35 / 74
34. ティファナの怒り
しおりを挟む
その夜。ラウル様は約束通りヘイワード公爵邸に戻り、私が待つ居間へとやって来た。
「っ! お、……お帰りなさいませ、ラウル様」
「……話は私の部屋でしよう」
短くそれだけ言うと、彼はすぐに居間を出て行ってしまった。
「……っ、」
いよいよだ。あの式の日の冷たい夜から数ヶ月。ようやく夫婦の会話ができる。
私は固唾を呑み、ゆっくりと立ち上がって彼の後を追った。緊張で指先が冷え切っていた。
「……失礼いたします」
「……」
結婚以来、初めて入るラウル様の私室。そこは一切の飾り気がなかった。必要最低限の家具だけが置かれた無味乾燥なその部屋は、まるで彼の私への冷え切った感情の表れのようで、私は思わず身震いした。
私に背を向け上着を脱ぎ、黙ってソファーに腰かけるラウル様。君も座れとは言われなかったけれど、私はローテーブルを挟んだ彼の向かいに勝手に腰を下ろした。
ラウル様は黙ったまま両手を組み、前かがみの姿勢で座っている。目線を下に落とし、私の顔を見ようともしない。シンとした空間を、私は勇気を出して破った。
「……ようやくお時間を作っていただけてよかったです。……ラウル様、今夜こそきちんと話し合いましょう。なぜ、どうして私たちは、こんなことになってしまったのか」
「……」
「式の夜、あなたは私に仰いました。私の本性を知らなかったと。なぜあなたが私を見限ったのか、自分の胸に手を当ててよく考えろと。この私を……、狡猾で、薄汚い人間だと」
ああ、思い出すと声が震えてしまう。あの夜の傷を掘り起こし、中を開いて確認する行為は、私にとってあまりにも辛いものだった。
でも、ここを乗り越えなくては。
膝の上に置いた両手を、私はグッと握りしめた。
「あなたは、自分の信じると決めた人を信じるのみだと仰いました。信じるに値する人だけを信じる、と。……きちんと言葉でお教えください、ラウル様。それが一体、どういう意味なのか。私には本当に、一切の心当たりがないのですから。対話を避け、ただ無視され続けたのでは困ります。結婚式の直前まで、あんなに優しく距離を縮めあったきたのに。この変化は何なのでしょうか」
私が多少責めるような口調になってしまうのは、仕方のないことだと思う。だってこの数ヶ月間の彼の態度は、あまりにも子どもじみていて酷かったのだから。せめて今夜こそ、きちんと話をしてほしい。
ラウル様はずっと黙ったままで床を見つめている。まだまだ言いたいことはあったけれど、私は一度口を閉じ、彼の言葉を辛抱強く待った。
やがてついに、ラウル様はゆっくりと顔を上げた。そして相変わらず冷え切ったままのその漆黒の瞳で私を見据え、迷いのない口調でこう言った。
「互いの両親が他界するまでの辛抱と思い、この結婚生活を続けていくとあの夜言ったが、その言葉は撤回させてもらう。……離縁しよう。できるだけ早急に。段取りはこれから考える。君もそのつもりでいてくれ」
「…………っ!」
全身から血の気が引き、クラリとめまいがした。視界が真っ黒に染まっていくような感覚。両手の指先がブルブルと震え出し、その激しいショックと絶望の後には、大きな怒りが一気に湧き上がってきた。
この人、一体何なの……!?
