に横たわる、唯が居て。
そのあまりにも衝撃的な姿と口の中に混じる血の味、そして先ほどの唯の叫び声に煌がパニックに陥っていれば、ただならぬ叫び声に両親や優弥が気付き、それからすぐさま病院へと唯を運んだ。
幸い、頭の傷は見た目ほど大した事はなく。
その場で数針縫ったあと、『何も無いとは思いますが、小さいお子さんですし、念のため一日だけ様子を見ましょう』という医者の言葉により入院を余儀なくされてしまった唯は、キャンプを楽しみにしていたしやっと変化も出来たのにそれを喜ぶ暇もなくこんな所に押し込められふてくされていたが、先ほどから煌の姿が見当たらず、キョロキョロと辺りを見回した。
『こうくんどこいっちゃったの?』
『……煌君は今、煌君のパパとママとお話してるの』
『いつおわるの? こうくんにあいたい! ゆいね、こうくんにおしえてもらって、いっしゅんだけどへんかできたの!』
そうキラキラとした笑顔で言う唯に、唯の両親は息を飲んで目を見開いたあと、唯の顔をそっと撫でた。
『……そうね。煌くんのおかげだものね。ちょっと待ってて。煌くんを呼んでくるわ』
だなんて、どこか誇らしげに見つめる両親の眼差しに気付かず、嬉しそうに頷きそわそわと煌が病室に入ってくるのを待っていたが、しかし泣き腫らした顔でおずおずと入ってくる煌を見て、唯も途端に泣きそうな顔をしては、煌に手を伸ばした。
『こうくん、どうしたの!? おなかいたいの!? おねつがあるの!?』
『っ、ちが、……ごめん、唯……。ごめんなさい……』
『どうしてごめんなさいなの? こうくん、ゆいになにもいじわるしてないよ?』
『っ、』
『こうくん、ないてるの? どうしたの? なかないで』
今にも泣き出してしまいそうな顔で、それでも必死に煌の顔に手を伸ばし、慰めようとする唯。
その小さな手と唯の言葉に、煌は嗚咽を溢しボロボロと泣いたまま、唯を強く抱き締めた。
『わっ、こうくん? どうしたの、だいじょうぶ?』
『ゆいっ……ぐすっ、』
『もしかしてこわいゆめみたの? ならだいじょうぶだよ。ゆいがまもってあげるから』
だなんて、頭に包帯を巻いた唯がよしよしと煌の背中を一生懸命小さな手で撫でる。
それに煌はやはり泣きながら、しかし唯を見つめた。
『唯……、これからは、お前の願いは何だって叶えてやる。もう絶対に傷付けないし、何だってする。約束するから、』
そう真っ直ぐな瞳で言い切った煌が、涙をゴシゴシと拭ったあと、唯に小指を差し出してくる。
それを眺め、唯はいまいち煌が何を言っているのか理解出来ぬまま一度瞬きをし、けれども楽しげに煌の指に自身の小さな指を絡ませた。
『こうくん、もうないてない?』
『うん。もう泣かない』
『よかったぁ。こうくんがなくと、ゆいもかなしいよ』
『……うん』
『ゆいのおねがい、かなえてくれるの?』
『うん』
『じゃあ、またへんかするれんしゅう、いっしょにしてくれる?』
『っ、……うん』
『あした、ゆいのおうちにおとまりして、ゆいとあそんでくれる?』
『うん。あしたもあさっても、ずっとゆいと遊ぶよ』
『わぁ!! じゃあじゃあ、こうくんはずっとゆいといっしょにいてくれる?』
幸せそうに歓声をあげ、期待を込めた瞳で唯が煌を見る。
そのキラキラと輝く笑顔に煌は、『……ふはっ、ぐすっ……うん……。ずっといっしょにいるよ』だなんてまたしても泣きながら、それでも唯につられるよう、晴れやかな顔で、笑った。
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