こんなにも幼稚で、浅はかな人だとは思わなかったわ。
人が必死で訴えていることを完全に無視して自分の要求だけを呟く愚かな彼に、これまで持っていた遠慮や機嫌を伺うような気持ち、そして気遣いといった種類のものが一斉にどこかへ吹き飛んでしまった。
「……私の話を聞いてくださっていましたか? ですから、私はその理由をお話しくださいと申し上げたのです。結婚以来一切話し合うこともせずにご自分のやりたいように振る舞い、あまりにもこちらを軽視しすぎではございませんか」
これまでとは違う私の口調に何かを感じたのか、ラウル様は一瞬目を見開いて私の顔を見た。けれどすぐにいつもの冷淡な表情に戻ったかと思うと、たまらなく嫌そうに口を開く。
「……どうせ君は嘘をついて誤魔化すつもりだろう。私がロージエから聞いた君の裏の顔を暴露したところで、自分は一切そのようなことはしていないと言い張るはずだ。だが、私は騙されない。……ロージエを、愛しているからだ」
(……やっぱりね)
指先がまたすうっと冷たくなる。気付いていても、こうして直接言葉で聞かされるとやはり大きな打撃だった。
「……それで? あなたはその愛するロージエさんから、私の何を聞かされてきたのですか? 言っておきますが、私がロージエさんとお会いしたのは、私たちの結婚式の少し前に、義妹の知り合いの茶会の席に出た、その時ただ一度きりです」
「……やはりな。ロージエの言った通りだ。そこで彼女と言葉を交わしただろう」
「……ええ。義妹に紹介されて、少しだけご挨拶を」
私がそう返事をすると、ラウル様はフン、と鼻で笑い、侮蔑のこもった目つきで私をジロリと睨んだ。
「っ! お、……お帰りなさいませ、ラウル様」
「……話は私の部屋でしよう」
短くそれだけ言うと、彼はすぐに居間を出て行ってしまった。
「……っ、」
いよいよだ。あの式の日の冷たい夜から数ヶ月。ようやく夫婦の会話ができる。
私は固唾を呑み、ゆっくりと立ち上がって彼の後を追った。緊張で指先が冷え切っていた。
「……失礼いたします」
「……」
結婚以来、初めて入るラウル様の私室。そこは一切の飾り気がなかった。必要最低限の家具だけが置かれた無味乾燥なその部屋は、まるで彼の私への冷え切った感情の表れのようで、私は思わず身震いした。
私に背を向け上着を脱ぎ、黙ってソファーに腰かけるラウル様。君も座れとは言われなかったけれど、私はローテーブルを挟んだ彼の向かいに勝手に腰を下ろした。
ラウル様は黙ったまま両手を組み、前かがみの姿勢で座っている。目線を下に落とし、私の顔を見ようともしない。シンとした空間を、私は勇気を出して破った。
「……ようやくお時間を作っていただけてよかったです。……ラウル様、今夜こそきちんと話し合いましょう。なぜ、どうして私たちは、こんなことになってしまったのか」
「……」
「式の夜、あなたは私に仰いました。私の本性を知らなかったと。なぜあなたが私を見限ったのか、自分の胸に手を当ててよく考えろと。この私を……、狡猾で、薄汚い人間だと」
ああ、思い出すと声が震えてしまう。あの夜の傷を掘り起こし、中を開いて確認する行為は、私にとってあまりにも辛いものだった。
でも、ここを乗り越えなくては。
膝の上に置いた両手を、私はグッと握りしめた。
「あなたは、自分の信じると決めた人を信じるのみだと仰いました。信じるに値する人だけを信じる、と。……きちんと言葉でお教えください、ラウル様。それが一体、どういう意味なのか。私には本当に、一切の心当たりがないのですから。対話を避け、ただ無視され続けたのでは困ります。結婚式の直前まで、あんなに優しく距離を縮めあったきたのに。この変化は何なのでしょうか」
私が多少責めるような口調になってしまうのは、仕方のないことだと思う。だってこの数ヶ月間の彼の態度は、あまりにも子どもじみていて酷かったのだから。せめて今夜こそ、きちんと話をしてほしい。
ラウル様はずっと黙ったままで床を見つめている。まだまだ言いたいことはあったけれど、私は一度口を閉じ、彼の言葉を辛抱強く待った。
やがてついに、ラウル様はゆっくりと顔を上げた。そして相変わらず冷え切ったままのその漆黒の瞳で私を見据え、迷いのない口調でこう言った。
「互いの両親が他界するまでの辛抱と思い、この結婚生活を続けていくとあの夜言ったが、その言葉は撤回させてもらう。……離縁しよう。できるだけ早急に。段取りはこれから考える。君もそのつもりでいてくれ」
「…………っ!」
全身から血の気が引き、クラリとめまいがした。視界が真っ黒に染まっていくような感覚。両手の指先がブルブルと震え出し、その激しいショックと絶望の後には、大きな怒りが一気に湧き上がってきた。
この人、一体何なの……!?
こんなにも幼稚で、浅はかな人だとは思わなかったわ。
人が必死で訴えていることを完全に無視して自分の要求だけを呟く愚かな彼に、これまで持っていた遠慮や機嫌を伺うような気持ち、そして気遣いといった種類のものが一斉にどこかへ吹き飛んでしまった。
「……私の話を聞いてくださっていましたか? ですから、私はその理由をお話しくださいと申し上げたのです。結婚以来一切話し合うこともせずにご自分のやりたいように振る舞い、あまりにもこちらを軽視しすぎではございませんか」
これまでとは違う私の口調に何かを感じたのか、ラウル様は一瞬目を見開いて私の顔を見た。けれどすぐにいつもの冷淡な表情に戻ったかと思うと、たまらなく嫌そうに口を開く。
「……どうせ君は嘘をついて誤魔化すつもりだろう。私がロージエから聞いた君の裏の顔を暴露したところで、自分は一切そのようなことはしていないと言い張るはずだ。だが、私は騙されない。……ロージエを、愛しているからだ」
(……やっぱりね)
指先がまたすうっと冷たくなる。気付いていても、こうして直接言葉で聞かされるとやはり大きな打撃だった。
「……それで? あなたはその愛するロージエさんから、私の何を聞かされてきたのですか? 言っておきますが、私がロージエさんとお会いしたのは、私たちの結婚式の少し前に、義妹の知り合いの茶会の席に出た、その時ただ一度きりです」
「……やはりな。ロージエの言った通りだ。そこで彼女と言葉を交わしただろう」
「……ええ。義妹に紹介されて、少しだけご挨拶を」
私がそう返事をすると、ラウル様はフン、と鼻で笑い、侮蔑のこもった目つきで私をジロリと睨んだ。
726
あなたにおすすめの小説
愛してしまって、ごめんなさい
oro
恋愛
「貴様とは白い結婚を貫く。必要が無い限り、私の前に姿を現すな。」
初夜に言われたその言葉を、私は忠実に守っていました。
けれど私は赦されない人間です。
最期に貴方の視界に写ってしまうなんて。
※全9話。
毎朝7時に更新致します。
私のことは愛さなくても結構です
ありがとうございました。さようなら
恋愛
サブリナは、聖騎士ジークムントからの婚約の打診の手紙をもらって有頂天になった。
一緒になって喜ぶ父親の姿を見た瞬間に前世の記憶が蘇った。
彼女は、自分が本の世界の中に生まれ変わったことに気がついた。
サブリナは、ジークムントと愛のない結婚をした後に、彼の愛する聖女アルネを嫉妬心の末に殺害しようとする。
いわゆる悪女だった。
サブリナは、ジークムントに首を切り落とされて、彼女の家族は全員死刑となった。
全ての記憶を思い出した後、サブリナは熱を出して寝込んでしまった。
そして、サブリナの妹クラリスが代打としてジークムントの婚約者になってしまう。
主役は、いわゆる悪役の妹です
教養が足りない、ですって
たくわん
恋愛
侯爵令嬢エリーゼは、公爵家の長男アレクシスとの婚約披露宴で突然婚約破棄される。理由は「教養が足りず、公爵夫人として恥ずかしい」。社交界の人々の嘲笑の中、エリーゼは静かに会場を去る。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
うまくいかない婚約
ありがとうございました。さようなら
恋愛
エーデルワイスは、長年いがみ合っていた家門のと結婚が王命として決まっていた。
そのため、愛情をかけるだけ無駄と家族から愛されずに育てられた。
婚約者のトリスタンとの関係も悪かった。
トリスタンには、恋人でもある第三王女ビビアンがいた。
それでも、心の中で悪態をつきながら日々を過ごしていた。
忘れられた幼な妻は泣くことを止めました
帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。
そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。
もちろん返済する目処もない。
「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」
フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。
嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。
「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」
そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。
厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。
それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。
「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
今から婚約者に会いに行きます。〜私は運命の相手ではないから
ありがとうございました。さようなら
恋愛
婚約者が王立学園の卒業を間近に控えていたある日。
ポーリーンのところに、婚約者の恋人だと名乗る女性がやってきた。
彼女は別れろ。と、一方的に迫り。
最後には暴言を吐いた。
「ああ、本当に嫌だわ。こんな田舎。肥溜めの臭いがするみたい。……貴女からも漂ってるわよ」
洗練された都会に住む自分の方がトリスタンにふさわしい。と、言わんばかりに彼女は微笑んだ。
「ねえ、卒業パーティーには来ないでね。恥をかくのは貴女よ。婚約破棄されてもまだ間に合うでしょう?早く相手を見つけたら?」
彼女が去ると、ポーリーンはある事を考えた。
ちゃんと、別れ話をしようと。
ポーリーンはこっそりと屋敷から抜け出して、婚約者のところへと向かった。
白い結婚を終えて自由に生きてまいります
なか
恋愛
––アロルド、私は貴方が結婚初日に告げた言葉を今でも覚えている。
忘れもしない、あの時貴方は確かにこう言った。
「初めに言っておく、俺達の婚姻関係は白い結婚として……この関係は三年間のみとする」
「白い結婚ですか?」
「実は俺には……他に愛する女性がいる」
それは「公爵家の令嬢との問題」を理由に、三年間だけの白い結婚を強いるもの。
私の意思を無視して三家が取り決めたものであったが、私は冷静に合意を決めた
――それは自由を得るため、そして『私自身の秘密を隠すため』の計算でもあった。
ところが、三年の終わりが近づいたとき、アロルドは突然告白する。「この三年間で君しか見えなくなった。白い結婚の約束をなかったことにしてくれ」と。
「セシーリア、頼む……どうか、どうか白い結婚の合意を無かった事にしてくれ」
アロルド、貴方は何を言い出すの?
なにを言っているか、分かっているの?
「俺には君しかいないと、この三年間で分かったんだ」
私の答えは決まっていた。
受け入れられるはずがない。
自由のため、私の秘密を守るため、貴方の戯言に付き合う気はなかった。
◇◇◇
設定はゆるめです。
とても強い主人公が自由に暮らすお話となります。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる